6 こちらの事情
夕日に色づくオレンジの街をジーノは歩いた。すれ違う人々の目も気にせず、「マリーノ」と書かれた目当ての看板がかかる店のドアを慣れた様子で開いた。
「らっしゃー…い!??」
店の入り口を振り返った店主のシルヴィオの声が驚きで跳ね上がる。今日はディナーショーなんて頼んでいないぞ、と軽い混乱を起こす。そもそもディナーショーなんてこの店で開いたことなど無いのだが。
「暑かった」
現れた客は店内に他の客がいないことを確認すると、もさっとアフロに手をかけ、すぽんと頭から外す。続いてサングラスを取れば、もうシルヴィオの見知った顔だった。
「……なんだ、ジーノか…どこのスターが来たかと思った…」
「歌わないぞ」
「頼まねえよ」
常連のジーノがこんな格好をしている理由は一つしかない。シルヴィオはカウンターに腰を下ろすジーノに「アニエスと会って来たのか」と尋ねた。
シルヴィオはジーノの事情を知る数少ない内の一人である。
「ああ…」
覇気のない返事にシルヴィオの眉が上がった。
「元気がないじゃないか。女好きで派手者のジーノが」
「別に。いつも通りさ」
「アニエスに何か言われたか。そろそろ呆れられてるだろ」
「前から呆れてる」
ジーノはつまらなさそうに頬杖を突くと、店にかかるポスターを眺めた。海を背景に、男女が手を繋いでいる。
「じゃあ何だ、遂に嫌われ…悪かったって」
「そう睨むなよ」と言いながら、シルヴィオはジーノの前に冷たいレモン水を置く。
「嫌われてはいないが、好かれてもない」
「え、あれでか?ああ、そういうこと」
シルヴィオはジーノの言いたいことを察し、斜め上を見ながら何と言おうか悩んだ。ジーノが言う「好き」は恋愛対象としての「好き」である。アニエスがジーノを慕っているのは目に見えて明らかなのだが、婚約者と言えど、どうやら彼女がジーノに対して抱く感情は恋とは違うらしい、と当事者は言う。
「俺が彼女達に頼んで、アイツの前に立った時の気持ちが分かるか? 嫌われる決死の覚悟だった…」
「ああ……前の日死にそうな顔してたもんな…」
女好きと謳われる原因である、ジーノが侍らしている美女たち。皆ジーノの事情を知っていて協力している物好きだ。大体ここの常連で、「何それ面白そう」と乗っかってくれた。
ジーノが彼女たちと共にアニエスの前に現れた時。アニエスは驚きこそしたが、別に嫌な顔もせず、ましてや妬きもせず。ただただ、「何してんの」という目をしただけであった。
その時、ジーノの胸中は。
嫌われなくて良かったとホッとしたのではない。薄々そうなのではないかとは思っていたが、アニエスが自分のことを恋愛対象としていないことを確信して絶望したのだった。
そして本日。自分が他の誰かと結婚したらどう思う。ジーノはそう尋ねたつもりだった。しかしそれ以前の情報がアニエスにとって激し過ぎたため、不発に終わる。あの「つらい」にはジーノの求めるような感情は何ひとつ込められていなかった。
「俺が馬鹿だったよ…」
ぼそりと呟くジーノに、シルヴィオは哀れんだ目を向けた。ジーノが心を殺し、アニエスを守ろうとするのは間違いなくジーノの愛情だ。それなのに、アニエスにイマイチ伝わりが悪いのが不憫でならない。
「そんなに好きなのに、報われないなあ…」
独り言のようにシルヴィオがため息を吐く。口を出してやりたいが、如何せんジーノが求めるものが大きすぎてどうしてやったらいいのか分からない。
「結局、俺の勝手だからいい。俺はアニエスとの婚約を無しにするのが一番大事だ」
「それで家を潰すかね」
ジーノの顔が険しくなる。自分だって、家を何とかしたい。だが、もはやウィルヴィニー家は外から見るよりもずっとボロボロなのだ。両親は何の根拠もなく続くと思っている自分たちの優越を信じて疑わない。荒れ放題の領地が増えたことを自分たちのせいとは思わず、疲弊していく領民や従者たちへのあたりを強める一方。しかも、自分たちは王領で過ごしながら。
自分の代まで持つまい。いや、持たせてはならない。家を継続させる方法が、アニエスとの結婚ならば尚更。
「解せないのが、アイツの家が何も動かないことだ」
アニエスの生家、シャレット家が目に見えて落ちぶれそうな我が家と未だに繋がろうとするメリットが分からない。いつか代替わりしてジーノに期待しているならば、楽観的過ぎる。
「そもそも、自分の娘が酷い目に遭うことが予想されるのに嫁がせようとしているんだから、あの父親も冷徹と言えば冷徹なんだが」
そうまでして貴族と繋がりたいのか。財産のある人間が次に得ようとするのは権力と聞くが、侯爵と言えどもこんな我が家の名前がどうして名誉になり得るのか、ジーノには想像がつかない。
「とても商売に箔が付くとは思えないけどな」
同じ商売人として、正直な感想を零しながらシルヴィオは首を傾げた。
「俺は俺の活動を続けるよ」
ジーノは肩を竦めた。
「シルヴィオ~今日のおすすめは…!?」
ふいに店のドアが開く。ジーノは瞬時にアフロを被り、サングラスをかけた。新たにやって来た客は、カウンターに座る見慣れない格好の人間に思わず一歩後ずさった。
「ディ、ディナーショー?」
シルヴィオは身に覚えのある反応に、無言で首を振った。
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