3 あまり動じていない豪商の家
カルロはお下げ髪のニーナを連れて直ぐに戻ってきた。三人揃った私たちは、贔屓にしているジェラートの店に足を進める。
小さな店の前に置かれた手書きの看板を三人で覗きこむ。いつものメニューに、季節限定が追加されていた。
「うわーどうしよっかなー!」
「迷っちゃう…アニエスちゃんは?」
「チョコ」
即答すると、小さい二人は「早い」と言って慌て始める。
「どうしよう。ちょっと待ってね…!」
「ゆっくり決めていいよ」
うんうんと看板とにらめっこするニーナが微笑ましい。私も昔はこうだった、と言うには少々ニーナは美少女過ぎるのだが、迷う姿には覚えがある。
ジーノ君との付き合いの中で、いつの間にか私は即決が身に染みついてしまった。決めるのが遅いと怒られるとかではなく、私が天秤にかけているものをジーノ君が片っ端から注文してしまうからだ。
それはジェラートに限らず、飲み物でも、洋服でも。
「余ったら俺が食うからいい」などと言われ、ジェラートが目の前に10種並んだときは流石の私も危機感を覚えた。ジーノ君の思い切りの良さと行動力は大体の時には助けになるし、かっこいいのだけれど、時に綱渡り的な恐ろしさがある。
「私、いちごにする」
「じゃあ俺は季節限定のマンゴー!」
私がぼんやりしている内に、二人は心が決まったようだった。
常連の強みで少しだけ多めに盛ってもらったジェラートをめいめい受け取る。カルロとニーナは、お行儀よく私に「ありがとう」とお辞儀をした。
「どうぞ」と二人に勧めつつ、自分のジェラートを口に含めば、甘くてまろやかなチョコレートの味が口に広がる。これだ。美味しい。
「ほら、ニーナ食えよ」
「カルロ君、まず自分が食べなよ」
もう一口、と口を開けたとき。小さい二人はそれぞれのジェラートを差し出し合っていた。私は口を開けたまま停止した。
「ふたりいれば迷ってても両方食べられるからいいよな~」
「カルロ君、いつも私が迷っているの聞いてばっかり」
カルロはニーナの迷っているものを毎度聞き、必ずそのいずれかを選ぶ。そして、ニーナと分けて食べるのだ。これを10歳の子供の純粋さとして片付けるのは違う気がする。
見たか。これが平和だよ。
誰に言うでもなく、私は一人頷くと、カルロとニーナに自分のチョコレート味のジェラートを差し出した。
小さなお友達と別れ、マリオートの沿岸部に建つ我が家に帰る。丁度同じタイミングで、「シャレット商会」と大きく書かれた馬車が到着した。家の商用車だ。降りてきたのは私の父。
「アニエス。今帰りか」
「はい」
父は仕事が終わったらしく、そのまま私と家の中に入る。抱えの使用人が私たちを出迎えた。
「変わりはないか」
「はい」
「それならいい。また、夕食のときにな」
「はい」
父はそれだけ言うと、自分の部屋へと向かった。私の顔を見れば様子を聞いてくれるのだが、私はそれが形式的なものであることを知っている。
これだけ街で囁かれているジーノ君の事が耳に入っていない訳はないのに。父の口からその話題が出たことは一度も無い。知った上で放置しているとしか思えない。
ジーノ君が何をしようと、意味は無いと思っているのか。それとも、何があっても私をウィルヴィニー家に嫁がせる強い意思があるのか。
私は父が完全に見えなくなると、自室に向かうべく階段を上がった。部屋の花瓶にカルロから買った花を生け、私は部屋をぐるりと見回した。
確かに、いい暮らしをさせて貰ってはいる。天蓋のついたベッド。一級品の素材で出来たドレスやアクセサリー。毎月使いきれない程のお小遣い。
シャレット家は古くからある大きな一族ではなく、祖父が事業に成功して成り上った所謂成金。もともと隣国の出であった祖父が船乗りとしてスタートし、港街であるここマリオートに定住して、海運業で一旗当てたのだ。人から豪商と言われるだけあって、父の代でも儲かっているらしい。
そんな我が家が次に狙ったのはお金で買えない物。端的に言えば「爵位」である。名誉ある一族と繋がりたいという野望は、私の婚姻という形で叶えられる予定だ。
だから、父がジーノ君の反抗をスルーしているのは分かるし、いい暮らしをさせて貰っていることに感謝もしている。けれど同時に、目的のためなら私というひとり娘を非道な家に放り込むことに躊躇いはないのかと思ったりもする。
ひとりの親として、子として接するには私たちの関係は即物的過ぎるのかもしれない。思い返しても、あまりこれと言って特筆すべき親子のエピソードも無いのだ。悪い思い出も無いけれど、いい思い出も無い。
加えて、一番近くで育ってきた信頼と信用の化身ジーノ君は婚約破棄を目論んでいる。つまり、それが成功すれば私はジーノ君とは結婚せず、別の誰かにあてがわれることになる。
このまま無体無慈悲のまかり通るジーノ君の家に嫁ぐにしても、ジーノ君の思惑通り婚約が解消されるにしても、どっちにしろ私にとっては喜べないような気がしてきた。
「…ふふっ?」
唐突に襲ってきた「やばくない?」感が過ぎて、謎の笑いが込み上がる。窓には虚無感たっぷりの薄幸な笑顔が映っており、我ながら引いた。
そんなことをしていると、丸っこい影が突然飛来し、コツリと窓ガラスを鳴らした。
「グラヴィンシュタッド!」
私は窓に駆け寄り、来訪者を迎え入れる。グラヴィンシュタッドは羽をバサバサと羽ばたかせて私の部屋を周回した。
ちなみに彼はジーノ君の飼っている伝書鳩だ。やたらかっこいい名前を付けたのは幼い頃のジーノ君。しかし後にそれが異国の言葉で「洗濯ばさみ」であることが判明し、ジーノ君は愛鳩の命名を悔いたが、時すでに遅く、グラヴィンシュタッドが自身の名前を認識してしまっていたため、今でも彼はグラヴィンシュタッドのままである。
それはさておき、グラヴィンシュタッドが来たということは。
「おいで」
グラヴィンシュタッドは窓の傍に降り立った。足には手紙が結ばれている。
「ごめんよ」と断りを入れつつ手紙を解き、細く折りたたまれたそれを広げた。
『明後日、三時。ディアのカフェ』
それはジーノ君からのお誘いだった。何ともシンプルな内容である。カフェということは、「婚約を白紙に」の茶番の呼び出しではなく、会って話そうということだろう。
「ジーノ君ったら…」
私は机の上にあったメモ用紙に「了解」とだけ書くと、グラヴィンシュタッドの足に結ぶ。新たな使命を授けられた伝書鳩は、凛々しく「くるっぽー」と鳴くと、颯爽と私の部屋の窓から飛び立った。
「よろしくー」
ウィルヴィニー家でジーノ君が心を許しているのはグラヴィンシュタッドだけ。あの鳥が担っているのは、ただの手紙の配達だけではないのだ。
白い影が見えなくなると、窓を閉める。最近ジーノ君が直接来ないものだから、グラヴィンシュタッドの活躍が目立つ。今度おやつでも用意しよう。お魚用の釣り餌は口に合うだろうか。
ジーノ君のことだ。きっといい餌を与えているに違いない。その証拠にグラヴィンシュタッドはそこらの鳩よりも丸々している。ならばこないだ奮発して買った釣り餌はどうだろうか。
「…いや」
今はそれどころではない。私は一時、鳥と魚の嗜好についての検討を中断した。
「明後日…何着て行くか考えないと」
部屋の中へと体を向け、クローゼットへと目を向ける。今更おめかしするような関係ではないけれど、ジーノ君との逢瀬は格好に気を遣う。
私はクローゼットをひっくり返し、明後日に備えた。
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