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1 婚約解消を勧めてくる悪徳貴族の御曹司

思い付きと勢いの産物です。軽い気持ちでお付き合いください。

「婚約を白紙にしてやろうか」


 そう言って、目の前で男は嘲るように笑った。尖った犬歯が見えて、狼のようだと思った。


 彼の名はジーノ・ウィルヴィニー。国随一の港街、王領マリオートに住まう悪名高い侯爵家の嫡男だ。幸か不幸か、私の婚約者である。


 伸ばしかけの金髪に青い目。肩にかかる獅子やペガサスの金の刺繍がギラつく真っ赤な生地の羽織が風にはためいた。


 背後には数名の美女が控えていて、何も言わずに案山子の様に突っ立っている私を見て綺麗な笑みを浮かべている。


「………」


 私は青い三白眼を真っ直ぐに見た。パチリ、と私たちの視線がぶつかり合う。彼の瞳が「どうだ?」と細められる。


「結構です」


 ちなみに了承する方ではなく、断る方の「結構です」だ。誤解のないように首も横に振っておく。


「お前…」


 私の反応を受けた彼の口元が歪む。意に添わない答えだったのだろう。それはこちらも同じだ。

突き刺すような視線を向けられたが、この程度で怯んでいてはいけない。


 しばらく無言の睨み合いが続いた。辺りにピリピリとした緊張感が漂う。


「はあー……」


 やがて、対峙していた彼は大仰にため息を吐いた。身長差の都合で私を見下しながら話していた彼は、非常にだるそうに体を前に屈めた。まるでガンを飛ばすように私に顔を近づける。


 至近距離にある彼の目に私が映る。我ながら死んだような顔をしていた。


「悪いことは言わないから、この辺で引いておけって」


 私にしか聞こえない位の小さな声でジーノ君がコソコソ喋る。


「………」


 泰然として何も答えないでいると、さらに「な?いい子だから」ともう一押しされる。生憎、そんな小さな子に言うように優しく言われたからといって、「うん」と答える程素直ではない。


「お断りします」


 今度ははっきりと申し告げると、ジーノ君はぐしゃりと顔を歪め、今回の失敗を噛み潰した。間違えた、「今回も」。


 もどかしそうな顔をしたジーノ君だったが、それも一瞬。


「は! 相変わらず健気なお嬢さんだな!」


 スッと元のふんぞり返ったポーズに戻ると、鼻で笑ってみせた。えらい変わり身である。


「家の決めた政略結婚に逆らわず、俺の婚約者であり続けるとはな! 平民を人間とも思わない我がウィルヴィニー家に、豪商と言えど身分を持たないお前が嫁いで来たらどうなるだろうな! 見ろ! 俺はこの通り女に困らない。そんな地獄のような結婚から逃げ出さないとは恐れ入る!!」


 ジーノ君は説明臭いセリフを続けた。彼の高らかな声が高台の広場に響き渡る。辺りの壁に反射して、「恐れ入る!入る…!いる…!」とエコーが掛かり、思わず私は声を追って遠い空を見た。


 昼の広場のど真ん中。私たちの周りを大勢の観客が囲む。散歩に来ていた夫婦、ベンチで休んでいたカップル、下校中の子供たち。老若男女問わず、誰もが唐突に始まった私たちの茶番を口を開けて見ている。


 案の定、観客たちはジーノ君の発言を聞いて眉を顰めた。そしてこぞって私に憐れみのこもった視線が寄越される。


 期待通りの反応だ。ジーノ君は満足そうに目を細める。


「ははは! じゃあな! また気が向いたら金でも貸してくれ! 大富豪殿!」


 最低なことを一通り、漏れなく忘れずに言い捨てると、ジーノ君はくるりと背中を向けた。高笑いをしながら控えさせていた美女たちと歩いていく。今日はこれで終わりらしい。


 彼らを避ける様に、その辺で地面を突いていた鳩たちがバサバサと飛び立った。


「………」


 その場にぽつんと残された私の耳に、「可哀そうに…」と呟く声が聞こえてきた。


 陽の良く当たる街は、白亜の壁が反射する光で眩しい。広場に爽やかな風が吹き抜ける。突き抜ける青い空がずっと続いている。遠くで海がキラキラと輝いた。


 帰るか。


 誰に向けてでもなくひとつ頷くと、広場から続く階段の方へと足を向けた。通りすがりに街の大時計を見れば、ジーノ君と約束した時間から5分も経っていなかった。


 今日は特に早く終わった気がする。流石に32回目ともなればこんなものなのかもしれないが、こんな茶番の勝手や相場など知る由もない。


 以前は彼の最初の質問に「どうして」とか「何故」と返してみたものだが、最近は面倒で全部割愛している。あまりに手ごたえが無いとの苦情が出て、先日ついに台本を渡されたが、家に帰って破り捨てた。それでもめげないジーノ君は逞しい。


 流石、やると決めたらやるジーノ君だ。


 私はふと、さっきまでジーノ君と対峙していた広場を振り向いた。そこにはいつも通りの平穏がもう戻っていた。


「はあ、あとどれくらい続けるつもりだろう」


 高台から下の通りに続く階段を下りながら、私はひとりため息をこぼした。




 事の発端は、3ヶ月前。あのときはまだ、ジーノ君は今のジーノ君ではなかった。


「アニエス。いるか」


 うららかな春の庭で釣りの仕掛けを作っていると、ジーノ君が荒い息でやってきた。


「悪い、邪魔したな」


 突然アポなしでやってきたジーノ君は私の手元を見てすまなさそうに謝った。


 気にしなくていいのに。ジーノ君は優しい。ずっと一緒に育った彼だ。別に邪魔されたとも思わない。


「いいよ。どうしたの? とりあえずお部屋に」

「いや、いい。……誰かに聞かれるとマズイ」


 ジーノ君は険しい顔だった。これは何事かある。ジーノ君は部屋以外での密談を所望しているらしい。


 私は広げていた道具を手早くしまい、釣り竿を担ぐとどこかいいスポットは無いかと立ち上がる。


「あそこだ」


 彼が指を指したのは庭の隅っこ、茂みに囲まれた小さな空間。私は低姿勢で走るジーノ君の後をそそくさと追った。


 ジーノ君はその辺にいた猫や鳥、虫すら追い払うと、私に一緒に隠れるように合図した。厳戒態勢だ。釣り竿が茂みからはみ出ている気がしなくもなかったが、私もジーノ君の隣にしゃがみ込む。


「どうしたの?」


 辺りにはもう何の気配もしなかったが、私はひそひそとジーノ君に尋ねた。すると、ギラリと鋭く青い瞳が光る。鋭利なナイフを突きつけられているようだった。私は思わず息を止めた。こんなジーノ君、見たことない。


 ジーノ君は数度深呼吸をすると、覚悟を決めた顔で口を開いた。


「俺は、お前と結婚できない」


 ゆっくりと告げられた言葉。私は目を瞬かせる。


「いや、お前に俺と結婚させるわけにはいかない」


 ジーノ君は言い直した。私はその違いがよく分からず、「へ?」とまぬけな声を上げた。


 「どうして」と言おうとした途端、ジーノ君は「分かっている」とばかりに頷いて私の発言を手で制した。


「お前も知っての通り、俺の家であるウィルヴィニー家は今代が遂に最悪を極めた。使用人も可哀想だし、ほったらかされているのに収益だけ絞り取られる領民も可哀想だ。お前やお前の家のことだって、奴らが贅沢に暮らすための資金としか思っていない!」


 すごい剣幕の割には小声で、ジーノ君は一気に語る。私はただただ目を点にしてそれを聞いた。


「やっと学園を卒業した。今まではせめて俺だけでもまともで、と思っていたが、そんなんじゃもうどうにもならないところまで家は落ちている。だからな」


 ジーノ君は息継ぎをすると、私の目を真っ直ぐに見据えた。


「お前を泥船に乗せるわけにはいかない。お前を虐げる家に、大事なお前を入れることなんて俺にはできない」


 ジーノ君の真摯な目。彼の熱意は分かった、確かに伝わった。けれど。


「え―えええええええええええええええええ!?」


 ウィルヴィニー家の低すぎる評判は勿論聞いている。だけど、余りにも突然で、いきなりで。私には驚く以外の感情が出てこない。


 いくら人よりちょっと行動力が有り余るジーノ君にしたって、余りにも急だ。友達でもなく、兄弟でもなく、自他ともに認める程仲良く育ったジーノ君。


 ジーノ君との婚約は物心ついた時から決まっていた。初めて顔を合わせたときも「婚約者」として出会った。深く考えたことも無いくらい、私にとって彼と結婚することは当たり前だったのだ。


 絶叫した私の口をジーノ君が慌てて塞ぎ、辺りをきょろきょろと見渡す。


「お嬢様ー!?」


 私の叫びを聞きつけたメイドが慌てた声で近づいて来る。


 「しまった!」とジーノ君は茂みの中に飛び込み、俊敏な身のこなしで垣根を越え、あっという間に消えた。あ、怪しい…。


 冷静さの欠片も残っていなかった私は、駆け付けた心配顔のメイドにしどろもどろで「む、虫がいて」と言い訳をするのがやっとだった。


「え…普段釣りの餌用でよく触っていらっしゃるのに…」


 そうだった虫は平気なんだった。メイドの不審な視線を振り払うべく、私は想像で作り出したこの世の物とは思えぬ気持ちの悪い虫の造形を必死に説明して誤魔化した。


 そんな感じで。つまるところ。私はこの16年の人生で、かつてない程のショックと混乱をお見舞いされたのだった。

お読みいただき、ありがとうございます!

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