その4
件の女が皇帝桜の侍女になってしばらく経った。
陽炎は、怒る気力さえ失った同僚――イザベルとセレスティナを思い出す。公休でも取って気分転換の旅行でもどうだと言う彼女達の長官達に、今は女性寮を空けるわけにはいかないのだと断っていた。
余程、件の女は使い物にならないらしい。
ここ最近は仕事をさせることを諦めて、自由にさせているのだと言う。皇帝桜の期待を裏切って申し訳ないと眉を下げていた。
しかし、きちんと監視はつけているようで、逐一報告が上がってくる。陽炎は見ていないが、女性寮の総監も務めているイザベルは、忌々し気に書類を見ていたことは記憶に新しいことだ。この行政局内にも頻繁に立ち入っているので、文武官の部下を監視役に配置している。皇帝凜夜のアドバイスもあり、「身の安全のための護衛」と伝えているので、受け入れは問題ない。
ちなみに以前、皇帝凜夜が言っていた「孤児院近くの便利屋」というのも繁盛しているらしく、城内でも様々なうわさを聞く。
目の前の小さな同僚も便利屋に行ってきたらしく、とても楽しそうにその報告をしてくれる。
「なぁ! カゲ、あの便利屋な、凄いねんで? ホンマ何でもやってくれんねん! ウチも壊れてしもーた万年筆直してもろーたわ」
「あぁ、ティナさん、怪力ですもんね」
小柄な彼女からは信じられないほど、その力は強い。
陽炎ほどならば、軽々担げることだろう。
以前、陽炎よりも身長の高い同僚が横抱きにされて、沈んだ表情をしていたことは記憶に新しい。
「アイツ、生前魔法使いで間違いないな。人の怪我もある程度は治せとったのを確認しとるし、物を直すのは得意そうやった。道具も言霊も必要やない世界線のヤツやろな。一番多い依頼を聞いたら、言葉を記録する絡繰りを安価で売っとった」
陽炎の言葉を華麗にスルーしたセレスティナは、便利屋へ行った感想を口にする。
ある程度のことを想定し、壊れた万年筆と怪我をした部下を連れて行き、話を聞いてきたのだろう。人と仲良くなることが得意な彼女だからできることだ。
ただ、彼女は知らないことだが、その便利屋の正体は皇帝凜夜の精鋭である。
彼の元にいる者達であるのならば、壊れた物を直すのも、怪我をした生き物を治療することも容易い。
正体を知っていれば、何も驚くことはない事柄だ。
――どうやら、凜さんが今回のことを話しているのは私だけのようですね
その結論に達するに時間はかからなかった。
武官次官であるセレスティナが知らないのだから。
「言葉を記録する絡繰りですか……そういえば、そんな物もありましたね」
現代――一番新しい時代では防犯用だとか、様々な事件の証拠を記録するものだとかで流通していると聞いている。ただ、この世界線では必要にかられることがない代物でもあった。そのため、デーフェンシオ王国――この帝国の知識人が集まっている地区では、あまり研究が盛んではない分野でもある。
確かに皇帝凜夜は、この『絡繰り』の分野において、とても興味を示していた。
かねてより何かと資金――彼の個人財産である給金を絡繰り師達に提供している。不思議に思って聞いたことがあるが、「ちょっとやりたいことがあるんだ」と言っていただけだ。それが今回のことと、何か繋がりがあるのかと聞かれても、陽炎には分からないのだが。
「そうゆーとった。店主は魔法使いで間違いない。せやけど、一番人気は絡繰り。怪しい店やんな? せやから、イザに相談しに行ったんや」
そっと声を潜めた彼女は、この城内での便利屋の評判を正確に知っている。そして、恐らくその裏にいる人物も察しているのだろう。だから、自分達長官職の執務室だからと気を抜かない。
「イザはな、桜様直轄の孤児院の近く、魔法使いの作る絡繰り、店の評判や噂の流れ方とかを考えると凜様が関わっとるんやないかって。オズにも聞いたんやけどな、イザと同じような考え方やったわ」
カゲはどう考えとるん?
彼女は、なかなか鋭い女性だ。
自分の分からないことは周りに頼ることのできる女性でもある。彼女の優秀さは、周りに頼ることができ、また頼る相手が適切であることに起因しているのだろう。
そして、陽炎を最後にしたのは、答え合わせも兼ねている。
「んー、そうですね。イザさん達の考え方で間違いないと思いますよ」
ただ、皇帝凜夜の目的は陽炎も知らない。
不自然さはあるが彼の目的が分からない限り、陽炎は何もできないのだ。彼等にとって、利益のある人間になるために。彼等の意向が読めるまで、彼等のやりたいことの妨げにならないように、まずは様子見。
「あ、オズからの伝言あったんや! “先日、凜様が桜様からのお言葉を記録したいと話していたので便利屋の絡繰りを欲しがるかもしれない”やて! ウチには意味が分からんけど、なんか重要の案件らしいからゆーとくで?」
そう言ってから、仕事に戻って行ったセレスティナは、爆弾を落としたことに気が付いていない。
――あぁ、そういうことですか、凜さん
どうやらあの皇帝は、件の女を利用して皇帝桜から自分へ向けた言葉を貰うという目的を達成しようとしているらしかった。彼の人心掌握術は目を見張るものがある。件の女の行動など、お見通しなのだろう。
――敵には回したくないですね
陽炎は誰もいない執務室で、大きく溜息を吐く。
そんな回りくどいことをしなくても、皇帝凜夜が欲しいと言えば皇帝桜は与えてくれるだろう。しかし、それでは彼にとって欲しい物ではない。
彼は、皇帝桜の本心だけが欲しいから、こうしてわざわざ周りを巻き込んで面倒なことをする。皇帝桜の言葉は真実を述べていることが多い。ただ皇帝凜夜は、皇帝桜から自然と出た言葉が欲しいと思っているのだろう。
「変なところで初心ですよね、凜さんは」
普段から皇帝桜のことを「心から慕っている」と公言しているが、常にその恋心を彼女本人から拒絶されることを恐れているのだ。そして、本当は自分がいてはいけないのではないかと、怯えている。
それを全く表に出さないところが、彼の彼たる由縁だろう。あの男は、従者の鑑とまで言われているのだ。主人に懸想さえしなければ。
だが、皇帝凜夜の力の源は、皇帝桜への恋慕と彼女の役に立ちたいという、至極単純な思いのみ。それだけで、剣術や武術を学び、医学を学び、語学を学び、薬学さえものにした。好戦的な性格は元からなのかもしれないが、戦場における彼の飛び抜けた戦闘能力は文武官、武官共に度肝を抜かれる。
従者であるのなら、主人に懸想をするのはご法度だと、生前誰かに仕えていた者達から聞いたことがあった。周りいる者達の生前にも、主人に懸想をして心中したという話を聞いたことがあるという。身分違い、ということらしい。
だが、皇帝桜と皇帝凜夜の二人に関しては、恋慕や懸想が彼女への忠誠に繋がっている。
皇帝凜夜が理性の塊であることも大きいのだろうが。
陽炎は恋をしたことがないので分からないが、皇帝凜夜を見ていると、悪いものではないのかもしれないとも思う。
恋人同士のケンカや恋だの愛だの争いに巻き込まれるのは好きではないが、誰かのために尽くす、それが大切な人や好きな人ならば、確かに素敵なことだ。
誰かに懸想をすることも、そうそう悪いと決めつけられない。
――ん?
陽炎は書類を捌きながらそんなことを考えていた。
思考は他に飛んでいるが、書類を捌くその手は、もちろん正確に動いている。その時に、皇帝桜の不可解な行動に関して一つの可能性を見出してしまった。
「……アレが凜さんへ懸想していることも確認しているし、侍女としての教育をして欲しいと女性達に頼んでいた……いや、でも」
――うん、まさかね
あるはずもないと、打ち消した。