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5 魔法のガラス玉

 俺の予想通り、あの秋に過熱していたオシロイバナ・バブルは冬の訪れと共に弾け、種の価値はゴミ同然となった。

 そのまま、志緒里も他の子たちと同様にすっかりオシロイバナに興味を失ったのだと思っていた。マンションの裏庭は普段通る道筋ではないし、花が咲くところを気にして見ていたなんて、思ってもみなかった。


 俺は、『雷ジジイ』から思わぬ譲歩を引き出してしまったのがなんとなく気まずくて、時折水をやったり、管理人室に余っていた肥料をやったりして、細々と世話を続けていた。もともと頑丈な性質の植物である。小学生が気まぐれに手入れした程度でも、枯れずに冬を越し、翌年にはわずかながら花を咲かせた。


 そうなると、オシロイバナは強い。今では、まともに世話をしなくても、毎年のようにわさわさと生い茂っては花を咲かせている。


「志緒里にも花を愛でる心があったんだな」

「何よ。おじいちゃんにも言ったけど、本当に、たくさん咲いたらかわいいだろうなって思ってたんだよ」

「欲得ずくだとばかり」


 俺が冗談めかして肩をすくめると、志緒里は笑って俺をぶつ真似をした。


「ひっどい。それじゃ、本当に悪いやつじゃん」


 でも、あの頃の志緒里には、喉から手が出るほど欲しいものがあったのだ。


 それは、同じクラスの峯田が公園で拾った、多面体にカットされたガラス細工だった。サンキャッチャーという名前らしい、というのは、最近になって偶然知った。窓際に下げて幸運を呼び込む縁起物だという。


 峯田のガラス玉は、小学生の手のひらにすっぽり収まる程度の大きさの、八角形の板状のモチーフだった。レンズのように、縁がやや薄く、中心に向けてゆるやかにふくらんだ形で、平面が複雑に組み合わさって切り出されていた。透明度の高いガラスは、太陽にかざすときらきらと光を反射した。


『上手く光を当てると、虹が出せるんだぜ』


 峯田が実演して見せたとき、食い入るように、地面を滑るほんの小さな虹のかけらを目で追っていた志緒里の横顔を、俺は今でも思い出せる。


 みんなが、峯田のお宝を賞賛し、欲しがった。だが、峯田は、少なくともオシロイバナの種が両手にたっぷり二すくい分なければ譲る気はない、と豪語していた。


 志緒里がオシロイバナ量産計画に俺を巻き込んだのは、その直後だったのである。


 けれど、たとえ計画が上手く運んで、オシロイバナ経済圏が奇跡的に一年生きながらえたとしても、志緒里はガラス玉を手にすることはできない運命だった。


 峯田のガラス玉は、ある晩秋の日、唐突に、完全な形で失われてしまったのだ。


 峯田は、虹を閉じ込めた魔法のガラスを毎日ポケットに入れていた。


『真上に放り上げると、運が良ければ、きらっと光って虹が見えるんだ』


 虹が見えた日は幸運が訪れる、と峯田は言って、しょっちゅう、見せびらかすようにガラス玉を放り上げていた。地面に落とさないようにキャッチできるところも見せつけたかったのだろう。


 その頃には、周囲の峯田に対するやっかみと、反動としてのガラス玉に対する反感も日増しに強まっていた。


『その程度かよ』

『俺ならもっと高く放り上げてもキャッチできるぜ』


 意地悪くからかわれて、峯田はムキになった。もともと、あまり注目されるタイプではなかった峯田は、ガラス玉と一緒に手に入れた、周囲から賞賛のまなざしを向けられる立場にも執着が強かったのかもしれない。


『もっと高く投げたって、取れらあ』


 峯田が意地を張って高く放り上げたガラスは、肘に妙な力が入っていたせいか、真上から逸れ、大きく放物線を描いて飛んだ。少し離れたところを歩いていた俺にも、高いところできらっと光る点が確かに見えた。


 橋の上だったのが、峯田の不幸だった。


 落下地点は、完全に欄干の外側だった。無我夢中で手すりによじ登り、必死で手を伸ばす峯田と、危ない、と慌ててそんな峯田を止めようとした周囲の面々の目の前で、ぼちゃん、と、あっけない音を立てて、峯田の栄光の日々は、深緑に濁った水の底深くに沈んでいった。


 隣を歩いていた志緒里の、はっと息をのむ音を聞いて、俺は訳もなく、峯田ではなく自分がとんでもないことをしてしまったような錯覚に襲われた。


 それ以来、オシロイバナの世話に志緒里を誘うのを俺はやめてしまったのだ。志緒里も、自分から来たいとは言わなかった。


 永遠に手に入らなくなってしまった宝物のことを思い出すのは、つらいものだと思う。


 志緒里が自分から、峯田のガラス玉が欲しいと俺に言ったことはなかった。なのに、そのことをどこかで気づいてしまったのも気まずくて、俺は少しずつ、志緒里から距離を取るようになっていた。


「峯田の八角ガラス、欲しかったんだろ」


 もうさすがに時効だと思って、俺は、その一言を初めて口にした。


「ああ、やっぱ、アツは気が付いてたんだ」


 照れくさそうに志緒里は笑って、うなずいた。洗い上げたプランターをぼろ布で拭きつつ、自嘲するように言う。


「アホみたいでしょ。アツまで巻き込んで、おじいちゃんに怒られてさ」

「まあ、反対はしたけど、結果的に二人で種を植えた事実は変わんないからな。あの頃も別に、巻き込まれたとは思ってなかったけど」

「なんだ。私のせいでおじいちゃんに怒られたから、アツはだんだん私のこと嫌いになって、避けるようになっちゃったんだって思ってた」

「志緒里のせいじゃなくたって、毎日のように怒られてたからな。一回増えたからって、別にどうもしないよ。考えすぎだろ」


 驚いて言うと、そっか、と志緒里はまた笑った。


「小学生って自意識過剰なとこあるよねえ」


 突き放したように、さばさばと言う。それから、ふと俺を振り返った。


「でも避けてはいたでしょ。なら、何でだったの?」


 真っすぐに見据えられた。俺は息が詰まりそうになって、慌てて目をそらした。


「……そんなこと」


 ないよ、と言いかけたけれど、二人のどちらもが嘘だと分かっている一言を声に出すことはできなかった。


「ああ、ごめん。責めるとか、そういうつもりじゃなくて。いいの、別に」


 慌てたように志緒里は言ったけれど、俺はうまく返事が出来なかった。


 志緒里はあの頃とちっとも変わらない。怒ったり笑ったりすねたり困ったり、虹みたいに色んな色の表情を素直に浮かべて、屈託がない。


 人づきあいがうまくて、明るく誰とでも仲良くなれる志緒里には、多分、縁のない黒い感情が、言葉にならずに胸の中に渦巻いた。





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