5 別々の想い
「家にお前が嫁ぐなんて、可哀想なことさせられない」
いつになく弱って見えるジーノ君の悲しそうな口ぶり。不謹慎だが、私は少し嬉しくなった。
私はこれまでの付き合いで、自分が一番仲良しであると自惚れている。
それなのに最近は婚約解消を勧められたり、会う頻度が格段に減ったり、会うにしてもこうしてコソコソとしか会ってもらえなくなったり。ジーノ君はひょっとしたら、私が思う程親しいと思っていなかったのかもしれないと恐れていたのだ。
「ジーノ君…」
「お前だけでなく、嫁がされる誰もが気の毒だ。何なら領民も可哀想だし、家に仕えている従者たちも皆可哀想だ」
浮き上がった気持ちがスッと着地した。そうだ、ジーノ君はこういう人だ。皆に優しい。それがジーノ君なのだ。
ひょっとしたら、慕っているのは本当に私からの一方通行かもしれない。今まで仲良し過ぎてあまり考えたことはなかったが、一度距離感を見直した方がいいのだろうか。
「…別に、それならこうやって会わなくても…ジーノ君が私に嫌われれば早い話じゃん…」
弱冠荒んだ気持ちで可愛くないことを言ってみた。私がジーノ君を嫌えば、私だってすんなり「どうぞ白紙にしてください」と言うだろう。
「そうしたら台本なんてなくても…」
「ジーノ君の計画通りに行くじゃない」と言おうとしたが、視線を上げて目に飛び込んできたジーノ君の顔を見たら思わず言葉が途切れた。
目がグワッと開き、三白眼が射殺すような眼光を放つ。
「は?」
キレ気味にそう言われ、私は固まった。続いて低い声で「もう一回言ってみろ」と脅される。
「あ、あの、いや…」
あまりのおっかなさに言い淀む。どうしよう、こんな顔初めて見た。余程言ってはいけないことを言ったらしい。
「俺が、お前に嫌われて平気だと思うか?」
ジーノ君がキレながら問いかけてくる。
え、何その質問。「いいえ」が正解のような気がするけど、私凄く調子に乗ってる人みたいでは。
かと言って「はい」と答えたくないのも自然であり。
「お、思いません…」
逡巡の結果否定をすると、ジーノ君は「よし」と頷いて椅子の背にもたれかかった。「人の気持ちも知らずに…」とか何とか聞こえたが私には真意が分からず。
「どういうこと?」
「いい、いい。俺はお前が大事だってこと」
アフロを左右に揺らしながらジーノ君は呆れ声で言った。私は釈然とせず、ジトリとジーノ君を見たが、彼はそれ以上言う気は無いようだった。その代わり「言っておいた方がいい気がするな」とぼそりと呟く。
「あんまり酷い話だから黙っておこうと思ったが、言っておくことにする」
「え、まだ酷い話があるの」
「うん。悪いな」
私が身を後ろに引いて「ええ…」と嫌な顔をすると、ジーノ君は軽く謝った。
「家の奴らが、お前の家の事完全に金としか思っていないと言ったと思うが」
「聞きました」
「金を引き出すだけ引き出した後、お前を離縁させてその金で王都のどっかの自分達と似たような家と縁組させるつもりらしい」
「???」
ん?私は今何を聞いたのだろうか。聞き間違いでなければ、更なる凶悪な目論見が聞こえたような。
幻聴だといけないので、ジーノ君にもう一回言って欲しいと頼むと、ご丁寧に一言一句違わず同じことを聞かされる。
「…すごくない?」
気持ちが追いつかず、私の口からは純粋な驚きしか出て来なかった。
「そういう反応か」
「いや、びっくりし過ぎて」
一体どういう反応を期待されていたのだろうか。いやだってまさか…嘘、本当にすごい。語彙を奪われ、もはや他の言葉が浮かばない。
「お前を捨てて、俺が他の奴と再婚したらどう思う?」
「つらい」
知能の下がった状態でそんなことを聞かれても。つらいの一言に尽きる。
「よし、分かった。俺が悪かった」
どことなく投げやりな感じで、ジーノ君は私の頭をガシガシと撫でた。
「まあ、だからな。そういう訳で、このまま俺と結婚したら大変なことになる。そもそも、あんな家、野放しにしちゃいけないんだ」
ジーノ君はいつの間にか優しい顔になっていた。そんな顔で、そんなことを言うものだから、私の心配が余計に募るのだ。
「私との婚約も無くなって、お家も無くなったら…ジーノ君はどうするの?」
堪らずに私は彼に尋ねる。しかし、彼は朗らかに笑った。
「んー…お前ん家で雇ってもらおうか」
ふざけたことを言う。それが本気なのか、何なのか。内心腹が立ったが、ジーノ君がどこか遠くに行ってしまうのでなくて良かった、と安堵する自分が居るのも事実。
「お前は俺の事よりも自分の心配をしていなさい」
そんな恰好で真面目なことを言われても、いまいちピンを来ないのは私のせいではないはずだ。
カフェを出れば、まだ強い日差しが残っていた。隣に立つジーノ君は元々長身のくせに厚底なんて履いているものだから、地面に異様な長さの影を作っていた。
次回からは悪目立ちだからやめた方がいい、と言おうと見上げれば、当の本人は「まだ眩しいな」等と言いながら大きめのサングラスをかける。いよいよ不審な感じが高まった。
通報されやしないかと辺りを見回したが、幸い通りに人は居なかった。私が胸を撫で下ろしていると、ジーノ君の声が高いところから降ってくる。
「喧嘩三昧の奴をどう思う」
何てことを聞いてくるのだ。私は「どうかと思う」と答えた。
すると、ジーノ君は「だよな」と頷く。まさか。
「ジーノ君!」
呼び止めるも、彼はスタスタと手を振りながら歩いて行ってしまう。
「もう十分だよ!十分最低な感じだよ!」
「ありがとう」
妙に的のずれた言葉を投げ合う。彼が更に評判を落とすために、今度は喧嘩事に手を出そうとしていることは明らかだ。
どんどんえらいことになって行く。本気だ。ジーノ君はやると決めたらやる。彼の言う通り、私がどこかのタイミングで「白紙にして」と台本通りに言わなければ、彼は益々自ら身を落とすのではないか。
並々ならぬ不安が私を襲った。
ど、どうしよう。でも台本通り言ったからと言って、事態がジーノ君の望むようになるだろうか。
「いや、厳しいんじゃ…?」
幾度考えても、私の答えは同じだ。ウィルヴィニー家の評判は下がり過ぎて既に地面にめり込んでいる。いくら彼が身を挺して自身と家の評判を落としたところで、今更我が家が動くような大事にはならない気がする。
「何とかしなくちゃ…」
あの行動力の化身をどうにかしなければ。私は頭を抱えながら、髪を元に戻すべく、サロンに戻る道を駆け抜けた。
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