噂の編入生-後半-
午後の実技棟は、午前中の教室とはまるで空気が違った。
高い天井。
広い訓練場。
床には衝撃吸収用の特殊な素材が敷かれている。
生徒たちは制服から、動きやすい訓練服へと着替えていた。
軽装。
革製のブーツ。
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「……こういうの、久しぶり」
レインは、袖を軽く引きながら周囲を見回す。
動きやすい服。
肌に馴染む感覚。
戦闘自体は、地下で嫌というほどやってきた。
だが――
(……“教わる”のは、初めてかも)
体系立てられた訓練。
理論として整理された技術。
それは、彼女にとって未知だった。
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「レインちゃん、こっちだよ」
ミレイアが手を振る。
すでに軽く準備運動を終えている様子だ。
「ありがとう」
レインは小さく微笑み、隣に並ぶ。
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そこへ。
「よーし、集まれー!」
張りのある声が訓練場に響いた。
前に立つのは、若い男性教官だった。
短く整えた金髪。
メガネの下に弾ける、爽やかな笑顔。
年齢は二十代半ばくらい。
実技担当教官、ドミニク。
女子生徒の何人かが、露骨に背筋を伸ばす。
「今日は“型”の基礎確認だ」
「三年生にとっては復習だが、編入生もいるからな」
視線が、一瞬だけレインに向く。
だが、特別扱いはしない。
「まず覚えておいてほしいのは一つだけ」
ドミニクは、はっきりと言った。
「真気は“感覚”じゃない」
「運用技術だ」
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床に描かれた円の中央に立つ。
「基本歩法――循環歩」
軽く一歩踏み出す。
体重移動。
呼吸。
真気の巡り。
「足運びと同時に、真気を全身に循環させる」
「どんな武器、どんな型でも、これが土台になる」
「基本中の基本だが使い手の真気量、運用精度によって移動速度、技のキレ、全てが大きく変わる。」
数名が、頷く。
すでに知っている内容だ。
「次は武器別の基本型だ」
ドミニクは続ける。
「これは流派というより、“共通言語”だと思ってくれ」
ドミニクは基本の方を一通り見せ、真気の運用方法を解説する。
レインは真剣な眼差しで授業を受ける。
優等生のふりをするためではない。
(いままで無意識にやっていたけど)
(私の動きにはまだ改善の余地がありそう…)
⸻
「今日は、ペアを組んで模擬戦をしながら基本型の確認をします」
「模擬戦といっても軽く、怪我しない程度だからな」
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ざわ、と空気が動く。
誰と組むか。
それだけで、少し緊張が走る。
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「えっと……」
ミレイアが、レインを見る。
「レインちゃん、よかったら一緒にやらない?」
レインは、すぐに微笑んだ。
「うん、お願い」
声は柔らかい。
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二人は、訓練スペースに立つ。
ミレイアは短双剣。
レインは、貸与用の直剣。
ミレイアは、木剣を軽く構えながら、小声で説明する。
「直剣の基本はね、正剣式・一の型《直振》」
「構えは肩の力抜いて」
「真気は腕に溜めないで、振り上げるタイミングで腰から背中へ。振り下ろすタイミングで背中、肩、腕に真気を移動させるイメージだよ」
自分の足元を、軽く示す。
「歩くときは循環歩」
「踏み込みすぎないで、半歩くらいでいいよ」
⸻
「えっと……」
レインは、ぎこちなく剣を持つ。
「……こう?」
「うん、そうそう」
ミレイアは、嬉しそうに微笑んだ。
「初めてにしては、全然いいよ」
「力、入れすぎないのがコツだから」
⸻
レインは、言われた通り深く息を吸う。
真気を――
ほんの、ほんの少しだけ。
“三流にも満たないの学生”らしい量で。
(……抑えて)
(抑えて、自然に)
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「じゃあ、合図で一度だけ打ち合おっか」
ミレイアが言う。
「怖かったら、防御だけでもいいからね」
「……ありがとう、ミレイアちゃん」
その呼び方に、
ミレイアが一瞬きょとんとしてから、頬を緩めた。
「えへへ」
「なんか、いいね」
———
「正剣式・一の型《直振》」
前方への、無駄のない斬り。
それに合わせて
「長槍式・ニの型《払走》」
回転を利用した槍による横薙ぎ。
その瞬間。
鋭い風切り音がした。
――レオンだ。
槍を持つ優等生。
二流に到達している実力者。学園の有名人だ。
動きに、迷いがない。
「……すげえ」
「なんだよ今のスピード…」
誰かが、思わず呟く。
⸻
その隣の組も注目を集めていた。
「正拳式・二の型《衝拳》」
ナックルを装着した拳。
ニヤついた笑み。
「へー、基礎ねえ」
次の瞬間。
必要以上に踏み込み、
ペアの生徒へ容赦なく拳を叩き込む。
「――ぐっ!」
衝撃が、明らかに強すぎる。
さらに拳を振り上げ追撃を試みる。
「おい!ガイ!!」
ドミニクが声を上げるより早く、
「やりすぎだ」
低い声が飛んだ。
⸻
レオンだ。
槍を構えたまま、一歩前に出る。
「模擬戦だ」
「相手を壊す場所じゃない」
「は?」
ガイと呼ばれた生徒が、睨み返す。
「ビビってんのかよ、優等生」
次の瞬間。
ガイが踏み込んだ。
⸻
――だが。
レオンの槍は、早かった。
循環歩。
最小限の動き。
ガイの拳が届く前に、
槍の石突が床を叩き、間合いを制する。
「……っ」
ガイの身体が、止まる。
「型を守れ」
レオンは、淡々と言った。
「それができないなら、ここに立つ資格はない」
一瞬の沈黙。
そして。
「……チッ」
ガイは、舌打ちして下がった。
――完全な実力差。
⸻
レインは、その一連を静かに見ていた。
「……大丈夫?」
ミレイアが、小声で聞く。
「怖くなかった?」
「ううん」
レインは、柔らかく首を振る。
「むしろ……勉強になるよ」
「え?」
「型って、大事なんだね」
ミレイアは、少し嬉しそうに笑った。
「うん」
「最初はみんな、ここからだよ」
⸻
ドミニクが、再び声を上げる。
「いいか、今日の実技は“勝ち負け”じゃない」
「型を覚えろ」
「体に馴染ませろ」
「それが、生き残る一番の近道だ」
⸻
レインは、剣を握り直す。
正剣式・一の型。
ゆっくり。
丁寧に。
(……学ぶ、か)
かつて、教わる余裕なんてなかった。
今は――
それが、許されている。
それが少しだけ、不思議だった。
———
実技演習が終わると、
更衣室から出てきた生徒たちは一気に日常の顔に戻った。
汗の匂い。
どこか浮ついた空気。
放課後だ。
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「はぁ〜……疲れた!」
伸びをしながら、ルカが大きな声を出す。
「でもやっぱ実技は楽しいよな!」
「座学より身体動かす方が性に合ってる!」
「ルカ君は、いつもそれ言ってるよね」
くすっと笑いながら、ミレイアが言った。
「だって本当だし!」
悪びれない。
⸻
「レインちゃん」
ミレイアが振り返る。
「このあと、少し校内見て回る?」
「まだ全部は分からないでしょ」
「……うん、お願い」
レインは素直に頷いた。
実のところ――
学園の構造は、まだ頭に入っていない。
広い。
想像以上に。
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三人で並んで歩き出す。
石畳の回廊。
中庭。
学生たちの声。
どこも、平和だ。
⸻
「こっちが東側ね」
ミレイアが手で示す。
「普通科と、芸能科がある区画」
「授業棟も雰囲気ぜんぜん違うんだよ」
「へぇ……」
遠目に見える建物は、
MEK科より装飾が多く、色も明るい。
「芸能科とか、別世界だぞ」
ルカが肩をすくめる。
「朝から歌とか踊りとか聞こえてくるし」
「たまに見学行くと、場違い感すごい」
「ルカ君が?」
「そう俺が!」
即答。
ミレイアが笑う。
⸻
歩きながらレインは周囲を観察する。
学生の数。
警備の位置。
視線の流れ。
……無意識だ。
⸻
「そうそう」
ルカが思い出したように言う。
「レインさ」
「普通科出身なんだよな?」
「うん」
「なのに、結構いい感じじゃん」
「なんで?」
悪意はない。
純粋な疑問。
ミレイアも、少しだけ気になっている様子で耳を傾ける。
⸻
レインは、少し考えてから答えた。
「……前の学校で」
「真気の基礎だけは、しっかりやってたから」
嘘ではない。
全部でもない。
「あと…。」
一拍。
「体を動かすの、嫌いじゃなかった。」
「ほら、私の故郷は自然ばっかりだったから」
「それだけで、あんなに動けるか?」
「まあ……」
レインは、曖昧に笑った。
深く踏み込ませない。
でも、拒絶しない。
自然な距離。
「才能ってやつかぁ」
ルカが、うらやましそうに言う。
「俺、最初はボロボロだったぞ」
「今でもギリギリ三流だし」
「ルカ君は、体力はあるんだけどね」
「頭使うのが苦手なんだよ!」
開き直り。
⸻
そのまま、校舎の裏手へ回る。
人通りが、少し減る。
⸻
「あ、そうだ」
ミレイアが声を落とす。
「向こうは、旧研究棟なんだけど、今は立入禁止なんだって。」
指さした先。
古い石造りの建物。
窓は少なく、影が濃い。
⸻
レインは、ほんの一瞬だけ、足を止めた。
「……」
言葉は、出ない。
ただ。
胸の奥で、
微かな違和感が、触れた。
――気のせい。
そう思うことにして、視線を逸らす。
⸻
「七不思議の一つなんだってさ」
ルカが軽い調子で言う。
「夜に光るとか」
「人影が見えるとか、悲鳴が聞こえるとか」
「はいはい」
ミレイアが苦笑する。
「どうせ噂話でしょ」
「夢がないなぁ」
「学園生活には、現実も必要です」
⸻
レインは、何も言わない。
ただ、心のどこかに引っかかりを残したまま、
再び歩き出した。
⸻
気づけば、日が傾いている。
「今日はこのくらいにしよっか」
ミレイアが言う。
「また明日、続きを案内するね」
「ありがとう」
レインは、少し柔らかい声で答えた。
「楽しかった」
それは、嘘じゃなかった。
⸻
別れ際。
ルカが、にっと笑う。
「じゃあな、レイン!」
「次の実技は俺と一緒なやろうぜ!」
「うん」
⸻
二人の背中を見送りながら、
レインは一人、立ち止まる。
夕焼け。
学園。
笑い声。
(……平和だな)
そう思ってしまった自分に、
少しだけ、違和感を覚えながら。
レインは、寮へと足を向けた。
———
放課後。
校舎の喧騒が、少しずつ遠ざかっていく時間。
実技棟の裏手。
人通りの少ない通路に、ガイは一人立っていた。
⸻
「……クソ」
小さく吐き捨てる。
拳を握る。
指先が、白くなる。
昼間の光景が、頭から離れなかった。
⸻
レオンの一撃。
真正面から受けて、
何もできなかった。
力負けじゃない。
技量の差だ。
――分かっているから、余計に腹が立つ。
(……レオン、あいつは二流に到達してるんだっけか)
周囲が、あいつを天才と呼ぶ理由も。
自分が、そこに届いていない理由も。
全部、分かっている。
⸻
だが。
(……分かってても、だよ)
歯を食いしばる。
努力はしてきた。
鍛えてきた。
真気だって、無理して回してきた。
それなのに――
(……なんで、あいつは)
(……あんな余裕なんだ)
⸻
脳裏に浮かぶのは、別の姿。
窓際の席。
編入生。
ミレイアの隣で、
少し困ったように笑っていた少女。
(……レイン)
名前を思い出すと胸の奥が、ざわつく。
普通科出身。
経験も浅いはず。
なのに。
(……なんで、あんなに落ち着いてる)
実技のときも。
説明を聞くときも。
戦うときでさえ。
焦りが、見えなかった。
⸻
「……ふざけんなよ」
ガイは、壁に拳を叩きつける。
鈍い音がして、
拳に軽い痛みが走る。
だが、その痛みすら、
今は現実感が薄い。
⸻
「……俺は」
ガイは、
小さく呟く。
「……負ける側じゃねえ」
そう言い聞かせるように。
だが、声には、
自信よりも焦りが滲んでいた。
⸻
「……チッ」
ガイは舌打ちし、
踵を返す。
その背中は、
昼間よりも、どこか重たい。




