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7 ジーノの成果

 あれから数日して、学園に登校すると何やら色んな人からの視線を感じた。騒がしかった一年生の階の廊下が一瞬にして静かになってしまい、私は何事か起こったことを察した。


 そそくさと教室の自分の席に着くと、隣の席から「なあ」と声をかけられる。彼はうちのクラスの委員長だ。黒髪が艶やかな、知的な眼鏡の青年である。


 ペンが向こう側に落ちると拾ってくれるので、きっといい人なんだろうなと思っている。しかし普段からよく話すわけでもないのに、何か用事だろうか。私はとりあえず「はい」と丁寧に返事をしてみた。


「差し出がましいことを言うようだが…」

「?」

「その、大丈夫か?」


 委員長の顔には「心配」とはっきり書かれている。彼が心配してくるなんて、珍しい。そもそも話しかけてくること自体が珍しいのに。


「ええと?」

「噂になっている。ウィルヴィニー先輩が、所構わずしょっちゅう喧嘩していると」


 な――なるほどね!


 私は口元を覆って視線を彷徨わせた。はやい。仕事がはやいよ、ジーノ君。


 無言で震えていると、委員長はそんな私を労わるように「お前も大変だな」と言ってくれた。やはり大分いい人である。


「まさか、あの三年間ずっと首席を飾ったウィルヴィニー先輩が…」


 そうなのだ。ジーノ君は在学中ずっと首席だったのだ。だから本来の彼は真面目で優等生。それが別方向で本気を出すとああなってしまうのだ。やるなら徹底的にとは恐ろしいものだ。


 私が高等部に入学してから―ジーノ君がああなってから―委員長の言葉を何度先生から聞いたか分からない。それ程ジーノ君自身は先生たちからの評判も良かった。


 ともかく、委員長に心配されるくらいだ。ジーノ君がどれだけ人様に喧嘩をふっかけているか、考えただけで私は頭が痛くなった。




「どこだ…どこにいる…」


 私は授業が終わると、その足でジーノ君を探しに向かった。喧嘩は当然ひとりではできない。どこの誰か分からない通りすがりのお方にむやみに喧嘩を吹っかけているのではないか、とても心配になった。


「ジーノ君、無関係の人に迷惑をかけちゃだめだよ……!」


 本来そういうことをしない人だとわかってはいるが、ここのところのジーノ君の行動力からして、「やりかねない」と思うようになっている。


 通りを何本も走り、小道を覗く。彼のことだ。きっと人目につくところでやっているはず。人の集まるところへ思いつくままに駆けていると、六か所目でとうとう知らない方にいちゃもんをつけているジーノ君を見つけた。


「おいおい、ぶつかっただろ今」

「な、何言ってんだ。二メートルは離れてただろう」

「ああん? 知らねえよ」


 む、無茶だ。二メートルも離れていた相手に「ぶつかった」と主張するのは無理がある。私は慌ててジーノ君の胴を捕まえ、知らないお兄さんから引き離した。


「ぐ! なんだ離せ」

「ジーノ君流石にやりすぎだよ!」


 小声でジーノ君を諫め、目の前のお兄さんに「早く行って」と顔で訴えた。しかしジーノ君はそれでもお兄さんに難癖つけるのをやめない。


「ぶつかっておいて逃げるのか」

「だ、だからぶつかっては」

「おいおい、ぶつかっていない証拠はあるんだろうなあ」


 文句のつけ方がプロだ。まったく論理的じゃない。これは相手も閉口するだろう。


「おら、謝るとかあるだろうが」

「あ、謝るったって」

「ああん?」

「す、すみませんでした……?」

「それでいーんだよ」


 ジーノ君はケロリとして頷き、今だしがみついている私をはがした。


 いいんだ。それでいいのか。


 私は片手をあげて去っていくド派手な上着の背中を呆然と眺めた。さぞお兄さんもびっくりしていることだろう。私は悪くないけれど、謝らなくてはならない気がした。


「あの……すみませんでした」


 気まずさいっぱいの私に対し、お兄さんの返事は「ああ、いいのいいの」と大変気楽なものだった。それがあまりに気楽で気安かったので、何だか妙な感じを覚えた。


もしかして、と思い「茶番ですか」と尋ねてみた。


「あはは、まあそうだね。頼まれて?」


 笑うお兄さん。私はガクーッと膝を地面に突いた。


「ジーノとは知り合いなんだ。昨日台本を渡されてね」


 出た台本。


「目立つところでやるっていうからちょっと緊張しちゃったよ」


 なんて良い人なんだ。膝についた埃を払い、立ち上がる。お兄さんは「何人かに頼んでるみたいだよ」と笑った。笑い事ではない。


「ま、彼の目的は達成できたかな」


 私たちの周りには人だかりができていて、こそこそと「あれがウィルヴィニーの……やっぱりあそこの息子ね」と囁く声が聞こえる。お兄さんは「君も大変だね」と労わりの言葉を残し、去っていった。私は心底悲しくなった。

 

 ジーノ君の暴走をどうしたらいいのか。非常に難しいことを考えながら家に帰ると、誰か来ているようで家の物ではない馬車が停まっていた。誰だろうか、取引先の人だろうか。直に家に来るとは珍しいと思いながらエントランスに入ると、丁度客人と父の会話が応接間の方から聞こえた。


「ですから、お嬢さんとあのウィルヴィニー家のご子息との結婚は考え直した方がよろしいかと」

「うーん」


 拾った会話が気になり過ぎて、階段の途中で足を止める。


「聞けば酒場に入りびたり、人と諍いばかり起こしているそうではないですか。これではウィルヴィニー家の没落に拍車をかけるばかり。むざむざそんな家と結婚して、シャレット家が害を被ることありませんよ。貴族の家なら他にもあるのですから」


 どこの誰だか分からないが、至極真っ当なことを言う。父にそんなことを言いに来る人なんて初めてだ。私はハッとする。


 ジーノ君の努力は無駄ではなかったのだ。現にこうして、彼の悪評を掲げて我が家に婚約取りやめを勧めに来る人が出て来た。成程、外部からの力。私は心の底で「意味があるのか」と思っていたジーノ君の活動の意義を目の当たりにする。


 気になるのは父の反応だ。私は足音を立てないように上りかけた階段を降り、階段下にある応接間近くの暗くて狭い空間に身を隠した。


 ここで父が婚約解消に向けて前向きな答えを出したなら。


 私とジーノ君の婚約は流れる方向へ進むかもしれない。そう考えると、私の中でずきりと何かが痛む。


 半信半疑だった。ジーノ君がいくら頑張っても、きっと私たちは取り決め通り結婚するのだと思っていた。いや、そう願っていたのかもしれない。


 どうしたって私はジーノ君と離れる未来など想像ができないのだから。


 けれど、本当に事が動き出してしまったら。私の心臓がドクリドクリと嫌な脈を打つ。


「シャレット家は、ウィルヴィニー家との婚約を―」


 ジーノ君…!


「反故にするつもりは無い」


 その一言が、安心して良いものか、どうなのか。判断するには、父の声は冷た過ぎた。


お読みいただきありがとうございました!

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