4 奇妙な逢瀬
約束の日。私は学園から全速力で帰ると、大急ぎで服や靴を持って家を出た。予約していた美容院で髪をセットし着替えると、次は待ち合わせのカフェに走る。
しかし、そこにジーノ君の姿はまだない。時計を見れば、約束の時間から15分も前だった。
とりあえずカフェに入り、席を確保することにしよう。
「いらっしゃいま…」
私を見た店員さんが、ギョッとする。心なしか店内のお客たちの視線も集まった。気合を入れ過ぎただろうか。
内心ドキドキしたが、平静を装って「もうひとり来ます」と店の人に伝え、窓際の席に座ってジーノ君を待つ。
今日は何の用事だろうか。ジーノ君からこうして呼び出しを受けることは初めてではない。前回は例の「婚約を白紙にしてやろうか」の続きの台本を渡された。私が家に帰って破り捨てたやつだ。
あれもどうにかならないものだろうか。一生懸命なジーノ君には悪いが、はっきり言って、彼の台本通りにしてもうまくいく気がしない。
俺『婚約を白紙にしてやろうか』
アニエス(以下ア)『何ですって』
俺『貴族以外を人間とも思わない俺の家にお前が(略)』
ア『よくそんなことが言えるわね!最低最悪のウィルヴィニー家なんか、こちらこそ願い下げだわ!』
俺『何だと!こっちこそ、金しかないお前と結婚なんて、侯爵家の名が泣くぜ!』
ア『(号泣しながら)酷いわ!!』
私はしっかり読んでから捨てた、設定キャラ濃い目の台本の一部を思い出し、頭を抱えた。
公衆の真ん中で罵り合い、誰の目から見ても破談が確認され、ウィルヴィニー家の益々のご転落を予想されれば、私との婚約も見直されるのではないか、あるいは本当に破談に持ち込めないか、と狙っているのだ。
「諦めてくれないかなあ…」
正直なところ、ジーノ君のことがなければウィルヴィニー家に嫁ぐ選択肢はない。私も街の人々同様、あの家のことは良く思っていないのだ。
ただ、私はジーノ君のことは本当に大事に思っているので。
彼の目論む道が彼自身の破滅へ直行しているようにしか見えないため、どうしても彼の計画に加担することはできない。
だって、私との婚約が白紙になって、なおかつお家が潰れてしまったら、ジーノ君はどうなってしまうのだろうか。
「はあ…」と無意識にため息が零れたとき、店内がざわついた。
私のいるテーブルに影が落ちる。ジーノ君が来たのだ。顔を上げ、彼と目が合った瞬間。
「……」
「………」
私たちは黙った。互いの姿をじろじろと眺める。そして。
「…よくそんな恰好で平然としていられるな」
先に口を開いたのはジーノ君だった。ジーノ君は無遠慮な視線で異様なものでも見るように私を見ながら、向かいの席に着いた。
私は窓に映る自分の格好を今一度確認してみる。
いつもストレートに下ろしている髪はさっきサロンで思い切り巻いてもらった。美容師さんに「こんな感じですか」と確認される度に、まだ緩い気がして「もっといけ」と注文をつけていたら初めは楽しそうだった美容師さんの顔が段々不安そうになっていったけれど、私は大満足の仕上がりだ。
超絶くるっくるになった髪をツインテールにしてもらい、私の頭には今綿あめが二つ乗っているような状態だ。
服も普段と違うものをチョイスしている。黒と白のストライプのワンピース。袖口や裾周りにこれでもかとフリルとレースがあしらわれている。ショップの店員さん激推しのアイテムだったはずだ。
靴だって厳選した。滅多に履かないが、こういう機会ならばと思い切った厚底の編み上げブーツ。いつもより15センチ高い世界は気分がよかった。
大体、私達だと分からないように変装をして来いというから、毎度頭を悩ませて普段と違うスタイルを楽し…いや、頑張っているというのに。その反応はいかがなものか。渾身の変装にケチをつけられては、私も黙ってはいられない。
「その言葉をそっくり返すよ」
今度は私がジーノ君をジロジロ見る番だ。
目の前に座るジーノ君は、いつになく頭が大きかった。
アフロ。
ふわふわとした黒い塊がふよふよと揺れる。言わずもがな、ヅラだ。ジーノ君は変装のためなら何の躊躇いもなくヅラを被れる人なのだ。
それに加え、白の革ジャケットにはラインストーンがギラギラしていたり、肩から鋭利なトゲが生えたりしている。既にコンセプトがよく分からない上に、真っ赤な厚底のブーツも物凄く目を引く。全体的に目が痛い。ワンマンショーでもやるつもりか。
ジーノ君の格好は、一体どこで買ったの、というアイテムが飽和していた。主役級のアイテムが勢ぞろいして、どれがメインか分からない。
「…」
ジーノ君も文句をつけられたことが不満らしく、私としばし睨みあう。
「…厚底が被ったな」
「そうだね」
やがて、フッと息を吐き視線を逸らしたジーノ君はこの不毛な争いに終止符を打った。「誰か分からない」を基準で見れば、私たちは相当高いレベルで戦えていると思う。でも別に戦う必要は無いのだった。
張り詰めていた空気が緩んだのを察したのか、タイミングを見計らっていた店員さんが非常に気まずそうにメニューを持ってやってきた。
「ど、どうぞ」
それぞれ渡されたメニューにサッと目を通し、そしてパッと店員さんに返却する。
「キャラメルフラッペチョコレートソースがけミルク多めで」
「アイスコーヒー」
直ぐに返されたメニューとオーダーに店員さんは明らかに戸惑った様子だったが、しっかりと注文を復唱し、メニューを抱えて戻って行った。
「とても甘そう」
「今日はそういう気分だったの」
他愛のない会話をしていると、頼んだものがやってきた。店員さんはフラッペとコーヒーを置くと、逃げる様に小走りで去って行った。信じてもらえないかもしれないが、怪しい者じゃないんだけど…。
だが、これでしばらく席には誰もより付かないだろう。私は「それで?」とジーノ君に問いかける。
ジーノ君は「それで?じゃない」と不満顔だ。
「台本はどうした。段取りが何もかも違うんだが」
「破り捨ててやったよ」
「何だと」
ジーノ君がテーブルに肘をついて前屈みになると、ワサッとアフロが揺れた。
頭部が気になって話に全然集中できない。どうして前回のイケメンスタイルで来なかったんだ。色んな意味で恨めしくジーノ君を見ると、彼はムスっとして言った。
「…お前の家の様子はどうだ」
「相変らずです。お父さんもお母さんも、何にも気にしてない感じ」
「はああああ」と重量級のため息がジーノ君から漏れる。
「お前んとこは平和だろうから本気で分かっていないのかもしれないが…うちに来たら地獄だぞ? 親父さんもお前がどんな目に遭うか最悪の想像をした方がいい」
果たして父がジーノ君の言う「酷い扱い」を軽く見ているのかどうなのかはよく分からない。ただ、中身をよく知るジーノ君がここまで言うのだから、きっと本当に酷いのだろう。
「昨日もハゲが使用人に熱いスープを吹っ掛けてた」
「…お、お怪我は」
「したに決まってるだろ。顔にやけどだ」
思わず言葉を失うと、ジーノ君は「そういう奴らなんだ」と苛立たしく呟く。ちなみに、ジーノ君がハゲと言うと、彼のお父さんのことを指す。実際にはふさふさである。
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