路地裏の王ー前編ー
港狼会の仕事を請けてから、一週間が過ぎた。
レインは、港湾都市ドラスの通りを歩いていた。
朝の潮の匂いと、荷の擦れる音。
この街の騒がしさも、もう日常になりつつある。
⸻
この七日間で、請けた仕事は三つ。
一つ目は、倉庫での金の受け渡しの立ち会い。
二つ目は、夜の港での見張り。
三つ目は、積み荷の引き取りに同行する護衛。
どれも、用心警護。
刃が抜かれることもなく、
銃声が鳴ることもなく、
予定通り、何事もなく終わった。
(……問題なし)
それが、率直な感想だった。
地下で過ごした日々と比べれば、ここでの仕事は拍子抜けするほど静かだ。
警戒は必要だが、命を削る場面はない。
⸻
仕事の帰り道。
ノアが、少し後ろを歩いている。
距離は一定。
近づきすぎない。
「……この一週間、特にトラブルはありませんでしたね」
「うん」
短く返す。
ノアは、小さく頷いた。
「こういう仕事が続くなら……」
言いかけて、言葉を切る。
レインは、その続きを聞こうとはしなかった。
(続くかどうかは、向こう次第)
自分が判断することじゃない。
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その日の報酬は、5ゴールド。
革袋に入った硬貨を、レインは指先で確認する。
この1週間で懐はかなり潤った。
当面の生活には足りる。
(……十分)
多くもないが、不足でもない。
必要なのは、今はそれだけだ。
⸻
事務所に戻ると、机の上に一通の紙が置かれていた。
封筒は簡素で、封もされていない。
ノアが、先に気づく。
「……港狼会から、みたいです」
レインが手に取る。
中には、短い文。
場所と時間だけが、簡潔に書かれている。
差出人の名前はない。
だが、誰からのものかは分かる。
「……どうやら呼び出しですね」
ノアの声が、少し硬くなる。
レインは、紙を折りたたみ、ポケットにしまった。
「そうみたい」
「多分大きな仕事でも、もらえるんじゃないですか?」
特別な感情は、ない。
驚きも、警戒も、過度な期待も。
(仕事の延長)
その程度の認識だった。
———
指定された場所は、港から少し離れた旧市街だった。
人通りは少ない。
だが、静かではない。
壁に残る無数の傷。
修理されない扉。
通りの端々に残る、視線の気配。
――ここは、街の裏だ。
⸻
建物は古い倉庫を改装したものだった。
表に看板はない。
だが、入口に立つ二人の男を見れば、
ここが“普通の場所”ではないと分かる。
戦いなれた人間特有の匂い。
武器は見せていないが、隠している。
レインが立ち止まると、二人は何も言わず扉を開けた。
中へ通される。
⸻
内部は、意外なほど整っていた。
埃はなく、床も壁も手入れされている。
雑多だが、無秩序ではない。
(……管理されてる)
ノアは、明らかに緊張していた。
一歩後ろを歩き、口数も少ない。
⸻
広い空間に通される。
中央に、椅子が一つ。
その向かいに、もう一つ。
周囲には、壁に寄りかかる男たちが数人。
全員、こちらを見ている。
だが、視線は騒がしくない。
――観察だ。
⸻
奥から、足音がした。
ゆっくり。
だが、迷いがない。
現れた男は、派手な装いではなかった。
体格は大きく、スキンヘッドに刺青。
そして何より――
視線が、強い。
男は、レインの前で立ち止まる。
数秒、無言。
その沈黙だけで、この場の中心が誰か分かる。
「……お前が、例の女か」
低い声。
威圧はない。
だが、自然と背筋が伸びる声。
「レインです」
短く名乗る。
敬語は使わない。
だが、挑発もしない。
男は、口元だけで笑った。
「聞いてる」
「夜の港で、五人を処理した」
周囲が、わずかにざわつく。
レインは、否定しない。
「仕事だったから」
それだけ。
男は、目を細める。
「……面白い」
その言葉に、感情は乗っていない。
ヴァロスは、何も言わずにレインを見ていた。
値踏みする視線。
だが、軽くはない。
路地裏で生き残ってきた人間特有の、「見誤れば死ぬ」目だ。
レインは、その視線を真正面から受け止める。
(……真気の巡りは綺麗。)
(この街じゃ、頂点だろうな)
一拍。
(でも)
(絶頂には、あと一歩、届いてない。)
そこまで考えて興味を失った。
改めてアウレリアの環境、一流が珍しくないMEKの異常さを実感する。
この場にいる幹部たちもせいぜい二流。
レインは、淡々と口を開く。
「で」
「あと、どれくらい仕事をすれば」
「身分と、共和国へのルートを用意できる?」
周囲がざわついた。
港狼会の人間たちが、一斉にレインを見る。
この女、
いきなり何を言っている――
そんな空気。
ノアは、心の中で悲鳴を上げた。
(直球すぎる……!)
(いや、そもそも聞く内容じゃねえ……!)
ヴァロスは、少しだけ口角を上げた。
「……面白いことを言う」
低い声。
「答えは一つだ」
「お前次第だな」
周囲の空気が、さらに重くなる。
「使えるなら、早い」
「そうじゃなきゃ、時間はかかる」
完全に、上からの物言い。
この場を支配しているという自覚が、言葉の端々に滲んでいた。
レインは、数秒だけ黙った。
そして、静かに言う。
「じゃあ――」
一歩、前に出る。
誰も止めない。
止められない。
「強引に聞かせても、いいかな?」
ざわっ、と空気が揺れた。
港狼会の人間たちが、一斉に身構える。
冗談じゃない。
脅しでもない。
本気だと、本能が理解している。
ノアは、喉が鳴る音を抑えられなかった。
(……やばい)
(完全に、やばい流れだ……)
だが、ヴァロスは笑った。
短く。
乾いた笑い。
「いいね」
「嫌いじゃない」
そして、ゆっくりと語り出す。
「この街じゃな」
「暴力こそが、唯一の正義だ」
「綺麗事を言う奴は、死んでいった」
「力を持ってるだけの馬鹿も、同じだ」
ヴァロスの視線が、鋭くなる。
「残ったのは――」
「暴力を“使いこなした”奴だけだ」
一歩、前へ。
レインとの距離が縮まる。
「欲しいなら」
「やってみろ」
その瞬間。
周囲から、数人が前に出た。
ヴァロスの手下。
暴力のプロたち。
誰も声を出さない。
だが、構えは本気だ。
レインは、その光景を見て、小さく息を吐いた。
(……やっぱり)
(最初から力を使えばよかった)
肩にかけた布包みに、指をかける。
ヴァロスが、低く言った。
「大見得切ったんだ。」
「どの程度の実力か見せてもらおうか」
空気が張り詰める。
戦闘は、もう避けられなかった。
———
最初に動いたのは、港狼会の手下3人だった。
合図もなく、示し合わせたように。
左右から二人。
正面から一人。
刃物。
短剣と棍棒。
路地裏で人を殺すための、実戦用の構え。
だが――
レインは、構えなかった。
布に包まれた武器を、肩から外すことすらしない。
ただ、一歩。
踏み出した。
⸻
一人目。
右から来た短剣。
刃が振り下ろされるより早く、レインの手が伸びる。
手首を掴む。
そのまま、捻る。
骨が鳴る音。
短剣が床に落ちる。
次の瞬間、
鳩尾に膝蹴り。
男は、声も出せずに崩れ落ちた。
⸻
二人目。
正面からの棍棒。
力任せの一撃。
踏み込みのタイミングで、相手の膝を押すように蹴る。
いわゆる関節蹴りだ。
膝が割れる音と共に男は崩れ落ちる。
⸻
三人目。
背後。
死角からの斬撃。
レインは振り返らない。
後ろ手に、布に包まれたままの武器を振る。
側頭部に直撃。
男は、糸の切れた人形のように倒れた。
⸻
――終わり。
戦闘時間。
五秒もない。
⸻
静寂。
床に転がる三人。
誰も死んでいない。
だが、誰一人、すぐには立てない。
うめき声だけが響き渡る。
港狼会の人間たちが、一斉に後ずさる。
理解したのだ。
今のは、“手加減”だったと。
⸻
レインは、ゆっくりとヴァロスを見る。
「……ね」
「めんどくさいでしょ」
声は、淡々としている。
煽りでも、怒りでもない。
事実の提示。
ヴァロスは、初めて表情を変えた。
笑みが消える。
目が、鋭くなる。
背筋が、伸びる。
(……こいつは違う)
そう悟った瞬間。
ヴァロスは、前に出た。
「下がれ」
一言。
手下たちは、即座に止まる。
逆らわない。
逆らえない。
ヴァロスは、レインを真っ直ぐ見る。
「……この女は」
一拍置いて、言う。
「俺がやる」
周囲が、ざわめいた。
港狼会の“ヘッド”が、自ら前に出る。
それがどういう意味か、全員が理解している。
レインはほんの少しだけ、眉を動かした。
(……ああ)
(やっぱり、そうなるよね)
視線が、交差する。
この場で、港狼会の頂点と戦うことになる。
そう、誰もが思った。
――その瞬間を、引き延ばすように。
空気だけが、重く張りつめていった。




