11 作戦会議
私がウィルヴィニー領に行っていたひと月の間に何かしらあったということは明らかだった。まずジーノ君の変身が解けているし、おまけに何やら父と親しくなっている。その親し気な様と言ったら、娘の私を完全に凌いでいた。
気軽に話す二人を前に、私は状況の把握ができずとりあえず出てきたクッキーを頬張った。
(そういえば、お土産とか何にも買ってこなかった。と言っても特にめぼしいものもなかったけれど。マリオートの街の端っこで何か買ってくれば良かった)
「——アニエス」
「はい!」
不意に名前を呼ばれ、反射的に返事をした。
「御者から聞いたが、ウィルヴィニー領に行っていたそうだな」
「ごっほごっほ」
咽た私の背をジーノ君が撫でる。手つきは優しいが、目つきは「何しに?」と鋭い。父とジーノ君から醸される雰囲気に気圧され、私は「じ、実は」とカバンから大事な書類の束を取り出した。
「何だ……? 契約書……? これは、違うな。アニエス、学校の」
「あ、はい。ごめんなさい混ざってた」
父から長期休みの許可書が返される。その間、ジーノ君は広げられた契約書の数々を火が付きそうな程熱く眺めていた。
「アニエス、これ……」
隠してもごまかしてもしょうがない。私は早々に事の経緯を説明した。結婚しても自分の身を自分で守るために、買えるだけ農地を買って帰ってきたこと。どのくらいの収穫量が見込めるのかを協議してきたこと。市場への販路まで決めてきたこと。
「と、そういった事情です」
一通り話し終えたが、黙って聞いていた二人の顔は険しかった。それだけで、私は自分のしてきたことがあまり喜ばれることではなかったことを察した。
「……アニエス、それはお前がやることじゃなかった」
案の定、父に厳しいことを言われる。続いて、ジーノ君からも「その通りだ」と追撃がきた。
「そ、そんな……! だって!」
私だって黙っていられない。自分でどうにかしなければと奮起したのだから。私は立ち上がって二人の顔を交互に見る。私が自分の身を守るためだったと主張しようとしたとき。
「はあ……先を越されてしまったなジーノ」
「そうだな」
「へ」
どうしたことか、二人は揃って項垂れた。
「何、どういうことですか」
まっすぐ問えば、父は「お前たちが結婚したら同じことをしようと思っていた」と苦笑した。
「まさかそれをしに出掛けたとは」
数枚の契約書に目を通しながら「内容もちゃんとしてる」と呟く父。その横でジーノ君が「まじか」と感心している。
(……いや)
その様子に、何だかお腹の底から熱いものが湧き上がってくる。私がひと月どんなに頑張ってきたか。相談できる人もおらず、助けもなく。なのに。それなのに。「私がすることではなかった」?
がた、と音を立てて席から立つ。二人の目がこちらを向いた。私はスッと息を吸い。
「知らないよ! 先に言ってよ!!!!!!」
熱い思いを吐き出した。
「き、機嫌直ったか?」
夕食を終え、恐る恐るジーノ君が話しかけてきた。私が怒ったことに仰天した二人は、慌てて私を宥め、機嫌を取りにかかった。父は焦りながら父のこれまでの考えを述べ、ジーノ君は今までの勝手な行動を詫びた。
それでもなお腹の虫が収まらなかったのだが、夕食をたっぷり食べたら段々落ち着いてきた。私はジーノ君の分のジェラートをとりわけ、「はい」とグラスを差し出す。
「お腹が空いていたのもよくなかったみたい。怒ってごめんね」
「お前は怒っていいさ」
ジーノ君はジェラートを口に運びながら遠くを見る。彼が「怒っていい」と言うのは、さっきのことに対してだけを指しているのではないと分かった。
「……俺も、俺しかいないと思った」
(私が、私しかいないと思ったように)
家に味方がいない彼。相当切羽詰まっていたのだろう。
「お前のこと、こんなに好きなのにな。全然話聞かなくてごめん」
「……むぐ」
私はスプーンを口に突っ込んだまま固まった。はて今彼は何と。
(…………いや)
そうね、と思った。「そうなの!?」という驚きは無い。本人の口から明言こそされたことはなかったが、知っていたか知らなかったかと聞かれれば、知っていましたと言わざるを得ない。
だってこれまで散々、嫌われたら平気ではいられない、とか。全部私のため、とか。好いてくれていなければ出てこない言葉や行動ばかりだったのだから。
(そんなジーノ君にずっと甘えてたんだな……)
私に無理をさせないように、彼ばかりが体を張った。守られてばかりでいることに気が付かなければならなかった。
(私も、ごめんね)
体を寄せ、ジーノ君の頬にキスをした。
「……は?」
今度はジーノ君が固まる番だった。何が起こったのか、という顔でこちらを見ている。
「今何した? アニエス、今」
追及が思いのほか激しいが、改めてする勇気はない。
「ジェラート溶けちゃうよ」
「おま……分かった。話は食ってからだ」
誤魔化しきれなかった。ジーノ君から「早く食え」と理不尽な要求を迫られる。私は軽率なことをしてしまったものだと思いながら、隣でジェラートをかき込むジーノ君に倣い、スプーンで大きくジェラートをすくった。
『やばいメイドが来る、バレる前に早く食え』
『冷たい、冷たい』
何だか昔を思い出し、自然と頬が緩む。笑いながら並んでジェラートを頬張ったあの頃に戻ったのだと思った。
◇◇◇
マリオートに白い花が咲き乱れる頃。私はいよいよジーノ君と結婚することになった。結婚式はしない。契約書にサインをするという簡単な手続きでいいというウィルヴィニー家の意向が強かったからだ。強引に式を挙げたところで、彼らにめちゃくちゃにされる可能性の方が高いと考え、やるなら自分たちでやろうということに落ち着いた。
サインをする場はジーノ君のお家。この日のために再三の打ち合わせを行ってきた。もちろん、我が家とジーノ君だけで。
額を突き合わせ、結婚契約書の中身を詰めた。きっと先方はよく読まないだろうと、あれやこれやと記載した。例えば、多額の持参金の所有権はウィルヴィニー夫妻にある、とか。しかし2年以内にジーノ君が爵位を得ることが前提だ、とか。それらが守られなければ婚姻は解消し、持参金を返金した上でジーノ君がシャレット家に入る、とか。
個人的には「そんなことまで書いていいの?」と思う程こちらに都合のいいことも書いてあったが、父曰く「気が付かなければ、あちらが悪い」とのこと。すごく強かな顔をしていた。
ジーノ君は例の活動を止めてから、また街の人の人気者になっていた。本来気さくで頼りになる人柄なのだ。「もう大道芸はやめたのか」とからかわれているのをよく見かける。花売りのカルロとも仲良くしてもらえるようになったらしく、彼から買った花を私に持ってきてくれる。
これで、私がジーノ君と結婚したら。そしてジーノ君が晴れて侯爵になったら。
(街も、領地も、きっと活気づく)
朝屋敷から出ると、太陽が燦燦と輝いていた。
「アニエス、用意はできたかい」
外では父が待っていた。やる気十分のようで、ビシッと正装できめている。かく言う私も、きちんとした場にふさわしい、白くてきれいなワンピースに身を包んでいる。
「正念場だわ」
私が、ジーノ君とずっと平和に暮らすための。今日はおとなしく自分の家で待つジーノ君を思い、下っ腹に力を入れる。
「——よし!」
今日は一段と風が気持ちよく、花の香が濃いような気がした。
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