不穏
入学してから、数日が経った。
レインは、もう「編入生」ではなくなっていた。
朝の挨拶。
授業の準備。
昼休みの雑談。
そのどれもが、自然だ。
あまりに自然で――
全てを見ている人間だけが、違和感を覚える。
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「……すごい変わりぶりだな」
学園の裏手。
倉庫と用務員詰所の間。
ノアは、壁にもたれながら言った。
バケツと雑巾を持った、いかにも用務員な格好。
だが目は、相変わらずよく動いている。
「数週間前までさ」
「港町に血の雨降らせてた女が」
にやにやしながら、続ける。
「今じゃ制服着て、同級生と笑顔でお喋りだもんな」
「芸能科入って俳優目指した方がいいんじゃねえの?」
からかうような声。
⸻
レインは、隣に立ったまま答えない。
代わりに――
コン、と。
軽い音。
ノアの額に、何かが当たった。
「……いってえ!!」
魔気の篭ったデコピンがノアを襲う。
「調子に乗らないで」
レインの声は、柔らかい。
怒っているわけではない。
むしろ――
普通だ。
⸻
「はいはい」
ノアは、額をさすりながら笑う。
「いやさ」
「悪い意味じゃねえんだよ」
少しだけ、真面目になる。
「ちゃんと“溶け込んでる”」
「想像以上にな」
レインは、視線を校舎の方へ向けた。
窓から見える教室。
行き交う生徒たち。
「……必要だから」
それだけ。
⸻
「必要、ね」
ノアは頷きつつ、声を落とす。
「で、ここから本題だけどよ、」
この切り替えが、彼らしい。
「最近な」
「変なクスリが出回り始めてる」
レインの視線が、わずかに戻る。
「名前は――“VX”って呼ばれてる」
短い沈黙。
⸻
「どういう仕組みかは、わからねえが」
「一時的に、真気の巡りが良くなるらしい」
ノアは、苦々しく言った。
「集中力が上がる」
「力が出る」
「自分が強くなった気がする」
「……けど」
レインは、先を知っている。
「副作用がある、ってことね」
「そう」
ノアは、即答した。
「キレやすくなる」
「判断が荒くなる」
「感情のブレーキが利かなくなる」
「裏じゃ、もう問題になってる」
「流通ルートは?」
「まだ分からない」
「学生街にも流れ始めてるって噂だ」
「今はまだ、表立って動く時期じゃない」
レインは、静かに言う。
「だろうな」
ノアも、それは分かっている。
「何に繋がるかはわからねえが、この件は引き続き調べてみる。金の匂いもするしな。」
⸻
少し間が空く。
ノアは、ふっと笑った。
「それにしてもさ」
「“レインちゃん”って呼ばれてるの」
「見たときは、さすがに吹きそうになったぞ」
その瞬間――
今度は、デコピンでは済まなかった。
魔気の圧が、ノアの心臓を締め付ける。
「……悪かった」
即座に謝る。
ノアは学習が早い。
⸻
レインは、息を吐く。
校舎のチャイムが鳴った。
午後の授業が始まる合図。
「それじゃ」
「はいはい」
ノアは、手を振る。
「“優等生”さん」
⸻
レインは、振り返らない。
制服の裾を整え、
校舎へ向かって歩き出す。
今はまだ。
学園は平和だ。
だが――
平和は、静かに歪み始めている。
———
午後の実技演習は、屋外訓練場で行われた。
今日の内容は、基礎的な真気運用と体捌き。
派手な技はない。
だが、基礎ほど差が出る。
⸻
「今日はペアで動きます」
教壇代わりの台に立つ教官が告げる。
「攻撃は軽く」
「重点は距離感と循環歩の維持です」
生徒たちが、ぞろぞろと組み始める。
⸻
「レイン!」
真っ先に声をかけてきたのは、ルカだった。
迷いがない。
距離も詰めすぎない。
だが――
明らかに“気になっている”のが分かる。
「俺と組もうぜ」
にっと笑う。
⸻
「……いいよ」
レインは、髪を耳に掛けながら、少しだけ柔らかく笑顔で返した。
「よろしくね、ルカ」
その一言で、ルカの背筋が一瞬伸びる。
「お、おう!」
(……今の、ズルいだろ)
内心を隠しきれず、顔が少し赤い。
⸻
二人は、演習場の一角に立つ。
向かい合う。
ルカは大斧を手に取る。
レインは、直剣。
教官が合図を出す。
「――始め」
⸻
ルカが、まず踏み込む。
素直な一歩。
循環歩の基礎に忠実だ。
そして繰り出される大斧式・二の型《》
遠心力を使った大斧の連撃
「どうだっ!」
声に、余裕がある。
⸻
レインは、半歩だけ下がる。
避けすぎない。
ギリギリで、距離を保つ。
大斧は完全に受け切らない。
回転の軌道に少し力を加えて、流す。
真気は――
薄く、均一に。
(……型、か)
前回ミレイアに教えてもらった通り。
基本の循環歩。
今までの実践で培った感覚を、教科書の形に落とし込む。
(いろんな武器の型、そして戦い方を学ぼう。
いつの日かMEKの人間と戦う日に備えて。)
⸻
「おっ、いいな!」
ルカが、少し驚いたように声を上げる。
「無駄が少ない。この調子だとすぐに三流に到達しそうだな!」
「……ありがとう」
レインは、微笑んで返す。
⸻
一方、その少し離れた場所。
ガイは、別のペアの動きを眺めていた。
腕を組み、表情は硬い。
(……チッ)
大斧を振るルカ。
軽くいなすレイン。
周囲の視線も、
自然と二人に集まっている。
(……気に入らねえ)
⸻
「ガイ、行くぞ」
ペアの相手が声をかける。
「……ああ」
応じはしたが、動きは荒い。
踏み込みが強すぎる。
雑念のせいで真気が上手く乗らない。
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「おい、待て!」
相手が止める前に、ガイの拳が近すぎる距離で突き出される。
避けきれず、相手が転倒する。
「……っ!」
周囲がざわつく。
⸻
「ガイ!」
ドミニクの声が飛ぶ。
「力を抑えろ!型の確認って事を忘れるな!」
「分かってるよ!」
返事は荒い。
だが、目が落ち着いていない。
⸻
「おーい、ガイ!」
ルカが、向こうから声をかける。
「力入りすぎだって」
「怪我させたら意味ねえぞ」
いつもの、軽い調子。
⸻
ガイは、睨み返した。
「……うるせえよ」
「お前に関係ねえだろ」
声が、低く尖る。
⸻
ルカは、一瞬だけ言葉に詰まる。
だが、すぐに肩をすくめた。
「関係なくはねえだろ」
「同じクラスなんだからさ」
⸻
ガイは、視線を逸らす。
拳を、強く握りしめた。
(……関係ねえ)
(……俺の問題だ)
⸻
ドミニクが、笛を鳴らす。
「そこまで!」
「一度、全員休憩!」
ざわめきが、少し落ち着く。
⸻
ルカは、息を吐きながらレインを見る。
「……なあ」
「さっきの動き、」
「やっぱり普通科ってレベルじゃないよな?」
探るような目。
だが、嫌な感じはしない。
⸻
レインは、少し考えてから答えた。
「……体を動かすの、好きだっただけだよ」
嘘ではない。
全部でもない。
「ふーん……」
「レインって、もしかして天才?」
「そんな事ないよ…」
レインは少し照れたような素振りをして、否定する。
その少し離れた場所で、ガイは一人でベンチに座っていた。
俯いたまま。
その拳は、わずかに震えていた。
———
放課後。
学園の正門を出ると、昼間の空気とは少し違う、街のざわめきが広がっていた。
⸻
「よしっ、今日は寄り道するぞ、ミレイア!」
ルカが、やけに張り切った声を出す。
制服のままなのに、どこか浮ついている。
「え、どこ行くの?」
ミレイアが首をかしげると、
「街!」
「クレープ屋あるだろ?」
「最近新しい味出たんだってさ!」
完全にデート気分だ。
その視線が、ちらっとレインに向く。
「……レインもくるよな?」
「うん、少しなら」
レインは、やわらかく答えた。
それだけで、ルカの表情が一段明るくなる。
「よっしゃ!」
⸻
石畳の通り。
露店の匂い。
夕方に向かう街の音。
三人で並んで歩くと、
学園とはまた違う“日常”がそこにあった。
⸻
「レインちゃん、甘いの大丈夫?」
「好きだよ」
「じゃ、これも頼もっ!」
ミレイアが、当然のようにレインの分まで選ぶ。
渡されたクレープは、
果物がたっぷりで、少し大きい。
「……美味しいね」
素直な感想に、二人が笑う。
「でしょ?」
「ここの、外れないんだよ」
「なあなあ」
ルカが、クレープを片手に言う。
「普通科出身って言ってたけどさ」
「なんでMEKに来たんだ?」
少しだけ、踏み込んだ質問。
ミレイアが、ちらっとレインを見る。
「無理に答えなくていいよ?」
「……大丈夫」
レインは、少し考えてから言った。
「守りたいものが、あったから」
それ以上は、言わない。
でも――
「……そっか」
ルカは、それ以上突っ込まなかった。
珍しく、空気を読む。
⸻
その時。
通りの向こう側で、
聞き覚えのある声がした。
「……あれって」
ルカが、足を止める。
視線の先。
路地の入口。
数人の、明らかに“堅気じゃない”連中。
そして――
「……ガイ?」
ミレイアが、息を呑む。
⸻
そこにいたのは、クラスメイトのガイだった。
壁にもたれ、腕を組んだまま、
ギャング風の男たちと話している。
雰囲気が、違う。
学校にいるような荒っぽいだけの不良とは違う。
もっと――
追い詰められた顔。
何かを受け取り、カバンにしまう。
⸻
「おい」
ルカは、躊躇なく歩き出した。
「ガイ!」
声が響く。
ガイが、はっと顔を上げる。
「……ルカ?」
一瞬、焦ったような表情。
⸻
「お前、何やってんだよ」
ルカは、まっすぐ言う。
「なんで、こんな連中とつるんでるんだ」
ギャングの一人が、舌打ちする。
「なんだガキ」
「知り合いか?」
「関係ねえだろ」
ガイが、荒く言い返す。
だが――
声に、余裕がない。
⸻
ルカは、一歩踏み込んだ。
「……まさか」
低い声。
「それ、噂の“薬”じゃねえだろうな?」
空気が、凍る。
ギャングたちの視線が、鋭くなる。
ガイは、否定しない。
拳を、ぎゅっと握るだけ。
⸻
「……答えろよ」
ルカが、苛立ちを滲ませる。
「お前、そんなのに手出すタイプじゃ――」
「うるせえ!」
ガイが、叫ぶ。
「お前に何がわかる!」
一瞬で感情がぶつかる。
ミレイアが、思わず一歩引いた。
「ル、ルカ……」
レインは、何も言わない。
ただ、静かに状況を見ていた。
⸻
「行くぞ」
ギャングの一人が、ガイの肩を掴む。
「今日はこれで終わりだ」
ガイは、一瞬だけルカを見る。
何か言いかけて――
結局、目を逸らした。
そしてそのまま、ガイは路地の奥へ消えていった。
⸻
「……なんだよ、あれ」
ルカは、唇を噛む。
「ガイ、どうしちまったんだよ……」
ミレイアも、言葉を失っている。
レインはクレープを持ったまま、遠ざかる背中を見ていた。
(……まだ、使ってはいない)
それは、確信だった。
だが――
(時間の問題、かな)
その日は夕方の光が、やけに冷たく感じられた。




