その6
その日、陽炎は廊下の先に文武官の部下が二人、立っているのを目に留めた。彼等は同じ背丈に、同じ色の髪、その長さも同じ、髪形さえも揃えている。遠目から全く見分けがつかない双子だ。この城に仕える双子の中でも、害と無害がそれぞれ服を着て歩いているような双子だ。
しかし、よく見ると無害の方がソワソワとした様子で壁の先を注視している。周りへの警戒を怠っているのは文武官として恥ずべき行為だ。いくら有害の方が周囲に気を配っているとはいえ、それでは皇帝達が大切にしているこの国を護れない。
陽炎が用事のある場所は彼等の先の廊下を曲がらねばならないので、声をかけることにした。
「何をしているのですか、アルさん、ロブさん」
そう言葉をかければ、似たような顔がこちらを振り返る。驚くほど仕草は同じだが、有害の方――ロバートがアルバートに行動を寄せていることを、陽炎は知っていた。
「お! カゲ。見てみろよ、凜様ガチギレだから」
「アルは説明下手すぎ……件のアレが、凜様に直談判してるんだ。今日の件のアレの監視当番は僕達だったんだけど、凜様が下がって良いと言ったから、こうして傍で見てるんだよ」
やばいやばいと慌てているアルバート(兄:無害)と、その隣で楽しそうに笑っているロバート(弟:有害)。
陽炎はロバートの説明を聞いてから、そっと壁の奥を覗き見る。
そこには件の女と皇帝凜夜が立っていた。
こちらに背を向けている皇帝凜夜の雰囲気は、いつも以上に冷ややかなことが伝わってくる。その彼の表情は、恐らく皇帝桜には見せられないものだろう。話している声は、はっきり聞こえる。だが、彼が早く話を終えたいと思っていることが伝わってきた。
正直なところ、よく件の女の話をあの皇帝凜夜が聞いてくれているな、とも思う。皇帝凜夜は皇帝桜に関わらない話を長時間聞けるような人格ではない。どちらかと言えば、皇帝桜の話以外を重要視しない、皇帝の中でも問題児扱いされている人だ。
何かあるのか、と聞き耳を立ててしまうのは当然だろう。
『それで、俺がお前を侍女として傍に置くことに、メリットはあるのか? 報告によると、お前はさして仕事もできないという話だが?』
コツコツと足を打つ皇帝凜夜の様子から、苛立っていることが伝わってくる。手に持っている資料は、陽炎が確認できる限りでは次の議会の資料だ。
――あぁ、タイミング最悪ですね……
次の議会の議題に関する内容を皇帝桜と詰めようとしていたのだろう。彼はこれから、懸想していると宣言している彼女に会いに行くところだったのだ。
執務内容だとはいえ、皇帝桜と会えるのならば何でも構わない皇帝凜夜。その逢瀬――彼は皇帝桜と会う用事を「逢瀬」と表現するのが好きだ――の邪魔をされている。
苛立っていて当然だった。
「なぁ、あの状況、マジでヤバいんじゃねーの!? 俺等、生きて帰れるかな?」
今日のディナー楽しみにしてたんだけど!!
そう言ってオロオロしているアルバートに陽炎は少し考える。
「僕は不味いと思うよ。ディナーなんて言っていられないくらいの報告書を書かされそうだよね……」
アルは間違いなく終わらない。
笑顔で宣言するロバートにアルバートが半泣きしながら、陽炎を揺さぶってきた。
陽炎がそれをスルー出来るのは、どうせアルバートが終わらずとも、自分の分を終えたロバートが手伝ってくれるだろうと思うからだ。
いつもの彼等のパターンである。
この二人は、生前一緒に過ごしていないせいで、その性質や考え方は全く違う。だが、お互いをとても思い合っている。どう考えても、一人で夕食へ行こうなどとは考えないだろう。ロバートが一緒にいるのならば、皇帝凜夜からの訂正も最小限のはずだ。
これでいて、彼等はとてもバランスが良いのだから、心配する必要はない。
『わ、私は――』
耳障りな声に陽炎は彼等の方へ意識を向ける。
皇帝桜と話す時とは違い、女性らしさを前面に出しているようだ。鳥肌が立った気がするが、陽炎は気にしないことにしている。傍に立つアルバートは、件の女が話し始めた時点で両腕をさすっていた。
『お仕事なんて、今までしたことがなくって、失敗ばかりで……』
ポツリポツリと言葉がこぼれる。
――どの口が……!!
叫びそうになってロバートに腕をとられた。
「キミって、見た目は冷静沈着で大人しそうなのに、結構、短気だよね」
フフフッといつもならば腹立たしい笑いも、今なら気にならない。ロバートの普段通りの様子で繋がれる淡々とした言葉のおかげで、頭が冷えた。
「ありがとうございます、ロブさん。おかげさまで、頭が冷えました」
フーッと深く息を吐きだして、再び彼等を見る。
見たところ、皇帝凜夜は全く動いていない。
――そう、全く
皇帝凜夜は件の女の発言を予測していただろう。そのため、驚いて固まっているということはない。
それなのに、彼は微動だにしなかった。
『は、初めてのことばかりで、難しくって』
いちいち言葉を切るのが忌々しい。
隣で一緒に覗いているアルバートが「俺も初めて働いてるっつーの」と笑っている。
確かに彼も、生前は地下牢に閉じ込められていたと聞いているから、仕事、というよりも他者と関わる何かをすること自体初めてだろう。聞くところによると、行政局員の食堂で食事をした時も、いたく感動していたのだそうだ。
アルバートのように仕事が初めてだとか、洗濯などを当番制で回すことが、初めての者達だっていた。店を始めるのも、人に褒められるのも、お金を貰うのも、自分で物を買うことが初めての者もいたのだ。
その中で件の女の発言がどれほど異質なのか。
陽炎は分かっているつもりだ。
『だからなんだ?』
冷ややかな、感情を感じられない声が静かな廊下に響いた。
件の女が息を呑む。
しかし、皇帝凜夜は言葉を止める様子はない。
『なにより俺が言いたいのは、お前は俺の役に立たないだろう、ということだ。役に立たない者を傍に置くつもりはない』
普段ならば、言葉に含めて音にはしないそれを、声に乗せた。
不快感が隠しきれていない言葉の棘は、件の女は関知していない。
それは皇帝凜夜も感じているのだろう。
はっきりと舌打ちする音が聞こえた。
関係ないが、皇帝凜夜の舌打ちにアルバートが肩を揺らす。皇帝桜に気に入られている彼等二人は、皇帝凜夜から鋭い視線を受けることも多い。そのせいでアルバートは、皇帝凜夜の不機嫌が苦手なのだ。ロバートは傍にアルバートが居れば問題ない人格なので、皇帝凜夜が不機嫌だろうが何だろうが気にしない。
アルバートは直接向けられているわけではないが皇帝凜夜の不機嫌が恐ろしいようで、件の女の監視をする傍ら、ロバートの服を握っている。
『だ、だって、初めてのことで、私――!』
『俺だって家具を作ったのは初めてだったな。畑などを作ることも初めてだった。その時の桜様がとても可愛らしく――』
冷ややかな声色が一転。
花を散らしているような、言葉に蜜をかけたような穏やかな声色に変わった。
皇帝桜の話になると途端にどのような状況でも、彼は上機嫌になる。
今もそうだ。
件の女の前だというのにご機嫌で、その時の皇帝桜がいかに健気で可愛らしかったかを話している。
皇帝桜が関係する皇帝凜夜の話は長い、とても。
彼は、相手の反応が悪くても全く気にしない。くわえて、皇帝桜に関する話だけは、遮られるのをとても嫌がる。彼女に肯定的な言葉であれば、上機嫌に流してくれることが多いが、否定すれば途端に相手を排除の対象にするほど機嫌が悪くなるのだ。
『力仕事に関しては俺達がやると言ったのに、桜様は大変不満そうでな。そんなところも、健気で可愛らしいというか――』
『あんな女よりも私の方が――』
一瞬。
『キャ!?』
皇帝凜夜の愛刀が件の女へ向けられている。
刀の先を向けられ、件の女が悲鳴を上げても、下げる様子はない。
むしろ、肩が揺れているところを見て、彼は笑っている。次第に声も抑えられなくなったようで、「ハハハッ」と高らかに笑い始めた。
『貴様が私の主人を侮辱するのか? 貴様のせいで桜様が私を必要としなくなったらどうする? どう責任を取るつもりだ? 私の全ては桜様で、桜様が居なければ、私のいる意味など皆無だ。もし私の邪魔をするのなら、誰であろうと排除する』
皇帝凜夜は言葉を吐き捨てた。これはかなり怒っている。直接的な言葉を好む皇帝凜夜にしては、酷く回りくどい言葉を使い、直接的に排除しようと動く。
この位置から見える刀の先は、先ほどから一切ぶれていない。
皇帝凜夜が本気で、あの女を排除しようとしていることが窺える。
この世界は死者の世界であるがゆえに、これ以上死ぬことはない。だが死ぬほどの怪我を負わせることはできるし、この世界から追い出すことだってできる。
皇帝凜夜が本気で動けば、あの女をこの世界線から追放することも可能だ。
ただ、そのための最大の難関は、
『――ま、桜様の侍女であることに感謝しろ。それと、次、私の前に現れてみろ。貴様を私の侍女にしてから使い捨ててやる』
刀を鞘に納めながら、皇帝凜夜は言葉を吐き捨てた。
『あーあ、こんな雑に扱った資料、桜様には見せられねぇよな……一度、執務室に戻るか……』
そう言って皇帝凜夜は、陽炎達のいる廊下へ向かってくる。ドサリという音を聞いて、件の女へ視線を流せば項垂れていた。
今回のは、さすがに堪えたらしい。
ただ、その様子を見ても、可哀想だとは思わなかった。性格が悪いかもしれないが、陽炎はとても気分がよい。大切な同僚が手を焼いて困っていたのだ。気分が良いに決まっている。
皇帝凜夜の方は、上機嫌に角を曲がり、陽炎達の前で立ち止まった。
「陽炎。桜様に少し遅くなることをお伝えしろ。それから、今やったことは桜様には内緒な? あんなののせいで桜様に嫌われたくねーし」
じゃ、頼まー。
皇帝凜夜はそれだけ言って、彼の執務室の方へ行ってしまった。
その時、後ろからカチッという、わずかな音が耳に入る。音を立てた張本人――ロバートはニコリと、上機嫌に笑う。首を傾げつつ音の発信源を見れば、彼の手元には、手の中に納まるサイズの絡繰りが握られていた。
――あれは、
陽炎も見覚えがある。
ここ最近、話題の録音機――現代の言葉でいうところのボイスレコーダーだ。
孤児院近くの便利屋で売られている、珍しい絡繰りで、かなり人気の高い絡繰りだと聞いた。
その絡繰りを持つロバートは、とても満足気だ。
「珍しい絡繰りをお持ちですね」
状況も忘れて、思わず言葉が口を出た。
安価ではあるが、このロバートという男が好んで便利屋に行くとも思えない。
新しい物が好きなアルバートならば、便利屋へ行くことはあるだろう。しかし、彼が絡繰りを求めるのかと言えば、そうでもないような気がする。
「桜様にね、凜様のお言葉を控えてほしいとお願いされてね。――ほら、ここ数日、桜様の安全を考えて凜様との接触をお控えいただいていたでしょう? だから桜様、寂しくなっちゃったらしくてさ」
不安なんだろうね。
皇帝桜と皇帝凜夜は基本的に離れない。それはこの城の中であろうと、なかろうと。そんなことは関係なく、彼女達は共に過ごす。通常、彼等が別々に過ごすのは寝室のある宮殿のみ。業務も公務も必要があれば別々で行われるが、それは会議など皇帝達が結託していない、と民に示そうとするときだけだ。
――これも、私達は必要としていないのですが
皇帝達は民を愛している。民が不利益を被らないように、彼等がそれを示そうとしてくれるのだ。
陽炎達は別に彼等が民を蔑ろにしようが気にしない。彼等が自分達を愛してくれていることを知っているから。愛を免罪符にしてくれても構わないとすら思っていた。
ただ会議期間中でない今は、それを必要としていない。皇帝達は一緒に過ごしてくれていいし、いつも通り業務をして良かった。皇帝達の身に危険が及ばなければ、彼等の行動に制限など必要なかったのだ。
件の女が皇帝桜に対して害意があるから、執着対象である皇帝凜夜との接触を制限させてもらっている。
これは他の皇帝達からも皇帝桜を説得していただき、了承を得た。いくら皇帝桜が強く、件の女の行動を避けることができても、害意を向けられることを周りは静観できるはずもない。だから、少しでも穏やかな城内を保つために、皇帝桜と皇帝凜夜には我慢を強いている状況だ。
彼等二人の関係は、周りから皇帝凜夜のワガママだけで成り立っていると思われている。
だが実際は、皇帝桜も彼といる時間をとても大切にしているし、彼が傍に居ないのは不安になるようだ。
ここ数日の別行動は、言葉にはしていないが、皇帝桜も不満だったらしい。
「あ、オイ、桜様がいらっしゃった! 傍に控えているのは清夜さんだわ……」
大丈夫なのか、あの組み合わせ……。
泣き言を零しているアルバートの脇から件の女を見る。確かに向こう側から、皇帝桜が侍従の清夜を伴ってこちらに向かってきていた。
その視線の先は恐らく、件の女。
『無様だねぇ、キミも』
全く表情には出ていないが、酷く楽しそうだ。
彼女の傍にいる清夜は、皇帝凜夜にそっくりなその顔を、とても楽しそうに緩めていた。肩を揺らしているところを見ると、「くふふ」と愛らしい笑い方をしているのだろう。見た目だけなら完璧な、可愛らしい笑顔。
しかし、その瞳の奥は、冷ややかに件の女を見下している。
『何よ、アンタ、何様よ……!』
叫ぶように言う女に、皇帝桜はこてんと首を傾ぐ。何か言っているのなら、「はて?」と口にすることだろう。
彼女は心底不思議そうに女を見下している。
『この国の皇帝だよ。――まぁ、そんなことは、どうでもいいんだけれど――もう懲りた?』
否、どうでもよくない。心の中で陽炎は訴える。恐らく傍に居る二人も同じように考えているだろう。ただ今、それを皇帝桜に指摘する人物が、彼女の傍に居ないだけで。
静寂が支配した。
遠くで他の行政局員が業務を行っている音がする。
否、その音さえも、耳の遠くでしているだけで、正しく聞き取れやしない。
陽炎は、心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
聞いた話ではあるが、皇帝桜は生前より様々なことに巻き込まれてきたのだという。皇帝凜夜達には、特に気にしていないと話しているようだ。
しかし、気分の良いものではなかったのだろう。くわえて、今回は皇帝桜への憎悪だけでなく、皇帝凜夜への迷惑行為も行われている。
皇帝桜は彼女自身への危害に関しては寛大な対応を見せるが、皇帝凜夜や周囲への危害を一切許しはしない。彼女の大切な者達からの訴えに、皇帝凜夜の不機嫌、女性領域の者達の仕事の増加が、許せなかったのだろう。
――後悔されてしまっているのでしょうか
失敗は死に直結する、と彼女が思っていることは知っている。どれほど苦しい思いをされているのだろうか。
皇帝桜は今、とても怒っていた。
『ど、どういうことよ? アンタ、私に何かしたっていうの?』
項垂れていた姿から立ち上がり、皇帝桜へ向く。
件の女が一歩を踏み出す前に、清夜が皇帝桜の一歩前へ出る。その動きは、とても素早い。そんな彼の動きに件の女が怯んだすきに、皇帝桜を一歩下がらせた。
彼の指示に従いながら、皇帝桜の視線は件の女に固定されている。
ジッと、女を見ながら、彼女は口を開く。
『分からないかな? キミみたいなタイプは、惚れた腫れたという相手から、殺意やそれに近い拒絶を向けられないと効果が得られないからね』
皇帝桜曰く、件の女のようなタイプの者は、意中の異性から本気の拒絶――殺意さえ含む拒否を受けなければ、「照れている」と勘違いして妄想に拍車がかかるのだという。
『だから、キミを凜夜に近付かせないためには、コレが一番有効だと思ったんだ。凜夜は優秀な男だ。それに、僕から凜夜達を取ろうなんて許せなくてね』
答え合わせをする皇帝桜は楽しそうだ。
傍に控える清夜は、特に反応を見せないので、恐らく、全てを知っていたのだろう。今回のことを全て知っているのは、皇帝桜と清夜、もしかしたら侍女の小百合もそうかもしれないが、本当に極一部だけだったようだ。
『アンタ、私を騙したのね……!』
信じられないと言外に伝える女に、陽炎は眉を寄せた。陽炎の傍ではロバートが「騙される方が悪いのにね」と伝えてくる震えた声。笑っているのがバレバレだが、今日は気分が良いらしいので、放っておく。
とりあえず、何かあった時のために、己が武器に手をのせる。
『まぁ、取りようによっては、ね? キミのおかげで凜夜が傍にいないから不便だったし。何より……キミ、思ったよりも役に立たないし』
皇帝桜は淡々と件の女の問いかけに答える。
『本当、恋慕なんてくだらない感情だ。――凜夜が特別優秀なだけなのかもしれない』
つまらなそうな声色は、おもちゃが壊れた時の子どものそれ。
余程期待外れで、面白くなかったのだろう。表情には出ないものの、声色には現れている。
『フンッ! 今のことも凜夜様に報告してやるんだから! 嫌われてしまえ……!』
そう叫ぶ女の手元には録音機。
皇帝桜が何を言うでもなく、件の女は走り去った。
アルバートとロバートの二人を見れば彼等は頷いてから、件の女を追っていく。
陽炎は、フーッと息を吐いてから、皇帝桜の元へ足を進めた。