賑わう季節
十月の風は、もう夏の名残を運んではこなかった。
澄んだ空気。
高い空。
街路樹の葉が、ゆっくりと色づき始める季節。
――レインがこの学園に編入してから、半年が経っていた。
いつの間にか、彼女を「編入生」と呼ぶ者はいなくなった。
朝の挨拶も、
放課後の雑談も、
実技演習での立ち位置も。
すべてが自然で、あまりに当たり前で、今では誰も、彼女が途中から来たことを意識していない。
それほどまでに、レインはこの学園に溶け込んでいた。
⸻
共和国では、この時期になると一つの大きな行事が始まる。
黎明祭。
共和国建国を記念して行われる、年に一度の祝祭。
二日間にわたり、街全体が祭りの色に染まる。
中央通りには露店が並び、
広場では音楽と踊りが絶えず、
夜になれば灯りが灯り、
空気そのものが浮き足立つ。
そして――
この祝祭の中心にあるのが、アカデミーだ。
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各学科、各クラスが出し物を行い、一般市民にも校舎が開放される。
模擬店。
展示。
演奏会。
競技会。
学生たちにとっては、「学業」や「訓練」を一度だけ忘れていい、特別な日。
来年には前線に立つ者もいる。
卒業を控える者もいる。
だからこそ――
この祭りは、ただの行事以上の意味をもつ。
黎明祭を一ヶ月後に控えた今日では、
校舎の外壁には装飾用の布が掛けられ、
中庭には準備中の屋台が並び始めている。
そして放課後になると、あちこちから笑い声や議論の声が聞こえた。
———
放課後の教室。
黒板には大きくチョークで書かれている。
――黎明祭・クラス出し物会議
その前に立っているのは、二人。
クラス代表のレオンと、副代表のセリナだった。
⸻
「じゃあ始める」
レオンが、短く切り出す。
「黎明祭は二日間」
「一日目と二日目で、しっかり運営できる内容が前提だ」
「準備期間は一か月」
「人手とコストも考慮する」
淡々と条件を並べる。
さすが優等生代表、という空気。
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「まず、出し物案を出して」
セリナが続ける。
黒板の横に立ち、チョークを手にしている。
「実現可能性が低いものは、その場で切るわ」
「遠慮はいらない」
ぴしっとした口調。
教室が、少し引き締まる。
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「はい!」
真っ先に手を挙げたのはルカだった。
「屋台!」
「肉焼いて、甘いの売って、客呼びまくろうぜ!」
勢いだけは一流。
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「却下」
セリナが即答する。
「火器使用は禁止」
「調理免許も必要」
「赤字リスクが高い」
三連撃。
「……まだ何も言い返してないんだけど」
ルカが肩を落とす。
⸻
「じゃあ、喫茶店は?」
今度はミレイア。
「去年もやってたし」
「飲み物と焼き菓子なら、許可も通りやすいと思う」
⸻
「それなら現実的だな」
レオンが頷く。
「備品は去年のが残ってる」
「人員も回せそうだ」
⸻
「異論ある?」
セリナが、教室を見渡す。
誰も手を挙げない。
「……じゃあ、喫茶店で決定」
セリナが黒板に書き込もうとした、その時。
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「待った!」
またしても、ルカが手を挙げた。
嫌な予感しかしない。
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「喫茶店ならさ」
ニヤッと笑って、言う。
「メイドカフェにしようぜ!」
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
教室の時間が止まった。
⸻
「……は?」
ミレイアが、低い声を出す。
「ちょ、待て待て」
ルカは慌てて続ける。
「客ウケ最高だろ?」
「制服可愛いし!」
「絶対人来るって!」
⸻
次の瞬間。
「却下」
「却下」
「却下」
「却下」
女子たちの声が、見事に重なった。
⸻
「は!?」
「なんでだよ!」
「なんでって何よ」
ミレイアが腕を組む。
「誰が着ると思ってるの?」
「え、そりゃ……」
ルカの視線が、無意識にレインとセリナに向く。
「……こっちみないで。」
セリナの声は、氷点下だった。
「今の一瞬で」
「三年分の信頼、消し飛んだわよ」
「大体ね」
別の女子が続く。
「接客させられるの、女子だけでしょ?」
「なんで男子は見る側前提なの?」
「ずるくない?」
「いや、俺も着るって!」
ルカが必死に言い返す。
「メイド服!!」
――ドン。
机を叩く音。
「なお悪い」
セリナだった。
「セクハラ」
「労働搾取」
「学園イメージ低下」
淡々と三点列挙。
「以上の理由で」
「完全却下」
「ぐっ……!」
ルカが言葉を詰まらせる。
「ちなみに」
レオンが、冷静に追撃する。
「学園規則上」
「過度なコスプレ接客は禁止だ」
「メイドカフェは、正式にアウト」
———
「……終わった」
ルカが、机に突っ伏した。
⸻
「大丈夫?」
レインが、心配そうに声をかける。
「次、何かいい案出せばいいよ」
「レイン……」
ルカが顔を上げる。
「お前だけが女神だ……」
⸻
「それもアウト」
女子全員から、即座にツッコミが飛んだ。
教室は、笑いに包まれる。
先ほどまでの真面目な空気が、一気に和らいだ。
⸻
「はいはい、話戻すわよ」
セリナが、手を叩く。
「喫茶店で決定」
「これ以上の奇案は禁止」
「異論は?」
今度こそ、誰も手を挙げなかった。
⸻
後ろの方で見ていた担任――アイリスは、
満足そうに小さく頷いていた。
「うんうん、スムーズね」
「二人とも、さすが実行委員」
完全に任せていた。
⸻
「次」
レオンが一拍置いてから言う。
「黎明祭といえば、もう一つある」
その瞬間、教室の空気が変わる。
⸻
「ミス黎明コンテスト」
ざわ、と声が広がる。
「今年も各クラスから一名ずつ代表を出す」
「MEK科も例外じゃない」
⸻
「候補についてだけど」
レオンは言い淀まない。
「実行委員会として、最初に挙げる名前は一人」
そして。
自然な流れで、視線が一斉にレインへ向いた。
⸻
「……え?」
レインが瞬きする。
「ちょっと待って」
「私、聞いてない」
⸻
「聞かなくても分かるだろ」
ルカが即座に口を挟む。
「どう考えてもお前だって!」
「ビジュアル的にも」
「注目度的にも」
「優勝候補確定だろ!」
⸻
「異論ある?」
セリナが、淡々と聞く。
男子が目を逸らす。
女子が苦笑する。
異論など、出るはずもない。
⸻
「……合理的には、そうなるわね」
セリナは冷静だった。
「集客効果が高い」
「MEK科のイメージアップにもなる」
「感情論じゃなく、判断よ」
「……感情論も入ってると思うけど」
ガイが小声で呟く。
———
「いや、ちょっと待って」
レインが慌てて手を上げる。
「私、そういうの得意じゃ――」
「得意かどうかじゃない」
セリナが、きっぱり言った。
「逃げられると思わないで」
「……厳しい」
レインが苦笑する。
「大丈夫だよ」
ミレイアが、そっとフォローに入る。
「みんなで支えるし」
「無理させないから」
教室の空気は、すでに“決定後”だった。
「じゃあ、決まりだな」
レオンがまとめる。
「ミス黎明コンテスト代表――レイン」
拍手が起こる。
⸻
「……分かったよ」
レインは、観念したように微笑んだ。
「やるからには、頑張るね」
その一言で、さらにざわつきが増す。
⸻
「よし、次はクラス展示の役割分担」
レオンは、すぐに話を進める。
「装飾班」
「接客班」
「仕込み班」
「あとで名簿回すから、希望出して」
完全に仕切っている。
⸻
後ろで聞いていたアイリスが、小さくため息をついて笑った。
「……先生、出る幕なさそうね」
楽しそうに。
⸻
こうして。
黎明祭に向けた準備は、着実に、そして穏やかに進み始めた。
———
数日後。
黎明祭の出し物が決まってから、放課後は準備の時間として賑わっていた。
「看板、誰が描く?」
「シフト、昼と夕方で分けよう」
「仕込みは前日泊まり?」
笑い声。
軽口。
期待に満ちた時間。
準備が終わり、帰路に着くころには、すっかり空は暗くなっていた。
⸻
校舎裏。
用具倉庫の陰に、見慣れた用務員姿の男が立っていた。
ノアだ。
「おお、女神様」
第一声が、それだった。
「最近はクラスの男たちから女神って呼ばれてるらしいじゃねえか」
「すっかり遠い存在だな?」
⸻
――ゴン。
「いった!!」
額を押さえてしゃがみ込む。
「……だから、それやめてって言ってるでしょ」
レインの声は、相変わらず穏やかだ。
だが、魔気はしっかり乗っている。
⸻
「冗談だって」
ノアは笑いながら立ち直る。
「でもよ」
「マジで変わったな」
「前は、血の匂いのする場所にしかいなかったのに」
「今じゃ、文化祭の出し物で悩んでる」
「……必要だから」
レインは、それだけ言った。
⸻
「で、本題だ」
ノアは空気を切り替える。
「ブラックファングの残党がまだ動いてるらしい」
⸻
「……VX?」
レインが、静かに言う。
「そうだ。」
ノアは頷く。
「一時は完全に供給が止まったが」
「最近、また少量ずつ出回り始めた」
「どうやら」
「生き残りが、別口で捌いてるらしい」
⸻
「港龍会が、始末を望んでる」
「理由は単純だ」
「縄張りを荒らされたくない」
一拍。
「今回もいい稼ぎになる」
⸻
レインは、少し考える。
「……条件は?」
「いつも通り」
ノアは肩をすくめた。
「場所と人数を流す」
「処理は任せる」
「生き残りは……基本、いらねえ」
「成功報酬は、かなりいい」
⸻
「やる」
即答だった。
⸻
「即決かよ」
ノアは苦笑する。
「学祭だぞ?」
「忙しいんじゃねえのか」
「お金、必要でしょ」
レインは、当たり前のように言った。
「これから、特にMEKに入ってからは動きにくくなる。」
「準備は、今のうちにしておきたい」
⸻
「……変わらねえな」
ノアは、小さく笑った。
「結局そこか」
⸻
レインは、少しだけ視線を落とす。
「それに」
一拍。
「VXが気になる」
⸻
「ほう?」
「使った人間の話をいくつか聞いた」
「真気が一時的に通りやすくなる」
「集中力が上がる」
「でも――」
レインは、言葉を選ぶ。
「VXからは、外界種の魔気に近い物を感じた。」
⸻
ノアの表情が、わずかに変わる。
「……魔気?」
「うん」
「ただの副作用とかじゃない」
「残り香がある」
「人為的に、魔気を扱ってる」
「そんな感じがする」
⸻
「お前以外にも、か」
ノアが、低く言った。
⸻
「だから」
レインは顔を上げる。
「残党を潰すついでに」
「流通元を探る」
「本命はそこ」
⸻
「了解」
ノアは、すぐに頷いた。
「場所や日時は、港龍会から情報が来次第、連絡する」
⸻
レインは、踵を返す。
「……わからった」
「じゃあよろしくな、女神様」
また言った。
⸻
今度は、デコピンは飛ばなかった。
代わりに、
ほんの一瞬だけ、
魔気が“冷たく”揺れた。
「……本当にやめて」
「ごめんなさい……」
⸻
(……VX)
(魔気を、人が扱っている)
それが意味するものを、レインはまだ知らない。
だが――
(確かめる)
それだけは、決めていた。
———
日が落ちかけた帰り道。
セリナは、一人で学園を出た。
実行委員の仕事で、少し遅くなっただけ。
いつもと、何も変わらない。
⸻
石畳の道を歩きながら、
ふと――
足を止める。
(……?)
理由は、分からない。
音もある。
人通りもある。
魔気の濃さも、普段通り。
それでも――
(……何か、変)
⸻
胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。
訓練で培った感覚。
危険だ、と言うほどではない。
警戒するほど、明確でもない。
ただ、
(……落ち着かない)
⸻
セリナは、歩き出す。
視線は前。
歩調は、いつも通り。
⸻
角を曲がる。
街灯の下を通り過ぎる。
その瞬間――
影が一瞬だけ、違って見えた。
⸻
(……気のせい)
セリナは、そう判断した。
振り返らない。
立ち止まらない。
過剰反応は、自分を疲れさせるだけだ。
⸻
しばらく歩くと、胸のざわつきは消えた。
風が吹き、祭りの準備の音が聞こえる。
世界は正常だ。
セリナは小さく息を吐いた。
「……疲れてるだけね」
そう、呟く。
———
だが――
その夜。
ベッドに横になっても、あの感覚は完全には消えなかった。
理由のない違和感。
正体の分からない視線。
それが何なのか。
この時のセリナには、まだ分からない。
ただ一つ。
何も起きていないはずなのに、何かがズレ始めている。
そんな予感だけが、静かに残っていた。




