10 モチーフの名前
時間が止まったような気がした。
耳から入った情報を、脳が処理してくれない。
「告白?」
「犯人?」
たっぷり十秒、二人で見つめ合っていたと思う。
衝撃からわずかにでも立ち直ったのは、志緒里の方が一瞬早かった。
「ちゃんと説明して、アツ」
ふてくされたように、唇をとがらせる。
何がどうなっているのかわからないまま、俺は手に持っていた折り紙カードをテーブルの上に広げた。
「これ、志緒里だろ」
「うん。でも、何でそう思ったの?」
虹の七色を巡る推理を披露すると、志緒里は真っ赤な頬のままでうなずいた。
「そう。やっぱり、覚えててくれたんだね」
「うん」
「で、何で、五年もたって急に白状してきたわけ?」
「この折り紙がさ」
俺は届いた順番にカードを並べた。
「ジュゴンだろ。次が花。靴。扇。移植ごては、ちょっと難しかったけど、最後のモチーフがきてわかった。シャベルって読めばいいんだよな。で、最後がロケット」
なぜか、途中から、志緒里は机に突っ伏してしまった。
「あの、志緒里。大丈夫?」
「いいから続けて」
突っ伏したままの彼女から、怒ったような声がくぐもって聞こえてくる。
「で、虹の七色から志緒里の名前を導き出すのがヒントだと思った。今度は、モチーフの名前の頭文字を拾えってことかと」
「うん」
「ジュゴンのじ、花のは、靴のく、扇のお。シャベルのしに、ロケットのろ。続けると、じはくおしろ。『お』は『を』の代用だから、自白をしろって言ってるのかと。残った折り紙は黒と白だ。これも、白黒はっきりさせろって意味かなと思った。そしたら、心当たりは、五年生の時ものすごい迷惑をかけたあの一件しか思い当らなくて」
俺はもう一度頭を下げた。志緒里は机に突っ伏したままだったから見えてはいないと思ったが、そんなことは関係なかった。
「本当に、あの時の俺はガキで、後先が見えてなかった。迷惑を掛けたのに、名乗り出る勇気もなかった。ただ、これだけは信じてほしい。志緒里に恥をかかせるつもりとか、浮かれさせて陰でどうこうとか、そういう、あの時竹内が言ってたようなつもりは本当になかったんだ」
志緒里は突っ伏したまま、何も言わなかった。
顔が見えていないから、言えたのかもしれない。俺はぽろっと付け足していた。
「本当は、志緒里のこと、ちょっと好きだったと思う。気持ち悪いって思わせたら悪いし、今さら迷惑掛けるつもりなんかないから気にしないでほしいんだけど。つらい思いをさせたのにそんなことを免罪符にするつもりはないけど、でも、悪意があったわけじゃない、ということだけは伝えたくて」
「もう。アツのアホ」
「はい。そのとおりです」
平謝りに謝るしかない。
「ちがう。そうじゃなくて。あーもう」
相変わらず、真っ赤なままの頬で、ずるずると志緒里は起き上がった。
「なんでジュゴンなん。真っ先にそれ出てくる? アザラシでしょ、どう見ても!」
「えっ」
きょとんとした俺に、噛みつきそうな剣幕で言う。
「花じゃなくて、つばき! 花の真ん中のとこ、立ててるじゃん! 次のは、確かにわかりにくかったかもしれないと思うけど、靴?! ありえない」
「ええと、じゃあ、これは」
勢いに押されて俺が恐る恐る尋ねると、彼女は口をへの字にした。
「ダンスシューズ。でも、男女、って読んでもらっても大丈夫だって思ってたけど。二足あって、ハイヒールと革靴だよ。なんでわざわざ靴」
「あの、すみません」
思わず敬語になりつつ、俺は残りのカードを指さした。
「じゃあ、これも、もしや、読み間違いを」
「言わせる? それ、私に言わせる? くそう、アツのくせに。小学生の時はあれだけ紳士だったくせに、結局そういう鈍感なとこ。そういうとこだよねえ。くやしい」
志緒里はさらに頬を赤くして、またつっぷしてしまった。謎に罵倒されっぱなしの俺がどうにもできずに手をこまねいていると、地獄の釜の底から響くようなくぐもった声が聞こえる。
「イチョウ、スコップ、教会!」
「え、この扇みたいなの、イチョウ? だって紫じゃん」
「色はしょうがないでしょ! 変えられないもん」
「じゃあ、この真ん中のところが少しだけくっついてないのって、のり付けが甘いんじゃなくて」
「わざとにきまってるでしょ!」
イチョウの葉の中央にある切れ込みのつもりだったらしい。
「で、スコップ? って何。これ、シャベルだろ。スコップって言ったらあの柄の長いやつ」
「うそやん! しゃがんで使うやつはスコップで、立って使うやつがシャベルでしょ」
「え、それ逆」
「いやいやいや」
むくっと起き上がった志緒里は猛然とスマホに手を伸ばした。検索して、うめき声をあげる。
「うーそーでーしょー」
そのまま、スマホの画面をこちらに向けてきた。
検索結果ページの先頭には、志緒里が打ち込んだ検索ワードが表示されている。
『シャベル スコップ 違い』。
ページ中央の簡易説明ボックスにハイライトつきで抜き出し表示されていた、『関東では習慣的に、移植ごてのことをシャベル、土を掘る道具で柄の長いものをスコップと呼ぶが、関西では逆である』、という文章が、どうやら彼女の見せたかった部分らしい。
エマちゃんもこの道具のことはシャベルと言っていたし、俺の通っていた幼稚園でもこれはシャベルと呼ばれていたので、俺も疑いもしなかったのだ。
「まさか、こんなところで関西に足を引っ張られるなんて。もうすっかり捨てたと思ってたのにー」
「え。でも、今でも、うそやんとか、なんでなんとか、言ってるし」
「言ってない」
「いや、ついさっきも言ってた」
「うそやん。……って、あ」
思わず口を押さえた志緒里は、いつもの自信があって颯爽とした志緒里とは全然違って、すごくかわいい、と思ってしまった。
「ありがとうの、とにアクセントあるのも、かわいいと思ってたけど」
取りなそうと思っていった一言に、志緒里は俺をきっとにらんだ。
「そういうの、ほんと良くない。無自覚?」
「え?」
「ほんまにアホやで」
わざとのように、なまった言い方をする。俺はとっさに、机の上のカードを見た。
アザラシのあ。つばきのつ。ダンスシューズのだ。いちょうのい。スコップの、す。
「教会……?」
「どーみても教会」
ロケットだと思うけど、という一言を、俺はぐっと飲みこんだ。頭文字の意味が意識にようやく浸透してくると同時に、目の前の志緒里と同じくらい、頬が熱くなってくるのが分かる。
「ええと、あの」
「それで、返事がごめんなら、カワイイとか言うのは反則。だめなやつ」
「え、あ、ちが! 違う! そういうことじゃなくて!」
「じゃあ、ちゃんと返事して」
真っ赤な頬ですねたように横を向く志緒里は、やっぱりすごくかわいかったけれど、まずその前に言うべきことがある気がした。