中間テスト
中間テストまで、あと三日。
その事実が校内に知れ渡った瞬間から、エルディオ公立総合アカデミーの空気は、目に見えて変わった。
廊下で走る生徒が減り、昼休みの喧騒は控えめになり、図書室の席は常に満員。
――戦場は、机の上に移った。
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「……無理」
ミレイアが、机に突っ伏した。
「無理って言うの早くない?」
レインが、プリントを揃えながら苦笑する。
放課後の教室。
使われていない一角に、四人分の机が集められていた。
レイン。
ミレイア。
ルカ。
ガイ。
自然に集まった、いつもの顔ぶれだ。
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「だってさぁ……」
ミレイアが、顔だけ上げる。
「MEK史と一般教養、同時進行はきついよ」
「外界種の分類覚えたら、次は共和国憲章って……」
「それは、確かに切り替えが忙しいな」
レインは、落ち着いた声で答える。
「でも、範囲はそこまで広くないよ」
「この辺は、暗記というより流れを掴めば――」
「レインちゃんは簡単に言うよね」
ミレイアが、じとっと睨む。
「どうせできる側でしょ」
「……そんなことないよ」
レインは、少しだけ困ったように笑った。
その仕草に、ルカがじっと目を細める。
(……可愛いな、やっぱ)
声には出さない。
出せば、確実にミレイアに睨まれる。
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「つーかさ」
ルカが、椅子にだらっと座りながら言う。
「ガイ、お前どうなんだよ」
「勉強とか、絶対ダメそうじゃん」
「……あ?」
ガイが、即座に顔を上げる。
「なんだよその言い方」
「いや、見た目が」
「うるせえ」
睨み合う二人。
だが――
次の瞬間。
「……まあ、嫌いじゃねえよ」
ガイは、そっぽを向いて言った。
「座学」
一瞬、空気が止まる。
「え?」
ミレイアが、きょとんとする。
「え、そうなの?」
「……悪いかよ」
ガイは、鼻を鳴らした。
「実技ばっか見られるけどさ」
「俺、理屈わかんねえまま動くの嫌いなんだ」
それは、少し意外で。
だからこそ――
ルカが、にやっと笑った。
「なにそれ」
「意外と真面目じゃん」
「うるせえ」
⸻
レインは、そのやり取りを静かに見ていた。
(……ちゃんと、前に進んでる)
数日前の、街での出来事。
あの夜を越えてから。
ガイの雰囲気は、少しだけ変わった。
尖りは残っている。
だが、以前より笑顔が増えた。
⸻
「じゃあさ」
ミレイアが、ぱっと顔を上げる。
「今日は、一般教養からやろ」
「共和国史、レインちゃん詳しそうだし」
「うん、いいよ」
レインは、即座に頷く。
教科書を開き、要点を指でなぞる。
「この辺は、年号より因果関係」
「なぜこの制度ができたか、を押さえれば――」
自然で、穏やかな説明。
誰かを置いていかない話し方。
⸻
「……なあ」
ルカが、ぽつりと言った。
「なんで、こんな慣れてんの?」
純粋な疑問。
レインは、一瞬だけ考えてから答えた。
「……勉強は好きだったから」
それ以上は言わない。
深掘りしない。
だが、嘘でもない。
「そっか」
ルカは、それ以上聞かなかった。
ミレイアも、ガイも。
それぞれ、ノートに視線を戻す。
⸻
夕方の光が、教室に差し込む。
笑い声。
小さな愚痴。
鉛筆の音。
どこにでもある、
普通の放課後。
⸻
レインは、ふと手を止めた。
(……こういう時間)
胸の奥が、ほんの少しだけ、温かくなる。
これは――
守りたかったものだ。
(ユリス、カイル……)
もう、失ったと思っていたものだ。
⸻
「よし!」
ミレイアが、伸びをする。
「今日はここまで!」
「続きは明日!」
「賛成!」
ルカが、勢いよく立ち上がる。
「腹減った!飯いこうぜ!」
「勉強会なのに、結局それかよ」
ガイが、呆れつつも立ち上がる。
⸻
レインは、ノートを閉じながら思う。
――この日常は、借り物だ。
いつか壊れる。
自分の手で、MEKを壊す日が来る。
それでも。
(……今は)
今だけは。
この輪の中に、ちゃんと立っていたいと思った。
———
中間テストは、あっけなく終わった。
紙が配られ、ペンが走り、時間が過ぎる。
それだけだ。
⸻
(……普通だな)
レインは、最後の問題に目を通しながら思う。
難しくもない。
簡単すぎるわけでもない。
真気理論。
外界種生態学。
それに加えて、
歴史、数学、語学といった一般教養。
(……むしろ、こっちの方が懐かしい)
地下で生きていた頃には、必要なかった知識。
だが忘れていたわけでもない。
レインは、静かに答案を伏せた。
⸻
数日後。
結果発表の日。
教室の後ろに張り出された成績表の前には、自然と人だかりができていた。
「やば……」
「今回、数学むずくなかった?」
「真気理論、引っかけ多すぎだろ……」
ざわざわとした声。
⸻
「おっ、あった!」
ルカが、真っ先に自分の名前を見つける。
「……よし」
「ギリギリ耐えた!」
「ギリギリって……」
ミレイアが苦笑する。
「でも、ちゃんと勉強してたもんね」
「だろ?」
「やればできる子なんだよ、俺は」
⸻
「ガイは?」
ミレイアが聞く。
「ん?」
ガイは、少し後ろから成績表を見上げていた。
「……悪くねえ」
「え、ほんと?」
ルカが覗き込む。
「うわ、普通に上位じゃん」
「お前、勉強できたのかよ」
「……悪いか」
ガイは、ぶっきらぼうに答える。
「普段やらねえだけだ」
ミレイアが、くすっと笑った。
「じゃあ、やればできるタイプなんだね」
「……うるせえ」
だがその口元は、ほんの少し緩んでいた。
⸻
「レインちゃんは?」
ミレイアが、成績表を目で追う。
一段。
二段。
そして――
「……え?」
声が、少し上ずる。
⸻
「……ちょっと、上じゃない?」
その言葉に、周囲の視線が集まる。
「どれどれ……」
ルカが、背伸びをする。
「――うわ」
「マジで?」
「レオンのすぐ下じゃん」
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そこには、
二位:レイン・カーネス
と、はっきり書かれていた。
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「え、レインちゃん、すご……」
ミレイアが、素直に目を丸くする。
「座学、得意だったんだね」
「……たまたま」
レインは、少し困ったように答える。
「ちゃんと勉強しただけだよ」
「それを“ちゃんと”できるのがすごいんだって!」
ミレイアは、楽しそうだ。
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「くっそ……」
ルカが、頭をかく。
「俺ら、あんなに一緒に勉強したのに」
「なんで俺だけ下なんだよ」
「ルカ君は、集中力が続かないだけ」
ミレイアが、即答する。
「否定できねえ……」
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一方。
少し離れた場所。
腕を組んで、成績表を見ている二人がいた。
レオンとセリナだ。
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「……ふむ」
レオンは、自分の名前、そして一位を確認してから、視線を下へ移す。
そしてレインの名前で止まった。
「編入生で、これは立派だな」
素直な感想。
嫌味はない。
「努力家か」
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その隣で。
セリナは、無言だった。
だが視線は一点に固定されている。
ーーレイン・カーネス
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(……普通科出身)
(……編入)
(……それで、二位)
胸の奥で、小さな棘がちくりと刺さる。
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(……気に入らない)
理由ははっきりしている。
自分は、最初からMEKを目指してきた。
家の期待。
積み重ねた時間。
努力。
それなのに――
(……あの子)
(さらっと、ここにいる)
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「セリナ?」
レオンが、声をかける。
「どうかした?」
「……別に」
即答。
だが視線は逸らされない。
「ただ」
一拍。
「ちょっと、意外だっただけ」
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その頃。
レインは、ミレイアたちと一緒に成績表から離れていた。
楽しそうな声。
他愛のない会話。
その輪の中心に、自然といる自分。
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(……不思議だな)
少し前まで、考えもしなかった光景。
競い合う順位。
冗談。
笑顔。
(……悪くない)
そう思ってしまったことに、ほんの一瞬だけ、胸がざわついた。




