噂の編入生-前編-
教室は、朝からざわついていた。
三年生のこの時期に、編入生。
しかも、MEK科。
「聞いた?」
「普通科からなんだって」
「……編入って、珍しくない?」
期待と好奇心が、空気に混ざっている。
その時――
ガラガラッ。
教室の引き戸が開いた。
一瞬で、視線が集まる。
入ってきたのは、面接室にいた女性だった。
三十代ほど。
柔らかい雰囲気だが、背筋は伸びている。
「皆さん、おはようございます」
穏やかな声。
「今日は、編入生を一人お連れしています」
教室が、少しだけざわつく。
「どうぞ、入ってきてください」
その言葉に促されて、
レインは一歩、教室に足を踏み入れた。
瞬間――
「……」
言葉が、止まる。
教室の空気が、目に見えて変わった。
(……え)
(……可愛くない?)
(農村出身って聞いたけど……)
ささやきが、あちこちで生まれる。
「……っ」
誰かが、小さく息を呑む。
「では、自己紹介をお願いしますね」
先生が、優しく言った。
レインは、教壇の横に立つ。
一瞬だけ、視線が教室をなぞる。
(……多いな)
内心でそう思いながら、表情はにこやかに保つ。
「レイン・カーネスです」
その声に、再び小さなどよめき。
「西部の地方学園から、編入してきました」
「不慣れなことも多いですが、できるだけ早く皆さんに追いつけるよう努力します。よろしくおねがいします!」
一礼。
深すぎず、浅すぎず。
その仕草だけで、
何人かが無意識に背筋を伸ばした。
「……」
「可愛い……」
「芸能科と間違えてない……?」
囁きが、止まらない。
「ありがとうございます」
先生が、満足そうに微笑む。
「それでは、」
教室を見渡し、指を示す。
「窓際の席、ミレイアさんの隣に座ってください」
「はい」
レインが頷いた、その瞬間。
「おー!よろしくな!!」
食い気味に、声が飛ぶ。
前の席から、勢いよく立ち上がったのは――
大柄な少年だった。
「俺、ルカ!」
底抜けに明るい笑顔。
「普通科ってどんな感じだ?」
「訓練とかあった?」
「真気、使えるんだよな?」
質問が、止まらない。
「あ、あの……」
先生が、困ったように笑いながら手を上げる。
「ルカ君、質問は後ほどお願いしますね」
「えー、でも気になるじゃないですか!」
「後ほど、です」
優しいが、はっきりした口調。
「……はーい」
不満そうにしながら、ルカは座った。
教室のあちこちから、くすっと笑いが漏れる。
レインは、内心で小さく息を吐いた。
(……元気だな)
指定された席へ向かう。
窓際。
そこに座っていた少女が、そっと顔を上げた。
柔らかな雰囲気。
淡い色の髪。
ミレイアだ。
「……よろしくね」
少し照れたような声。
「こちらこそ、よろしく」
レインも、自然に返す。
椅子に腰掛けた瞬間。
また、視線が集まる。
(……近い)
ミレイアは、無意識にそう感じた。
一方――
斜め後ろの席。
腕を組んだまま、じっとレインを見ている少女がいる。
セリナ。
(普通科出身で、今更MEK志望……?)
(……気に入らない)
先生が、教壇に戻る。
「改めてお伝えしますね」
穏やかな声。
「このクラスは、MEK科三年生です」
「来年以降、実戦に関わる可能性がある方々ですね」
視線が、レインにも向く。
「編入生のレインさんも、同じです」
一拍。
「それでは、授業を始めましょう」
教室に、ようやく日常の空気が戻る。
レインは、窓の外へ一瞬だけ目を向けた。
春の光。
穏やかな空。
(……教室)
(はるか昔のことに感じる……)
—————
教室が落ち着くと、教壇の女性教官は柔らかい声で言った。
「今日は“復習”です。……が」
そこで一拍。
「三年生ですから、来月には志望進路の提出も始まります。なので今日は、教科書の範囲より一段だけ踏み込みます」
⸻
「まず、外界種」
「外界種とは魔気をもつ凶暴生物です。魔気には精神汚染の作用があり、真気が弱い人間は近づくだけで、嫌悪感、酷いものでは精神崩壊に至ります。」
「発生源については、未だ判明していません。」
教官は黒板に大きく円を描き、そこから枝を伸ばした。
教官は黒板に、はっきりとした文字で四つ並べた。
下級
中級
上級
特級
「現在、共和国で用いられている正式な分類です」
⸻
「下級は、皆さんがこれから訓練で相手にする個体。
魔気は弱く、単体行動が基本です」
「中級になると、話は変わります」
教官は淡々と続ける。
「魔気濃度が上がり、精神への影響が顕著になります。恐怖、幻覚、判断力の低下。真気の巡りが不安定な者は、ここで脱落します」
レインは、黙って聞いていた。
(……精神汚染)
地下で浴びたものと、性質は同じだ。
⸻
「上級種は、明確な“個体差”を持ちます」
「知性を示す例もあり、戦力評価を誤ると部隊単位での損耗が出ます」
教官は一度、生徒たちを見回した。
「一流が指揮を執るのが最低条件です」
教室の空気が、わずかに引き締まる。
⸻
「そして――」
チョークが、特級の文字を強くなぞった。
「特級外界種」
声が、少しだけ低くなる。
「発生自体が異常事態。討伐ではなく、“鎮圧”や“封鎖”が選択されることもあります」
「絶頂以上の戦力が投入され、被害は国家レベルで処理されます」
教官は、そこで一拍置いた。
⸻
「……一昨年」
何気ない調子で、そう言った。
「共和国南部で、痛ましい事故がありましたね」
教室の何人かが、頷く。
「特級外界種の出現による、地方都市の消失」
「公式発表では、“予測不能な魔気暴走による壊滅”とされています」
⸻
その瞬間。
レインの指が、止まった。
視界が、ほんの一瞬だけ狭くなる。
(……事故か)
その言葉が、胸の奥を擦る。
教官は、続ける。
「生存者はなし。現場は長期間、立ち入り禁止となりました」
「皆さんも覚えておいてください」
「遭遇することは人生で一度あるかないかですが、
特級とは、個の力はどうにもならない存在です」
⸻
レインは、俯いたまま、静かに呼吸を整える。
顔色が変わったことに気づいた者はいない。
――ただの、過去の事故。
彼らにとっては、それで終わりだ。
(……ダリア)
名前を、心の中で呼ぶ。
事故として処理された街。
災害として片付けられた殺戮。
レインの胸に、冷たいものが溜まっていく。
⸻
「だからこそ」
教官は、声を戻す。
「MEKは存在します」
「外界種に立ち向かえるのは、真気を扱える者だけ。
そして、その中でも選別された人間だけです」
⸻
黒板の端に、教官は「対外界危機管理機構」と書いて下線を引いた。
「MEKは、単なる討伐組織ではありません」
「主に6つの本部から構成されています。」
殲滅
調査
特務
処理
技術
支援
「MEKは、この六部門で構成されています」
「殲滅本部は、皆さんが一番イメージしやすいですね。外界種との直接戦闘を担当します。MEKの花形です。」
教師は続ける。
「調査本部は、発生原因や前兆の解析。特務本部は、通常では表に出せない任務を担当します」
教室の空気が、わずかに張り詰める。
「処理本部は、戦闘後の区域封鎖や、記録の整理を行います」
「技術本部は、外界種や真気、装備の研究開発。支援本部は、補給や医療、法務、人事ですね」
「どれが欠けても、MEKは機能しません」
教師は、穏やかに微笑んだ。
⸻
「次、人数の話」
教官は、チョークを持ち直す。
「共和国全土で、MEKの登録人員は……ざっくり十万前後」
「全員が前線に立つわけではありません。支援や技術など直接戦闘しない人員も含めての数です」
「それでも、ここ最近国土に頻出する外界種は増加傾向にあって、これでも人手不足なのが現状です。」
「またMEKはランキング制を導入していて、戦闘力に順じて上位100人には数字が付けられます。」
「これは隊員が切磋琢磨して高め合う気持ちを忘れないように、という意味もこめられた制度でもあるんですよ。」
「特にトップランカーなんかは皆さんもご存知だと思います。」
⸻
「そして、皆さんがよく気にしている境地」
「境地は真気の量、そして運用レベルを表す指標です。もちろん同じ境地でも、練度によって強さは大きく異なります。」
教官は黒板に階段のような図を描く。
三流
二流
一流
絶頂
「まず、MEK入隊の最低ラインは基本“三流”です」
「ただ、十八歳の時点で三流に届く者は多くありません。皆さんの学年で“ちらほら”いるのは、かなり優秀」
教室の何人かが少し誇らしげな顔をする。
「二流は、‘才能’と‘環境’が揃った人が到達します。
配属後、部隊の中核になりやすい」
「一流は、ほとんどの隊員が目指す実用到達点。
ここまで行ければ、単独任務も増えます」
レインは、静かに思う。
(……一流がゴール)
表向きは、そういう世界。
⸻
「そして絶頂」
教官は、少しだけ声を落とした。
「絶頂は、“自然エネルギー”を真気の巡りに混ぜられる領域です」
「国全体で見ても、到達者は多くありません。
MEK全体で、ざっくり百人前後と見ていい」
「懸命な努力を重ねれば、この中からも到達する人は出るかもしれませんね」
教室の空気が変わる。
“数”が現実味を与える。
「絶頂は、戦局を変える存在。一つの部隊の切り札です。」
⸻
そこで教官は、黒板のさらに上、“絶頂”の上に、小さく書いた。
超絶頂
「この言葉も、一応だけは知っておきましょう」
「極小数の”選ばれし物のみが到達する境地”と呼ばれています。この境地では自然エネルギーを無意識に扱えるといいます。」
レインの指が、教科書の端を無意識に押さえる。
(……超絶頂)
初めて、言葉として知る。
そして――
(きっと私の現在地。魔気無しでは、辿り着けなかった……)
だが表情は変えない。
⸻
「最後に」
教官はチョークを置き、教室を見渡した。
「皆さんが戦うのは“外界種”です」
「でも、相手は身体だけではありません」
「魔気は、心を削ります。疲れたとき、怒っているとき、焦っているときほど簡単に飲まれる」
優しい口調なのに、逃げ場がない。
「英雄になる必要はありません」
「まずは、生き残れること。そして、帰ってこられること」
レインは、そこで息をひとつだけ深く吸った。
(……帰る)
帰る場所は、もうない。
ただ進むだけ。
目的へ。
⸻
「――ここまでで質問はありますか?」
教官が微笑む。
数人が手を挙げ、教室が少しだけ明るさを取り戻す。
レインは挙げない。
聞きたいことは山ほどある。
だが今、それを見せるのは早い。
(……私は、平凡な学生)
そう自分に言い聞かせながら、ノートを取る手だけは止めなかった。
—————
昼休みの鐘が鳴ると、教室の空気は一気に緩んだ。
椅子を引く音。
弁当箱を開く音。
誰かの笑い声。
少し張りつめていた緊張が、春の空気にほどけていく。
⸻
その中で――
ひときわ視線を集めている場所があった。
レインの周囲だ。
何人かの女子が、自然と距離を詰める。
「ねえねえ、レインちゃん」
「お昼どうするの?」
「食堂、行く?」
声が、重ならないように慎重にかけられる。
⸻
レインは、一瞬だけ戸惑ってから、やわらかく微笑んだ。
「……ありがとう」
「よかったら、ご一緒してもいい?」
その一言で――
「もちろん!」
「一緒に行こ!」
「空いてる席、知ってるよ!」
空気が、一段明るくなる。
⸻
「じゃあ、行こっか」
ミレイアが、少し前に出て言った。
この場の主導権は、自然と彼女に集まっている。
「レインちゃん、こっち」
「人多いから、はぐれないようにね」
「うん」
レインは頷き、ミレイアの隣に並ぶ。
⸻
結果として、女子数人の小さな集団ができた。
そして、そのすぐ外側。
男子たちが、微妙な距離感で立ち尽くす。
⸻
「……なあ」
「俺も一緒に――」
誰かが口を開きかけるが、
「あ、ごめんね」
「女子だけで行くから」
「あとでねー」
笑顔で、自然にブロックされる。
⸻
「えっ、ちょ、俺は!?」
勢いよく割り込んだのは、ルカだった。
「俺は別に下心とかじゃなくて!」
「編入生だし、案内とか――」
「ルカ君」
ミレイアが、にこやかに言う。
「うるさい」
「……はい」
一瞬で、沈黙。
周囲の女子がくすっと笑う。
⸻
「あとでね、ルカ君」
「自己紹介のときに、くれた質問答えるから」
優しく笑顔でフォローを入れるレイン。
「……くそ、優しさが逆に刺さる」
⸻
一方。
教室の隅で、険しい視線を送る者もいた。
彼女の名はセリナ。
(……やっぱり)
(最初から、こうなる)
視線の先では、レインが女子たちに囲まれている。
笑顔。
距離感。
自然な振る舞い。
(……やっぱり気に入らない)
もちろん、ついていく気はない。
あの輪の中に入る理由が、彼女にはなかった。
⸻
食堂へ向かう廊下。
レインの周囲は自然と賑やかだ。
「レインちゃん、どこから来たの?」
「農村って、やっぱり静か?」
「うん、静かだったよ」
「夜は、星がすごく綺麗で」
「いいなぁ……」
レインは聞かれたことにだけ答える。
必要以上に語らない。
でも、壁も作らない。
近づきやすい。
でも、踏み込みすぎると自然に距離が保たれる。
⸻
食堂に入ると、また視線が集まった。
「……あの子、新入生?」
「MEK科の?」
囁きが走る。
だがミレイアたちは気にしない。
「ここ、空いてるよ」
「レインちゃん、隣どうぞ」
席が決まる。
中心に座るわけでもない。
端でもない。
けれど――
自然と、視線が集まる。
⸻
「レインちゃんさ」
ミレイアが、トレイを置きながら言う。
「緊張してない?」
「編入って、大変でしょ」
「……少しはね」
レインは、正直に答える。
「でも、みんな親切で助かってるよ」
「よかった」
ミレイアは、心底ほっとしたように笑った。
⸻
その様子を、少し離れた席から男子たちが見ている。
「……近づけねえ」
「完全に女子の結界じゃん」
「ルカ、突っ込んでみたら?」
「もうやったわ!!」
声を潜めた愚痴が、虚しく消える。
⸻
レインは食堂の窓から外を見た。
白い校舎。
春の空。
学生たちの笑い声。
(……学園)
一瞬だけ、胸の奥が、かすかに揺れる。
⸻
「放課後さ」
ミレイアが言う。
「校内、案内するね」
「初めてだと迷うし」
「ありがとう」
「嬉しい」
その言葉は作り物じゃなかった。
⸻
昼休みの終わりを告げる鐘。
レインは、席を立つ。
人だかりは、自然と解けていく。
だが――
視線だけは、しばらく彼女を追っていた。
⸻
今はまだ。
ただの編入生。
ただの、少し目立つ女の子。
この平穏が、いつまで続くかは分からない。
それでも――
レインはもう少しだけ、この場所に身を置くつもりだった。




