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悪役令嬢の母は娘をモブにして乙女ゲームの余波を生きる

悪役令嬢の母は娘をモブにする

作者: 二木公子

 ある日、わたくしは気がついたのです。


 ここが前世の乙女ゲームという物語の世界と類似していることに。


 思い出したきっかけは第一王子殿下と大公家のご子息のお名前を同時に聞いたことでございました。


 エドワード殿下とアレックス様。そのお二人がわたくしの可愛い娘、六歳になったエリザベスちゃんの婚約者候補である、と夫から聞いたとき、古い記憶を思い出したのです。


 古い記憶というのは、わたくしの前世の記憶でございます。


 わたくしの乳母によりますところ、わたくしは、生まれつき前世を覚えている、という不思議な子どもだったそうです。


 ごく幼い頃は、わけの分からない乗り物や道具の話などをし周りを困らせたそうでございます。しかし長じるにつれ、その記憶の多くは薄くなっていったようです。


 されど、一つだけ、十歳を過ぎた頃でもはっきりと覚えていたことがございます。


 それは物語でございます。当時わたくしはその物語が大好きで、たびたび頭の中で思い返していたことを覚えております。


 今となっては当時の四半分も覚えておりません。思い出そうとしてみれば少しは思い出せる、という程度でございます。


 それなのに、よく今になって思い出したと自分で感心してしまうくらいです。


 乙女ゲームという物語の中で、一番に印象が強いのは、とても豪華絢爛に仕上げた物語であるということです。物語の途中に何枚も挿し絵がございまして、そのどれもが多色を用い、鮮やかに描かれているのです。


 絵そのものは風変わりでございますが、とても繊細に描かれておりました。


 このような本、…本? 物語ですからおそらく本なのでしょう。とにかく、王宮にもあるかわからないほどのものでございます。


 次に、一部のご令息方のお名前とご身分とご容姿。残念ながら全員分は思い出せません。登場人物がとても多いのです。


 驚くことに、この思い出したご令息方は、皆様、現実にいらっしゃるのです。ちょうど先日、王家主催の子供の茶会でお見かけしたばかりでございます。


 今はまだ、エリザベスちゃんと同年代の子供でございますが、学園に通う頃にはどのお方もきっと、挿し絵のようなキラキラしい殿方にご成長あそばされることが伺えます。


 このような、絵のキラキラしさは多少覚えておりますが、物語の内容で思い出せることはとても少なくたよりありません。


 お話の内容として覚えているのは、舞台が貴族の青少年が多く通う学園であること、その学園内で身分の低いご令嬢が殿下や高位貴族のご令息たちを虜にして行く筋書きであること、というくらいでございます。


 挿し絵の背景に描かれた学園の絵はとても見覚えがあるものでごさいました。わたくしも夫も通っていた、この国の王立学園で間違いございません。


 そういえば、物語は始まりがひとつなのに、終わりが多数あったように思います。ご令嬢が色々な殿方と隣り合っている絵ををいくつか思い出すことができます。珍しい形の物語でございました。


 …思い出したことがこれだけでしたら、いくら現実と似ていようと、どうでも良かったのでございます。知らないご令嬢とご令息方の恋路はわたくしにとってどうでもよろしいことですから。


 ですが、どうしても無視できないことがございました。


 それは、エリザベスちゃんと思われる女の子が傷ついた表情を見せる描写があることです。制服のスカートを握りしめ、涙をこぼしているのです。さらにそれだけでなく、処刑や幽閉されているような描写もあるのでございます。


 わたくしは、挿し絵の中にあったそれらしき描写にどうしようもない不安を憶えるのです。


 あの髪の色、瞳を映えさせる長い睫毛、引き結ばれた唇の形。


 風変わりな絵であっても、今のエリザベスちゃんと年齢が違っていても、あの絵は、わたくしの可愛いエリザベスちゃんとしか思えないのでございます。


 わたくしの可愛いエリザベスちゃん。気高く、賢く、真面目で、愛らしいエリザベスちゃんが、そんなことにはならないだろうけど、でも、少しでも可能性があるのなら避けたいのです。


 物語はただの夢かもしれません。でも、恐いのです。恐ろしいのです。我が子を失いたくはありません。


 ですから、わたくしは娘の生と幸福のために考えることにいたしました。


 幸いなことに、時間はございます。



 先日に、乙女ゲームの物語を思い出したあの時分から、わたくしは色々と考えました。その考えた内の一案についてエリザベスちゃんに話してみることといたしました。


「エリザベスちゃん、お話があるの。」


「どうされましたの? お母様。」


「あのね、大きくなったら、お隣の帝国へお勉強に行ってみない?」


 わたくしはエリザベスちゃんに帝国への留学を促してみたのです。


 何もしなければこの先、我が王国の学園に通うことになるのですから心配です。ですから、いっそのこと国外に出れば良いのではないか、と思い至ったのでございます。


 いくつかある隣国のうち、帝国、とエリザベスちゃんに伝えたのは、わが王国から帝国への留学は前例がございますので、許可されやすいだろうと暗に考えたからでございます。


 驚いているエリザベスちゃんの目がまんまるです。なんて可愛らしいのでございましょう。


「私は、この国の学園に通うのではないの?」


 利口ですこと。何年も先に通う学園のことをもう知っているのです。


「もちろん、この国の学園に通っても良いのよ。でも、違う国の学園に通っても良いの。違う国に行けば、ここにはない、色々なものを見ることが出来るわ。」


「色々なもの…」


 あまり良くわからないようです。それは当たり前でございましょう。見たことも聞いたこともないもの、でございますから。


「ええ。ただ、行くとしたら、行く前にお勉強はたくさんしなければならないわ。」


 大変であることも伝えます。騙すようなことはしたくありません。


 わたくしの言葉にエリザベスちゃんは少し考える仕草をとってから聞いてきます。なんて愛嬌のある仕草でございましょう。


「帝国語とかですか?」


 なんと賢いことです。この年齢で帝国の言語がこの国と違うと知っているのです!       


 確かに帝国語は貴族の教養でございますから知っていてもおかしいことではありません。しかしまだ、帝国語の家庭教師はつけておりません。ですのに知っているなんて、博識です!


「そのとおり、帝国語は必要ですよ。あとは帝国のマナーや、歴史なども学ばなければなりません。」


「マナー?」


 エリザベスちゃんは首をかしげて可愛らしく繰り返します。


「マナーは場所や身分、立場によってかわるのですよ。」


 神妙にうなずくエリザベスちゃんも愛らしい。きっとわたくしの言葉を頭のなかで反芻しているのでございましょう。なんていじらしい。


「行くかどうかは今決めなくても良いの。今は、学びの場はひとつではないと知っておいて欲しいだけよ。」


 無理強いはいたしません。選択肢があるのだと知っておいてもらえればよいのです。



 エリザベスちゃんを帝国に留学させたい旨を、夫にもお話ししました。


 もちろん私の夢まがいの前世の話などはいたしません。


 ただ、娘の見聞を広めてあげたいこと。趣味である絵を続けてほしいこと、などと話します。


 絵と言ったのは、エリザベスちゃんに帝国への留学を進める理由を、夫になんと説明したら良いのかと探しましたとき、思い至ったからです。


 後付けの理由ではございますが、嘘ではありません。まだ幼いエリザベスちゃんですが、絵を描くことが大好きですし、才能があるのではないかとも思うのです。


 これは、親の欲目かもしれません。


 けれど、本人が望むなら学ばせてあげたいと思うのでございます。


 しかし、我が王国でそれは叶いません。


 この国では女性が絵を描くことを公にすることはほとんどないのです。絵は女神様に捧げるもので、無垢な子供か男性が描くものなのです。女性が描いた絵は女神の嫉妬を買うのだとか。


 どうして嫉妬を買うのかわたくしには理解はできません。わたくしには崇高すぎる思想ということでございましょう。


 とにかく、この国で女性が絵を学ぶなど受け入れられないでしょう。


 今、エリザベスちゃんは子供ですから許されておりますが、この先も続けるようでしたら隠さなければ社交界の醜聞となり、婚姻などは難しくなることでしょう。


 ですが、帝国は異なった文化を持っているのでございます。女性の高名な画家もたくさんおりますし、絵を描くことは女性であっても、教養の一つに入るのだそうです。


 わたくしの話を聞いた夫は、この国では非常識と言われることであるにもかかわらず、すんなりと了承くださいました。


 本人が望むならば、留学に賛成するし、絵も、本人の意志があれば学ぶ機会をもうける、と。


 夫は娘にとても甘いところがございまして、以前に、なんでも叶えてやりたいとこぼしたこともありました。


 ですから、わたくしから夫になにも言わなくても、娘が行くと言えば行かせたのかもしれません。それどころか至れり尽くせり、準備を整えるまでなさったでしょう。


 それでもわたくしはわたくしの不安を少しでも軽くしたくて夫に話したのです。


 きっと、夫はわたくしの不安を見透かしていることと思います。ですが、その原因を探ることなく、静かに話を聞き、受け入れてくださいました。


 夫は貴族の当主としては良い方向に珍しいお方でございます。



 あとは、エリザベスちゃんの心を待つだけ。


 待つ間、わたくしはエリザベスちゃんが帝国へ行かなかったときの対策など考えておきましょう。



 帝国へ留学を提案してからおよそ三年の月日が経ったある日のことです。九歳のエリザベスちゃんは強い意志を持ってわたくしに言いました。


「お母様、私、帝国に行ってみたいのです。」


 それから教育が始まりました。


 この王国のマナー、教養に加え、帝国のマナーと教養、帝国語、王国と帝国の関係など。九歳には大変な量でございます。


 大変な量ではございますが、エリザベスちゃんの意志ですから見守ることといたしました。


 帝国語は、この王国の貴族は教養として覚える必要があるので、今が大変でも後々楽になるでしょう。我が王国より大きな帝国のことをよく知っていれば将来に王宮で重用もされましょう。


 途中でエリザベスちゃんの気が変わって留学を中止することになりましても、とても有用な知識となります。


 それに大変であっても、お勉強はやる気があるときにやるのが一番良いのです。



 そしてこのころ、エリザベスちゃんの正式な縁談が出ておりました。第一王子であるエドワード殿下との婚約のお話でございます。


 王家からのお話しでございますから、侯爵家であるわが家では、エリザベスちゃんの意向に関係なく婚約を受け入れなければならない可能性があります。


 仮にですが、エリザベスちゃんは婚約に乗り気でないけれども、王家がエリザベスちゃんをとても気にいった、などとなれば困ります。断るために国外への亡命など、大それた行動を余儀なくされるかもしれません。


 わたくしはひっそりと、エリザベスちゃんが殿下との婚約に興味を示さなかった時のことを考え、緊張しておりました。


 色々とわたくしの考えをまとめたあとに折を見て、エリザベスちゃんに婚約のお話をしなければならない、と思っていた時、夫からとても驚く言葉を聞きました。


「エドワード殿下とエリザベスの婚約、断ってきたよ。」


 わたくしは驚きのあまり言葉も出ません。


 だってまだ、エリザベスちゃん本人にお話すらしておりません。

 もちろん、両家の顔合わせもまだでございます。


 夫に、婚約を断った理由を聞くと、


「エリザベスに聞いてみたらエドワード殿下にも王子妃になることにも興味がないみたいだったから。」


と、肩をすくめながおっしゃいました。


 夫はエリザベスちゃんに婚約の事は話さず、ただそれらをどう思うか、と問うたのだそうです。その時のエリザベスちゃんは何故そんな事を聞かれるのかわからないと言う様子だったと話してくださいました。


 加えて、帝国への留学準備でお勉強の量が増えたため、王子妃の教育を受ける時間がとれないと思ったからだ、ともおっしゃいました。


 確かに、今のエリザベスちゃんは多忙でございます。エリザベスちゃんが殿下に大きな興味を持っていないのでしたら断った方が良いのでしょう。


 しかしながら、どうしてわたくしも一緒にいる時に聞いてくださらなかったのか。夫の言葉の意味を考えながら紡ぐ言葉を探すエリザベスちゃんの様子をわたくしも見てみたかったものです。


 言いたい事は多くありますが、夫も忙しくありますから、もう一つだけ気になった事を夫に伺いました。


「あの、どうやってお断りしましたの?」


 恐々と聞くわたくしに、夫はなんでもないことを答えるように教えてくださいました。


「ただ、無理だ。と言っただけだよ。」


 驚くことに、夫は言葉一つで断ったそうです。


 王家からの申し入れを断るのに言葉一つとは、とても恐れ多いことでございます。


 それだけで受け入れさせてしまう夫はすごいものです。


 わたくしは一人であんなに考えて鬱々としておりましたが、早々と夫に相談すればよかったのかもしれません。きっともっと早く答えが出たことでしょう。


 それにしても、夫は王子妃の実家として自身の地位を確立させるよりも、家格をあげるよりも、娘の意志を本気で応援するようでございます。


 本当に親バカでございます。良いお方。



 学び始めたエリザベスちゃんは、マナーの違いにとてもおどろいておりまして、それがことに印象的でございました。


「お母様、この国では夜会のダンスをまずパートナーと踊らなければならないのに、帝国では違うのですって! 誰と何度踊っても良いのですって!」


 目をまんまるくしてお話しするエリザベスちゃんのなんと可愛らしいこと。


 しかし、あくまで規則よ。と忠告することは忘れません。ずっと同じ方と踊るのは、きっと特別な関係を見せつけたいときだけでございましょう。



 それから数年間、エリザベスちゃんは本当によく頑張ってお勉強を続けました。


 そんなエリザベスちゃんがもうすぐ帝国へ旅立つ時、迷いがないか聞きました。最近では、お友達を呼んでお茶会を催すなどもしておりましたので、寂しくないのか、とも。


 しかし杞憂でございました。屈託のない笑顔でエリザベスちゃんは言いました。


「確かに、皆様にお会いできないと寂しいわ。でも、それ以上に、帝国でしか学べないことを学ぶのが楽しみなの。」


 キラキラと希望に満ちたエリザベスちゃんの笑顔はこの上ない可愛さでございます。

 本当に愛おしく思います。



 その後、帝国の学園に通い始めたエリザベスちゃんは、月に一度ほど、お手紙を送ってくれました。


 最初こそ不安のにじむ内容でしたが、三通目にもなると、ただただ楽しそうな様子が伺えました。


 内容はもちろんのこと、踊るような文字、可愛らしい封筒と便箋、ほんのりとした香水の香りなど、娘の楽しいが込められた手紙は、わたくしと夫の宝物として増えていったのでございます。


 その手紙が厚い束になった頃、あと一つ季節がめぐればエリザベスちゃんが帰ってくると、わたくしはとても楽しみにしておりました。


 そこに、一通の手紙が届いたのでございます。エリザベスちゃんからでございました。


 しかし、いつもの色のついた可愛らしい封筒ではなく、白い封筒。甘い香水の香りも致しません。


 何か、あったのでしょうか。昔の嫌な絵が脳裏に現れます。


 震える手で封を破り、文字を拾います。


 そこには、エリザベスちゃんの謝罪が書かれておりました。手紙は、いつもの踊るような文字ではなく、しっかりと落ち着いた美しいもの。ですが、読み進めていくうちに、だんだんと踊る文字に変化していきました。


 手紙を読んだわたくしは、大きく安堵のため息をはきました。


 手紙の謝罪は、こちらへ帰らないことに対するものでございました。


 帰らない理由は、高等学園というところに進学したいから、ということでございます。今通っている学園よりも専門性の高い学問をやりたいのだそうです。


 また、無事に帝国の学園を卒業できる旨も書かれておりました。

 卒業の報告とは、なんと嬉しいことでございましょう。エリザベスちゃんが幼い頃より努力してきた証でございます。


 エリザベスちゃんは絵を専門に学びたいとのことですから、帝国でなくては出来ません。


 わたくしはすぐに了承の返事を書きました。

 エリザベスちゃんにも色々と支度があることと思いますので、1日でも早くお返事した方が良いと思い、急いだのです。


 本来は、夫の意思を確認してから書くべきですが、このことに関しては何年も前から夫婦で同じ方向を向いていることを確認しております。


 全てはエリザベスちゃんの望むままに。



 エリザベスちゃんの進学の相談の手紙が来た頃、この王国の学園では、わたくしが昔に夢見た物語と同じようなことが起こっておりました。

 しかし、エリザベスちゃんは遠い帝国の地におりますから、巻き込まれる心配はないでしょう。処刑や幽閉、あの制服で泣き崩れることなどにはならないと思うのです。


 ここに来てようやく、わたくしはとても安堵いたしました。


 それからも、エリザベスちゃんは帝国でお勉強を進めながら幸せだと報告してくださいます。


 きっとこれからも、そうあることを祈りながらわたくしと夫はエリザベスちゃんの帰ってくる家を、領地を守っておくのでございます。


お読みいただきありがとうございます。


この物語の長編、

『悪役令嬢の母は娘をモブにして乙女ゲームの余波を生きる(N1721KM)』

連載中です。ぜひご覧ください!

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両親の愛に、涙しました
なんという親バカなご両親でしょうか! 真面目で頑張りやさんなエリザベスちゃんと相まって可愛いにも程があるじゃないですか。 なんか曹操に家督を譲って帝国に移住しそうな夫婦です。 家族3人幸せならいいじ…
こちらを拝見してから、連載のほうも拝読させていただきました。 連載版では政局に何やら不穏な動きがあるので、それがどうなるかが楽しみです。 悪役令嬢となるはずだったエリザベス嬢は、こちらの国の事態を知ら…
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