6 虹色の折り紙
台風は、予想よりも少しだけ東寄りにそれて、県のはじっこをかすめるように通過していった。幾つかの空振りにおわった備えをほどいて元に戻すとき、キンモクセイの枝に、淡い緑色の小さな小さなつぼみがついているのに気が付いた。
あの折り紙は、台風の翌週もまた、窓口にぽつんと置かれていた。
今度は、ぱきっとした黄色の移植ごて。花壇の花を植え替えたり、子どもがお砂場で穴を掘ったりするときに使うものだ。
台風の前の日、俺から奪い取って志緒里が使っていたクリーム色の移植ごては、あの時のプランターと一緒に、まだ事務所の片隅に積み上げられていた。プランターは、わざわざゴミ処理券を買って捨てるくらいなら共用部で使うから、と俺が貰いうけたのだ。
「わあ、今度はシャベルだ! ねえ、これちっちゃくてかわいいねー!」
窓口の内側に飾り直した折り紙カードを目ざとく見つけたエマちゃんは、俺にねだって、また手に取ってじっくりと眺めてはしゃいだ声をあげていた。
「そうだね」
俺が床のタイルをモップで拭きながらうなずくと、エマちゃんはカードを大事に両手で持ったまま、じっと俺を見上げた。
「ねえ、誰が折ったかわかったの?」
「いや、まだ」
「これ、届いたの今日の昼間でしょ。エマが学校に行く朝八時にはまだなかったよ」
「そうなの?」
「頼りないなあ。管理人さん、ちゃんと捜査してるー? 防犯カメラとか見た?」
「防犯カメラの映像は、オーナーしか取り出せないんだよ。この程度のいたずらで、わざわざ映像を確かめてもらうのは無理だって。被害も出てないのに」
オーナーと言ったって同居の祖父なのだが、映像を見るとなるとこの管理室までわざわざ来てもらわないといけない。そこまで頼むのは大げさな気がした。何より俺自身が、住人の映像を見るのは、のぞき見のようで気が引けた。不必要に、見知った人の、こちらが見ていないと思っている瞬間の姿を見るのは気まずい。
もっと深刻な破壊行為や落書きであればそうも言っていられないのはわかっていたが、何と言っても、ただの折り紙である。
「暗号かもしれないよ。ほら、テレビでやってるじゃん」
エマちゃんが挙げたのは小学生に人気の推理アニメのタイトルだった。エマちゃんもばっちりチェックしているらしい。
「暗号?」
「こうやってさ、何か、スパイのメッセージみたいなのを教えようとしてるとか。それか、このマンションで助けを求めてる人がいるとか!」
「こんな悠長に、週に二回窓口で助けを求めるくらいなら、自分で助かってると思うけど」
「大人は想像力がないなあ」
エマちゃんは呆れたように言って、頬を膨らませた。おませな口調のわりに、高校生の俺を『大人』認定しているところがいかにも小学校低学年らしくて、おかしかった。
実際に自分がなってみれば、高校生なんてちっとも大人ではない。
「まずは、この紙の出所を調べるべきだと思う。学童で使うのや、百円ショップで売ってる折り紙とは色が違うよ。ちょっと高そうだし、ざらっとしてるー」
◇
エマちゃんの言うことを真に受けたわけでもないが、その後、台風のせいで在庫がすっかり減ってしまった養生テープを買いに、なじみの商店街の文具店に行った時、俺はふと折り紙コーナーに目をやった。
小学生探偵の観察した通り、カードに使われていた折り紙は、確かによく見かける色鮮やかな色彩ですべすべした洋紙のものとは少し違っていた。そのたぐいの量産品は、この文具店では八十枚入りが百五十円だ。エマちゃんによると、少し離れたショッピングモールの百円ショップでは似たようなものが百十枚入りで買えるのだという。ここでわざわざ買うのは、急に入用になった人や、どうしてもこの銘柄が好きな少数のファンくらいなのだろう、貼られた値札もわずかに黄ばんでいた。
その隣に並べられた、すこし渋い色味のパッケージを見て、俺の心臓は大きく跳ねた。
『虹色 和の折り紙 七色+二色』
商品名がデザインされたシールの貼られたセロハンに、少しずつ角をずらして色を見せながら台紙に乗せられた和紙の折り紙が包まれている。虹の七色に白と黒が加わったセット商品だ。
その、一番上の目立つ順番に置かれた赤の、すこしくすんだ独特の色味に見覚えがあった。あのカードに使われていた紙は、これではないのか。
「これ、会計は別でお願いします」
俺はとっさに折り紙のパッケージを手に取ると、精算台の養生テープの横に置いた。