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昼下がりの会議室。ガラス越しに見える窓の外では、柔らかな春の日差しがビルの外壁を照らしていた。


その穏やかな光とは対照的に、モニターに映る資料のフォントは小さく、ぎっしりと詰まっている。けれど、そこに集まった誰の表情にも、かつてのようなうんざりとした色は見当たらなかった。


「では次。新人育成進捗報告、営業部からお願いします」


人事担当の鈴木が促すと、営業部の山本が、やや面倒くさそうに椅子を引いた。


しかしその目には、以前には見られなかった“関与者としての責任”の色があった。


「えーっと……うちに配属された新人の吉澤は、今週で研修三週目です。対面営業のアポイント調整は、まだこちらで面倒を見てますが、メール応対と日報は自分でこなすようになりました。……まぁ、まだテンプレ通りですけどね」


「山本さん、共有コメント欄を見ましたよ。細かくフィードバックを入れてくれてましたね」


鈴木の言葉に、山本は少し照れくさそうに笑った。


「ええ、あれね……正直、俺にはああいうの向いてないと思ってたんですけど、“新人育成への貢献”が評価に加点されるようになったじゃないですか? それ見たら、やるしかないなって。まさか俺が新人指導で褒められる日が来るとは、思ってなかったですけどね」


室内に柔らかな笑いが広がった。嘲笑ではなく、変化を歓迎する、穏やかで前向きな空気だった。


「そういう動機でも、構いません。あの一件のあと、うちの評価制度も大きく見直しました。“尻拭い”や“黙ってやったフォロー”のような、目に見えにくかった仕事も、今ではきちんと記録に残り、評価に反映されるようになっています」


鈴木の言葉に、一瞬、室内の空気が引き締まる。


そのとき、腕を組んで報告を聞いていた安藤課長が、どこかやるせなさを滲ませた声でぽつりとつぶやいた。


「……まぁ、そういう評価も、必要なんだろうな」


その表情には、制度改革への積極的な賛同というよりも、自身の過去の判断が評価されることなく過ぎ去っていったことへの、やりきれなさが垣間見えた。


けれど、会社は確かに変わった。


「誰か一人の頑張りに甘える組織体制」は解体され、支援や指導、報告といった“見えにくい仕事”にもスポットが当たるようになった。


「評価制度、確かに変わりましたよね」


そう口にしたのは、若手の木村だった。


「僕も前は教育なんて全然気にしてなかったけど、今はチャットや共有コメントに残せば記録になるし、フォローした回数も数値で出る。逆にやりがいが出てきました」


かつては藤原に丸投げされていたOJTが、今ではチーム全体で引き受ける“共通業務”として、自然に根付いてきている。


「あと、内部通報の仕組みも変わりましたよね。昔は、“空気を読む”っていう無言の圧力が強すぎて……」


「うん、今は匿名でちゃんと上に届くようになった。たとえば“誰かが毎日遅刻してます”とか、“新人が明らかに雑用しかしてません”みたいな報告も、以前ならただの愚痴で流されてた。でも今は正式に記録されて、必要なら上層部が動くきっかけにもなる」


「実際、あの佐伯って人のときに、誰か一人でも勇気を出して報告してたら、もっと早く止められたかもしれないですよね」


その言葉に、藤原は静かに目を閉じた。


あのとき、自分が“最初に気づいていた人間”だったのだ。


けれど、「新人のミスは自分がカバーして当然」「教え方が悪かったのかも」といった曖昧な責任感が、藤原を沈黙させていた。


そして会社は、取り返しのつかない代償を払った。


——見て見ぬふりは、誰かを壊す。


——声を上げなかった自分も、また“共犯”だったのだ。


だからこそ、今。藤原は変化の側に立っている。


逃げずに、傍観せずに、「誰かを守る制度」の歯車を、自分の手で回しているのだ。


「……この新人、きっと大丈夫だと思います」


藤原は、ディスプレイに目を戻した。


そこに映っているのは、吉澤の成長記録と、チームメンバーの温かいコメントが詰まったログ。


かつて自分がたった一人で抱えていた“重さ”は、いまや分担され、記録され、共有され、支え合われている。


もう、“ひとりぼっちの教育係”は存在しない。


そして、誰かが潰れる前に、システムが、職場が、そして仲間たちが、先に手を差し伸べる。


そんな組織へと、確かに変わり始めていた。

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