決断
風が、少し冷たかった。
昼間はあんなに賑やかだった通りも、
今は店じまいの準備が始まっている。
クレープの紙袋を丸めながら、
ルカは無言で歩いていた。
その横を、ミレイアとレインが並ぶ。
さっきまでの空気とは違う。
楽しさの余韻は、もうない。
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「……ごめん」
最初に口を開いたのは、ルカだった。
前を向いたまま、ぼそっと。
「せっかく楽しかったのに」
「変な雰囲気にして」
ミレイアが、首を振る。
「気にしないで」
「放っておける雰囲気じゃなかったし」
レインも、静かに頷いた。
「……うん」
⸻
少し間が空く。
ルカは、拳を握ってから、ゆっくり息を吐いた。
「……ガイのことだけどさ」
声が、少しだけ硬くなる。
「俺とあいつ、昔からの付き合いなんだ」
⸻
ミレイアは驚いた様子も見せず、
ただ聞く姿勢を取る。
レインも、視線を向ける。
ガイは、同じクラスの人間だ。
MEK科の仲間で、粗暴だけど実力はある。
その“裏”を知っているのは、ルカだけだった。
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「入学前から、何度も一緒に訓練してた」
「口は悪いし、喧嘩っ早いけどさ」
「あいつ、本当は真面目なんだよ」
苦笑しながら言う。
「MEKに入りたい理由も、ちゃんとあって」
「強くなりたいっていうか……」
「逃げたくないっていうか」
⸻
「逃げたくない?」
ミレイアが、そっと聞き返す。
「……ああ」
ルカは、頷いた。
「ガイ、家の事情がちょっと複雑でさ」
「あいつ、親がいねえんだ。外界種の事故で両親を失ってる。」
ミレイアは何かを察したように、目を伏せる。
「学校行く金も、自分で稼いでる。ちょっと前、いい仕事紹介してくれる人がいるって言ってたんだ。」
言葉を選びながら、続ける。
「そこからガイの様子が少しずつおかしくなっていた。」
⸻
レインは、静かに聞いていた。
ガイの荒れた態度。
実技での過剰な攻撃性。
それが、“性格”だけじゃないことは、なんとなく感じていた。
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「だからさ……」
ルカは、少し声を落とす。
「今日、ああやって絡んでるの見たとき」
「冷静でいられなかった」
「……薬の噂もあるだろ」
ミレイアの表情が、少し強張る。
レインも、目を伏せた。
⸻
「もし本当に、あいつが――」
「そんなもんに手出してたら」
ルカは、歯を食いしばる。
「MEKどころじゃない」
「人生、終わる」
「だから、止めたかった」
「喧嘩になってでも」
⸻
ミレイアが、少しだけ笑った。
優しい笑み。
「……ルカ君らしいね」
「うるせー」
照れ隠しのように、即答。
⸻
レインは、歩く足を一瞬だけ緩めてから言った。
「……でも」
「ガイは、まだ使ってないと思う」
二人が、同時にレインを見る。
「直感?」
ミレイアが聞く。
「……うん」
レインは、曖昧に笑う。
「少なくとも」
「まだ悩んでる人の目をしてた」
⸻
ルカは、その言葉を噛み締めるように黙った。
「……信じたい」
小さく、そう言った。
「だからこそ」
「今、ここで踏みとどまってほしい」
⸻
遠くで、街灯が一つ灯る。
その光の向こう。
さっき別れた路地の先に、ガイの姿はもうない。
だが――
ルカは、嫌な予感を拭いきれずにいた。
⸻
ルカは、決意するように言った。
「俺、ちゃんともう一回話す」
「今度は、喧嘩じゃなくて」
ミレイアは、頷く。
「うん」
レインも、静かに言った。
「……それがいいと思う」
夜の街に三人の足音が重なる。
その少し先で――
別の選択をしようとしている少年がいることを、まだ誰も、知らなかった
———
深夜。
ガイの部屋は、狭い。
学園の寮でもなければ、実家でもない。
街の端にある、安い賃貸の一室。
ベッド。
机。
床に投げ出されたトレーニング用のグローブ。
ガイは、ベッドに腰を下ろしたまま動かなかった。
手のひらを見つめる。
――震えてはいない。
けれど、力が入っていない。
「……クソ」
小さく、吐き捨てる。
⸻
頭に浮かぶのは、昔のことだ。
アルバイト、アカデミーの授業、真気の訓練。
毎日がいっぱいいっぱいだった。
凡人にとってアカデミーの求める水準は非常に厳しかった。
忙殺されていく中で、心はどんどんすり減っていくのを感じた。
そんな時に、
手を差し伸べたのが――あいつらだった。
「俺らと一緒に、一仕事しねえか?」
笑いながら、飯を奢ってくれた。
居場所をくれた。
まともじゃないのは、最初から分かっていた。
でも――
助けられたのも、事実だった。
最初は簡単なモノを運ぶだけの仕事や、用心棒のような仕事だったが、徐々にエスカレートしていった。
⸻
机の引き出しに、手を伸ばす。
すぐには開けない。
しばらく迷ってから、ゆっくりと引き出した。
中には――
小さなケース。
中身は、まだ見ない。
(……VX)
名前だけで、喉が渇く。
一時的に真気の巡りが良くなる。
集中力が上がる。
力が出る。
――そんな噂。
そして、もう一つ。
キレやすくなる。
感情の制御が効かなくなる。
それも、知っている。
⸻
「……これを捌いてこい」
ギャングの先輩の声が、脳裏に蘇る。
「学園のガキども相手なら、簡単だろ」
「金は半分がお前の取り分だ。」
「お前なら上手く出来るって信じてるぜ、ガイ」
断れる空気じゃなかった。
(信じてる、か……)
拳を、握る。
⸻
ふと。
昼間の光景が、割り込んでくる。
ルカの顔。
「お前さ」
「なんでそんな連中とつるんでんだよ」
怒鳴り声。
でも――
軽蔑じゃなかった。
「まさか、それ……」
「噂の薬じゃねえだろうな?」
あの時の、真剣な目。
⸻
「……うるせえ」
ガイは、呟く。
誰に向けた言葉かは、分からない。
(あいつに、何が分かる)
(俺は――)
机に、拳を落としかけて、
寸前で止める。
強くなりたい。
でも、
今の自分は――
(伸び悩んでる)
それは、事実だった。
(でもこんなとこで止まってられねえ)
MEKに入りたい。
認められたい。
……認められたい?誰に?
俺がMEKを目指した本当の理由は、守れる人を守りたかったから…
⸻
ケースを、指先で弾く。
軽い音。
中身を使えば、
少しは楽になるかもしれない。
少しだけ、
前に進めるかもしれない。
でも――
昔のルカの言葉を、思い出す。
「お前、案外いい奴だよな!」
その一言が、やけに刺さった。
⸻
ガイは、深く息を吸った。
そしてケースを閉じる。
立ち上がり、窓の外を見る。
夜の街。
街灯。
人の流れ。
(……決めるしかねえ)
何を選ぶのか。
誰の言葉を信じるのか。
それは、
まだ――
胸の奥に沈めたままだった。
⸻
ガイは明かりを消した。
闇の中で、答えのないまま、夜が過ぎていく。
――そして、この選択が、
彼の運命を、大きく分けることになる。
———
翌日の放課後。
校舎から少し離れた、古い倉庫街。
人通りは少なく、夕暮れの影が長く伸びている。
⸻
ガイは、路地の奥に立っていた。
壁にもたれかかるようにして待っている男たち。
「来たか。例のブツは売れたか?」
一人が、顎で合図する。
「……話がある」
ガイは、短く言った。
「なんだ?薬の話か?」
男の口元が歪む。
「悪いが」
「引き受けられねえ」
一瞬。
空気が、凍る。
⸻
「……は?」
「何言ってんだ、ガイ」
「今さら抜けるとか、冗談だろ?」
ガイは、拳を握りしめる。
震えているのが、自分でも分かる。
「借りがあるのは分かってる」
「でも――」
「でも、なんだ?」
男が一歩、距離を詰めた。
「MEK目指してんだろ?」
「だったら尚更だ」
「金も力も要る」
「“これ”は、その近道だ」
懐から、小さなケースが覗く。
ガイは、目を逸らした。
⸻
「……嫌だ」
声は、小さい。
だが、はっきりしていた。
「もう、そういうのには関わらねえ」
次の瞬間。
ガイの腹に、衝撃が走る。
「ぐっ――!」
息が詰まる。
男の拳だった。
⸻
「生意気言ってんじゃねえぞ」
「誰のおかげで今までやってこれたと思ってる」
「“借り”は返してもらう」
左右から、別の男が掴みかかる。
抵抗する間もなく、路地の奥へと引きずられていった。
⸻
殴られる。
蹴られる。
壁に叩きつけられる。
「……っ」
声が、出ない。
視界が揺れる。
地面に倒れたところへ、さらに蹴りが飛ぶ。
⸻
(……俺は)
(何やってんだ……)
浮かぶのはルカの顔だった。
真っ直ぐで、
うるさくて、
馬鹿みたいに真剣な目。
『お前さ』
『ほんとは、こんなことしたいわけじゃねえだろ』
その言葉が、今になって胸を締め付ける。
⸻
「ほら、立てよ」
髪を掴まれ、無理やり顔を上げられる。
「逃げられると思うなよ」
その時――
「……よう、探したぜガイ」
低い声。
聞き覚えのある声だった。
⸻
路地の入口に、
一人の影が立っている。
息を切らしながら、拳を握りしめて。
「……ルカ」
ガイの喉から、かすれた声が漏れた。
「カラオケでも行こうぜ」
ルカは、一歩前に出る。
視線は、真っ直ぐだ。
「とりあえずコイツらぶっ飛ばしてから」
男たちが、嘲笑する。
「なんだ、ガキが一人増えたぞ」
「まとめてやるか?」
ルカは、拳を構えた。
震えている。
だが、退かない。
⸻
「……ガイ」
背中越しに、ルカが言う。
「今度は」
「一人で抱え込むなよ」
すっかり暗くなった路地に、不穏な気配が満ちていく。




