7 誕生日の朝(前)
俺は、管理室の奥の小部屋で、机の上にこれまでに届いた折り紙カードを並べた。
文具店で買ってきた「虹の七色」折り紙と、カードに貼り付けられた作品の色味はぴったり一致した。あの文具店がこのマンションからほど近いことを考えれば、おそらく同じ店で買ったのだろう。
オレンジ色のジュゴン。
藍色の花。
赤と青の靴。
紫色の扇。
黄色の移植ごて。
「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」
すべて、虹に含まれている色だ。
セキ、トウ、オウ、リョク、セイ、ラン、シ。
魔法の呪文のように、四年生の頃、志緒里がしょっちゅうその言葉を唱えていたので、俺もいまでも暗唱できる。
虹の七色。
帰り道、次第に下校仲間と道が分かれて行って、最後は志緒里と二人になる。まだ彼女の転入から日が浅いころ、話の接ぎ穂がなくなって困ったときのことだ。
彼女の真新しいサブバッグも、給食用のテーブルクロスを入れてランドセルにぶらさげる巾着袋も、下敷きや消しゴム、自由帳にいたるまで、学校指定品以外のほとんどの持ち物が、虹のモチーフのあしらわれたものだった。それで、ちょっとした世間話のつもりで何気なく、虹が好きなのかと尋ねたのだ。すると、彼女は教えてくれた。
「トラセ、シオリでしょ。虹の七色のなかに、苗字と名前の六文字が全部あるの。だから、虹は志緒里のラッキーアイテムだよってお母さんが買ってくれた」
思えば、その話を前もって聞いていたから、志緒里が峯田のガラス玉が生み出した虹に食い入るように見入っていた時、ああ、志緒里はあれが欲しいんだ、と腑に落ちたのだ。
俺自身、志緒里が虹モチーフを好んでいるということは覚えていても、そんなエピソードはすっかり忘れていた。
折り紙カードの、モチーフを無視して色名だけを置かれていた順に並べてみる。
ジュゴンの橙、花の藍、靴の赤と青。これで、トラセだ。赤も青もセだから、いっぺんに使ったのだろう。
扇の紫、移植ゴテの黄。これで、シオ。
「次は緑の何かだよなあ」
思わず、独り言がこぼれた。それで、彼女の名前が完成する。
そんな子ども時代のエピソードを覚えているのは、このマンションでは志緒里か、志緒里の母親くらいだろう。
そして、志緒里の母親は早朝に出勤し、夜帰ってくるのも遅い。あの時間に、折り紙を置けたはずがない。なにせ、小学生探偵のエマちゃんが朝には見ていないと保証してくれている。
それより何より、志緒里の母親が、わざわざ迂遠な方法をとって、俺にメッセージを伝えてくる必然性がない。からっとした気性で声も大きい虎瀬のおばさんのことだ。何か言いたいことがあれば、マンションで会えなくても、ここからさほど遠くない俺の家に直接訪ねてきてあっけらかんと言うだろう。
つまり、犯人は志緒里だ。
自分の名前を織り込んだ他愛もないいたずらをしかけて、俺をからかっているのかもしれない。送り主が誰だか当ててごらん、というわけだ。
でも、そうではないかもしれない、という予感があった。
緑色の折り紙が何かわかれば、はっきりするだろう。
◇
運命の三日後。届いたのは、案の定、緑色の折り紙だった。
大きく尖った中央の構造物を、左右で小さな構造物が支えるような造形。
「緑色の……ロケット」
ずん、と胃が沈むような感覚を覚えた。
半ば以上、予想していたとはいえ、その相変わらず端正で筋目のとおった折り紙を目の前にすると、一際、こたえるものがあった。
◇
志緒里をはっきり避けるようになったのは、五年生の秋からだ。
正確に言うと、志緒里の誕生日、九月八日から。
峯田が伝説の秘宝を失くしてから一年近く経って、もう、みんながガラス玉のことやオシロイバナのことをすっかり忘れてしまっただろうという頃合いのことだった。俺だけが、必死にオシロイバナを植えた日のことや、ガラス玉が水底に消えていった日のことを忘れられないでいるような気がしていた。
俺はどちらの事件でも、本当の主役ではない。手伝っただけ、見ていただけの脇役だった。
だからこそ、不完全燃焼だったのかもしれない。
事の起こりは、五年生の夏休み、八月のはじめのことだった。
祖父に頼まれて、事務用の伝票の冊子を買いに商店街の文具店に行った時、俺は見つけてしまったのだ。
レジの後ろ、鍵の掛かる棚に飾られた、手のひらにすっぽり収まるほどの大きさの、澄んだガラスの三角柱。
峯田のガラス玉とは全く違う形だったけれど、なにか惹かれるものを感じて、俺がそれに見入っていると、祖父宛ての領収証を書き終えたおばさんが気づいて、名を教えてくれた。
『プリズムだね。気になる?』
『何をするものなの?』
問うた俺におばさんは呆れたように腰に手を当てていった。
『虹を作るんじゃないか。最近の小学校では、そんなことも教えないのかい?』
おばさんはショーケースの鍵を開けてガラスを取り出すと、出入口のサッシから差し込んでいた西日に三角柱をかざした。コンクリート打ちの文具店の床に踊る小さな虹に、俺は息を飲んだ。
あの日、峯田が得意そうにガラス玉から生み出していたのと同じ、自在に動く魔法の虹だった。
『これ、いくらするの』
突然の俺の剣幕に驚きつつ、おばさんはショーケースにディスプレイされた値札を指して教えてくれた。
『プラスチックやアクリルのものだともうちょっと安いんだけどね。これは本物のクリスタルガラスだから、大事に扱えば長く使えるよ。縁起物として飾ったりする人もいるから、大人向きに本格的な物を置いてるんだ』
小学生のお財布にはそこそこ深刻な金額だった。季節柄、やれ祭りの夜店だの、買い食いの氷菓だのと誘惑が多いことも懐の寒さに拍車を掛けていた。それでも、これから夏の間中、祖父の手伝いをして小遣いを稼げば、なんとか手が出ないこともない絶妙な値段。
これがあれば、志緒里の喪失感も少しは晴れるかもしれない。普通にプレゼントするには少し気が張る品物だけれど、夏休み明けの彼女の誕生日なら、いいきっかけになるだろう。
俺は祖父が驚くほどの勢いで率先して手伝いをし、ちまちまと小銭を稼いで、志緒里の誕生日の直前にそれをついに手に入れた。
そこまでは無我夢中だった。だがそこで、俺ははっと我に返った。
いったい、何と言って渡せばいいのか。