『愛の塔』 二層目『悲愛』のテルヌス
俺達はゲートを通過し、二層目まで移動してきた。
周囲を見渡すと、不思議な事が一つあった。
それは一層目のネシスが居た場所、歪な神殿を見上げる体勢で立っていた。
見ている光景が真実なら、俺達は二層目に移動していないことになる。
「何だ、コレは……? 俺達は移動していないということなのか?」
エルは、今の状況を信じられない表情で言う。
「そんな事はありえません。私のゲートはしっかりと次の層へと繋がっていました……」
警戒した足取りで、俺達はゆっくりと歩を進める。
その数歩が起動するための条件の様に、突然、足元が水面に変化。
恐ろしいほどに透明度が高い水に反射する陽光。
その上に俺達は立っている。
先程の戦いで破壊したはずの神殿は、一切の破損が無い。
初めて見た時と同じ姿をしていた。
だが、しばらく見続けていると、何か違和感を覚えた。
今、見ているモノは本当に存在しているのか――?
その考えを見抜かれたように、女性の声が世界に響く。
「流石ね……」
「ラウル様!」
足元は湖面となり、遠方には深い森が見える。
急いで魔具を構える。
魔力を注ぐと同時に湖底から急速に上昇して来る何かに気づく。
その存在に、俺はまたかと思う。
小さな水竜が口を開き、赤い目を光らせ、鋭い牙を見せた。
その口内には玉座に座った女性がいた。
悲しい目で俺を見ていたが、ゆっくりとエルの方へ視線を向けたのが分かった。
ヤバい―― と思った時には遅かった。
方向を変えた水竜が、エルを喰う。
俺は大きな舌打ちをし、水竜に向けて『闘争の刃』を振る。
大型剣から放たれた『魔力刃』が水竜に激突するはずだった。
剣を振るった際に足場が崩れ、体勢を乱されたことで斬撃は逸れてしまった。そして、湖面に落ちる。
連続で『魔力陣』を作り出し、足場を作る。
湖面から抜け出そうとした時だった、後方から強烈な殺意をぶつけられる。
身体を捻り、その存在を確認する。
ついさっきエルを喰った水竜が向かって来た。
全身から魔力を放出し、水中に振動が伝わって来る。鋭い牙が青い光を放ち始め、急速に明滅を始める。
まさか――
二体だと?
一切の気配が無かったことに驚愕する。
だが――俺との距離はまだある。
このまま簡単に接近させる理由は無い。
足元に作っていた『魔力陣』の幾つかを魔力に戻し、再度『魔力陣』を作る。
それに合わせて体勢を変え、両足を折りたたむ。
足元の魔力で、前方へ一気に加速――
『闘争の刃』の切先を前に構え、水竜を貫く形になる。
準備が整ったと同時に、その場から一気に飛び出す。
水竜の牙の先端から飛び出す魔力。
顔の少し前で魔力によって描かれる『魔力陣』。その中心から強い青い光が生まれ、咆哮と共に『魔力砲』が放たれた。
激突と同時に、轟音と水柱が生まれる。
形を崩し、湖に落ちる衝撃と水飛沫の中から俺と竜が飛び出す。
互いの攻撃を避けながら、空を移動。
全身から魔力を放出し、『闘争の刃』の切先を水竜に向ける。
十字の斬撃を放つ。
俺の攻撃が見えないことに、竜が戸惑う。
次の瞬間、俺から竜までの間に複数の『魔力陣』が現れる。
紫色の魔力光を放つ点を跳躍し、一気に距離を潰す。
残りの二つは身体強化に回し、最高速からの蹴りを叩き込む。
首の骨が折れる感触。
素早く胸の位置に戻した大型剣に、水竜の頭部が叩き付けられる。
甲高い音と両腕が軋む痛みと共に吹き飛ばされ、素早く『魔力陣』を作り、足場にして着地。
予想はしていたが、一撃で殺せないか――
一層の黒竜に比べて動きは早いが、攻撃力は下がるな――
この場所が俺にとって不利なのは分かる。
となると、連続で攻撃を当てるよりも最大火力で一気に殺した方がいい。少しでも早く片付けて、エルを助けにいかないと――
「名前なんか気にならないから答えなくていい。たが、俺は言わせてもらう」
「俺はラウル。さあ、踊ろうぜ」
言い終わると同時に空に大量の『魔力陣』を作り出す。
陽光を邪魔する紫色の魔力光。
世界を汚された怒りを爆発させた咆哮が響き渡る。
同時に多くの光が消失。
消失と新たに作られた『魔力陣』を利用し、死角から攻撃を放つ。
『闘争の刃』が水竜の翼を半分程度まで斬り裂く。
噴き上がる血で顔が真っ赤に染まっていく。
激痛で絶叫する水竜が一気に上昇し、方向転換。
湖面に向かって加速し、そのまま激突。
戦いの場が空から水中に変わった。
「私は助けてもらえなかった……、力があるのに。それを使えば簡単に……」
「私は、愛を感じるために、常に愛を確かめるような行為を繰り返していた。それに応えてくれる彼女が……彼女を愛していた。でも、私を裏切った。許せない、許せない」
エルは苛立っていた。
水竜に飲み込まれてからどれだけの時間が過ぎたのかは分からない。
竜の体内は、異空間と繋がっていて、そこは湖の一部を切り取った円形の場だった。
空間の中心には私は座っている。
私から少し離れた場所、玉座に座っている女は深い水の底の様な青い髪。
長い髪を後ろで一つに纏めている。
肌が青白く、顔色も悪い。整った顔をしているが、病的な白さが全てを負のイメージに変えていた。
暗い湖に差し込む陽光で生まれる色のドレスを着て、黄金色の木の枝で身体を縛られていた。その手には竜の骨と皮膚で作られた杖を持っていた。
あの杖が竜と契約した証――
ったく――さっきから何を言っているんだ、このクソ女は。
しかも、何で私がお前と同じ玉座に座らなくちゃいけないんだ――
同じ者同士とか思っていたら、ブチ殺してやる。
「ねえ、エル。私の気持ち、貴方になら分かるでしょ?」
拘束された身体を少し前のめりにして、話し掛けてくる。
「お前……気安く私の名前を口にするな。殺すぞ」
怒気を込めて言う。
「エル……、お前じゃなくてテルヌスと呼んで。私と貴方の仲じゃない? 名前で呼び合うのは普通のことよ」
声に魔力が込められているようで、粘着性がある様に耳を這いずり回って響いて来る。
「勝手に仲が良いとか言うな。お前みたいなクソ女など視界にも入れたくない。早く、私に殺されろ」
普段の私なら、すぐに魔具を使って殺しにかかる。
大切なラウル様から離れてしまう原因になるモノ、それを野放しに出来るほど我慢強く無い。
そして、この粗暴な性格をラウル様に見られたらと思うと、胸が苦しくなって、この事を起こした存在を、塵も残さず消し去りたくなる。
けど、今の私は身体が動かせない。
テルヌスの力でこの玉座縛り付けられている。
「……エル。そんな乱暴な言葉を使わないで」
「貴方はとても綺麗。そんな貴方が汚い言葉を使うと、私は悲しくなってしまうわ。世界が許しても、私が許さない。だって、私の考えは間違っていないもの」
溜息を一つ。
「よくもまあ、それだけ自分の考えに自信が持てるな」
「どうして? 自信を持つのは当たり前でしょ」
人生の中で一度も考えたことが無い様な表情で言う。
言った私が思うのも矛盾があるが、自分の考えを貫くことは重要だと思う。
しかし、それを全てにおいて行うことは無理だ。
例えば、殺し合いの中で、相手の気持ちなど考えている暇は無い。
あるのは二つの結果のみ。生き残るか死ぬかだ。とても単純な話になる。
テルヌスの状況は、シンプルに片づけることが出来ない理由が山積していたに違いない。
溜息が出る。
何故だろう――?
普段の私なら、魔力を最大限に放出して玉座を無理矢理にでも壊す。
それをしていない。『束縛の箱』から腕が出ていない。
テルヌスから向けられる視線。
――私の、
ラウル様への愛を世界から否定されたら――
ははっ、私ならこの世界を壊す。完膚なきまでに――
「どうしたの? 何か嬉しそう。ねぇ、教えてエル」
何十年来の友人の様に聞いてくる。
「くだらない。お前の愛は偽りだらけだ」
「お前は、私が見てきたクソ女の中でも少しはマシな方だから言うが、どうして信じない!」
「裏切られる恐怖なんてどうでもいいじゃない!」
「私は愛している! 世界が……愛した人が……裏切ったとしても。耐えられない痛みぐらい分かる、だけど、自分の愛を疑ったら本当に終わる!」
「でも!! 孤独は嫌! 愛したのなら愛して欲しい。何度も愛し合った間なのに……何故、それを捨てるの! それなら最初から愛さないで欲しい」
「子供みたいなことを言うな! 壊れない愛なんて存在しない。自分が信じた気持ちを裏切るな!」
「それなら……どうすればいいの!!」
テルヌスが悲痛な叫びを上げる。
魔力を帯びた声は鋭い刃の様に、私の胸に突き刺さる。
肉を裂かず、心を傷つける。
凄まじい激痛。視界が揺れ、吐き気がする。
速効性の毒の様に広がる不安。意識が遠のいてしまう。
――ふざけるな。勝手なことを言いやがって。
激痛と不安に耐えることで、眉間に皺が寄ってしまう。奥歯が砕けてしまうほどの歯軋り。
「聞け!」
「私は愛している!! そのぐらい気合を見せろ! 誰に何を言われても、どんな結果になろうとも!」
「その結果、世界を破壊したとしても受け入れろ! 全ては自分で決めたことだ」
相手の心に突き刺さるように感情を込めて叫ぶ。
沈黙。
長い沈黙が続く。
そして、無音の世界が動き出す。
「エル……。貴方は本当に凄いわ……」
「私は……その強さを持てなかった」
「自分で決めたことで生まれた結果も受け入れられず、愛した人を恨み始めた。本当に……最低ね」
言い終えたテルヌスの表情が柔らかくなる。
「貴方が愛した人が、私の竜を殺してしまいそう。それは困る……いや、それでいいのかも」
「ねぇ、エル。最後に一言」
「私は、貴方の様な人と会えて良かった。この『塔』で、いつ終わるか分からない世界で、世界を憎み、愛した人の全てを憎む前に」
「そんな事を言わなくていい。テルヌスが出した結論に何か言うつもりはない。私は、私を貫くだけだ。その結果、世界から憎まれても、私の愛は変わらない」
「ありがとう……エル。本当にこれで最後……」
「私は『悲愛』のテルヌス」
周囲の景色が歪み始め、光が溢れる。その強い光には私は目を閉じる。
爽やかな風に混ざってラウル様の匂いがする。
同時に心地良い温度が首と両足に感じる。
ゆっくりと目を開くと、視線の先には愛している人の顔があった。
「大丈夫か?」
甘く響く優しい言葉に、「はい、大丈夫です。ラウル様」と返す。
抱き上げられていた身体がゆっくりと下される。
この層に来た時に存在していた、湖は消えていて、今は草原になっている。
「エルが水竜に飲まれた時は焦った。俺の判断が遅かった、すまない」
頭を下げる。
突然、ラウル様が頭を下げたことに慌ててしまう。
早口で、「ラウル様、私は大丈夫ですから気にしないで下さい。あの状況では回避することは不可能です。併せて、この層に来た時に覚えた違和感からの連続でしたし」
頭を上げたラウル様が、「エル、ありがとう。でも、今度は気をつける」
強い視線が、私の顔に当たり、一気に身体が熱くなった。
ラウル様―― 愛しています。
「あ、あの……次の層へ向かうゲートを作ります。少し待っていてもらえますか」
顔が赤いのが分かる。何だろう、凄く恥ずかしい。
「ああ、頼む。ところで、この層の『魔具使い』はどんな奴だった?」
「……悪い奴ではないと思います。ただ、もう少し……心が強ければ良かったと」
「そうか……。エルが認めるぐらいの存在なら、俺も会ってみたかったな」
ラウル様の言葉から、今の感情が何かから影響を受けている。
多分、テルヌスの魔力がまだ心に残っているからだ。
――まあいいか。
新たなゲートが出来上がり、ラウル様と私は次の層へ向かった。




