実戦演習ー前編ー
中間テストが終わった。
それと引き換えにするように、季節は春の余韻を放り出し、容赦のない熱気を街に注ぎ込み始めた。
緩んだばかりの身体に、初夏の陽光はあまりに鋭く、そして騒がしい。
今日は校外実戦演習当日。
校門前には、MEK科三年の生徒たちが集まっていた。
動きやすい訓練用の装備。
軽装の上着に、ブーツ。
武器は各自の得意なものを携行している。
それだけで、空気が少し違った。
⸻
「よーし、全員いるな」
声を張ったのは、実技担当の教官
――ドミニクだった。
爽やかな笑顔。
落ち着いた口調。
「今日の演習は、実戦形式だが――」
一拍。
「命を懸けるものじゃない」
その言葉に、何人かが小さく息を吐く。
「場所は、アカデミー管理下の演習フィールド」
「下級の外界種のみを配置している」
「君たち三年生にとっては、現場を知る訓練だ」
⸻
ざわっと、空気が動く。
外界種。
言葉の重みは、全員が知っている。
教室で聞いただけの知識。
簡単に倒せないだろうが、不可能ではない。
だからこそ――
少しだけ、胸が高鳴る。
⸻
「基本は二人一組で行動する」
ドミニクは、名簿に視線を落としながら、ペアを読み上げる。
「ルカとミレイア」
「次が最後だな。セリナ、レイン」
「よし!ペア同士、集まれ」
一瞬だけ、間。
その名前が呼ばれた瞬間、わずかに視線が集まる。
⸻
セリナは、クラスの中でも少し特殊な位置にいる。
群れない。
笑わない。
必要以上に誰とも話さない。
けれど――
孤立しているわけでもない。
ウェーブがかった黒髪。
切れ長の目。
整った顔立ちは、文句なしに美人の部類だった。
実力もある。
実技の成績は常にトップ。
レオンに次ぐ強さ、と言われるのも納得だった。
そのせいか、クラスの空気は彼女を「放っておく」。
一目置かれている。
だが、踏み込まない。
男子からの人気も、間違いなくトップだ。
視線は集まる。
噂も多い。
けれど――
誰一人、距離を詰められていないらしい。
ルカから聞いた。
(……近寄りがたいタイプ)
レインは、そう判断していた。
視線に気づいたのか、セリナが一瞬だけ、こちらを見る。
すぐに逸らされる。
(……あんまり、好かれてはなさそう)
理由は、分からない。
でも、察しはつく。
———
セリナとレインの名前が呼ばれるや否や、
男子を中心にどよめきが走る。
「え」
「美女コンビじゃん」
「俺密かにペア狙ってたのに…」
抑えきれない囁きが広がる。
⸻
「おーいおいおい」
すかさず、ルカが声を張り上げた。
「なんだその組み合わせ!」
「完全にビジュアル班じゃん!」
周囲が、どっと笑う。
⸻
「俺はセリナ派だな」
「いや、レイン派だろ」
「どっちも選べねえ……」
男子たちが、好き勝手言い始める。
⸻
「うるさい」
セリナが、一言だけ言った。
低く、鋭い声。
一瞬で、静まる。
「……すみません」
誰ともなく謝る声が上がる。
⸻
レインは、苦笑いを浮かべた。
「よろしくね、セリナ」
できるだけ、柔らかく。
セリナは一拍置いてから、答える。
「……足を引っ張らないで」
冷たい。
でも――
セリナが、少し硬い声で答えた。
「……ちゃんとフォローはするわよ」
「編入生なんだから、戦力には期待してないし」
言い方は素っ気ないが、拒絶ではない。
レインは、柔らかく頷いた。
「うん、よろしくね」
その声に、セリナは一瞬だけ言葉に詰まる。
「……え、ええ」
視線を逸らしながら、短く返した。
⸻
その様子を、少し離れたところでミレイアが見ている。
「レイン、大丈夫かな」
「あいつ、案外強くなってるぞ。」
ルカは続ける。
「きっと、ちゃんとやれると思うぜ」
⸻
「次に、注意事項だ」
ドミニクが、話を戻す。
「各ペアには、緊急用の通信装置を渡す」
教官補佐が前に出て、小さな装置を配っていく。
腕に装着するタイプだ。
「異常を感じたら、迷わず押すこと」
「我々教官が即座に対応する」
「これは“勇気の証明”じゃない」
「生き残るための手段だ」
穏やかながら、はっきりした口調。
生徒たちは、真剣に聞いている。
⸻
「今回の演習には、私以外にも複数の教官が同行する」
「山全体を監視しているから、心配はいらない」
その言葉で、空気が少しだけ和らいだ。
⸻
移動は、大型車両を使う。
アカデミーを離れ、管理区域の山へ向かう。
窓の外に広がる景色に思わず声が上がる。
「うわ、遠足みたいだな」
ルカが、楽しそうに言う。
「テンション上がるのは分かるけど」
ミレイアが苦笑する。
「相手、外界種だからね」
「分かってるって!」
「でもさ、ずっと座学と訓練場だったし」
軽口を叩きながらも、武器の位置は何度も確認している。
浮かれてはいない。
⸻
レインは、窓の外を眺めていた。
連なる山々。
深い森。
人の手が入っていない場所。
(……広いな)
地下とも、ドラスとも違う。
ここは、”生き物が生きている場所”だ。
⸻
「緊張してる?」
セリナが、ぽつりと聞いた。
「少しだけ」
レインは正直に答える。
「でも、楽しみでもあるかな」
「……変わってるわね」
そう言いながらも、セリナの声は柔らかかった。
「無理はしないで」
「危なかったら、すぐ後ろに下がって」
「うん」
レインは、笑って頷く。
⸻
車両が、山道に入る。
空気が変わる。
緑が濃くなり、風の匂いが違う。
遠足のような高揚感の裏で、全員が理解していた。
これは――
“遊び”じゃない。
⸻
車両が止まり、ドミニクが立ち上がる。
「到着だ」
「ここからは、演習区域」
「各ペア、準備を整えて降りろ」
生徒たちが、一斉に動き出す。
⸻
レインは深く息を吸った。
外界種と戦うことに恐怖はない。
何よりレインは外界種を魔気である程度制御できる。
長い地下生活で気付いた事の一つ。
自身の魔気を高めれば高めるほど、外界種はレインを敵として認識しなくなる。
今日は何も起きない。
そう信じながら――
山へ足を踏み入れた。
———
演習は、順調に始まった。
山道を分かれ、割り当てられた区画へと進む。
森は深いが、見通しは悪すぎない。
訓練用に整備された痕跡があり、完全な原生林というわけではなかった。
⸻
「……この辺りね」
地図端末を確認しながら、セリナが足を止める。
「ここから先が、私たちの担当区域」
声は落ち着いている。
緊張はしているが、浮つきはない。
レインは、少し後ろで頷いた。
「了解」
短く、余計なことは言わない。
⸻
最初に遭遇したのはクモ型の下級外界種。
魔気は薄く、単体行動。
まさに、想定通り。
「行くわよ」
セリナは、迷わず前に出た。
手にはレイピア。
踏み込みは鋭い。
循環歩も安定している。
無駄のない突き。
外界種の動きを読み、確実に削っていく。
(……上手い)
レインは、内心で評価する。
判断が早い。
位置取りもいい。
焦りがない。
三流とは思えない完成度。
在学中にでも、二流に届くかもしれない。
ただ――
(決め手がない)
致命傷を与えきれず、数合のやり取りが続く。
だが、最後は確実に仕留めた。
外界種が崩れ落ちる。
⸻
「問題なし」
セリナは、短く報告する。
「次、進むわよ」
振り返りもせず、歩き出す。
レインは、その背中を見ながらついていく。
⸻
数体、同様の戦闘をこなす。
どれも下級。
魔気濃度も、想定範囲内。
――だが。
レインは、違和感を覚え始めていた。
(……濃い)
少しずつ。
だが、確実に。
空気に混ざる魔気が、じわじわと増している。
不自然だ。
(この演習で、ここまで――?)
⸻
「……セリナ」
レインが、声をかける。
「なに?」
「魔気、少し強くない?」
一瞬だけ、セリナの視線が鋭くなる。
周囲を見渡し、深呼吸。
「……気のせいじゃないわね」
冷静だ。
「でも、まだ危険域じゃない」
「念のため、警戒レベルを上げるわ」
即断。
判断は、正しい。
⸻
その直後だった。
森の奥から――
圧が、来た。
空気が重くなる。
魔気が、はっきりと形を持つ。
下級とは、明らかに違う。
枝が折れ、巨体が姿を現す。
⸻
「……っ」
セリナの喉が、わずかに鳴った。
中級外界種。
その姿は獣のような四足歩行型、そして体高は優にセリナの背丈を超えている。
本来、この演習には出ないはずの存在。
(……なんで、ここに)
⸻
「距離を取って!」
セリナは、即座に指示を出す。
同時に、通信端末に手を伸ばす。
「こちらセリナ!」
「担当区域で中級外界種と遭遇――!」
……返答がない。
「……?」
もう一度。
「通信、応答してください!」
沈黙。
雑音すら入らない。
⸻
セリナの顔色が、変わる。
「……繋がらない」
声は低いが、動揺は抑えている。
状況を、即座に理解している。
「レイン」
「最悪の想定で動くわよ」
偶然の通信障害。
⸻
中級外界種が、唸り声を上げて踏み込む。
地面が揺れる。
セリナは、レイピアを構え直す。
レインも、一歩前に出た。
「来るわよ!」
セリナの声と同時に、戦闘が始まった。
セリナは二流に近い実力を持つが、それでもまだ三流の範疇。
この外界種は三流と三流未満の2人で勝てる相手ではない。
セリナはそれを理解していた。
———
――まずい。
それが、レインの率直な感想だった。
濃く、重たい魔気。
さっきまで相手にしていた下級とは、明らかに質が違う。
(……中級)
しかも、厄介なタイプだ。
動きが速く、
知性があり、
こちらの間合いを測ってくる。
三流では逃げるのも不可能だ。
そして、思考は自然と――
一番楽な選択肢へ向かう。
(なんで通信が繋がらない?面倒だな…)
(……見捨てるか)
レインにとって中級外界種を屠ることは容易いが、それは自らのアカデミーの立場を危うくする。
セリナが命をかけて、”不運な編入生”を逃してくれた。そして保護される。そういう事にすれば事態は収集する。
セリナの名誉も守られる。
(…セリナにはここで犠牲になってもらおう。)
合理的。
効率的。
感情を挟む余地はない。
⸻
……なのに。
レインの足は、動かなかった。
隣にいる少女。
ツンとした態度。
ぶっきらぼうな物言い。
でも授業では真面目で、弱い仲間を切り捨てるような人間ではない。
(……めんどくさい)
心の底から、そう思う。
(本当に、めんどくさい)
ここで情を出さなければ、何の問題もないのに。
⸻
「……走ろうセリナ」
レインは、短く言った。
セリナが息を切らしながら、こちらを見る。
「……は?」
「倒さないのは諦めて逃げよう」
「無理に決まって――」
「いいから」
声は強くない。
でも、迷いがなかった。
⸻
次の瞬間。
レインは、外界種へ視線を向けた。
力は使わない。
一瞬だけ魔気を流す。
セリナに気付かれないよう慎重に。
“意識”を向けさせる。
(……そっち)
外界種の動きが、ほんの一瞬だけ鈍る。
理由はない。
説明もつかない。
ただ、「追うべき方向」を一瞬、誤った。
⸻
「今!」
レインが叫ぶ。
セリナは、反射で走り出した。
崖だ。
行き止まり。
「ちょっと!!」
「止まらないで!」
レインは、迷いなく前に出る。
⸻
崖下。
濁流。
落ちれば無事では済まないかもしれない。
だが――
追いつかれるよりは、マシだ。
レインは、外界種に向けて、ほんの僅かに魔気を“押した”。
外界種の動きが少し鈍る。
「……行くわよ!」
セリナが叫ぶ。
「うん!」
迷いはない。
二人は、同時に踏み切った。
⸻
視界が反転する。
風が、全身を殴る。
落下。
水音。
次の瞬間、冷たい水が全身を包む。
衝撃。
息が詰まる
⸻
息が、奪われる。
流される。
回転する。
それでも――
生きている。
⸻
レインは、流れの中でセリナの腕を掴んだ。
「……っ、は……!」
しばらく流れに身を任せ、外界種から確実に距離を取る。
背後で崖の上から、外界種の咆哮が聞こえる。
だが、降りてこない。
水流。
距離。
地形。
ここまでは、来られない。
———
2人は必死に岸へ泳ぐ。
這い上がった先で、
二人はその場に倒れ込んだ。
荒い呼吸。
泥まみれの身体。
しばらく、ただ荒い呼吸だけが続く。
⸻
「……はあ……はあ……」
セリナが、空を仰ぐ。
「……生きてる」
「うん」
レインは、短く答えた。
⸻
(……本当なら)
(ここで終わってた)
セリナの命も。
自分の手間も。
それでも、この選択をした。
(……日常、か)
少し前まで、どうでもよかったもの。
クラス。
昼休み。
笑い声。
それが――
判断を鈍らせた。
⸻
レインは、濡れた前髪をかき上げる。
(……まぁ)
(死なせるよりは、楽か)
自分に言い訳をしながら。




