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その3


 陽炎はこの行政局において、文武官長官の立場を賜っている。書類仕事から皇帝達の護衛任務などに至るまで、満遍なくこなす能力を認められたためだ。自身の性質的には、やはり身体を動かしている方が好きだが、皇帝桜に控えられるのならば、陽炎としてはなんでも良い。

 ただ、皇帝桜の侍女として城に召し上げられた女のせいで、城内がざわついている。これは静かに穏やかな生活を甘受していた陽炎達には歓迎できることではなかった。特に件の女の世話を任された同僚の女性二人は相応に心的疲労を感じている。彼女達の業務の肩代わりやフォローをするくらいしかできないが、陽炎は多少の職務の肩代わりを行っていた。

 文官と武官に属する彼女達の職務を肩代わりできる文武官の立場はなかなかに便利だ。

 いつも通りの朝礼――この行政局では毎朝、皇帝達と顔を合わせた朝礼を行っている――の後、皇帝印の押された処理済みの書類を資料室へ運んでいた。陽炎達が早くこの書類を片付けておかなければ、皇帝達が自ら資料室へ片付けることを陽炎達は知っている。それを阻止することも、長官職、次官職の仕事の一つだ。彼等は働きすぎなのだ。

 閑話休題。

 書類の束を持って廊下を歩いていると、朝礼で見かけなかった同僚の女性二人が揃っていた。彼女達はそれぞれ武官次官と文官次官の立場を賜っている。公休でなければ必ず朝礼へ参加している彼女達が、遅れて現れた。

 彼女達二人は、皇帝桜から件の女の世話役を任されていたはずだ。真面目な彼女達が朝礼に現れなかった理由は、それにあったのだろう、と陽炎は納得した。

 ――件の女の評判は最悪ですからね

 文武官長官という立場上、行政局内の情報は多く集まる。行政局に居を構えている皇帝達、その彼等に控える侍女侍従達、行政局内の寮で生活をしている行政局員達の噂話。意図すればどんな情報も手に入れられる立場である陽炎は、彼女達の苦労も聞き及んでいる。

 ただ、彼女達に何かしてあげられるのかと聞かれれば、答えは否、だ。

 男である陽炎は、彼女達女性の住まう寮や周辺敷地への立ち入りは禁じられている。これは、女性達の敷地に皇帝桜の居であるミモザ宮があることに由来していた。男が女性達の安寧を崩して良いわけがない。

 それゆえに、女性達の領域に連れられて行った件の女をどうこうすることも、女性達の領域で生活している彼女達のフォローをすることも、男の陽炎にはできない話なのである。

「おはようございます、イザさん、ティナさん」

 ただ、彼女達二人の遅刻はあっても、皇帝桜がいつも通りの時間で動けているというのは、彼女達の優秀さのなせる業だろう。他にも皇帝桜の侍女侍従達が相応の行動をしていることは考えるまでもない。

「おはよーさん! カゲ!」

「おはよう、カゲ。ごめんなさい、仕事を始めるのが遅くなってしまって」

 元気に手を上げながら挨拶を返してくれるセレスティナと困ったように眉を下げるイザベル。

「構いませんよ。件の者でしょう。桜様が朝礼にご出席できていたので、驚きました」

 件の女が侍女の仕事をこなせるとは思えない。

 侍女の仕事だけと限らず、女性寮の整理整頓や掃除などに加え、寮で暮らす女性達の食事も当番制。

 とても忙しいはずだ。

 そう思って彼女達に問い掛ければ、表情を落として口を開く。

「桜様に関わることをさせるわけないやろ。アレ、桜様に手ェ出そうとすんねん」

 殺められんのが心苦しいわ、と。いつも明るい女性が表情を消し、地を這うような声を出すとここまで迫力が出るのかと陽炎は思う。

 しかし、如何せん状況が分からない。

 件の女が、何かやらかしたことだけは分かる。城内での評判も最悪で、女性達から酷く疎まれていることは情報として得ていた。ただ、皇帝桜に手を出すだろうことは彼女達も想定の範囲内だろうに、一体何があったというのだろう。もともと危険人物として周知してはいたが、それだけで件の女を嫌煙することはない。関わることになれば、ちゃんと本人を見てから評価するのが陽炎の同僚の女性達だ。

 件の女に対して呪いの言葉を吐いているセレスティナの隣に立つイザベルを見れば、補足してくれた。

 イザベル曰く、件の女は有能無能以前に、まったく仕事をしようとしないらしい。皇帝桜の恩情でこの城に住むことができるようになったのは、件の女にとって、幸運以外の何物でもないだろう。

 しかし、件の女は新しく与えられた部屋を「狭い」と言った挙句、女子寮で分担されている仕事を「自分がやるべきことではない」と拒否したらしい。

「まぁ、まずは、それが嫌よね。何様なのかしらって思ったわ」

 柳眉を潜めて言うイザベル。

 かなり珍しいものを見たと陽炎は思考を明後日の方向へ飛ばす。そうでもしないと、彼女の怒気にあてられると判断した。なぜなら、

 ――まず、って言いましたね、今……

 まだそこまで経っていないというのに、基本温厚な女性達から、このような発言が飛び出ることが驚きだった。そう、彼女達は皇帝桜に憧れているだけあって、非常に心の広い温厚な女性達である。不満は基本的に言葉にするし、本人に注意することも厭わない。

「女性寮での仕事は、何をやらせようとしたんです?」

 男子寮における新人の仕事は、掃除だ。

 できるかぎり場所や建物を把握するために、毎日掃除当番である。女性寮について、陽炎は詳しくは知らない。だが、防犯用トラップなどが仕込まれている女性寮の掃除は、ある程度経ってからではないと行えないと以前聞いた。

 恐らく、違う仕事をしているのだろうが、何をしているのか想像できない。

「あぁ、配膳よ。食事の配膳」

「え?」

 思わず聞き返した陽炎は悪くないと思っている。

 想像していたよりも簡単な仕事内容だった。これが女性寮の食事係だとか、女子寮にある庭の掃除だとかとなると、大変だろうとは思う。

 だが、件の女が任された仕事は配膳。

 各寮の当番を終えてから業務に来る者達を考えると、とてもではないが信じられなかった。そんな簡単な仕事もできないのか、と。行政局員は基本的に局内の寮で生活をしている。城外からの通いでも問題はないが、外に家を持っている者は少ない。集団生活の基本は協力だ、家事などは当番制にしてる。

 件の女は見た感じ、確かにお嬢様のように感じた。

 しかし、ここまで無能なお嬢様は初めて見る。ちなみに、陽炎の知る中で最も有能なお嬢様は、凜夜の妹である小百合だ。

「そんであの女な、なんて言うたと思う? 食事の配膳は下女の仕事ですわ。やと! 舐めとんのか、あの阿婆擦れ……!!」

「どこで阿婆擦れなんて覚えてきたんですか、ティナさん……」

 皇帝桜よりも少し高いだけの身長で愛くるしい顔立ちだと評判のセレスティナから、とんでもない暴言が吐き出された。思わず言葉を返してしまったが、自分でも突っ込むべき所はそこではないことを分かっている。

 ただ、それを指摘したところで、男性である陽炎にできることはない。

 陽炎にできることは、彼女達の愚痴を聞くことが関の山だろう。

「しかし、『下女』とはいただけない言葉ですね。配膳をしている者達が下女、と呼ばれているようなものですよ。彼女が、基本的なルールを覚えるために、どこの女性寮に勤めることになったのかは知りませんが、とりあえず、言葉の矯正だけは必要でしょうか」

 それに、ここの初歩的な知識もあればよいのだろうが、件の女が聞くとも思えない。なにより、何も知らないからこそ女性寮での仕事から始めることになったのだ。

 皇帝に所属する侍女、ともなれば皇帝の住まう宮殿に属することになる。だが、何の知識もない件の女が最初から皇帝桜の宮殿に所属できるわけもない。その辺りは上手くイザベルが誤魔化したようだ。まずは行政局の敷地内の、女性の領域でのルールを教える運びとなった。

 ――まぁ、あまり効果はなかったみたいですが

 陽炎が考えていたことと同じことを彼女達も考えたのだろう。イザベルは口元に薄く弧を描いた。

「だから、清夜さんにお願いしたのよ」

 曰く、生前の凜夜の家に拘っているらしいという情報をセレスティナからもらったイザベルは、彼と兄弟である清夜を頼ればよいという結論に至ったのだと言う。女性嫌いの気がある清夜が、それを手伝ってくれたのかと言葉を音にしつつ首を傾ぐ。

 陽炎の疑問を拾ったイザベラは苦笑しながら、捨て置けばよいと言われたと返ってくる。

「せやけど、桜様が使いモンになるようにしてほしい、ゆーとったで? っちゅーたら、頷いてくれたわ。ある意味使いやすいからなァ、凜様達ご兄妹は」

 ニンマリとして答えるセレスティナに、陽炎は何も言わなかった。

「とりあえず、私が仕事を、清夜さんを通してアレに伝えることにしたの。そうしないと動きもしない」

 手配とか伝達で遅れてしまって……。

 そう言うイザベルは恐らく、全ての手順を終えてここに来ているのだろう。彼女の優秀さは、こういう細やかなところで発揮される。

 本当に恐ろしい女性だ。

「それでは、明日から朝礼に間に合いそうですね。事態に気付いた凜さんが、朝礼直前に盛大な舌打ちをされていましたよ」

 朝礼の時の空気の重さは、なかなか味わえないものだ。朝礼での皇帝が行う挨拶当番が、皇帝桜であったから何もなかっただけ。もしも他の誰かだったなら、さらに重苦しい空気の朝礼だったことだろう。特に皇帝オーレリウスが挨拶当番であったら、何かと不憫な皇帝だ、もっと悲惨な朝礼になっていたことが予想できる。

 今回は、様々な要因が重なってくれたおかげで、大事に至らなかっただけなのだ。

「あ、やっぱな。そーやと思うたわ。凜様、アレのことホンマ嫌いやもんなぁ……」

 嫌い、という言葉では、まだ生易しいと思う。

 件の女が、皇帝桜の侍女として城に滞在することになったと知った時の皇帝凜夜は、般若を背負っていたようだ。皇帝桜には滅多に見せない厳しい表情で、淡々と反対の意向を示していた。

 しかし、皇帝桜の侍女という立場上、皇帝桜以外の干渉を受けない。侍女侍従の立場の者は、管轄している皇帝の意向で決められる。そのため、皇帝桜があの女を追い出さない限り、他の者達は――例え同じ皇帝という立場であろうと――何も手が出せないのだ。

 それを歯痒く思うが、普段、皇帝桜は皇帝凜夜の意向を考慮する。今回のように、彼女が絶対、傍に置くということはとても珍しい。

 だから、こうしてイザベル達は調整をしてくれたのだろう。

 ただ、皇帝桜の真意は分からないが。

「とにかく、私達は桜様が何をお考えなのか分かるまで、手も足も出ないわね」

 アレを使えるように教育するだけよ。

 情報共有はいつも以上に密にしようと、それだけ話して別れる。

 彼女達はこれから、それぞれの長官に今日の事を報告しに行かなくてはならない。陽炎も書類を返してこなければならないので、資料室に足を向ける。

 陽炎は、皇帝桜が件の女を傍に置くための手続きをしている間、傍に控えていた。その間も、件の女を観察していたが、彼女が気に入る要素が見つからない。

 皇帝桜は努力家で無自覚の博愛主義。それを理解し得ない者を気に入るとは到底思えなかった。

 彼女が、件の女に「凜夜を慕っているのか」と聞いたことは印象に残っている。

 それが何を意味するのか、陽炎には分からない。

「凜さんは、桜様をお慕いしているから、他の女性になびくわけもありませんよねぇ。清夜さんも、桜様一筋ですから、あのご兄弟に懸想するなんて、無駄なのでは……?」

 書類を抱えなおしつつ考えるが、どうも納得できない。ただ、皇帝桜に聞いても、納得できるような答えが返ってくるとは思えなかった。

 目的の資料室の前に立つと、書類で両手が塞がっていることを思い出し、扉を見る。

 この資料室の扉は引き戸ではない。足で開けることのできない扉。幸い、資料室の鍵は開けられているようだ。だが両手が塞がった状態では、扉を開けることはできない扉の仕組みだった。書類を床に置くか、誰かに開けてもらわなければ中には入れない。

 それに気付いて、陽炎は人知れず溜息をもらす。

 とりあえず、周りを見回してみるが、誰も通る気配もない。諦めて書類を置いて開けた方が早そうだと、腰をかがめようと動く。

 すると、資料室の扉が内側から開いた。

 驚いて扉を開けた人物を見ると、皇帝凜夜が陽炎を見ている。

「申し訳ございません」

 慌てて脇に除けようとすると、

「あぁ、気にするな。――書類を片付けに来たのか? 俺も手が空いているからな、手伝う」

 そう言って、陽炎の抱えている書類を半分持ってしまった。

 この国で最高位の癖に、こうして誰かを手伝うことが好きなのは、彼等の特徴である。

 生前からずっと皇帝桜に仕えるこの男は、ここでもその性質を一切失っていない。そのため、陽炎が何を言っても無駄なので、「ありがとうございます」と礼を言い、共に書類を片付けてもらう。

 正直なところ、結構な量の書類を片付けなければならない。そのため、人手があることが助かった。

 助けてくれているのが皇帝ということを除けば、もっと喜べたことだろう。

 しかし、彼等と共に過ごしてきた時間は相応に長い。彼等個々の性格は分かってきたつもりである。人に頼られることが大好きな彼等は、こうして素直に厚意を受け取る方が喜んでくれるのだ。

「そう言えば、なぜ凜さんは資料室にいらっしゃっているのです?」

 言外に珍しいと言えば、凜夜は難しい顔をする。

 この執務室を使う皇帝凜夜や皇帝桜は、基本的に資料や書類の見返しを必要としない。それをせずとも、その多くを記憶しているためだ。くわえて、ここに保管されている資料や書類は、民の健康や存在に関わることなので、基本的に皇帝達は全て記憶している。

 謁見に来る者や事情がある者達を覚えるのは、彼等ほど得意な者はこの国にはいないだろう。顔と名前、住んでいる地区などの基本情報は、彼等に聞けばすぐに返事が返ってくるのだから、とんでもない記憶力だ。

 つまるところ、彼ら皇帝がこの資料室に来ることは滅多にない。

「いやな、あの女が桜様に囲われる前、俺を慕っていると宣ったという報告を、お前が出しただろう」

 そう言われ、昨日出した報告書にそのように書いた覚えがある。

 この報告書は、一日皇帝桜に控えている者が皇帝凜夜へ提出しなければならない。彼が皇帝という立場である以上、彼女と共にいられない時間がある。それを埋めるための、彼なりの妥協案だ。彼が皇帝桜と共に過ごす時には必要としない、報告書。だが、昨日の出来事は皇帝桜のための玉座の間で行われたものだった。あの現場を見た者で最も高位なのが陽炎だったから、皇帝凜夜への報告書を上げたのだ。

 その報告書に、件の女の言動や様子についても書いた覚えがある。一言一句間違えずに、とはさすがにできないが、できるかぎり近い内容を書いたはずだ。

 ただ、それと今回のことが繋がらず、首を傾ぐ。

「ちょっと人を動かそうと思ってな」

 ニーッと皇帝凜夜が笑うと嫌な予感しかしない。

 彼の笑顔をそのまま捉えて良いのは、皇帝桜へ向けるものだけだ。それ以外の者へ向ける肯定的な意味の表情は気をつけなければならない。

 ――人を動かす、ですか

 彼がこうして宣言して動かすのは、精鋭部隊だけだ。

 精鋭部隊は皇帝凜夜が個人で所有するエリート行政局員である。誰が所属しているのかは非公開。その部隊に所属している者だけが、仲間の顔を知っている。それ以外の者に漏らすこともできなければ、万が一情報を漏らした者は厳罰の対象になるという。もちろん、他の皇帝達も個人管轄の部隊を持っているが、凜夜の精鋭部隊ほど謎の多い者達はいない。

 こんな秘密を持った部隊を国民が知ったらどうなるのか、と普通は思う。しかし、この男の恐ろしいところは、民がそれを承知で黙認していることだ。

 皇帝桜を護るためならば致し方がない。

 その考えは最早狂気。

 皇帝凜夜の、その狂気が桜を殺めるのではないかと、陽炎は陰ながら恐れている。

「今回は、街にも出すからな。知名度が命だ。とりあえず、孤児院近くの便利屋の腕が良いって噂流すの手伝ってくれ。――今度こそ桜様から俺が必要だと言う言質を取ってみせる」

 ニヤニヤ笑う彼に、陽炎は何も聞かなかったことにした。


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