表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/43

エルディオ公立総合アカデミー

共和国西岸の港は、ドラスとは空気が違った。

波は穏やかで、岸壁は整備され、荷の積み下ろしすら静かだ。

騒がしさよりも、秩序が先に来る街。


――それが、アウレリア共和国だった。



「次の方」


無機質な声に呼ばれ、ノアは一歩前に出る。

差し出すのは渡航許可証、身分証、雇用予定証明。

すべて港狼会が用意した“正しい書類”。


書類上、ノアはただの労働者。


検問官は淡々と目を走らせ、顔も上げずに聞いた。


「……同行者は?」


一瞬だけ心臓が跳ねたが、ノアは首を振る。


「いません」


書類上は嘘ではない。

検問官はそれ以上追及せず、軽く手を上げた。


「積荷はこちらで確認済みだ。問題ない。通っていい」


その一言で、境界線は越えられた。



港の外。

共和国の風がノアの頬を撫でる。


潮の匂いは同じはずなのに、どこか乾いて感じた。

――越えた。国境を。


少し遅れて、貨物区画の影から一人の少女が現れる。


レインだ。


身分証も、名前も、共和国には存在しない。

彼女はこの国にいないはずの人間だった。


「……終わった?」


「ああ。問題なし。俺だけな」


「そう」


それで十分だった。


誰も彼女を見ない。気にも留めない。

目立つことすら異常にならない国。

美しい者も、優秀な者も掃いて捨てるほどいる。


(……また一つ、捨てたな)


名前も、過去も、国籍も。

境界線の向こうに置いてきた。



港を抜けると街の空気が変わった。

白を基調にした低層の建物、整った石畳。

同じ港町でも、ドラスの荒さはない。


外壁に刻まれていた街名。


《アウレリア共和国西岸都市・エルディオ》


首都ではない。だが学術と物流の要衝。共和国に入る人間が最初に足を踏み入れることの多い街。


大通りに出ると人の流れが増えた。

学生らしき集団、商人、制服姿の警備員。

掲示板には大きなポスターが貼られている。


対外界危機管理機構 MEK


「これが共和国の“英雄”たち、か」


「……」


レインは数秒だけ眺め、視線を逸らした。


(名前も、顔も、こうして残る)


浮かびかけた思考は、すぐに切り捨てた。



歩きながらノアが偽造書類を確認する。


「俺はノア・グレア。表向きはこの辺りの出身で、前職は港湾警備員。これからアカデミーの用務員として就職」


「私は学生。レイン・カーネス。出身は共和国西部の農村」


偽造された“今の身分”。

問題なく通る。問題なく生きられる。


「そういや……苗字、今まで聞いてなかったな」


「カーネスってのは、偽名なのか?」


「偽名だよ」


即答。


「じゃあ、本当の名前は?」


一瞬の沈黙。潮風が二人の間を抜けていく。


「……いい」


レインは前を向いたまま言った。


「もう、誰も知らないから。ダリアの思い出と一緒に、しまっておきたい」


「……ダリア、か」


ノアがその名を知ったのは、ドラスを発つ前の夜だった。


⸻———


ーー1週間ほど前、

ドラスの事務所の奥。

いつもの埃っぽい部屋。


机の上には、

簡単な地図と航路図。


ノアは椅子に腰かけ、

それをぼんやり眺めていた。


「なあ、レイン」


ノアが口を開く。


「……俺、共和国のこと」

「正直、よく知らねえんだ」


苦笑しながら言う。

レインは、机に寄りかかったまま答えた。


「それでいい」


「知識は、向こうで増える」


淡々とした声。


「でも」


ノアは続ける。


「一緒に行くなら」

「さすがに目的くらいは知っときたい」


「なんで共和国なのか」

「なんで、あんたがそこまで強いのか」


一拍。


レインはしばらく黙っていた。


視線は地図の南端。


指先が、一点で止まる。


「私の故郷は」


「南の小さな街ダリアだった」


「ある日」


レインは続ける。


「ダリアは、消えた。」

「表向きは外界種の襲撃、ということになってるらしい。」


声は平坦だ。


感情を乗せない。

だが、それが逆に異常だった。


「でも、実際は違う」


レインは、はっきり言った。


「外界種“だけ”じゃない」


ノアは思わず背筋を伸ばす。


「……どういう意味だ?」


「外界種の襲撃に見せかけた、人為的な殺戮があった。」


レインの目が一瞬だけ鋭くなる。


「私は」


レインは、拳を軽く握る。


「目の前で全てを奪われた」


「友人、家族」

「居場所も」

「名前も」


淡々としている。

だが、逃げ道はない言葉だった。


「だから」


「真相を知りたい。」

「そしてあれに関わった人間が生きている限り…

 私は止まれない。」


ノアは息を飲んだ。

レインからこれほど強い意志を感じたのは初めてだった。


(……復讐、か)


だが否定する言葉は出てこない。


「共和国には」


「MEKがある」


レインは、ここで初めて“組織名”を口にした。


「対外界危機管理機構」

「表向きは、国を守る英雄」


「でも実際は」


一拍。


「ダリアでの虐殺にも確実に関わっている。」


ノアは眉をひそめる。


「つまり?」


「真相に辿り着くならMEKを通るしかない」


「で」


「そのMEKに入るには、アカデミーに入るしかない、ってことか。」



「そう。いきなりMEKには入隊できない」

「身分も、実績も必要」


「だから私はエルディオ公立総合アカデミーに入って、“優等生”を演じる。」


ーーエルディオ公立総合アカデミー。

アウレリアの交易拠点、都市エルディオにある総合教育機関。

優秀なMEK隊員を多く排出した名門校。


「……なるほどな」


「だから学園か」


「強くても」

「いきなり暴れたら意味ねえってわけだ」


「そう」


レインは頷く。


「で」


ノアは少し間を置いて聞いた。


「……復讐、するつもりか?」


レインは否定しなかった。

目を逸らしもしない。


「する」


即答。


「奪った側が」

「“事故だった”で終わらせるなら」


「私は、終わらせない」


 ノアは、

 深く息を吐いた。


「……重てえな」


「逃げたくならねえ?」


「ならない」


「もう、戻る場所がないから」


ノアは少し黙ってから笑った。


「……まあ」


「今さらだな」


「共和国に密入国して」

「隣にあんたがいる時点で」


肩をすくめる。


「普通の人生は、もう無理だ」


レインはノアを見た。


「後悔するかもしれない」


「それでも来る?」


問いかけ。

ノアは迷わなかった。


「行く」


「この街にも退屈してたところだ。」


レインはほんの少しだけ頷いた。


「……分かった」


それ以上、何も言わない。

誓いも、約束もない。


ただ、同じ方向を見るだけ。


その夜、二人はそれ以上の言葉を交わさなかった。


だが――


ノアは理解した。

この旅は、ただの逃亡ではない。


⸻———


三月。

共和国の朝はまだ少し冷たい。

けれど市場には花が並び始め、学生服姿の若者が増え、街は「始まり」を前にそわそわしている。


アカデミーの編入時期だ。


レインはその“始まり”の一部として街を歩く。

少し地味な上着、動きやすい靴。派手でも貧相でもない服装。


鏡に映るレインは、どこにでもいそうな学生だった。


(……問題ない)


視線は集まる。それでも不自然じゃない。

ここでは目立つこと自体が異常ではないからだ。



ノアは別行動。

表向きの肩書きはアカデミーの用務員。

清掃、資材管理、雑務全般。

契約職員――だが学内を自由に歩ける立場。


港狼会のコネクションで共和国側の裏社会への接触も進めている。


表と裏。

レインは表から、ノアは裏から真相を追う。


役割分担は明確だった。



正門の前で立ち止まる。


エルディオ公立総合アカデミー。


白い外壁。整った中庭。掲げられた校章。

多様な学科を兼ね揃えた名門校。


ここが、MEKへの“入口”。


(……ようやく、来た)


今日受けるのは編入のための面接と適性確認。

年齢は十七、出身は共和国西部の農村、そして他校からの編入。

すべて綺麗に整えられた経歴。そして推薦状。


真気の扱いも“少し上手い程度”に抑える。

三流未満。

だが落とされるほどではない。


地下で積み上げた感覚は、ここではすべて過剰だ。


鐘の音が響く。始業を告げる音。


(……ここでは、私はただの学生)


英雄でも、復讐者でもない。

まだ――ただの編入生。


一度だけ息を整え、門をくぐった。



面接室は思ったより質素だった。

白い壁と黒板。簡素な机と椅子。

軍施設のような威圧感はない。


机の向こうに座るのは三人。

年配の男、三十代の女性、若い男。


――全員、真気使い。


「では、始めましょう。名前は?」


「レイン・カーネスです」


「年齢」


「十七歳です」


嘘だが問題はない。

書類上も真気の反応も矛盾はない。


「当校への編入理由は?」


 私はにこやかに答える。

 過去の自分を思い出しながら、優等生の言葉を選ぶ。


「以前の私は将来をぼんやりとしか考えていませんでした。ですが昨年、外界種と戦うMEK隊員の姿を目の当たりにしました」


「私の平穏は誰かの努力の上に成り立っている。そう実感して、私も誰かを守れる強さがほしいと思ったんです」


「そして、MEK隊員を目指すなら、ここが一番だと聞きました」


嘘ではない。だが真実でもない。

若い面接官が少し口角を上げる。


「いい志だね」


場の空気がわずかに緩む。

その後いくつか質疑が続いた。


———


「では、簡単な確認をする。真気を出してみなさい」


来た。


静かに息を吸う。

ほんの少しだけ。本当にほんの少しだけ、身体エネルギーを循環させる。


自然エネルギーは混ぜない。

魔気なんてもってのほかだ。

教科書通りの真気。


「……ふむ」


「安定してるわね」


「無駄が少ない」


誰も驚かない。

それでいい。


「三流未満。だが安定感があり、普通科出身にしては上出来。伸び代あり」


と、女性がメモを取る。


「では最後に。どんなMEK隊員になりたい?」


私は考える素振りを見せてから、笑顔で答えた。


「……人々の生活を守る縁の下の力持ち。そんな存在です」


模範解答。重すぎない理想論。

三人は短く視線を交わし、年配の男が頷いた。


「いいでしょう。面接は以上です。結果は追って連絡します」


立ち上がり、軽く頭を下げる。


「ありがとうございます」


完璧な学生の礼。



扉を出た瞬間、私は一瞬だけ目を伏せた。


(……普通の優等生)


それ以上でも、それ以下でもない。

今は――それでいい。



同じ頃。

別の区画で、ノアは雑巾を手に廊下を歩いていた。


アカデミー用務員・契約職員。初日の仮採用。


「……いや、マジで広いな」


独り言を漏らしながら、視線はよく動く。

掲示物、人の流れ、警備の配置。


(……こっちはこっちで、仕事だな)


裏の顔は、もう動き始めていた。



面接からしばらくして合否の連絡が来た。

合否通知は見るまでもなく合格だった。


そして四月の朝。

校門前には新しい制服を着た生徒たちが集まっていた。期待と不安と緊張が春の空気に混ざる。


レインは人混みから少し離れた場所に立つ。

制服はよくあるデザイン。髪も整え、目立ちすぎない。

――普通の学生。


(……入学。通過点)


それでも、胸の奥がわずかにざわついた。

理由は分からない。


校舎へ向かう流れに乗り、廊下へ入る。

教室の前に、人が集まっていた。笑い声、小さな会話。


扉のプレート。


《MEK科 三年 Cクラス》


嘘の名前。偽りの経歴。

その全部を纏って、真の目的へ近づいていく。


レインはドアノブに手をかけた。


――レインの二度目の学園生活が始まる。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ