港狼会
深夜の宿の一室。
部屋の中央で三人の男が、正座していた。
端的に言うと全員ボコボコだった。
片方の頬は腫れ上がり、鼻血は乾き、腕や脚は不自然な角度で止まっている。
さっきまで威勢よく扉を蹴破っていた連中と、同一人物とは思えない。
誰一人、声を出さない。
出せない。
その正面。
椅子に腰掛けているのは、小柄な少女――
レインだった。
服装はきちんとしている。
髪も整っている。
表情も、落ち着いている。
ただひとつだけ。
目が、眠そうだった。
「……で」
低い声。
「誰」
三人、同時に震えた。
「なに」
「ここ」
「どういうつもり」
短い単語が、淡々と落ちる。
ノアは心の中で叫ぶ。
(あっ……)
(怒ってる……)
(これ、めっちゃ怒ってる……)
レインは、目を細める。
「久しぶりに」
「ちゃんとしたベッドで寝てた」
一拍。
「一年ぶり」
三人、意味が分からず固まる。
だが、続く言葉で全員理解した。
「それを」
「いきなり叩き起こして」
「契約? 味見?」
視線が冷たい。
「死にたいの?」
「ひっ……!」
一番左の男が、喉を鳴らした。
レインは、小さく息を吐く。
「まあ、いい」
「まずここはどこ?」
「……は?」
「街の名前」
一人が、恐る恐る口を開く。
「……ド、ドラスです……」
「港の街で、貿易とか……」
「そう」
食い気味に短く頷く。
「じゃあ次」
「あなたたちは何者?」
「……え?」
「組織」
「誰の下?」
質問は短い。
だが、逃げ場がない。
「……こ、港狼会……」
「その、下部組織です……」
声が震える。
レインは、その言葉を頭の中で転がす。
「港狼会……」
「なるほど」
それだけ言った。
ノアは、横で必死に首を横に振る。
(聞くな……!)
(それ以上、関わるな……!)
だが、当然、届かない。
レインは立ち上がる。
正座の三人を見下ろして、淡々と告げた。
「今日は、もういい」
三人が、揃って顔を上げる。
「……え?」
「か、帰って……いいんですか?」
「うん」
眠気混じりの声。
「今日は眠いから」
「また明日」
数秒の沈黙のあと、三人は這うように立ち上がった。
支え合いながら、
足を引きずりながら、
一言も発さずに部屋を出ていく。
そして、レインは初めてノアを見る。
ノアは、顔面蒼白だった。
「……ノア」
「ひ、ひぃっ」
情けない声が漏れる。
レインは、少し考えてから言った。
「さっきは、来なかったから」
「今日は、いい」
それだけ。
それ以上、何も言わない。
ノアは、腰が抜けそうになるのを必死に堪えた。
———
廊下に、重たい足音が遠ざかっていく。
完全な静寂。
レインは扉を閉め、鍵をかける。
再びベッドに腰を下ろし、布団に潜る。
「……続きは、また今度」
そう呟いて、目を閉じる。
勇足で来た三人は、足を引きずって帰った。
寒空の下、ノアだけが、ひとり生き残った実感に震えていた。
———
朝が来た。
と言っても、はっきりとした境目があるわけじゃない。
港町ドラスの朝は、夜の延長だ。
空が少しだけ白み、港の方から荷下ろしの音が聞こえ始める。
その頃――
事務所では、異様な空気が漂っていた。
⸻
ボスは、机に突っ伏していた。
顔は腫れ、唇は切れ、昨夜よりも、さらにみっともない。
その横で、ノアが立っている。
立っている、というより壁に貼り付いている。
(……来る)
(絶対に、港狼会が来る)
ノアは分かっていた。
昨夜の三人が、何も言わずに済ませるわけがない。
ボスだって、黙っていられるはずがない。
港狼会。
この街の裏側を支配している名前。
上納金を納める事で、庇護が保障される。
逆らえば、消える。
(……俺、巻き込まれてるよな)
(完全に、巻き込まれてる)
喉が渇く。
⸻
扉が、ノックされた。
軽い音。
だが、意味は重い。
ボスが、顔を上げる。
「……来たか」
声が、掠れている。
ノアの心臓が、跳ねた。
ボスはゆっくりと立ち上がり、自分で扉を開けた。
⸻
立っていたのは、二人。
一人は、年配の男。
派手さはないが、目つきが鋭い。
もう一人は、若いが、無駄な動きがない。
どちらも、武器は見せていない。
「……話があると聞いた」
年配の男が言った。
その声は低く、淡々としている。
ボスは、深く頭を下げた。
「……昨夜、うちの事務所で」
言葉を選びながら、昨夜の出来事を説明する。
ノアは、横で必死に頷いていた。
⸻
話を聞き終えた二人は、少しだけ視線を交わした。
「……相手は?」
「若い女です」
「一人で?」
「……はい」
若い方が鼻で笑いそうになるのを、年配の男が目で制した。
「そこまで痛めつけられて、殺されなかった理由は?」
ボスは、答えに詰まる。
「……分かりません」
「ただ……」
ボスは、唾を飲み込んだ。
「……殺す気なら、全員死んでました」
その一言で、空気が変わった。
年配の男の目が、細くなる。
「……我々に興味を持っていたそうだな」
問いではなかった。
「はい」
ボスは、即答した。
「こちらから、伺うべきかと」
ノアは、息を止めた。
(……帰りたい)
「居場所は?」
「宿です」
「……手配は?」
「俺が、しました」
ノアの声が、震える。
年配の男は、ノアを見る。
じっと、観察するように。
「……お前は?」
「スカウトです」
「昨夜は?」
「……いました」
短い沈黙。
「なぜお前は無傷なんだ?」
ノアは、一瞬だけ考えた。
そして、正直に言った。
「……来なかったから、です」
年配の男は、ふっと息を吐いた。
「賢いな」
それが評価なのか、皮肉なのかは分からない。
「こちらから出向こう」
年配の男は、そう言った。
「だが――」
一拍、間を置く。
「話ができる相手かどうかは、見る」
ボスとノアは、同時に頷いた。
拒否権は、ない。
⸻
その頃。
宿の一室で、レインはベッドに腰掛けていた。
湯を浴び、
人の作った朝食を食べ、
久しぶりに、ちゃんと休めている。
外が、騒がしい。
足音が増えている。
空気が、少しだけ変わった。
「……来たかな」
独り言のように呟く。
焦りはない。
恐怖もない。
むしろ――
「……ちょうどいい」
そう思っていた。
向こうから、来てくれるなら。
宿の廊下は、静かだった。
早朝のざわめきが、意図的に避けられている。
宿の客も、従業員も、何かを察して距離を取っている。
レインは、扉の前に立っていた。
ノックは、ない。
だが、分かる。
来ている、と。
⸻
扉の向こうから、声がした。
「……港狼会だ」
低く、抑えた声。
威圧でも、恫喝でもない。
名乗るだけで足りる、という自覚。
レインは、ため息をついた。
「……どうぞ」
鍵を開ける。
扉が、ゆっくりと開いた。
⸻
中へ入ってきたのは、二人。
事務所に来た年配の男と、若い男。
後ろには、ボスとノア。
ボスは、相変わらず顔が腫れている。
ノアは、視線を合わせない。
部屋は、質素だ。
簡易ベッド。
小さな机。
椅子が二つ。
逃げ場は、ない。
だが、レインは座っていた。
背筋を伸ばし、
足を組むこともなく、
ただ、自然体で。
その様子を見て、年配の男の目が、わずかに細くなる。
「……若いな」
続けて、
「昨夜の件」
年配の男が切り出す。
「こちらの人間が、無礼を働いた」
視線が、ボスへ向く。
ボスは、無言で頭を下げた。
「命までは取らなかった」
「理由を聞いても?」
レインは、少しだけ考える素振りを見せた。
「……疲れていたので」
ノアの肩が、ぴくりと跳ねた。
(理由、それ!?)
だが、年配の男は笑わない。
むしろ納得したように頷いた。
「合理的だ」
「用件を、聞こう」
年配の男が言う。
「我々に、何を望む?」
レインは、視線を逸らさない。
「三つあります」
「一つ」
「金」
即答。
「もう一つ」
「身分」
「そしてアウレリア共和国へのルート」
室内の空気が、わずかに張りつめた。
若い男が、初めて口を開く。
「……それは、簡単じゃない」
「承知しています」
レインは、頷く。
「だから、お願いではなく」
「取引として、来ました」
⸻
年配の男は、レインをじっと見る。
その目は、値踏みだ。
力量。
覚悟。
危険度。
そして――
どこまで踏み込んでいい相手か。
「君は……」
言葉を選ぶ。
「この街に、居座るつもりは?」
「ありません」
即答。
「必要なものが揃えば、去ります」
ノアが、思わず顔を上げた。
(……本当に?)
(じゃあ、俺は……)
年配の男は、静かに息を吐く。
「……短期か」
「はい」
「なら、尚更だ」
年配の男は、はっきりと言った。
「我々は、簡単に“裏”を売らない」
レインは、首を傾げる。
「売らなくていいです」
「使わせてください」
その言い方が、あまりに自然で。
若い男が、思わず笑いそうになるのを堪えた。
⸻
「…力は?」
年配の男が問う。
「それ次第だ」
レインは、立ち上がった。
ゆっくりと。
部屋の隅に立てかけてある、
布に包まれた“杖”に手を伸ばす。
だが――
触れない。
触れずに、言った。
「試すなら、いつでも」
「ここでなくても」
「街の外でも」
「あなた一人でも」
静かな声。
だが、逃げ道をすべて塞ぐ言葉。
年配の男は、数秒、沈黙した。
そして。
「……今日は、いい」
そう言った。
「話は、持ち帰る」
「場所と時間は、こちらが指定する」
「それまで――」
一瞬、視線をボスに向ける。
「余計なことは、するな」
ボスは、何度も頷いた。
⸻
二人は、踵を返す。
扉の前で、年配の男が一度だけ振り返った。
「君」
レインを見る。
「名前は?」
「……レインです」
「そうか」
それだけ言って、去っていった。
⸻
扉が閉まる。
ノアは、その場に崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。
(……生きてる)
(まだ……生きてる……)
レインは、再び椅子に座る。
表情は、変わらない。
「……さて」
小さく呟く。
「思ったより、話が早そうかな」
ノアは、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。




