第4章:森の異変
数日後、ナタリーは王立魔法騎士学園の実践訓練の授業で、他の生徒たちと共に学園近くの森へと足を踏み入れていた。
鬱蒼と茂る木々が陽光を遮り、昼なお暗い森は、新入生にとってはそれだけで威圧感があった。
課題は、指定された薬草の採集と、森に生息する比較的温厚な魔獣の生態観察。
しかし、その日の森はどこかいつもと様子が違っていた。
「なんだか、空気が張り詰めているような……」
ナタリーは胸騒ぎを覚え、そっと周囲に意識を巡らせた。精霊たちの囁きが、いつもより強張って聞こえる。まるで何かに怯えているかのように。
その不安は的中した。突如、森の奥から獣の咆哮と生徒たちの短い悲鳴が響き渡ったのだ。
「きゃあっ!」
「ゴブリンロードだ! なぜこんな浅い場所に!」
引率の騎士教官が叫ぶ。
本来なら森の深部にしか現れないはずの、通常より大型で凶暴なゴブリンロードが、涎を垂らしながら血走った目で生徒たちの一団に襲いかかってきたのだ。その爪は鋭く、手にした歪な棍棒は大地を揺るがす勢いで振り下ろされる。
パニックに陥る生徒たち。
教官は前線でゴブリンロードを食い止めようとするが、多勢に無勢、数体のゴブリンも同時に出現し、状況は悪化する一方だった。
ナタリーはクラスメイト、ダニエルがゴブリンの一体に狙われるのを見てしまう。ダニエルは恐怖で足がすくみ、その場にへたり込んでしまった。
「危ない!」
ナタリーは咄嗟に叫び、気が付けば彼の前に飛び出していた。思考するより早く、体が動いていた。迫りくるゴブリンの棍棒。目を閉じた瞬間、ナタリーの内で何かが弾けた。
「風よ……!」
無意識の叫びと共に、ナタリーの銀髪がふわりと舞い上がり、周囲の空気が渦を巻いた。小さな竜巻のような突風がゴブリンを吹き飛ばし、ダニエルへの直撃を防ぐ。
それは、これまでのように微かな風の囁きに応えるのではなく、もっと強く、明確な意思を持った力の奔流だった。風はナタリーの意思に応え、まるで生きているかのようにゴブリンたちの動きを阻害し、その勢いを削いでいく。
「な……!?」
最後尾で状況を冷静に見極め、他の生徒たちを誘導しつつ反撃の機会を窺っていたエーベルハルトは、その光景に目を見張った。
エルフの血を引くというナタリー・ベルナール。彼女が放ったのは、明らかに初級魔法の域を超えた、精霊魔法の片鱗。それも、実戦経験の浅い新入生が咄嗟に使えるような代物ではない。
彼女の周囲だけ、風が優しく、しかし力強く渦巻いている。その姿は、森の木漏れ日を浴びて、どこか神秘的ですらあった。
エーベルハルトは眉をひそめた。
彼女の力は、父である大公爵が警戒する「異質なもの」の表れなのか。それとも……。
彼の胸に、これまでの値踏みするような冷たさとは異なる、微かな戸惑いと、そして今まで感じたことのない種類の興味が芽生え始めていた。それは、ナタリーの可愛らしい容姿の奥に隠された、未知なる力への畏怖にも似た感情だった。
ナタリーの予期せぬ援護と、駆けつけた他の教官たちの奮闘により、ゴブリンロードとその配下のゴブリンたちは辛くも撃退された。
森に再び静寂が戻ると、ナタリーは自分が何をしたのかを理解し、周囲の驚愕と賞賛、そして一部の困惑の視線に気づいて顔を赤らめた。特に、エーベルハルトが静かに自分を見つめていることに気づくと、心臓が小さく跳ねた。
「ありがとう。ナタリーさん! 大丈夫?」
ダニエルが駆け寄ってくる。
「う、うん……、なんだか、よくわからなくて……」
まだ力の余韻で体が微かに震えている。
この一件で、ナタリー・ベルナールの名は良くも悪くも学園内に知れ渡ることになる。
そしてエーベルハルトは、あの銀髪のハーフエルフの少女の中に眠る、計り知れない力の存在と、彼女の持つ不思議な雰囲気を、否応なく意識することになるのだった。それは、やがて彼自身の「金鎖」を揺るがす序章となるのかもしれない、そんな予感を伴って。