その5
「桜様、一つお聞きしてよろしいですか?」
本好きな皇帝桜のために城に用意された図書館。
陽炎は皇帝凜夜と皇帝桜に控えて、共に扉を潜っていた。
今日も様々な種類の本を机に並べながら淡々と作業をしていたが、腰を落ち着けると皇帝凜夜が問う。陽炎は、彼の言葉を耳にしながら、彼女達のために紅茶を淹れる。
「構わない。何だ?」
机に置いた一番上の本を手に取り、開きながら彼女は皇帝凜夜に発言の許可を与えた。
陽炎には彼の質問したいことを予測できる。しかし、皇帝桜はそれを感知していないらしく、いつも通り本のページを捲った。
もちろん、彼女が負の感情以外を感知することが苦手なのを分かっている。むしろ、生前から一番傍にいる皇帝凜夜が一番知っていることだ。彼女の対応も予想通りだろう。彼女の様子をさして気にする素振りもなく、「ありがとうございます」と一礼してから口を開いた。
「最近桜様が召し上げられたという、新人の侍女のことなのですが、仕事ができないと様々な者達から諫言をお受けしているようですね。俺も弟妹から情報を得ましたが、仕事ができるようには思いません。毎朝、謁見と称し俺に会いに来ているので、侍女の仕事についても彼女本人の口から聞いております。食事の配給や食事に関する手伝いをしていると申しておりましたが、手に装飾が施されておりました。あの手は仕事をしている者の手ではありません」
淡々と報告書を読み上げるようだと陽炎は感じた。
なにより、件の女を一番嫌っているのは他でもない、皇帝凜夜だ。その彼が「新人の侍女」や「彼女」と丁寧に呼ぶのは、一重に皇帝桜の前だからという理由だけ。そうでなければ、彼が件の女を呼ぶことはまずない。また話題にすると、途端に不機嫌になった。
皇帝凜夜はできるかぎり、嫌なことを周りに伝えるため、感情を表に出すのだ。彼から意識して行われているそれは、皇帝桜の前で上手く負の感情を隠す練習の一環でもある。
普段から意図して表情を変えられれば、いざという時に応用できる、ということらしい。
「桜様はどのような意図がおありなのでしょう?」
結構な被害を出している。
そのような意図を、皇帝凜夜は伝えたいのだろう。
皇帝桜は、はすでに半分ほど読み進めていた本のページを捲る手を止める。
それから、そっと皇帝凜夜の方へ視線を寄せた。
その様子を見れば、彼女が皇帝凜夜の言葉の真意をある程度理解していると思って間違いない。なにより、イザベル達から様々な報告を受けているのだろう。
それでも、大切な部下の諫言に聞こえないふりをするのは、理由がある。彼女の、その性質を理解しているからこそ、陽炎達は何も言わなかった。
しかし、どうやら皇帝凜夜は限界らしい。
――まぁ、毎日謁見に来られて、虚言に付き合わされれば、そうかもしれませんね
陽炎は皇帝凜夜に仕えているわけではないので、彼の謁見に控えることは滅多にない。もし控えるならば、仕えている皇帝桜の謁見か、皇帝六人が揃った時のみ。それでも、一人一人の謁見の時間は長くない。
会話をすることが好きな皇帝達は、基本的、外の様子を聞くのが好きで長話を好む。
しかし、彼に限ってそれはなかった。
皇帝凜夜が長時間の会話を望む相手は、皇帝桜ただ一人。
皇帝桜との時間を確保するために、謁見の時間が必要以上に長くなることを厭う。そのことは多くの民が周知していることであり、彼に謁見を申し入れる者は用事がある者が最小限の時間で行うものだ。民も彼は皇帝桜と共に過ごすことを望んでいる。
そんな皇帝凜夜に対して、件の女は毎日来ることに加え、虚言を吐き、無駄に長居していた。そのことが、彼にとっては相当のストレスとなっていたようだ。分かり切っていたことではあるが、とうとう我慢ならなくなったらしい。
皇帝凜夜と女の謁見の様子を知る同僚は、珍しく疲れたように表情を引き攣らせていたのを覚えている。
「使えるようになればよかったと思っているよ。何かしら使い道があるのだと思ったんだ。ほら、キミが僕に懸想してそこまで強くなったように。キミに懸想する彼女ならば、キミのためなら、この国で生活する術を身に着けると思ったんだ」
上手くいかなくて、周りの者に迷惑をかけて、何も得られなかったけれど。
いつも通り感情の読み取りにくい平坦な声。
皇帝桜はどうやら、彼女に懸想した皇帝凜夜が優れた人間であるから、恋をしている者は、優れた技術を身に着ける。
そのように、仮定していたらしい。
もし、それが真であるのなら、件の女は人間として優秀になるはずだ。
そうすれば、件の女は懸想している皇帝凜夜の下に仕えることができる。
くわえて、彼女自身が狙われることもなくなると思ったのだという。
陽炎は二人の傍へティカップを静かに置きながら思う。
――桜様は、とても盛大な勘違いをしていらっしゃる……!
皇帝凜夜と件の女とでは、圧倒的な違いがある。
例えば、皇帝凜夜は皇帝桜に手が届かなかった時、彼女に相応しい人間になりたいと願った。そのため、彼は様々な学びに手をつけたのだと聞いている。
それに対して件の女は、皇帝凜夜が傍にないのは、彼の傍に皇帝桜がいるからだという。ならば、皇帝桜を排除すればよいという思考にたどり着いた。
懸想の相手が振り向いてくれない原因を自身へ向けるか、他者へ向けるか。
思考の方向性によって、人間の能力は異なる。今回のコレが良い例になってしまっているようだ。
皇帝桜へ直接伝えるつもりはないが、それでも彼女自身、今回のことは失敗だったと思っているらしかった。
少し困ったように視線を下げている皇帝桜を見れば、そろそろこの地獄の日々も終わりを告げる。
そんな予感。
件の女の終わりがどのように迎えられるか分からないが、生易しいものでなければいい。
陽炎とて、名をくれた大切な主人を侮辱されたのだ。表情は変わっていないと同僚達に言われたが、これでも大変怒っていた。
「僕、こう見えても反省しているんだ。ケガをすると皆に心配かけることになるから、できるだけ彼女に近付かないようにしていたんだけれど……次からは気をつけようと思う」
「次があるのですか!? 俺は要らないです! 要らないです、桜様!!」
バンッと両手で机を叩きながら皇帝凜夜が叫んだ。
言った、というには声を張っていた。
悲痛な叫びのようにも受け取れる。
陽炎も彼の言わんとすることは理解できた。
皇帝桜は「誰かしらに懸想をしている」という理由が使える人間の条件だと思っている節があるようだ。誰かに懸想していれば、その思考を良い方へ持って行けて当然、とまで考えているのかもしれない。
しかし、普通の人間は皇帝凜夜ほど理性的でもなく、当然のように私利私欲のために行動する。つまり、上の者に仕える人間として「使える」人間になるわけもないだろう。
なにより、彼女の考える「誰かしら」というのは十中八九、彼等に生前関わったことのある者達だ。
そんな危険人物達を、そうそう皇帝桜の傍に置くわけにもいくまい。
「私も要らないと思いますよ、桜様。凜さんはどちらかと言えば、侍従寄りの生活をなさっているので」
陽炎も次も起こりうる出来事を思いとどめようと、皇帝凜夜に加勢する。
正直なところ、彼女が危険因子と共に過ごすことになれば、民も納得しないだろう。
いくら侍女侍従は皇帝個人に決定権があるとはいえ、大切な皇帝に仇なす可能性のある者を傍に置くのは良い顔をしない。危険因子を傍に置くくらいならば、城下の民でも十分皇帝の侍女侍従は務まることだろう。むしろ、皇帝を害さない分、城下の民の方が侍女侍従に向いているとすら思っている。
それに、陽炎が言ったことも嘘ではない。
皇帝凜夜は侍従よりも侍従らしい生活をしている。
朝は早く起き、身なりを整えてからベッドメイキング。日課であるストレッチをしてから、女性寮の門へ赴き皇帝桜のお出迎え。そのまま彼女と共に、誰よりも早い時間から朝の鍛錬を行う。
正直、皇帝凜夜の侍女侍従達は、身の回りのことでやることはない。ただ、彼が必要とする時にだけ動く。
精鋭部隊の顔が割れている者達、と考えれば分かりやすいだろう。
――正直なところ、
傍に居たいという思いだけで、ずっと控え続けられるほど生易しいものではない。しかも、彼の侍女侍従が動かされるのは、今回のような有事の際。皇帝桜への危害を加えられる可能性がある時のみ。
つまるところ彼等もやはり、皇帝桜のために動くのだ。
いくら皇帝凜夜に懸想している者が彼の侍女になろうとも、皇帝桜のために動けない者を彼は採用しない。
どれほど優秀でも、皇帝桜のために動けない者は要らないと凜夜は言う。逆に、どれほど鈍才であろうと、皇帝桜のための行動をする者を尊ぶ。
「なるほど……確かに凜夜の侍女侍従の子達は強い子が多い。それに、僕が何をしなくても、キミは必要な人材を見つけるのが上手いからね」
僕が何をする必要もないな。
そう言って再び本を開く皇帝桜は、この話題について完結したらしい。
だが、件の女はどうなるのだろうか。
そう首を傾ぐ陽炎の視界に、皇帝凜夜が映る。彼を見れば、真っ直ぐにこちらを見て笑っていた。
ニヤニヤという表現が似合いそうな彼の表情で事態が動くことを陽炎は悟る。
――あぁ、
あの女は面倒な人を敵に回している。
改めて陽炎はそう思わざるを得なかった。