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砂海の遺珠  作者: 秦 奈良鹿


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8/8

《七》宮城にて 前

 暴漢はほぼ倒され講堂内は静まりつつある。

 腕を押さえてうずくまる暴漢のそばに、新入生が投げた(かんざし)が鋭い光を放ち落ちているのを見つけた。

 彼はそれを拾い上げる。

 もう一度、その新入生を見たが、あの小剣の投擲(とうてき)の、手際の鮮やかさに結びつかなかった。小柄で細身、身長はよいとしても軍の体格検査に引っ掛かるのではと思うほど華奢だ。


「ふうん…。」


 彼は何かを思いついたように笑みを漏らした。


「若さま、行きましょう。目立つと面倒です。」

「ああ。」


 己衍(ジー・イェン)はここでは彼のことを若さまと呼ぶ。彼は(きびす)を返した。

 講堂の外に出ると衍は彼の手元に目をやる。


「それ、持ってきてしまったのですか。」


 三つ違いなのに、衍はたまに子供に対するような言い方をする。


「ああ、これか。…妙だと思わなかったか。特に、あの小剣。」


 投げた者の手際についてだ。


「まぐれで刺さってしまった、というふうだったが…出来すぎていないか。」

「…まあ。多少は思わなくもありませんが。」


 簪はそう高価でもなく安物でもない。男物の作りだが、小ぶりの銀簪。

 国子監では簪には規定がないため皆そこで個性を出しているが、いっそ素っ気ないぐらいの簪だ。


「素人があれほど鮮やかに出来ることとも思えない。…あの者の身辺を探ってくれるか。」

「は。かしこまりました。」


 その夜。

 衍は帰ってくるなり言った。


「名は薛慧(シュエ・フェイ)、歳は十八、六品官の子で東国公(とうこくこう)(フォン)家の麾下(きか)、薛家の者です。」


 六品官の子弟だと入監できる学舎が限られる。


「というと誰か推薦した者が?」

「風家の遠縁の地方官の推薦ですね。それとなぜか、兄君と。」

「…なんで兄上が?」


 思わず言葉使いが崩れる。


「それはわかりませんが。接点もまだ不明ですね。…所属は算学です。」


 風家は軍や兵部、軍機監等に官吏を輩出しており兵権を持つ。

 麾下の家もその方面の専門家が多い。武学だったら話は簡単だ。だいたい皆得意な方面に進もうとするものだが。

 ではやはり気のせいか。


「接触してみるか。」


 衍は怪訝な顔をする。


「兄上さまの関係者だとすると用心が多少必要やもしれません。」

「わかってる。彼とつなぎをつけてくれるか。」


 言うと、衍は遠慮がちにする。


「風家の麾下なら思遠(スーユェン)につなぐのが一番いいですが…。」

「いやいやあいつはやめとこう。今後必要があってからでいい。…いやちょっと待て。」


 彼は思遠の顔を思い浮かべた。

 思遠は衍と同じく自分の侍衛で仕事ぶりに文句はないが、踏み込みすぎる。負っている使命と趣味と実益が兼ねすぎているから、たちが悪いのだ。

 彼は少し考える。


「どうなさいました。」

「いや…やはり思遠を呼べ。」


 その夜。

 青棍瓦の重なる宮城(きゅうじょう)、皇帝が起居し、高官のみ出入りを許される、大皓宮(だいこうきゅう)紫宸殿(ししんでん)

 その奥の、無数の灯りの揺らめく室内に六人の影。


 皇帝は三人の壮年の男たちと盃を交わしていた。

 他に部屋に控えるのは老宦官と彼の忠実な養子のみ。

 一つは空席だが銀の食器や料理はほかの者と同じように用意されている。

 奇異なのは、その椅子に一振りの刀が置かれていることだ。

 彼らは静かに飲み交わし、散会する。


 一年に四度の季節ごとに、四国公家当主が極めて私的に集まる夜会。

 若かりし頃は賑やかだったものの、この夜会以外でも頻繁に顔を合わせる今は、交わされる言葉は多くはない。

 それでよい、とその場の誰もが思っている。


 中央の(チー)家、北の(シー)家、東の(フォン)家、南の(ジャン)家の当主。そして人ではなく刀が鎮座する席は、今は絶えた西の(ジー)家のためのものだ。

 姬家以外の四家は四名族または四国公家と呼ばれる。

 皇族の姬家を加えた五家はそれぞれ古代の王家の末裔と称しており、元は一つの一族だ。

 この地の歴史の影には常にこの五家があり、様々な王朝が立つ中で主家が入れ替わり、姓を一時的に改めたりしつつも生き延びてきた、とされている。

 たどれば神話の時代にまでさかのぼることができるという――。

 真偽は誰にも分からないが、そういうことになっている。


 その会が終わるのを、先に茶でも、と宦官たちにもてなされつつ青年が一人、別室で待っていた。

 皇帝は入ってくるなり青年――(ユイ)に問いかける。


「父上。」

(ジン)。国子監はどんな様子だ。」


 問われて手にしていたごく薄い青磁の茶杯を置いて立ち上がり、礼をとる。

 瑾とは、瑜の(あざな)元瑾(ユエンジン)からとってそう呼んでいる。

 家族内での気に入りの呼び方だ。

 瑜を瑜と呼ぶのは父と生母のみで、字で呼ぶときは

 父帝の機嫌は悪くない。

 ただ憂いの名残(なごり)のようなものを感じた瑜は唇を引き締めた。


「私の方は至って順調です。変わったことといえば…既にお聞き及びかと存じますが、今朝暴漢どもが入監の式に乱入しまして。」


 茶杯のなかに満たされた金色の液体が灯りに透かされ、脇卓に柔らかな水紋を揺らしている。

 皇帝はうむ、と笑みを浮かべ、瑜に座れと合図する。

 老宦官が養子に命じ酒と酒肴を持ってこさせた。


「すぐに制圧されたと聞いて安堵した。今後国官として、活躍してもらわねばならない逸材達だ。傷つけられては困る。…お前が居合わせて片付けたのだろう?」


 皇帝が脇卓を挟んで隣に座るのを待って、瑜も腰を下ろした。

 玻璃の酒杯に酒が注がれる。

 養子は自分が飲んでみせ、問題ないようです、と言って下がった。


「ええ、まあ。衍と…なかなか腕の立つ者たちが新入監者の中におりましてね。私の出る幕は大してありませんでしたよ。」


 彼はくくく、と喉奥で笑ってから、帝を安心させるように柔和に微笑む。


姜磊(ジャン・レイ)の助太刀に、もう一人の投げた簪と小剣が決定打になりました。まぐれだったようですが早々に賊を捕縛でき助かりましたよ。」


 本当に()()()だったのか。

 瑜は先ほど衍に言ったように少々違和感を感じていたが、それは父に言わなくていいだろう。

 もしかしたら役に立つ者かもしれず、しばらく様子を見たいと思った。


「講堂内は来賓以外は帯刀禁止ですから、たまたま我々が通りがからなければ人死が出るか、人質でもとって要求を通そうとしたことでしょう。」

「首謀者は、科挙(かきょ)及第(きゅうだい)出来なかった者たちが主だと聞いたが。」


 皇帝は眉をあげて瑜を見る。


「…私が見たところそういう者は少数で、文人らしく仕立てた破落戸(ごろつき)たちが大半だったようです。金子でももらって雇われたのでは?雇い主はともかく、暴漢本人らは改善をというより金子をよこせ、が主な主張だったようで。」


 瑜が違和感を口にすると、帝は苦笑いを浮かべた。


「そうだ。」

「すでにに三年に一度の解試が始まっています。都の城内は地方から集まった文人だらけで、城門警備も隙があったかもしれませんね。」

「よほど今の科挙の体制が気に食わない者がいるらしい。その者たちはすでに官界にある者たちで、他派の躍進を妨げたい。」


 科挙に対して不満があるものが暴動を起こした、という既成事実が欲しいだけだ。


「どの派だと思われますか。」

「まあ、どこにも言い分はある。それに一枚岩でもない。明日も尋問を行うがおそらく今回の件も黒幕が誰かまでは突き止められないと思っておいたほうがいいだろう。」


 官界は、寒門※に生まれ苦学の末、官の推薦か科挙に及第して任官した者、国子監から科挙へ進むかまたは恩蔭にて任官した皇族名族貴族出身の者、それから宦官勢と外戚にだいたい分けられる。

 これらの勢力を拮抗(きっこう)させる事が、この国が何故だか千年近くのらりくらり続いた秘訣の一つだ。

 ただ、それぞれの勢力の均衡を常に保ち近寄らせすぎないように目を光らせ、全てにいい顔を見せておくのは非常に難しい。

 実際は権力がいずれかの勢力に傾くたびに、この国は大きく揺らいできたのだった。


「数日後動き出すのでは?それまでに雇われて暴動を起こした、ということだけは分かってよろしゅうございました。もし改善を上奏し急激な変更をしようとすればこの事実も多少は牽制の種にできましょう。何も動きがなければそれでよしですし。」


 皇帝は酒杯を持ち上げ一口飲む。

 瑜も酒杯の酒をほんの少し口に含む。


「詰めが甘いことだ。…だが確かに科挙は難しくなりすぎているきらいがある。」

「ええ。ある程度数を絞るため致し方ないのでしょうが。…能力がない事を棚に上げて、外に原因を求めてばかりいるようでは、困ります。」

「うむ。」


 皇帝は愉快そうに眉を上げて瑜に先を促した。


「科挙が難しくなりすぎるとそれはそれで頭でっかちに寄りすぎ、及第したものが使えるかどうか、というのも少々問題になっていますね。実際過去の状元※でその後大成した者は少数です。」


 朝廷につてのない者たちの任官の手段として科挙に偏りすぎると、身分の高くない者たちはもちろんそう低くもないものも合わせてすべてそちらへ流れ、科挙に特化した学びだけが尊ばれるようになる。そういう時期を経て現在国子監では幅広く学ばせ、任官したあともつまづきなく職事に当たらせたいという狙いがある。策はともかく、経典や詩文に秀でるだけでは国を富ませ安定させることはできない。


「一時期、任官への推薦の枠を絞りすぎた不満が今も根幹にくすぶっている。そうすると寒門の者は科挙に殺到するしかない。」

「浅慮を起こす者は端から問題外ですが…この事件は彼らの不満を(かた)った、他の派の仕業でしょうね。」


 皇帝はうなずくとまた酒杯を傾ける。


「明日午後、礼部知貢挙※や翰林院学士※、国子監祭酒(長官)と話をするが、お前も同席してくれるか、瑾。」

「はい。仰せの通りに。」


 基本的に、瑜は聞いているだけになるのだが。父は様々な部署の高官との議論の場に息子たちを加えたがる。


(ルイ)(シュエン)も呼ぶか。」


 父は一年短縮して三年前に卒業している三兄と、同い年の異母弟のことを口にした。弟は瑜と同時期に監生となっている。


「…ええ。」


※状元

科挙の合格者の中で成績第一位の者。


※礼部知貢挙

科挙を主管する役職。侍郎と兼ねていることが多い。


※翰林院学士

翰林院は学問や技芸、政治の最高の人材を揃え、主に宮廷の学問の中心を担い、詔書の起草に当たった役所で、翰林院学士は「内相」と呼ばれ、政策決定にも参与した。《wiki、百度百科》

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