初めての仕事ー後編ー
港の夜は、昼間よりもうるさい。
波の音に混じって、
鎖の擦れる音、
荷車の軋む音、
酒に酔った声が遠くで弾ける。
港湾都市ドラス。
眠らない街。
その外れ。
明かりを最小限に落とした倉庫の前で、レインは立っていた。
隣にいるのはノア。
いつもより口数が少ない。
「……ここだ」
ノアが低く言う。
倉庫の扉は半分だけ開いている。
中は暗い。
だが――
レインには分かる。
中にある“それ”が。
⸻
倉庫の中央。
床に置かれているのは、細長い木箱が三つ。
だが、ただの木箱じゃない。
表面には、真気を流すための細い溝。
角には鉛の補強。
内側には、さらに封がある。
手間がかかっている。
「中身は?」
レインが聞く。
ノアは首を振った。
「聞くなって言われてる」
「見るな」
「触るな」
「落とすな」
レインは、納得した。
――典型的だ。
扱う側には価値だけ伝えて、正体は伏せる。
責任を分散させるため。
⸻
レインは、箱から一歩離れた位置で立ち止まる。
近づかなくても、分かる。
(……これ)
胸の奥が、ほんのわずかに反応する。
真気ではない。
だが、地下で感じた“あれ”に近い。
(外界種由来)
(しかも、かなり濃い)
死体ではない。
だが、生き物の残骸でもない。
――資材。
加工され、保存され、運ばれる前提の“何か”。
レインは、興味を失ったように視線を逸らす。
「運ぶだけ?」
「運ぶだけ」
ノアはそう答えたが、声にわずかな緊張が滲んでいた。
「港に入る前に、別の連中が嗅ぎつけてくる可能性があります。」
「だから――」
「護衛」
レインが、言葉を継ぐ。
「……そう」
ノアは頷く。
「今回の“試験”は、それ」
「騒ぎを起こさず」
「荷を守って」
「予定通り引き渡す」
レインは、肩にかけた布包み――
“杖”に、軽く手を添える。
⸻
倉庫の外。
夜風が、潮の匂いを運んでくる。
レインは、歩きながら考える。
(この荷)
(どこに行く)
(誰が使う)
だが、答えは急がない。
今、必要なのは、金と身分と共和国へのルート。
それ以上は、余計だ。
⸻
その時。
風向きが、変わった。
港のざわめきの向こう。
わずかに、“整いすぎた気配”が混じる。
真気を使っている人間。
しかも一人じゃない。
レインは、足を止めた。
「……ノア」
「な、なに?」
「少し下がって」
ノアは、即座に従う。
レインは、静かに前へ出る。
“杖”を、地面に軽く突いた。
その瞬間。
夜の港に、新しい気配が、はっきりと現れた。
――荷は、狙われている。
そして、試験は始まった。
———
最初に姿を現したのは、五人だった。
一人は、正面。
残り四人は、配置につく。
動きに、明確な差がある。
正面に立つリーダーらしき男は、迷いがない。
呼吸が整い、重心が低い。
真気の巡りも量も、悪くない。
(……一流)
レインは、即座に判断した。
そして、残りの四人。
足運びが軽すぎる。
視線が落ち着かない。
連携は取ろうとしているが、間が甘い。
なにより、リーダー格の男に比べて真気の水準が低い。
(……三流、もしくはそれ以下か)
数で押す前提。
上の指示に従うだけの駒。
たしかに港町のゴロツキ程度にはこれで十分だろう。
⸻
「動くな」
正面の男が言った。
声は低く、無駄がない。
威圧はあるが、感情は乗せていない。
レインは、ゆっくりと振り返る。
“杖”を持ったまま。
構えない。
「それを置いていけ」
顎で示されるのは、木箱。
「理由は?」
淡々と、問い返す。
リーダーの男は、わずかに眉を動かした。
「……知る必要はない。」
レインは、そう返す。
その間に、剣士の2人がじりじりと距離を詰める。
包囲網は完成した。
様子を見ている。
(……リーダーの判断待ち)
レインは、内心で評価を下げる。
⸻
ノアは、胃の奥が冷えるのを感じていた。
(五人……)
(いや、違う)
(前の一人が、別格だ)
港で生きていれば分かる。
立ち方だけで、格は見える。
だが――
(……それでも)
(相手が悪すぎる)
⸻
男は、静かに言った。
「それが港に入ると、面倒なことになる」
「誰にとって?」
レインの問いには答えず、男は続ける。
「忠告だ」
「今日は引け」
「これは、割に合わない」
「それは、あなたが決めることじゃない」
そう言って、レインは一歩、”杖”に巻かれた布を解きながら前へ出る。
レインの手にある異質な両刃の槍が露になり、空気を歪ませた。
後方に構える銃を待つ2人が、反射的に身構える。
「荷には、触らせない」
レインは、静かに告げる。
「今ならまだ、命は奪わない」
数秒の沈黙。
リーダーの男は、他のメンバーを一瞥する。
そして。
先に動いたのは、二人。
距離を取った位置から銃口がこちらを向く。
真気の流れが弱い。
三流未満。
だが、躊躇はない。
引き金が引かれる。
⸻
――その瞬間。
レインの中で、何かが切り替わった。
真気ではない。
もっと冷たく、重いもの。
魔気が、解放される。
空気が、沈む。
銃声が鳴るより早く、レインの姿が消えた。
⸻
一人目。
距離は十数歩。
踏み込み一回。
視界に映ったのは、引き金にかかった指。
首。
刃を置く。
跳ねる。
銃声は、空に抜けた。
⸻
二人目。
悲鳴を上げる暇すらない。
後退しかけた足元に、すでに影がある。
反射的に銃を向けた瞬間、視界が回転した。
首が、落ちる。
血が、遅れて噴き出す。
⸻
――遠距離、排除。
残るは近接の三人のみ。
⸻
中央。
リーダーの男が、一歩前に出る。
槍。
間合いを殺すための武器。
穂先が低く構えられ、
三流の剣士2人が左右に展開する。
連携。
訓練された動き。
普通の相手なら、ここで詰む。
⸻
槍が来る。
直線的な刺突。
速い。
重い。
だが――
「……遅い」
レインは、半歩だけ踏み込んだ。
穂先の“外”。
両刃の片側で、槍身を弾く。
同時に、反対側の刃を一流の喉へ。
抵抗は、ない。
防御が間に合わない。
槍が、落ちる。
統率が、死んだ。
⸻
空気が変わる。
三流の剣士たちが一瞬、迷う。
その一瞬で、勝負は終わった。
⸻
一人目。
横薙ぎ。
レインは受けない。
踏み込み、刃を“引く”。
脇腹から、斜めに裂ける。
⸻
二人目。
背後からの斬撃。
振り返らない。
身体を沈め、後方へ刃を走らせる。
膝の関節に刃を当てる。
そして崩れゆく胸に、反対側の刃を突き立てる。
終わり。
⸻
静寂。
5人分の死体が、港の影に転がっている。
戦闘時間は、十秒にも満たない。
⸻
レインは刃についた血を軽く振り払い、布で包んだ。
そして魔気を引く。
空気が元に戻る。
⸻
真気使いは守る存在だと教えられた。
だが、レインは思う。
(守るために戦うより、殺す方がずっと簡単だ)
積荷は無事だ。
仕事は、終わった。
————
倉庫の影。
少し離れた場所で、二人の男が港を見ていた。
倒れているのは、5つの影。
さっきまで、そこに立っていた人間の残り。
「……想像以上だ」
年配の男が、ぽつりと言う。
「……」
若い男も、それ以上の言葉を探さない。
どちらも表情は崩れていない。
だが――
視線が港から離れない。
「速い」
「無駄がない」
「……あんなの、初めて見た」
若い男が素直な感想を漏らす。
「……合格だな」
年配の男が少しだけ眉を動かす。
「“使える”って言い方は、やめとこう」
「短期といっていた。いくつか仕事を振って出ていってもらおう。」
「同感だ。あの女は危険だ…」
⸻
一方、路地の奥。
ノアは、壁に手をついたまま動けずにいた。
(……全部)
(全部、死んだ……)
頭では分かっている。
目でも見た。
それでも実感が追いつかない。
あまりにもあっさりだった。
(……俺)
(生きてて、いいんだよな)
喉が鳴る。
心臓の音がやけに大きい。
⸻
足音。
振り向くと、レインが歩いてきていた。
血の匂いも、息の乱れもない。
「……終わったよ」
淡々とした声。
ノアは反射的に背筋を伸ばした。
「……はい」
それしか言えない。
レインはノアを一度だけ見て、
「……じゃ、戻ろ」
それだけ言って先に歩き出した。
⸻
港に、朝の気配が戻り始める。
何事もなかったかのように。
ただ一人。
ノアだけが、はっきりと理解していた。
――拾ったんじゃない。
最初から、巻き込まれていたのだと。




