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その8


 陽炎は、皇帝桜から預かった言付けを伝えに、皇帝凜夜の執務室を訪れた。

 とりあえずノックを、と思ったが先に向こう側から扉が開く。それにデジャブを感じながら視線を上げると、立っていたのは皇帝凜夜ではなかった。

「お、オル様……大丈夫ですか?」

 皇帝オーレリウスが顔を腫らして立っていた。殴られたのか、叩かれたのか。

 どうやら、皇帝凜夜はとてつもなく不機嫌のようだ。

「だ、大丈夫……いつもの事だから。うん。っていうか、桜ちゃんからの用事? 今ね、桜ちゃんについてはデリケートだから気を付けてね」

 皇帝オーレリウスは苦笑しながら言う。

 恐らく彼は、皇帝桜が件の女を囲った件について一番割を食っている皇帝だ。皇帝凜夜と波長の合わない彼は、よく皇帝凜夜に八つ当たりされている。これは本当に昔からで、国ができる前、陽炎達最古参が彼等と顔を合わせた頃から変わらない。何をもって彼等が不仲となったのか、皇帝達は曖昧に笑って決して教えてはくれなかった。

 だから、彼等の不仲――と言っても皇帝凜夜が一方的に皇帝オーレリウスを嫌悪しているこの状況は、周知だけされている。

 やられたら、やり返せばよいというかもしれない。しかし、皇帝凜夜と皇帝オーレリウスでは力が違う。力でねじ伏せられる皇帝凜夜と違い、皇帝オーレリウスは暴力を厭う平和主義。言葉での解決を好む。

 波長が合わない上に、物事の解決方法さえも違うので、毎回、皇帝オーレリウスが一方的にやられるのだ。

「でも、事態が動いてるみたいだね。俺の侍女の子達がソワソワしてたよ。昨日、桜ちゃんが珍しく不機嫌だったらしいから、それが関係しているのかもね」

 頑張ってねーと、陽炎の返事も聞くことなく、去って行く皇帝オーレリウスを見送る。

 顔面ボロボロだったわりに楽しそうだった。

 ――ということは、件の女と凜さんの顔合わせは必然……

 そんな事を思いながら、ノックをして「失礼します」と入室する。

 皇帝凜夜の執務室は執務室というには、物が少ない。

 提出された報告書と書類、著名用の万年筆や筆が置かれているだけの机。その机から一番目に付く場所には、皇帝桜の肖像画が飾られている。この肖像画も、もとはもっと大きな物にしようとしたらしい。だが、皇帝桜がこの執務室に足を運んでくれなくなったので小さくしたのだと聞いた。

 部屋の持ち主を見れば、先ほど持っていた書類を手直ししているようだ。作業をしている彼は、殺気を放っている。仕事でなければ話しかけたくない。

「桜様からのご伝言か? 遅刻していることへの催促か? 催促だなんて、桜様は可愛らしいことを――」

「あ、いえ。違います」

「チッ。だったらなんだ? 要件を早く言え」

 盛大に舌打ちをしてこちらを一瞬睨んだ皇帝凜夜は、すぐに書類へ視線を戻した。その手のスピードが上がったところを見る。

 しかし、陽炎は首を傾ぐ。

 まだ、件の女が皇帝凜夜のところへ来ていないようだ。陽炎がここに来るまで時間は空いているし、あの場所からも遠くない。普通であったら、陽炎が先にこの場所に来られるはずもないのだが。

「桜様からのご伝言です。今日は予定が入ってしまったので、執務が終わってからお時間を調整し、お会いしたいとのことでした」

 本来ならば、今頃、皇帝桜と皇帝凜夜は次の議会の打ち合わせのはずであった。しかし、皇帝桜は早急にやらなければならないことがある。

 件の女を手放すための手続きだ。

 先ほど、執務室に戻った彼女は清夜の勧めもあり、今日中にその手続きを完了させるつもりである。陽炎としてもさっさと危険人物を手放してほしい。今彼女が最も優先すべき事柄だ、と判断していた。

「あ?」

 殺気が三割増しになった。

 それを確認して、わざと半歩下がる。皇帝桜から、皇帝凜夜がもしも他を害さんほど機嫌が悪ければ、怯えていることを示せと言われた。

 その言葉の効果のほどは、皇帝凜夜が息を呑んだ気配で理解することができる。

「……悪い、気が立ってた」

 片手で顔を覆い、項垂れる皇帝凜夜に「お気になさらないでください」と答えた。

 正直、彼がここまで切羽詰まっているのを始めて見る。確かに、彼は気が短い方だ。しかし、皇帝オーレリウス以外の無害な人間に対して、何をするということはない。

 破壊衝動はないとは言わないが、皇帝桜が害されること以外、突発的なものは見受けられなかった。

 それに陽炎は先ほど見た殺気を恐ろしいと思っていない。あの殺気は、皇帝桜の傍に居られない焦燥感からくるもので、陽炎達に害はないのだ。

「問題ありません。それに、凜さん。桜様のご用事は件の女を手放す手続きを行うためですよ」

「は? 俺よりあの女を優先するの?」

 そこに突っ込むのか、と思わなくはない。だが、変な勘違いをして皇帝桜の手を煩わせることは本意ではなかった。

「凜さんのためですよ。桜様はあの女の行動を目に余る、と大変お怒りでした。早々に手放した方が良い、と桜様に助言したのは貴方の弟です」

「……清夜か。まぁ、あの女が桜様に見捨てられるなら……まぁ、うん」

 納得していないのは見て取れる。自分に会うよりも別のことを優先されて不満らしい。基本的に皇帝桜が優先するのは彼のこと。それを自覚していながら、それだけでは満足できないらしい。普段であれば、彼なりに納得しようとするし、業務を優先するのは当然だと考えてくれる。だが、今は皇帝桜を取りあげられている状況だ。他のことを優先されることを理解しつつも、納得できていないらしい。

 ――情緒が忙しいですね

 皇帝凜夜の情緒が忙しくないことの方が珍しいのだが。

「凜夜様!」

 急にバンッと音を立てて扉が開く。

 驚きはしたが、慌てないのは、声の主が件の女であることに起因する。この場所において、皇帝凜夜をそのままの名前で呼ぶのは基本的に皇帝桜や生前から彼を知る者しかいない。それも皇帝凜夜と親しい彼等は、決して彼を様付けで呼ばなかった。

 例外は、現在扉を開けた件の女だけ。

「ノックをしろ、ここは皇帝の執務室なんだぞ」

 陽炎は心底不快そうに言葉を吐く皇帝凜夜から、件の女に視線を寄せ、脇に除ける。彼しか見ていない件の女に、正面からぶつかられるのは気分が悪い。

 件の女が皇帝凜夜に駆け寄るのを横目に、監視役として共に入室してきたアルバートとロバートの双子に寄る。彼等二人はいつも通り名乗ってから入室し、扉を閉めた。

「凜夜様! これを、これを聞いてください!」

 そう言って取り出したのは、録音機。

 遠目にそれを操作している様子を眺める。陽炎の傍に控えているアルバートが「さっきの桜様との会話だぜ」と耳打ちしてくれた。それを理解すれば、すぐにコレも解決するだろうと関心事を変える。

「随分と遅かったですね。私、こう見えても桜様と話してから来たのですが」

 正直、この場に居合わせるつもりはなかったのだ。

 皇帝桜と話して伝言を預かった後も、この現場に居合せないように計算して来たつもりであった。

 それがまさか、まだ来ていないとは誰が思おうか。

「道に迷っていたのを知らないふりしてただけだよ」

 アハッと笑うロバートに、陽炎は聞かなかったことにした。語尾に星が飛んでいるような、楽しそうな声だ。

「聞かなかったことになんてさせないよ? でも、凜様の不機嫌は最初から分かっていたからね。今、あの方に会うことになれば、アルが怖がるじゃない。凜様に会いに行くの諦めないかなーって思って、みてたんだけど――しぶとい女」

 ハッと見下したようなロバートの様子に、陽炎は大きく溜息を吐いた。彼のアルバート中心の思考回路は慣れてきたつもりである。

 だが、そうでもなかったようだ。

 先ほどの会話の機械の音を聞きながら、アルバートを見れば表情を引き攣らせている。

 「どうです? あの女は、貴方様を利用して――」

 後ろ姿からでも、件の女が期待していることが見て取れた。

 しかし、陽炎は知っている。

 その内容が皇帝凜夜を喜ばす言葉でしかないことを。

「――あぁ、父上。私は念願叶い、桜様のお力になれているようです」

 皇帝凜夜は胸元に片手を置いて、演説をするような動作を取る。その表情は大変幸せそうで、仄かに頬を紅色に染めていた。恍惚とした、という表現が似合いそうな蕩けた表情。愛おしいと全身が叫んでいる。

 ――あぁ、コレが皇帝凜夜という男なのでしょう

 どこかしっくりくると陽炎は思った。

 録音機を仰々しい仕草でその手に納めると、酷く愛おしそうに口付ける。

 それこそ、こちらが恥ずかしくなるような。

「りんや、さま……?」

 戸惑ったような声が響く。

 その声で、件の女がいることに気が付いたらしい。

 皇帝凜夜は、先ほどの表情が嘘のように、スッと表情を消した。

「なんだ、まだ居たのか。もう下がって良いぞ。貴様に用はない。――あぁ、だが、この絡繰りは置いて行くと良い。これは、桜様が私を利用してくださっているという確かな証拠だからな。誰にも渡さん」

 大切なものを見るような視線を録音機に流す。

「し、しかし……!」

 件の女は懲りてないのか、皇帝桜に勝てる自信があるのか。陽炎は知らないが、それでも、女は諦める様子を見せない。

「っるせーな。私は貴様を要らないと言っているだろう。桜様が――」

 そこまで言うと、彼はなぜか言葉を止めた。

 少し考えるように間を置くと、陽炎の方へ視線を寄越す。それから、ニヤッと笑うと口を開く。

「あぁ、桜様にも見捨てられたんだっけか?」

 先ほどとは打って変わり、上機嫌に言葉が転がる。

「はい。桜様は侍女侍従、行政局員や凜さん達へ迷惑をかけたことを大変反省していらっしゃいました。執務後のお話も、それについてのお話です」

 陽炎がそう伝えれば、後ろからも小さく「ッシャ!」という声が聞こえた。皇帝凜夜は彼等よりも喜びが顕著に表れている。この上ない幸せとでも言いたげな、興奮冷めやらぬと言った様子で立ち上がった。

 その際、椅子が音を立てて倒れたが、現在それを注意する者はいない。

「即刻! その者をこの執務室から追い出せ! 業務の邪魔だ。皇帝の公務の邪魔をしたのだから、拘束しても問題ないだろう――アルバートとロバート。貴様等には悪いが、アレが謹慎部屋へ行くまでは監視してくれ」

 明日には追い出す。

 楽しみで仕方がないと言いたげな彼の様子に、アルバートとロバートは顔を見合わせている。それから、小さく笑うと「分かりました」と笑った。

 件の女は、皇帝凜夜の近衛兵達に取り押さえられ、部屋を連れ出されていった。

 その際、何事か皇帝凜夜に訴えていたが、彼の関心はすでに彼女にない。というのも、彼はすでに録音機に夢中で、どこにしまっておこうか考えている。

「貴様が褒められる点は、桜様のお声を、俺の元へ持ってきたこと。その一点に限るな」

 上機嫌なその言葉は、すでに陽炎しかいない執務室に響いた。


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