4 オシロイバナ・バブル
陽気でノリがいい志緒里は、引っ越してきてすぐ、クラスに馴染んだ。親の離婚がきっかけで転校したんだ、なんてヘビーな話も隠すことなくおどけて笑い話にして、あっという間に友達を増やしていく姿はいっそ小気味いいほどだった。
その頃、俺たちの学年では、男女問わず、空き地に自生しているオシロイバナの種を集めるのが流行っていた。
オシロイバナは、ラッパのような形の、白やマゼンタピンクの小さい花を咲かせる草花だ。
もともとは園芸種だったのかもしれないが、こぼれ種でも繁殖してしまうほど生命力が強く、俺たちの小学校区では完全に雑草扱いされていた。黒っぽい種皮におおわれた直径七ミリほどの丸い種をつけるのだが、その種が小学生の収集欲に火をつけたのだ。
種を大量に集めた子は尊敬され、公園で拾ったカッコいいビールの空き瓶とか、きらきらのビー玉とかの宝物を交換するための通貨として使用されるまでになった。オシロイバナの種がニ十個ほどでビー玉一個、片手に山盛りで外国産のビールの瓶一本が相場だったと思う。
自宅の敷地にオシロイバナが生えていた子は、富を独占した。それに腹を立てた志緒里が実行しようとしたのが『オシロイバナ量産計画』だ。
俺は当時、両親が共働きだったので、学校から直接帰宅せず、放課後は祖父が常駐していたここの管理人室に帰ってくることにしていた。必然的に俺と志緒里は帰り道仲間だったのだ。
志緒里は俺にも強引に協力させて、集められるだけの種を集めた。そして、ポケットにぎっしり詰め込んだオシロイバナの種を、マンションの敷地内のありとあらゆる地面、花壇や植え込みなどの土が露出しているところにくまなく埋めたのだ。
種が収穫できるのは早くても翌年の開花シーズンだ。だが、その頃にはみんなもう飽きて、種の貨幣価値が暴落し、オシロイバナ経済圏は既に崩壊している可能性が高い。あまりにもリスクの大きい計画である。
学年の主だったメンバーの移り気な気性を知っている俺は、そう説明して止めようとしたのだが、志緒里は聞かなかった。
だが、計画は、シーズンが変わるのを待たずに早くも破綻した。
マンション中に埋めた種が、ある日一斉に芽を吹き出したのである。至るところから生え出した雑草は、大人の注意を引くのに十分だった。
競合の賃貸住宅オーナーの陰謀ではないか、このマンションの資産価値を下げようとしているのでは、とパニックに陥りかけた祖母を尻目に、祖父は、事態を正確に見抜いていた。
祖父は黙って、機をうかがった。そして、そうとも知らない俺と志緒里がのんきにじょうろを持って芽に水やりしているその瞬間、現行犯で俺たちの首根っこを押さえたのである。
◇
「今思えば私たち、ひどかったよね」
ふふっと思い出し笑いに志緒里の肩が揺れる。
「私たちって言うけど、俺は一応、反対はしてたぞ」
まあそれは分かってるけど、と志緒里は頬をふくらませた。
「でも、アツのおじいちゃんが一か所だけ残してくれたじゃない。あの裏庭のオシロイバナの世話はほとんどアツがやってたでしょ」
祖父は強面で知られる町内会の世話役的な存在で、俺の小学校時代の同級生はだいたいみんな一度は怒られたことがあった。陰のあだ名は『アツトん家の雷ジジイ』。現場を押さえられたらもう絶望しかない。
だが、そんな事情を知らなかった志緒里は、雷ジジイ相手に、果敢にもダメージの軽減を試みたのである。
烈火のごとく怒る祖父に、志緒里はまず潔く謝った。それから、瞳にいっぱい涙をためて祖父を見上げ、半泣きで言ったのだ。
『お仕事の邪魔をしてごめんなさい。反省してます。ワルいことをするつもりやなかったんよ。このお花ほんまにかわいいし、みんな、咲くのを見たら嬉しいかなって思ってたけど、うちらの考えが足りひんかった』
女子は怖い。
志緒里はもちろん、何一つ嘘をついていたわけではない。ただ、子どもたちの間にはびこっていたオシロイバナ経済を巡るあれこれや、欲得まみれの動機に関する情報を開示しなかった、というだけだ。
だが、娘も女孫もいなかった祖父に、その涙ながらの「純粋に花が好きな女の子」風の弁明は刺さった。深く深く、ぶっ刺さった。
『……まあ、そういうことならしょうがねえな』
子ども相手に祖父が譲歩するのを見たのは初めてだったと思う。ぽかんとする俺を尻目に、多少日当たりの悪い所ではあったが、祖父はマンションの裏手の、避難通路になっていた一角に植えたオシロイバナだけは残してくれたのだった。
今も大きな瞳にくっきりした目鼻立ちで、かなり美人の部類である志緒里が、当時からアイドル並みに愛くるしい子だったのも、今よりも強く関西なまりが残っていたのも、祖父の敗因だったかもしれない。ジジイというのは、実にしょうがない生き物である。
「白やピンクだけじゃなくて、黄色い花のもあるんだーって、裏庭のオシロイバナ畑で初めて知ったんだよね」
志緒里は感慨深げに目を細めた。
俺にはそれが少し意外だった。
あの花を、志緒里も見ていたのか。