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君に恋して  作者: GOKUMA
1/4

前編

どうぞ軽い気持ちでお読みいただけると幸いです。

「いらっしゃいませ~!」


 その町のパン屋は一年で一番忙しい時期、クリスマスを迎えようとしていた。この店一番の人気店員がソフィアである。彼女がシフトに入る日は売上が何割も増えた。彼女に笑顔で迎えられると、誰しも自分が特別であるような気がした。彼女目当てで来るお客さんも多かった。ソフィアは町で一番人気のパン屋で働けていることにささやかな幸せを感じていた。


 ソフィアが同棲中のジョージはソフィアより少し年上で、吟遊詩人だった。今で言うところのシンガーソングライターである。まだ売れてはいない。町のあちこちで道行く人々にリクエストされた曲をアコースティックギター片手に歌っては、日銭を稼いでいた。


 2人は町外れにある部屋が一つしかない古くて小さな家で一緒に住んでいた。賃貸人の名義はソフィアになっていた。ジョージはほとんど稼ぎがなかったので、ソフィアにおんぶにだっこだった。2人はとても貧乏だったが、幸せに暮らしていた。


「ジョージ!嬉しい知らせがあるの。」

「おかえりソフィア。どうしたんだい?」

「ほら見て、人気のクロワッサンが余っていたのよ。」

「おお!今日はラッキーだね!」


 ソフィアは毎日仕事帰りに働くパン屋から廃棄されそうになっているパンを救出して持ち帰り、ジョージと一緒に食べるのが日課になっていた。


「ジョージ、今日はどうだったの?」

「今日はイマイチだったよ……。大通り公園で一日弾き語りをしたんだけどね、これしかチップがもらえなかったんだ。」


 ジョージは鈍く光るコインを数枚、ソフィアに見せた。


「いいのよジョージ。みんなあなたの素晴らしさに気づいていないだけだわ。あなたの歌声は世界一よ。」

「褒めてくれるのは君だけだよ、ありがとうソフィア。」


 毎日そんなやり取りがあった後、アコースティックギターに合わせてジョージは歌い、ソフィアはリズムに合わせて身体を揺らしながら、笑顔でその歌詞を口ずさんだ。楽しい時間は毎晩夜更けまで続いた。


 ある日のこと、ジョージがバタン!と勢いよくドアを開けながら帰ってきた。ソフィアが作るいつものシチューのいい香りが家の中に漂っていた。ジョージはソフィアに言った。


「新曲が思い浮かんだんだ!聞いてくれるかい?」

「もちろんよジョージ。楽しみだわ!シチューが出来てからでもいいかしら?」

「シチューは後でいいから、今すぐ君に聞いて欲しいんだ!」


 ジョージは興奮した様子で話し、新曲「君に恋して」を歌った。ソフィアは鳥肌が立った。


「とても素敵な曲だわ……。今まで聞いた中で一番……。」

「そうかい?嬉しいよ!明日大きなバーで歌えることになったんだ。100人以上もお客さんがいるんだよ。この曲を歌おうと思ってる。」

「凄いわ!きっとみんな感動するわ。」


 翌日、ジョージはそのバーの五番手として演奏した。トリの一つ前である。トリには町で一番人気のバンドが控えていた。酔っぱらった客からは容赦ないヤジが飛んだ。


「お前が見たくて来たんじゃないんだよ!」

「さっさと引っ込め吟遊野郎!」


 ヤジがうるさくて気になってしまい、ジョージの演奏は散々だった。一つ言えることは、ジョージの歌を聞いて感動した客など、その場に一人もいないことだった。演奏を終えたジョージは、やけになって酒をあおった。トリのバンドの演奏は大盛況だった。


 夜遅く、酒臭いジョージが家に帰ってきた。酒に弱いジョージがこれだけ飲んで帰ってくるのは珍しかった。赤い顔で傷心した様子のジョージに向かってソフィアが言った。


「ジョージ、今日は大応援団が駆けつけられなくてごめんね!パン屋の店番が一人しかいなくて……。すぐにシチューを温めるわね。」


 大応援団とはもちろんソフィアの1人応援団のことである。


「いいんだ、僕の歌なんて誰も聞きたくなんかないんだ。僕には才能なんてない。」


 ジョージの顔には泣き腫らした跡があった。ジョージは言った。


「そりゃあすごいヤジだったよ。」


 ソフィアは怒った顔をして言った。


「なんて酷い人たちなの!私がいたら頬をはたいてやったのに……。」

「いいんだソフィア。もう分かったんだ。」


 ジョージはシチューを口にすることなく、部屋に一つのシングルベッドにそのまま横になって眠ってしまった。ソフィアはその寝顔を温かい眼差しで見つめ、優しい手つきでジョージに毛布をかけた。


***


 翌朝早く、ソフィアはジョージをベッドに寝かせたまま、パン屋での仕事のために家を出た。その日は珍しくオーダーを何度か間違えてしまった。かわいそうなジョージのことが頭に浮かび、仕事が手に付かなかった。


 帰り道、ソフィアは何かしらジョージを元気づけられるようなネタを見つけたかった。町の大広場にある掲示板で、ソフィアはそのお知らせを発見した。


<吟遊詩人の大規模全国オーディション開催。あの有名音楽家が審査員としてこの町に!優勝者は王都でツアー実施。>


「ジョージ、これだわ!」


 ソフィアは家に帰ってくるなり、持ち帰ったチラシをジョージに見せた。


「バーの酔っ払いたちには分からなくても、音楽の専門家ならあなたの素晴らしさを分かってくれるはずよ!」


 ソフィアは部屋を見渡した。いつもそこにあるはずのアコースティックギターがなかった。


「ジョージ……あなたのギターは?」


 ジョージは俯きがちに言った。


「ああ、あれは質に入れたんだ。ボロだったけど引っ越し代には十分なお金になったよ。」

「そんな……どうして?」

「僕ももういい歳だ。いつまでも、君の世話になる訳にはいかないよ。」


 ジョージがソフィアに近づいて右手を開くと、そこには銀色の指輪が握られていた。


「今日知り合いの溶接工に頼んで、ギターの弦を溶かして作ってもらったんだ。高価な物でなくて申し訳ないけど……ここには僕たちの思い出が詰まってる。結婚しようソフィア。今度は僕が働いて君の生活を支える番だ。この町を離れて、一緒に暮らそう。」


 チラシがソフィアの手からするりと落ち、ソフィアは両手で口を押さえた。大きな目から、大粒の涙が溢れ出した。


「嬉しいわジョージ……でも……。」

「一緒に来てくれるかいソフィア?」

「もちろんよ……!でもあなたにとって音楽は……大切なものでしょう。」


 ソフィアは言葉を選びながら続けた。


「……ジョージ、引っ越し前の最後でいいから、このオーディションに出てくれない?私も応援に行くから……。あの歌をもう一度だけ聞かせてほしいの。」

「ギターはもう質に入れてしまったけど……。」

「きっと会場で優しい人が貸してくれるわ!」

「そんなに君が言うなら……。いいかい、これでギターを持つのは最後にするよ。」

「ありがとう、ジョージ。私本当に嬉しいわ。何もかも。」


 ソフィアの左手の薬指には、ギターの弦から作られた銀色の指輪が光っていた。


***


 その日は全国で行われていたオーディションの最終日で、ちょうどクリスマスの日だった。オーディションの会場がある建物にジョージとソフィアが着くと、ちょうどサンタクロースのコスプレをして、真っ赤な顔で怒った表情の男がギターを持って会場から出てくるところだった。


「クソが!新しく買ったばかりだってのに!」


 サンタの格好をした男は会場から出るや否や、手に持っていたアコースティックギターを地面に叩きつけた。


「あの……よろしければギターをお貸しいただけないでしょうか?」


 ソフィアが男に聞いた。


「ああいいよ、そんな安モンくれてやらぁ!」


 男はわめき散らすと、ギターを置いたままその場を去っていった。2人にとって予想外の、サンタクロースからのクリスマスプレゼントとなった。


「こんなこともあるのね……。」

「さっきの彼には申し訳ないけど、君は幸運の女神だね、ソフィア。」


 ジョージは受付を済ませオーディションの控室に入ると、慣れた手つきで金属製の棒を叩き、口にくわえた。そのアコースティックギターはチューニングが滅茶苦茶だった上に、弦が一本切れていた。ジョージは冷静に調律してネックの反りも直した。


「次の方、どうぞ。」

「よし、行こうソフィア。」


 ソフィアはジョージの演奏中、邪魔にならないように審査員に見えない位置で、影に隠れながら最後の「君に恋して」を聴いていた。今までで一番素晴らしい演奏だった。ソフィアは曲を聴きながら、ジョージと暮らした今までの思い出を嚙み締めた。あの日あの時ジョージがパン屋の客として偶然現れてから、ジョージはソフィアの全てになった。曲が終わる頃には、ソフィアの頬を涙が伝った。


「はい、以上で結構です。次の方、どうぞ。」


 ジョージがソフィアのところに戻ってきた。ジョージは晴れやかな表情をしていた。


「本当に素晴らしい演奏だったわジョージ。」


 涙目のソフィアがジョージに言った。


「ありがとうソフィア。新聞でしか見たことのない大御所ばかりが5人も揃っていたよ。はは、みんな演奏中無表情だった。最後の最後に、自分が本当に何者か知ることができたよ。もう音楽に未練はないさ。明日、この町を立とう。」


 翌日、2人は荷物をまとめていた。もうすぐ引っ越しの馬車が到着する時間だった。ようやく荷造りが終わったところで、チャイムが鳴った。ジョージが玄関のドアを開くと、そこにはスーツ姿の男が立っていた。


「おめでとうございます。ジョージさん、あなたがオーディションの優勝者です。」

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