中編
それから、目まぐるしい日々が始まった。
ジョージとソフィアは、すぐに引っ越しの馬車をキャンセルした。王都でのツアーは早速8日後から開始するという。しかも王都までは馬車を乗り継いで1週間近くかかる距離だった。その日の夕方には迎えの馬車が来るというので、ジョージは大急ぎで引っ越しの荷ほどきをして、最低限の生活必需品と昨日男からもらったギターをまとめ、出発の準備を整えた。
「僕が王都でソロツアーなんて、本当に信じられない。国王の御前で歌えるかもしれないんだよ!」
「私はずっと信じていたわよ、ジョージ!」
王国でその日一番幸せなカップルは間違いなくこの2人だった。ジョージとソフィアは幸せでいっぱいで興奮し盛り上がっていたが、ふとした瞬間にジョージは寂しい気分になった。
「でもしばらく君と会えないなんて……。」
「ずっと一緒だったものね。パン屋のシフトの代わりが見つかったらすぐに追いかけるから、安心して。」
「うん、できるだけ早く、頼むよソフィア。」
ジョージがソフィアを優しく抱きしめたあと、迎えの馬車が到着し、ジョージは2人の愛の巣を出発していった。
ジョージは初めて見る王都に感動しきりだった。馬車を乗り継いで王都入り口に着いた時、何度も本で描かれているのを見た勇壮な凱旋門がジョージを迎えた。最上部には黄金に輝く馬のモニュメントが煌めいているのが遠目に見えた。
(ソフィアと一緒だったらどんなに楽しかっただろう。)
景色に感動したジョージは、何度か思わずまるで隣にソフィアがいるかのように話しかけそうになった。
馬車の終着点は、王都の最高級ホテルだった。ジョージは最上階のスイートルームへと案内された。豪華な装飾品で飾られた、町で住んでいた家の軽く10倍はあろうかという広さのスイートルームにジョージは気後れした。到着すると、早速ジョージはソフィアに手紙を書いた。
<愛するソフィア。一日でも早く来ておくれ。君が隣にいないと僕はどうにかなってしまいそうだ。>
その晩は、ホテルの大広間で立食パーティーがあった。ジョージは主賓として招待された。パーティの前にはスイートルームにメイクアップアーティストが現れ、ジョージの髪の毛を男前に整えて高級そうな黒のスーツを着せた。
「元の素材がいいので、とてもよくお似合いですよ。」
メイクアップアーティストはおだて方も一流だった。ジョージは支度が済んだあと鏡を見て、これが自分なのかと驚かされた。いっぱしのプロになった気分だった。
パーティ会場には、国の名のある侯爵家やその令嬢たちが一堂に会していた。昨日会ったばかりのオーディションの審査員たちも会場に来ていた。
「君の才能は素晴らしいよジョージ。審査員の満場一致で君が選ばれたんだ。」
「まさか、あんな田舎町にこんな凄い吟遊詩人がいるなんてなぁ。」
「みんな首を長くして君の曲を聴くのを楽しみにしているよ。ほら、あそこのギターは君へのプレゼントだ。」
会場の一段上がったところには、ジョージが目もくらむような高級アコースティックギターが置いてあった。司会に促されると、ジョージはステージに上がり、「君に恋して」を演奏した。その場にいた侯爵令嬢は皆ジョージの歌声に聞き惚れ、「歌詞はわたくしのことを歌っているんだわ」という気持ちになってうっとりとした。
ジョージが歌い終えると、パーティ会場は割れんばかりの大きな拍手に包まれた。涙する者も多かった。演奏を終えたジョージがステージを降りると、そこは高貴な令嬢たちによる黒山の人だかりとなった。
「こんな素敵な歌を聴いたのは初めてです!感動いたしましたわ。」
「今度是非お食事をご一緒してくださいませんか?私の父も含めて。」
「わたくしの家ではお抱えの音楽家を探しておりまして……。ご興味はございませんか?」
「まだお若いようにお見受けしますが……ご結婚はなされているのでしょうか?」
ジョージは夢見心地になった。これほどたくさんの人が自分の歌を聴いて喜んでくれたことは今までに一度もなかった。もちろん、これほどちやほやとされたのも生まれて初めてだった。
***
翌日から王都でのツアーが始まった。ジョージの「君に恋して」は行く先々で大評判となった。流行に敏感な王都の人々によって「ジョージ」の名前と「君に恋して」は瞬く間に王都中に広まり、連日新聞がジョージの一挙手一投足を追いかけた。
ジョージはあまりの生活の変化に目がくらくらした。専属の腕利きマネージャーが付き、スケジュールは常に分刻みだった。
さらには、王国を代表する2つの出版社から譜面の出版権を買い取りたいというオファーが来た。敏腕マネージャーは2社を競合させることで金額を吊り上げた。ジョージは契約書を見せられてびっくりした。
「これは契約金の数字の桁がいくつか間違っていませんか……?」
「いいえ、間違ってなんかいませんよジョージ。」
ジョージはその成功の大きさに圧倒されて放心状態になった。マネージャーはすかさず畳み掛けた。
「王都のツアーが終わったら、全国ツアーですよジョージ。」
「ぜ、全国ツアーですか?」
どうやら一息入れる時間は当分の間持てそうになかった。しかし、ジョージが夢にまで見た全国ツアーだった。ジョージは「僕はこの世で一番幸せな男だ」と思った。
ジョージは王都でツアーを回りながら、毎日各地の侯爵家からパーティの招待を受けた。その度に最高級料理と最高級ワインが振舞われ、信じられない美女の令嬢たちに取り囲まれてデートの誘いを受けた。毎晩パーティからホテルに戻ると一人でベッドにそのまま倒れ込んだ。連日連夜付き合いが続いて二日酔いで演奏することもあった。もちろん疲れもあったが、ジョージにとって毎日が刺激的だった。
ついに国王の御前でも演奏した。演奏を終えた後、感激した国王からハグをされた時には思わず夢ではないかと自ら頬をつねってしまうほどだった。
***
ある時、ジョージは王国で一番の侯爵家からディナーの誘いを受けた。マネージャーはジョージに言った。
「とても王国で影響力のある御方です。くれぐれも粗相のないように。」
ディナーはその侯爵家が保有する迎賓館でおこなわれた。テーブルについたのは侯爵家当主とその娘、ジョージの三名だけだった。
「私の娘のアイラが君の大ファンでね。」
「先日演奏を初めてお聴きしてから、ずっとあなたの虜ですわ、ジョージ様。」
「身に余るお言葉、光栄です……。」
ジョージは目の前の美しい女性に思わず見惚れた。天が二物を与えるとはこのような人のことを言うのだろう。王国一番の侯爵家に生まれ、この上なく美人とは。将来夫となる人は幸せだろうな、と思った。
「ジョージ君、君は今どこで暮らしているんだ?」
「街のホテルで暮らしております。」
「ふむ、それでは疲れてしまうだろう。良くないな。」
侯爵家当主はしばらく考えたあとに言った。
「屋敷に使っていない部屋がある。そこを拠点に生活するといい。暫くは王都の中心地でのコンサートがメインだろう?馬車は私が手配しよう。」
突然の申し出にジョージはドキッとした。
(これって間接的にアイラ様との同棲ということにはならないだろうか?ソフィアは怒るだろうな……。)
「あの……しかし……。」
「何か不満があるのかね?」
「故郷に婚約者がおりまして……。」
「それが何か駄目なことでもあるのか?娘と同じ部屋に住む訳でもあるまいに。」
(とても王国で影響力のある御方です。くれぐれも粗相のないように。)
マネージャーの声がジョージの頭をよぎった。
(別の部屋なら問題ないか……。)
「その……お邪魔でなければ……。」
ジョージは蚊の鳴くような声で言った。
「まぁ、とても嬉しいですわ!ジョージ様が我が屋敷でしばらく暮らしてくださるなんて。」
そこからなし崩し的にジョージとアイラとの間接的な同棲生活が始まった。
***
アイラは、あざとい侯爵令嬢だった。誰よりも計算高いと自負していたが、一方でそれを誰にも悟られないことに絶対の自信を持っていた。父親はどうやら未だにアイラを純粋無垢だと信じ込んでいるらしい。父親だけでなく、アイラにかかるとその巧妙な表情と仕草で皆騙されてしまう。
ある日、深夜にこっそりと帰宅したアイラは運悪く父親の当主に見つかってしまった。
「アイラ、帰りが遅いじゃないか、どこに行っていたんだ?」
「怪我をした子犬を見かけて、病院に連れて行っていましたの。飼い主を探すのに時間がかかってしまいまして……本当にごめんなさいお父様。」
アイラは目に涙を溜めて上目遣いに父親を見た。本当は友人やイケメンたちとの夜遊びで遅くなっただけだった。
「おお、そうだったのかい私の可愛いアイラ。いつも思っていたが、本当に優しいんだな。」
「いえ……そんなことはございませんわ、お父様。誰だって同じことをするはずですわ。ところで動物病院ってお高いのですね。今まで貯めてきたお小遣いがすっからかんになってしまいましたわ。」
「それは大変だ。いくらかかったのかね?」
アイラはこうやって父親に高い金額をふっかけては、夜遊びのお金を調達していた。
彼女はこれまで欲しいと思ったものはなんでも手に入れてきた。物欲センサーやイケメンセンサーが発動した時、彼女の頭は急に回転が良くなった。
アイラはジョージの評判を聞いてコンサートを観に行った時、ついにその才能を最大限に発揮する時が来たと思った。身なりを整えたジョージは容姿も申し分なかったし、これ以上ないほど他の令嬢の興味を一身に集めていた。
王都は身分差関係なく勝者を愛する街である。間違いなくジョージはこの王都で今一番ホットな男だった。そういう皆の羨望の対象を奪い取って独占することはアイラにとってこの上ない幸せに映った。
さらには、ジョージのコンサートチケットはすでにプラチナチケットと化していた。アイラは頭の中でそろばんを弾いた。侯爵令嬢と言えど、当主が存命の間はもちろん家のお金を自由に使うことはできない。ジョージの妻に収まれば、ジョージのお金はアイラの使えるお金になるのだ。音楽活動で忙しいジョージにお金を使う暇などないだろう。これほど楽しい想像は無かった。
「おはようございます、ジョージ様。」
アイラは朝ジョージの部屋に来るとかしこまって挨拶し、その手を取って朝食の食卓へと向かった。純朴なジョージの頬が赤く染まった。
(これほど身分の高い令嬢なのに、田舎者の僕にまで、なんて謙虚な方なんだろう。)
「今日はどちらでコンサートがあるのですか?」
「公会堂で正午からあります。」
ジョージが朝食を済ませると、すでに馬車とマネージャーが屋敷の外に待っていた。そこに真珠色のドレスに身を包んだアイラが現れた。
「わたくしもご一緒してよろしいかしら?」
「アイラ様、あいにくコンサートにはチケットが必要でして……。」
ジョージが言い終わる前にマネージャーが口を挟んだ。
「アイラ様、最前列の関係者席を押さえておきました。」
「ええと……。」
「同居人の応援に行くのは、当然のことですわ。」
コンサートが大盛況のうちに終わると、アイラは花束を持ってジョージが出てくるのを関係者の控室で待っていた。
「とても素敵でしたわジョージ様!本当に夢みたいでした。さ、参りましょう。」
アイラは花束を渡してジョージの手を取ると、マネージャーと共にパーティ会場へと向かった。
パーティ会場でジョージは相変わらず美しい令嬢たちに囲まれたが、その中でもアイラの美しさは群を抜いていた。ジョージはまるでお姫様を連れた王子様のような気分になった。
アイラは社交界の有名人であり、ジョージのすぐそばにいたので、その日令嬢たちが度を越してジョージに近づくことは無かった。それもジョージにとっては楽だった。またアイラは令嬢たちからも好かれていて、まるで太陽のようだった。来る人来る人がアイラに微笑んで挨拶をした。アイラがその場を外している時に、令嬢の一人がジョージに話しかけた。
「ジョージ様は幸せね。素敵な歌が歌える上に、アイラ様にあんなにも愛されているなんて。」
「いえいえ、アイラ様と別に特別な関係は……。」
「見れば分かるわよ。鈍感な男なのね、ジョージ様は。」
(……脈あり?)
ジョージはふと浮ついた考えが頭をよぎり、ソフィアのことを思い出して頭をブンブンと振った。
パーティは長引き、時計の針は午前0時を回ろうとしていた。翌日も午前中からコンサートの予定が入っていたため、ジョージは少し焦っていた。マネージャーはその日子供の誕生日だということで、先に帰宅していた。ジョージはアイラに言った。
「アイラ様、そろそろ帰らないと……。」
「そうですわね。わたくしが馬車を手配しますから、ここでお待ちいただけますか?」
「いえ、ここは私が……。」
アイラはくすくすと笑った。
「お気になさらないで。ジョージ様はこのパーティの主賓なのよ?」
ジョージはその後も最高級のワインを片手に侯爵や令嬢との会話を楽しんだ。しばらく経って、ジョージはアイラが戻ってこないのが気になった。アイラが馬車を手配しに行ってから、もう20分は経っていた。ジョージがパーティ会場を出ると、会場の入り口のところでアイラは長身の男に腕を掴まれていた。
「やめてください……!」
アイラは明らかに嫌がっていて、男の腕を振りほどこうとしていた。ジョージは慌てて男に向かって叫んだ。
「おい、何してるんだ!」
「チッ、邪魔が入ったか」
男は悔しそうな顔を浮かべると、その場から走って去っていった。
「……はぁ、はぁ、助かりましたわジョージ様……。」
アイラは怯えた表情でジョージに抱きついた。その目には涙を浮かべていた。
「あいつは一体……?」
「もう古くからの付き合いになる男爵ですわ。昔一度お食事をご一緒してから言い寄られておりまして……。ここ最近会うことはなかったのですけれど。」
アイラは悲しい顔をしていたが、ふと思いついた顔をして言った。
「今後もし彼が同じパーティに来ても言い寄られないように、パーティではお付き合いしているフリをしていただくことはできないでしょうか……?」
付き合う……?ジョージの頭にソフィアの顔がよぎった。
(あくまでフリであれば問題ないか。アイラ様にはこれからもお世話になるし……。)
「付き合っているフリなのであればまぁ……。」
「ありがとうございます、ジョージ様!」
アイラはジョージの手を握って感謝した。そこからなし崩し的にジョージとアイラは
恋人(仮)になった。
11/19 誤字修正しております。ご指摘ありがとうございます。