10 交渉上手
「着いたー!」
2日かけ、私はようやくウィルヴィニー領に到着した。馬車から降り、領主の屋敷と呼ばれるものが立つ近くをぶらぶらと歩く。周りに人影はない。人の住んでいそうな建物が遠くに点々と見えるだけ。
御者を隣に、私は腕を組んでひとつ頷いた。
「……何もない」
すかさず御者から「そっすね」と返ってきた。
「見て、あの荒れ果てた田畑を」
「見ました」
ぺんぺん草しか生えていない、荒廃した土地が広がる。誰も管理していないのだろうか、いや、管理する人がいないのだろうか。あまりに統治の酷さと怠慢さに、領民が逃げ出していると道中噂で聞いたけれど、眉唾ではなかった。
「勿体ない。こんなに土地があるのに」
「治める人がアレじゃあ……」
「仕方ない。人を探しましょう」
「はあ……骨が折れる」
ぶつぶつと文句を言う御者に「行きますよ」と声をかけ、また馬車に乗り込んだ。何かしようにも、人がいなくてはどうにもならない。手始めに、見えているところから攻めることとする。
馬車は何も植わっていない畑の横のあぜ道を進んだ。道の状況が悪く、とても揺れる。酔いとの闘いに限界を感じ始めた頃、やっと領民の影を御者が捕らえた。私は馬車から飛び降り、人影に近づく。
「……す、すみません」
「大丈夫かいお嬢さん!?」
嘔吐感に堪えながら、農作業をしていたおじさんに声をかける。しかし明らかに体調の悪そうな私に、初対面のおじさんは慌てた。どうやら助けを求めているように見えたらしい。
「まいったな、医者は山の向こうで」
「いえ、酔っただけなので大丈夫です。あの、別の御用があってお声をかけました」
「いいからほら座んな」
「はいすみません」
口元を押さえる私を見かね、おじさんは近くに転がしてあった丸太に私を座らせた。
「で、どうしたって? 道にでも迷ったかい?」
「違うんです。この辺りのことについて伺いたくて。ここはウィルヴィニー領ですよね」
おじさんは私の質問に盛大なため息を吐いた。
「そうだよ。お嬢さん何だい物好きだね。見ての通り、この辺は土地手放しちまった奴が多くてね。碌に統治もせずに税だけ搾り取ろうってんだからしゃあないわな」
「ひえー」
「俺は代々受け継いだ土地を手放す気になれんから、キリキリでやってるけどなあ。でもあれだろ、領主の息子がどっかの富豪と結婚するんだろ? かわいそうになあ。こんなとこだって知らないのかねえ」
かわいそうと言われてしまった。思えば自分の婚約を人から「良かったね」と祝われたことがない。余計なことに気が付いてしまったが、気を取り直して咳ばらいを一つすると、私は本来の目的を果たすためにおじさんに尋ねた。
「皆さんが手放した土地は今誰が……?」
「え? お嬢さんまさか」
おじさんの目が丸くなる。私はその目に向かって、力強く頷いてみせた。
「私が買おうと思って」
「お嬢さん、本気ですか」
「本気です」
夜。私はおじさんに教えてもらった通りに道を行き、小さな町に宿を取った。御者は私の目論見を知ってからしきりに同じ質問を違う表現で投げかけてくる。「大丈夫なのか」とか「あなたがそこまでする必要があるのか」とか。
「心配しないで。お金ならあるの」
「そういうことでは」
「あんなに手つかずの土地があるのだもの。きちんと手入れして、しっかり作物で収益をあげれば領民から高い税を取らなくてもいいし、自分のところのお財布だって潤うの」
「だからってお嬢さんが買って世話してやんなくても」
「誰がウィルヴィニーさん家のためにやると?」
御者から「へ」と声が漏れる。私はキリっとして彼に宣言した。
「私、自分のためにやるのよ。大きな収益を生む土地の持ち主がどれだけ力を持つか、あのご両親知らないわ。領主の領地の方が広いかもしれませんけどね、利益で上回っていたら勝ちよ。ウィルヴィニーさんとこの土地も買って減らしてやろうかしら。今のあのお家だったら喜んで売ってしまうと思うのよね」
「……ア、アニエスさん」
「なあに」
「こ、こええええ」
「…………」
次の日。私は早速土地の売買について、土地の持ち主との交渉をしに足を運んだ。私がまだ若いからか、初めこそ「何の用だ」と難しい顔をされたが、私が土地を買いたいと申し出ると、持ち主は泣いて喜んだ。
「どうしてもって頼まれて買ったはいいが、全然利益にならなくて頭が痛かったんだ」
「……お気の毒に」
「本当だね? 心変わりしないね?」
「そちらこそ、絶対にこの値で売ってくださいますね?」
最初に提示されたのも破格の値段だと思ったが、「まだいける」と踏んだ私は更に値引きの交渉をした。そうして折り合いがついた現在の価格。マリオートでは小さな家がギリギリ建てられない位の土地しか買えないが、ここでは広大な畑が手に入る。売買の契約書にサインをし、両者満足な取引ができた。私は内心はしゃぎ回っていた。
こつこつと蓄え、運用していた資産がついに火を噴くことになったのである。
「さて次は畑を管理してくれる人を探さないと。土地だけあっても仕方ないから」
「しっかりしてら……」
昨日から御者が私を見る目が変わった。心なしかちょっと引いているような気配がするが、気にしてはいられない。
「さ、行きますよ」
「へい」
◇◇◇
働き手の確保に難航し、私がやっとこさマリオートに帰ることができるようになったのは、学校に提出した休みの日の期限の丁度2日前だった。私も御者もへろへろである。
(あんなにあそこで働くのを嫌がられるとは……流石だ……)
好条件を出しても渋られる。初対面だから私への信用がないのは仕方がないが、取れ高に関係なく給料は払うと言っているのになかなか首を縦に振ってもらえなかった。
「シャレット商会だって証明して、ようやくでしたね」
「しかも領地を良くするよう約束させられてしまった……」
「さ、アニエスさん。帰りますよ……学校間に合いませんから」
「うわああん」
せめて一日は家で休息したかったと嘆く私に、御者が「いいじゃないですかこっからはあなた乗ってるだけなんだから寝てりゃ着くでしょう」と怒られ、何も言えなくなった。帰ったら彼にきちんと休暇を出してもらうよう父に進言しよう。御者以外の仕事もうんとさせてしまった。
「よろしくお願いします……」
「はい。行きますよ」
マリオートへの道のりは長い。御者の彼に悪いと思いながら、体力の限界がきた私は知らぬ間に意識を手放し、まるまる一日眠ってしまったのだった。
「あ、帰ってきた」
「本当だ!」
「旦那様、ジーノさん、帰ってきましたよ!」
マリオートのシャレット家の屋敷で、共に過ごしていたアニエスの父とジーノは顔を見合わせて椅子から立ち上がった。
「アニエスは驚くだろうよ」
「はは、そうかな」
馬車で寝こけていた私が人の声で目を覚まし、「ああ家に着いたのか」としみじみしたのもつかの間。
「アニエス!」
仰臥位にて見上げた窓に見たことあるようなないような人が現れる。
「……?」
見たこと——。
「ジーノ君!? 痛!」
勢いよく起き上がり、体制を崩して座席から転げ落ちた。
「アニエス! 大丈夫か!」
「じじじジーノ君、どうしたの……?」
いつか口にしたことがあるような言葉だな、と思いながら私は目の前に立つ人をまじまじと見た。
整えられた金髪の髪。さっぱりとした白いシャツに紺のベスト。日の光を反射する海のようなキラキラした青い目。
(ジ、ジーノ君だ……!)
変身する前のかつての彼。あのド派手な上着も、着崩したシャツも、素敵とは言い難かった髪も、元に戻った。私のいない間に、何があったのか。
「お、おかえり……?」
「こっちのセリフだな」
ここ最近見ていた、影のある笑顔ではなく、あの溌剌とした顔。私は思わずジーノ君に飛びついた。「はは」と笑って受け止めてくれる彼に、どうしようもない安心感を覚える。
「おかえり」
「~~!」
青い目が優しく細められる。胸の中がぎゅっと締め付けられたような気がした。
お読みいただきありがとうございました!あの2話で完結になります。本日中にアップの予定です。