第12章:不穏
王都を覆う不穏な空気は、ついに悲鳴となって弾けた。
王立魔法騎士学園に、けたたましい警鐘が鳴り響く。それは、最高レベルの非常事態を告げる音。
窓の外では、王都の上空が禍々しい紫色の暗雲に覆われ、地鳴りのような咆哮が断続的に轟いていた。古の闇の勢力は、もはや噂や兆しなどという生易しいものではなく、明確な敵意を持って王都に牙を剥いたのだ。
「全生徒、大講堂へ避難! 騎士科の上級生は武装し、防衛ラインを構築せよ!」
教師たちの怒声が飛び交う中、エーベルハルト・フォン・ホーエンシュタウフェンは、既に自身の剣を抜き放ち、騎士科の生徒たちの中心に立っていた。
彼の碧眼は、かつてナタリーに向けていた鋭く落ち着いた色とは違う、燃えるような闘志と、民を守る者としての強い決意に満ちていた。
「怯むな! 俺たち王立魔法騎士学園の生徒が、王国の最後の砦だ! 俺に続け!」
エーベルハルトの檄が飛ぶ。その完璧な貴公子然とした姿は、恐怖に震える生徒たちの心を奮い立たせた。彼らはエーベルハルトを旗頭に、学園の正門前へと展開する。
眼前に広がるのは、地獄のような光景だった。異形の魔物たちが、まるで黒い津波のように市街地から学園へと押し寄せてくる。そのどれもが、これまでの訓練で相手にしてきた魔獣とは比較にならないほどの邪悪な瘴気を放っていた。
「詠唱開始! ファイアウォールを展開しろ!」
エーベルハルトの号令の下、魔法科の生徒たちが作り出した炎の壁が、魔物の群れの先鋒を焼き払う。
しかし、勢いは止まらない。後続の魔物たちは、炎の壁をものともせずに突破し、防衛ラインに殺到した。
「くそっ、キリがない!」
共に戦うダニエルが、傷を負った下級生を庇いながら悪態をつく。
エーベルハルト自身も、黄金のオーラを纏った剣技で次々と魔物を屠っていくが、敵の数は圧倒的だった。学園の結界は激しい攻撃を受けて火花を散らし、いつ破られてもおかしくない状況だ。
その渦中、ひときわ高くプライドを掲げていたはずのルイーゼ・ローゼンベルクが、蒼白な顔で呪文を紡いでいた。彼女の得意とする雷撃魔法が魔物の一体に直撃するが、魔物はわずかに体勢を崩しただけで、さらに凶暴な雄叫びを上げて彼女に迫る。
「な、ぜ……わたくしの魔法が……!」
恐怖に目を見開くルイーゼ。その窮地を救ったのは、エーベルハルトの剣から放たれた光の一閃だった。
「ルイーゼ、下れ! こいつらは通常の魔物とは違う!」
「エーベルハルト様……!」
彼に守られた安堵と、自身の無力さへの屈辱に、ルイーゼの表情が歪む。いつも自信に満ち溢れていた彼女の瞳に、初めて純粋な恐怖の色が浮かんでいた。
戦況は刻一刻と悪化していく。生徒たちは勇敢に戦ったが、一人、また一人と傷つき、倒れていった。エーベルハルトは孤軍奮闘を続けた。彼の剣技と魔法は、他の追随を許さない。
しかし、その彼の心にも、焦りと、そして深い後悔の念が影を落としていた。
(ナタリー……)
脳裏をよぎるのは、森の木漏れ日の下で微笑んでいた、銀色の髪の少女の姿。彼女がここにいれば。あの神秘的な、自然そのものを味方につけるような魔法があれば、この絶望的な状況を打開できるかもしれない。
いや、それ以上に、ただもう一度、彼女に会いたかった。家のための使命を優先し、彼女を孤独の中に置き去りにしてしまった。その選択が、今になって重く、重く心にのしかかる。
その時、学園の結界が、ガラスの砕けるような甲高い音を立てて崩壊した。ひときわ巨大な、将軍格と思しき魔物が、その巨腕をエーベルハルト目掛けて振り下ろす。
「ぐっ……!」
咄嗟に剣で受け止めるが、あまりの衝撃に膝が折れ、地面に押し付けられる。ミシミシと腕の骨がきしむ音が響いた。もはやこれまでか、と誰もが絶望に顔を曇らせた、その瞬間だった。
どこからともなく、戦場の喧騒を洗い流すような、清らかで力強い風が吹き抜けた。
その風は、魔物たちの放つ邪悪な瘴気を浄化し、傷ついた生徒たちの心をわずかに癒すような、不思議な力を秘めていた。エーベルハルトが、そして戦場にいた誰もが、はっとして空を見上げる。
紫色の暗雲が渦巻く空の一点から、まるで太陽のように眩いエメラルドグリーンの光が差し込んでいた。