第8章:想い
言葉は、時に刃よりも深く心を傷つける。ルイーゼ・ローゼンベルクが学園に姿を現して以来、ナタリーはその鋭利な刃に絶えず晒されることになった。最初は遠巻きに聞こえてくる囁きだった。
「所詮は森育ちの娘」「公爵家に相応しくない」「エーベルハルト様もお気の毒に」
それらはやがて、ナタリーの耳にも直接届くようになる。
ルイーゼの取り巻きの令嬢たちは、露骨な嘲笑を浮かべ、すれ違いざまにわざと肩をぶつけたり、ナタリーの持ち物を隠したりといった幼稚だが陰湿な嫌がらせを繰り返した。
「あら、ごめんなさい。そこにいらっしゃるとは思わなくて。影が薄いものですから」
ある日の昼食時、カフェテリアでルイーゼはわざとらしくナタリーの盆にぶつかり、スープをこぼさせた。周囲からくすくすという笑い声が漏れる。ナタリーは俯いて床の染みを拭こうとしたが、ルイーゼは勝ち誇ったように言葉を続けた。
「エーベルハルト様も、あのような出自の者にいつまで関わっておいでなのかしら。ホーエンシュタウフェン家の名誉を汚すようなことは、お止めいただきたいものですわ」
その言葉は、ナタリーの胸に冷たい楔を打ち込んだ。自分自身への侮辱は耐えられても、エーベルハルトの名誉が引き合いに出されることは耐え難い苦痛だった。
ダニエルは心配して声をかけてくれるが、ナタリーは力なく微笑むことしかできない。可愛いと評されることの多かった自分の容姿すら、今は好奇と侮蔑の的でしかないように感じられた。
エーベルハルトは、そうした状況に気づいていないわけではなかった。彼の眉間には常に深い皺が刻まれ、ルイーゼに対しては氷のように冷たい視線を向けることもあった。
しかし、ローゼンベルク侯爵家はホーエンシュタウフェン家にとって重要な勢力であり、両家の結びつきは王国の安定にも関わる。エーベルハルトは家の立場と、ナタリーを守りたいという個人の感情との間で激しく揺れ動いていた。
「ナタリー、気にするな。あんな奴らの言うことなど……」
一度、エーベルハルトは誰もいない廊下でナタリーに声をかけた。その声には苦渋が滲んでいた。
しかし、その言葉は途切れた。彼は何かを言おうとして、しかし言えない、そんなもどかしさを抱えているのがナタリーにも痛いほど伝わってくる。彼が自分を庇えば、それはホーエンシュタウフェン家とローゼンベルク家の関係にさらなる亀裂を生むかもしれない。それが「金鎖」の重みなのだろう。
ナタリーは、エーベルハルトのその苦悩を理解していた。そして、理解しているからこそ、彼の重荷になりたくなかった。彼が自分と関わることで、彼の立場が悪くなるのなら……。彼の輝かしい未来に、自分の存在が影を落とすのなら……。
(私が、身を引けばいいんだわ……)
夜、一人寮のベッドの中で、ナタリーは何度もそう思った。エーベルハルトとの学園祭での淡い思い出、彼が時折見せる不器用な優しさ。それらは宝物のようにナタリーの心に仕舞われている。けれど、その宝物は、あまりにも切ない輝きを放っていた。
「エーベルハルト様には、ルイーゼ様のような、相応しい方がいらっしゃる……」
自分に言い聞かせるように呟く。エルフの血を引く自分は、この華やかな貴族社会では異分子でしかない。彼の隣に立つ資格など、最初からなかったのかもしれない。胸を締め付けるような痛みに、ナタリーはそっと涙を拭った。
エーベルハルトの将来を思うなら、彼から離れるべきだ。その思いは、日増しにナタリーの中で確かな形を取り始めていた。輝かしい青春の日々は、いつしか分厚い壁に閉ざされ、引き裂かれようとしていた。