完
後日。
件の女は、皇帝への反逆罪として捕まることとなった。その監視のために就けていたのが、文武官――陽炎が統括している者達であるため、逮捕に関する対応に追われることになったのだ。
この国の犯罪者の管理は司法局の仕事である。
しかし、この皇帝の住まう城においては、司法局の介入は難しい。基本的に、局長や副局長などの上官職の者のみが、この城において捕縛することができるというのが規則だ。
件の女を逮捕するための対応を、陽炎はこの数日の間していた。
そして、今日が念願の日でもある。
「お待たせしました、ヘルさん」
応接室に待たせていた司法局長のヘリオトロープに挨拶をする。
彼は王子様然とした整った顔をこちらに向けた。
その際になびいた、秋の稲穂のような色の髪は美しい。こちらを見た、夏の空のような青い瞳は、皇帝桜のお気に入りだ。
しかし、造形美とでもいえそうな、その顔に似合わない冷ややかさを持っていた。
――美人を怒らせると怖いと言いますが、
それが男であっても適応されることを、陽炎は初めて知った。できるかぎり体験したくない冷ややかさを感じながら、深く息を吐く。
「私に怒っても致し方がないですよ」
件の女の件では、この城の誰も動けなかった。
皇帝の侍女侍従には、他の者が全く介入できないからだ。そのため、もし新人が気に入らなければ、皇帝達の侍女侍従になる前に、皇帝へ進言するのが普通。皇帝のためにならない人材は、この城へ召し上げないように手を回す。特に国を運営するための城ではなく、彼等の生活空間である宮殿に属する者は厳しく目を光らせていた。
今回は珍しく、その進言よりも、皇帝凜夜の役に立つかもしれないという、皇帝桜の思いが優先された結果である。
誰も彼女の行動に怒ってはいないが、件の女の行動には怒っていた。
行政局員だけでなく、民からとても愛されている皇帝達。その彼等の邪魔をするだけでなく、その一人を廃せようとしたことは許せない。
彼等皇帝が、こうして皇帝職に甘んじてくれているのは、民が望んでいるからだ。彼等六人が皇帝であることを、民は不満に思っている。なんて根も葉もない勘違いをされたら、どうしてくれるのだろう。
――退位させるなんて、許せない
この国を創るところから、彼等六人と共に歩んできた陽炎は、彼等を廃する者が許せなかった。
否、陽炎だけではない。行政局に勤める者達は、古参も新人も関係なく許せないだろう。
――そして、この男も
同じだろうと陽炎は思う。
ヘリオトロープを始め、司法局の部下を持つ者達の多くは建国当初からのメンバーだ。
特に彼等は、この国の決まり事を司っている。そのため、その経緯を知る方が良いと試験も歴史や規則の流れについての問題がかなり難しい。
「カゲに怒ってるわけじゃないんだ。俺が、俺達が、もっと何とかできていたらって」
彼はそう言った。
しかし、現状どうしようもないこともまた、よく分かっている。
侍女侍従の自由が皇帝達に認められているのは、彼等を皇帝職に置くための対応だ。この国を完成させる時、彼等は皇帝になるのを一度ならず断わっている。
それを彼等にやって欲しいがために、頼みこんで現状に落ち着いているという経緯があった。
彼等が出した、唯一の条件が『皇帝に任期をつけること』である。
しかし、それでは彼等の自由が制限されるのではないか。そのような意見が多く出たのだ。自分達に自由を与えてくれたのに、その本人達が自由を制限されてはいけない。そう言って、お気に入りを傍においてもらうために侍女侍従という立場が生まれた。
その経緯があるため、基本的に侍女侍従を採用した皇帝本人だけが、解雇を言い渡せる状況である。
例え同じ立場の皇帝であろうと、自身に仕えている者でなければ城から追い出すことはできない。
だから、今回の騒ぎは大きくなったのだ。
「私も、もう少し強く進言すればよかったですね。凜さんとアレが違うことを、桜様に説明できない私達も良くないのです」
皇帝桜は理解できないから。
そう言って進言を怠ったのは陽炎達だ。
彼女からすると家臣の裏切りにも等しい行為ではなかろうか。彼女は理解でいないことも必死に理解してくれようとするのに、どうせ理解できないからと最初から言葉をかけることをしなかった。
それは、陽炎達の職務怠慢と言ってもよい行いだ。
今回の事件は誰の責任でもない。
ただただ、上手く噛み合わなかっただけ。
そう思わなければ、誰も救われない。
「さてと。そんなことは話していても無駄だね。すまない。とりあえず、逮捕の前に桜様方皇帝にご挨拶をしようかな」
そう望むので、陽炎は城内伝達用の鳩を飛ばす。返事が来る前に六帝が揃う謁見室へ足を向ける。扉の前に立てば、ちょうど鳩が返事を持ってきた。予想通りこの謁見室で六人揃って迎えるということである。
陽炎は確認後すぐに返事を破棄し、目の前の扉をノックした。扉の前にいる武官が扉を開けてくれるので、ヘリオトロープと共に入室する。
それからヘリオトロープを伴って、玉座のある台の前に立つ。皇帝達六人が彼を認識したのを確認してから、陽炎は壁に寄る。
「帝国の祝福、六帝陛下へ司法局長ヘリオトロープがご挨拶申し上げます」
片膝をつき腰を折る礼は、西洋の王子様然とした容貌にとても似合っている。
「あぁ、今回は手間をかけてすまない。僕の浅はかな行動で、ヘリオトロープ達にまで迷惑をかけてしまったね。反省はしている」
申し訳なかった。
そう言って皇帝桜は玉座に座っしたままではあるが、深々と礼をした。
彼女の行動に慌てたのが、ヘリオトロープである。
他の皇帝達も感謝と労いの言葉を彼にかけると、皇帝桜に言葉をかけ、頭を上げさせた。
皇帝桜にとって今回のことが良い経験となれば、陽炎達は特に何も思わない。件の女のせいで、彼女が玉座を下りるとさえ、言われなければ。
陽炎達が許せないのは、この国のことを教えんとした皇帝桜ではなかった。
彼女に慈悲をかけられながら、それを自覚しない件の女の方だ。この国で唯一、慈悲を与えんとした人物を害そうとしていた。
とんでもなく無知で無能な女である。
「ヘルくんに手間をかけさせちゃったのは申し訳ないけれど、ちょうど良かったんじゃないかな?」
肩の下ほどまである柔らかくウェーヴした金色の髪を揺らし、小首を傾げたのは皇帝オーレリウスだ。
彼は紫水晶のような美しい紫色の瞳を穏やかに細め、皇帝桜を見る。
それから少しの間を置き、ヘリオトロープへ視線を移して眉を下げた。
「桜ちゃんは凜ちゃんが恋慕という感情で亡くなったことをとても憂いている。だから、恋慕による行動で、あの子が厭われるのが我慢できなかったんだ。でもね、今回、こんなことがあったからさ。この城の中の良くないところが分かったんじゃないかな?」
そう言って視線を向けられたのは、陽炎達、玉座に控えている行政局員だ。
「まぁ、もちろん、俺等も良くないことはあったがな」
皇帝オーレリウスの言葉を引き継いだのは皇帝凜夜。
仕草が美しい彼にしては珍しい。行儀悪く頬杖をついて淡々と言葉を音にした。
しかし、その視線は真っ直ぐヘリオトロープへ向けられている。
彼なりの謝罪のようだ。
「以後気を付けるから、罰するのは、あの女だけにして欲しい」
皇帝凜夜は泣きそうに眉を下げた。
――あぁ、この人達は、
自分達が罰せられると考えたのか。
この国の民によって、彼等のほんの少しの自由が起こした騒ぎで罰せられると。
普通ならば、常の制限された行動を盾に罰するのかと足掻くだろう。しかし、彼等は真っ直ぐに罰するのは止してほしいと司法局長に言った。
もとより、ヘリオトロープも彼ら皇帝を罰するつもりなどなかったのだ。ただ、敬愛する皇帝に危害を与えんとした異物を排除しようとしただけ。
「お言葉ですが、六帝陛下」
玉座の六対の瞳を真っ直ぐ見ながら、ヘリオトロープが口を開く。
「わたくし共、この国の民は、この度のことで陛下方へ何をしようとも思っておりません。ただ、陛下方――桜様を害さんとした異物を逮捕したいだけであります」
彼の言葉に皇帝達は、とても愛おしい者を見るような視線を彼へ向ける。それを見て、玉座の周りにいる武官達は、羨ましいと思っているのだろう。
彼等の気持ちが確信を持って言えるのは一重に、陽炎自身、そう思っているからだ。
彼ら皇帝が、こうして民を愛しんでいる様子を生で見られる。
「手間をかけたな。件の女の引き渡しを頼むぞ、陽炎」
「はい。凜さん」
視線を向けられ、深々と立礼をしてヘリオトロープと共に玉座の間を辞す。
扉が閉まるのを確認すると、彼はホッと息を吐く。
「緊張するな、やっぱ」
眉を下げて笑う彼に、陽炎も頷く。皇帝が気安い性格なのは知っている。だが、それでも自分達が敬愛している人物に会うのだ。緊張するに決まっていた。
「さて、仕事をしようか」
心底楽しそうにヘリオトロープは笑う。
多くの人間を巻き込んだわりには、簡素な終焉を迎えたのだった。