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前世が見える令嬢、恋をする

作者:


 物心ついた頃から、私には不思議なものが見えていた。

 


「お父様、お父様の頭の上に鳥さんが飛んでます」

「お母様の頭の上にはスミレの花が」

「お兄様は剣を持った男の人」


 それを聞いたお母様は慌てて私の口を塞いだ。


「ダメよ、アネット。そんな、訳の分からないことを口にしては」

「ええー、だってホントなんだもの」

「ホントじゃありません。頭の上にはなんにも見えないわ。あなたが想像力豊かなのは良いことなのだけど、決して家の外ではそんなことを言ってはいけませんよ」


 どうやら、このことは誰にも信じてもらえないみたいだ。


『ねえ? だから言ったでしょう。他の人に話したら、頭がおかしいと思われるって』


 私の頭の上に浮いている若い男、ベルナールが得意げに言った。


『やっぱりみんなには見えてないのかぁ……。だから私が嘘ついてるみたいに思われるのね』

『そうですとも。だから、このことは私とアネットの秘密ですよ』


 私とベルナールは頭の中でお話しできる。気がついたら私の側にいて、ずっと一緒に過ごしてきたお友達だ。


『ベルナールはお化けなの?』

『失礼な。私は何かを恨みに思ってこの世にしがみついてるモノではありません』

『そうなの? でもベルナール、どうして私にだけこんなのが見えるのかなぁ』

『なぜなんでしょうね。私にもわかりません。でも、あなたが話せる人で良かった』


 そう言ってベルナールは微笑んだ。




 私はアネット・ベジャール。ベジャール侯爵家の長女である。今年十六才を迎え、ついに社交界にデビューすることになった。

 デビュタント用の美しいドレスを試着していると、父と母が目に涙を浮かべて喜んでいる。


「本当に、いい娘に育ったこと……とっても綺麗よ、アネット」

「そうだなあ。小さい頃は変なことばかり口走る変わった子だったが、今は落ち着いて、どこへ嫁に出しても恥ずかしくない自慢の娘だ」

「ありがとうございます、お父様お母様」


 お父様にはちょっと反論したい部分もあるが、話が長くなるのでスルーしておいた。

 濃い蜂蜜のような金色の豊かな髪、輝く湖のように深い青の瞳。確かに見た目は完璧である。


『でもホントはガサツなんですよねー』


 ベルナールがからかう。


『うるさい。黙ってて』

『おお、怖い』


 頭の上でクスクス笑ってるのが聞こえる。まったく、もう。


 

 ベルナールはどうやら私の前世らしい。私にはその人の前世が見える能力があるらしく、頭の上にふわふわと浮いているのがそれなのだ。

 お父様お母様の例でもわかるように、前世が人間ではない人も多い。人間だった場合も、かなり古い時代の人だったりすることもある。


『生まれ変わるのに時間がかかることもあるのです』


 ベルナールは言う。


『辛いことがあった人はしばらく魂のままで眠り、傷が癒えてから生まれ変わります。あの人は長い間傷が癒えなかったのでしょうね』

『そうなんだ……』

『動物や植物が前世の人もそうです。人として生きることが辛くて、途中で別の生物を挟むのです。また人として生まれるための準備期間として』


 そんなに辛い人生って、どんなものなんだろう。私は恵まれた生活をしているせいか、想像がつかない。


『あ、じゃあベルナールは辛くなかったのね? すぐに生まれ変わったんだもの』


 ベルナールが死んだのは五十年前だという。


『いえ、私は……辛い人生でした。ただ、どうしても会いたい人がいて。だから早く生まれ変わりたかった』


 彼の話によると、ベルナールは十七才の時にパーティーで出会った女性に恋をした。お互い一目惚れで一気に燃え上がり、結婚を誓い合った。

 しかし二人には身分の差があった。しがない男爵家のしかも次男であるベルナール。かたや彼女は公爵家の長女。王太子妃候補にも名前の上がる素晴らしい女性だった。

 二人の恋は反対され、引き裂かれた。ベルナールは軍に入れられて遠い辺境地帯の任務につき、そこで病に倒れ二十才で生涯を終えた。魂に戻ってもベルナールは彼女を忘れることが出来なかった。


『もしかしたら、まだ彼女が生きているかもと思って、急いで生まれ変わったんですけどねえ』


 私が字を読むことが出来るようになるやいなや、ベルナールは【貴族系譜図】を見せてくれとねだった。五歳の私が分厚いその本をヨタヨタと自分の部屋に持ちこんでいるのを、使用人が不思議そうに見ていたっけ。


『なんと……彼女も早く亡くなっていたのか……』


 ベルナールが愛するコリンヌ・ソワイエ嬢。ソワイエ公爵家の系譜に名前が載っていた。しかし彼女は誰とも結婚することなく、十八才で生涯を終えていた。病死、と書かれている。


『おおコリンヌ……私のすぐ後に亡くなったとは』


 ショックのあまりベルナールは三日三晩泣き続けた。そして、泣き腫らした目で(ちゃんと腫れてるのが不思議)私に言った。


『アネット。私はあなたの前世。だから、あなたが死んでしまったらもう、私の意識は無くなります』

『え? どういうこと?』

『全ての前世を引き連れていたら大変なことになるでしょう? ですから、直近の前世だけがこうして側にいることが出来るのです』


 確かに。この長い歴史の中で何回生まれ変わったかわからないのに、それを全部頭の上に載せてたら……それは、嫌だな。


『だから私は、あなたが生きているうちにコリンヌを探さないと。もしかしたらコリンヌも、私に会うために早く生まれ変わっているかもしれない。そのためにも、あなたを全力で守ります』


 その言葉通り、ベルナールは私を危険から遠ざけるために頑張ってくれた。犬に噛まれそうになった時はその犬の前世に言って大人しくさせたり。馬から落ちた時は地面に生えてる草の前世たちに協力してもらい、衝撃を和らげて事なきを得た。


『ベルナール、前世同士はお話し出来るのね』

『はい。お互い魂なので、相手が動物でも植物でも意志の疎通が出来ます。現世の身体に多少の影響は与えられますし』

『えっ、そうなの? ベルナール、私の身体も動かせるの?』

『大した力は出せませんよ。やってみましょうか。アネット、右を向いて下さい』

『こう?』


 私は顔を右に向けようとした。だが首がなかなか動かない。何かに抵抗されている感じ。ググッと力を入れるとようやく、顔が横を向いた。


『このくらいですよ。結局は現世の力に負けますけどね』


 なんだか不思議だけど、私とベルナールの魂は同じものだから当たり前なのかもしれない。



 こうして、ベルナールのコリンヌ探しは始まった。私はなるべくお出掛けのチャンスは逃さず、たくさんの人に会うようにした。学園に通っている時は全校生徒の前世を見に行ったけど、コリンヌはいなかった。


『コリンヌはまだ生まれ変わってないのかもしれませんね……』

『そうね。あなたと引き裂かれたショックが大きすぎたのかもしれないわね』


 ベルナールは悲しみをこらえた様子で微笑んだ。




 そして、今日私は社交界デビューを迎える。学園よりももっとたくさんの人たちが集う場所。


『コリンヌに会えるといいわね』

『ええ、アネット。今度こそと期待していますよ』



 初めて訪れるきらびやかな王宮でのパーティー。私はお兄様のエスコートで入場した。


『どう? ベルナール。コリンヌらしき人はいる?』

『うーん、今のところいませんね……』


 それにしても本当にたくさんの人だ。これだけの人数が集まった場所は初めて。しかも、それぞれに前世がついているのが見えるから、いかに王宮の大広間が広いといえども人や動物、植物が密集していて酔ってしまいそう。


『大丈夫ですか? アネット』


 心配そうなベルナール。


『え、ええ……いいえ、ちょっと人と前世の多さに酔ったみたい。バルコニーで風にあたってくるわ』


 そっとドアを開け、バルコニーへ。シャンデリアのキラキラした光や香水の匂い、人々のお喋り。そういったものから解放されて、静かな月明かりの下で私は息を深く吸った。


『ああ、落ち着く……もう大丈夫よ、ベルナール』


 しかし、ベルナールから返事はない。


『どうしたの? ベルナール』


 見上げると、ベルナールは一つ向こうのバルコニーに目が釘付けになっていた。そこにいるのは若い男の人と……浮かんでいる女性。


『コリンヌ』

『えっ』

『コリンヌです! アネット、コリンヌがいました! こちらを向いて……私に手を振っています!』

『本当なの? あの人がコリンヌ?』

『はい! アネット、お願いです! あの方のところへ行って下さい……!』


 私は急いで大広間に戻り、コリンヌがいたバルコニーへ向かった。しかしドアを開けようとすると、立っていた兵士に止められてしまった。


「失礼ながらレディ、こちらのバルコニーは今、出ることが出来ません」

「えっ……」


 この警備の厳重さは、もしかして。


「申し訳ありません。王族の方がいらっしゃるのですね」


 慌てて一礼しその場から下がろうとしたのだけれど、ベルナールが切なげに叫ぶ。


『アネット! コリンヌがそこにいるのです! バルコニーに出て下さい!』

『ダメよ、ベルナール。きっと、王太子様だわ。私では簡単に近づくことは出来ないのよ』

『ああ! コリンヌがそこにいるのに……!』


 悲しむベルナールのために、王太子様が出てくる姿を見せてあげたい。そう思って少し離れた場所で待機していた。

 するとドアが開き、王太子様が現れた。黒髪に青い瞳の美しい方だと評判の、シリル様。私と同い年だけど少し大人びて見える。

 しかしそれより目を引いたのは、ふわりと浮かんでいる美しい女性。淡い金色の髪は柔らかいウェーブを描いて背中に流れ、薄い紫の瞳は可憐な花のよう。絵本に出てくるお姫様みたいな昔風のドレスを着た彼女は、広間に入るなり顔を輝かせてベルナールを見た。何かを喋っているようだけど、私には聞きとれない。


『ああコリンヌ! 会いたかった!』


 二人は互いに手を伸ばしているのだけれど、いかんせん私とシリル様の距離が遠すぎる。すると私の足がギギギっと動き始めた。


『ちょっと、ベルナール! やめてよ! あんまり近づくと不敬になっちゃう!』

『だって……コリンヌがそこに……コリンヌ……』


 シリル様のほうも足が止まってしまっている。おそらくシリル様は王族の席へ向かおうとしていたはずだけど、私のいる方へと顔が徐々に向き始めた。その間、コリンヌは必死でベルナールに手を伸ばしている。

 やがて、コリンヌが疲れ果てた顔をしてふう、と息を吐くと、動けるようになったのかシリル様は立ち去って行った。


『コリンヌ……』


 頭の上でベルナールがさめざめと泣いている。


『良かったわね、ベルナール! 会えたじゃない!』

『ええ、アネット……今日、来て良かった……ありがとう』


 本当に良かった。生まれ変わるタイミングがズレていれば、生まれた国が違っていれば、二人は出会うことはなかったのだから。これでベルナールも満足出来たに違いない。


『アネット、では次はダンスです。ダンスを踊って下さい。そうすれば、私はコリンヌと話が出来ます』

『ちょ、ちょっと待って。あなたも貴族だったなら知ってるでしょう? 王太子様とダンスなんて、こちらから誘うことは絶対に出来ないのよ?』

『もちろんそうでしょう。でもコリンヌがきっと、なんとかしてくれます』

『……シリル様もコリンヌと話せるのかしら』

『あの様子だと、たぶん話せていないでしょうね』


 やはりそうか。シリル様の目にはベルナールはおろか私も映っていなかったもの。なんで自分の顔が急に横に向こうとしているのかわからない、といった雰囲気だった。


『だったら、ベルナールの話をして協力してもらうことは出来ないわね……』


 そんな話をしていると、ダンスタイムが始まった。

 シリル様はまだ婚約者が決まっていないので、ファーストダンスを踊る相手は誰なのかと皆興味津々だ。


 私は、とりあえずお兄様の横へ行く。お兄様の婚約者、マリアン様には申し訳ないが、デビューの日に一度も踊らないわけにはいかないのだ。私みたいなお子ちゃまに他の人が申し込んでくれるはずもないし、さっさとお兄様と一曲踊ってあとは隅っこに行っておこう。

 ところが、ざわめきが聞こえ、人の波が割れた。その中をゆっくりと歩いてくるのは、シリル様。


『まさか、ベルナール……』

『ええ。コリンヌの力ですよ』


 嬉しそうにベルナールが呟く。


 私の前で立ち止まったシリル様と、横で慌てふためいているお兄様。シリル様はゆっくりと私に手を差し伸べ、踊っていただけますか? と仰った。その横で、両手を握りしめて真っ赤な顔のコリンヌ。


『早く、返事を! アネット! コリンヌの力が尽きる前に!』


 ベルナールに促されて私は急いでシリル様の手を取った。


「光栄でございますわ、王太子殿下。よろしくお願いいたします」


 嫉妬の目が降り注ぐ中、私とシリル様はフロアの中央に進み出た。

 私とシリル様が密着しているから、ベルナールたちも抱擁し合っている。二人とも涙を流して嬉しそう。でも、話の内容は聞こえない。


(そういえば、魂同士で話す時は、私には聞こえないんだって言ってたな……)


 ぼんやり考えながら踊っていると、シリル様に話しかけられた。


「失礼ながらレディ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「あっ、申し遅れました。私はアネット・ベジャール、ベジャール侯爵が長女でございます」

「そうか、ベジャール侯爵の。もしかして今日が初めての社交界ですか」

「はい。兄と一緒に参りました。まさか殿下のファーストダンスのお相手に選ばれるとは、想像だにしませんでしたが」


 するとシリル様は不思議そうに首を捻りながら微笑んだ。苦笑、という感じではあったけどイヤな気はしなかった。それくらい美しい微笑みだったから。


「私にもよくわからないのですが、誰を誘うか広間を見回していた時に君のところで顔が止まってしまって。まったく動けなくなってしまいました。だからこれは運命の出会いかもしれないと思い、ダンスを申込んだのです」


 それはきっとコリンヌの力だ。でもそれをシリル様に言うわけにはいかない。


「ありがとうございます。光栄ですわ」


 そう答えたがそれっきり、お互い話が続かない。それはそうだろう、さっきまで名前も顔も知らない同士だったのだから。私のほうに【王太子妃になる】という明確な目標がないので媚びる必要もないし。

 無言のままダンスを終え、微妙な顔をしているシリル様に一礼するとフロアから早々に引き上げた。


「アネット! なんで殿下がお前を指名したんだ?」


 信じられないという顔でお兄様が駆け寄って来た。


「私にもわからないわよ。殿下に聞いてちょうだい」


 聞けるわけないだろ、とブツブツ言うお兄様。フロアではシリル様が別の令嬢と踊っている。あれは王太子妃有力候補、フロベール家のオレリア様だ。さすが、お似合いの二人。にこやかにスムーズにダンスしている。


 私の頭の上でベルナールが興奮した表情で私に話し掛けている。


『アネット! コリンヌと話せましたよ! ありがとう!』

『良かったわ、ベルナール。思い出話に花は咲いた?』

『ええ! でもまだまだ足りません。もう一度踊って下さい』

『無理よ、そんなの……話すことなくて、すごく気まずかったんだから。たぶんシリル様もそう思ってるわ』


 ところが、またしても人々のざわめきが。シリル様が私のもとへまた、やって来たのだ。


「ベジャール嬢。良かったらまた、私と踊っていただけますか?」


 王太子殿下の言葉を断れるはずもない。私は喜んで、と言ってシリル様の手を取った。

 私たちが踊っている間、頭の上ではベルナールとコリンヌが幸せそうに踊っていた。あんな蕩けそうなベルナールの顔、見たことない。


「ベジャール嬢は……」


 突然、シリル様に話しかけられて、私は彼の顔を見つめた。そういえば上ばかり見ていたかも。


「あまり私の顔を見てくれませんね。お気に召しませんか?」

「そ、そんなことありませんわ。殿下のお顔があまりに美しいので、とても直視できなくて……」


 適当なことを言ってごまかしておく。


「私は、あなたとのダンスが終わって他の人とも踊ってみたのですが……なぜだかすぐにあなたと踊りたくなるのです。やはりこれはあなたが私の運命の人であるに違いない。もしよろしければ、あなたも私の妃候補として選ばせてもらっても構わないでしょうか」

「ええっ、妃候補?」


 十六才のシリル様が婚約者を決定するのは十八になった時。だから三人ほどの候補を選んで妃教育を施したり殿下と交流を深めていき、最終的に一人に決まるのだ。その候補に私が?


「ええ。あなたが本当に運命の人なのか、見極めていきたい。明日にでもお父上に使いを送ります。どうか妃教育を受けていただきたい」


 ベルナールとコリンヌが喜んでいるのがチラリと視界に入る。断れるはずもない私は頷いた。


 その夜は結局、四回も踊った。他の令嬢と踊っても、シリル様はすぐに戻ってくるのだ。


(コリンヌの力、凄すぎない……?)


 帰宅してお兄様から報告を受けたお父様は、腰を抜かすくらい驚いていた。


「まさか、王太子殿下に見初められるとは……!」


 大騒ぎしている家族に、今日は疲れたからもう寝ると言い残して私は部屋にこもった。


『ベルナール、どうだったの? 二人の再会は』

『ありがとうアネット。最高でした。あんなに二人で踊ったことはありません。夢のような時間でした』

『あなたはコリンヌに会いたいとずっと言っていたけど、実際に会ってみてどうなの? ガッカリしたとか、ないの?』

『アネット、そんなことあるわけないでしょう。私たちは引き裂かれる前の二人に戻り、たくさん愛を打ち明け合いました。もう、離れたくない。アネット、どうか王太子殿下の妃になってください』

『待ってよベルナール! あなたたちは好きな者同士でいいかもしれないけど、わたしと殿下は好きでも何でもないのよ? なのに結婚しろって言うの?』


 ベルナールは黙った。


『そうですよね。政略結婚の理不尽さは知っているつもりだったのに。あなたに強要してしまうところだった。すみません』

『……わかってくれたらいいのよ』


 もちろん、シリル様は素敵な方だ。でもそれは外見の話で、内面は何も知らない。以前よりも貴族同士の結婚は恋愛によるものが増えているこの頃では、お兄様のように両想いの人と結ばれたいのが乙女心だ。


(だけど、社交界デビューの日に王太子様と四回も踊ってしまっては、もう他の男性は近づいてきてくれないかも……)


 シリル様が私を気に入っている、と普通なら考えるだろう。終わった。私はもう誰からも声を掛けられない。


(しかも妃教育とか……絶対無理ぃ……)


 その日はシクシク泣きながら眠りに落ちた私だった。




 翌日、シリル様の言った通り王宮から使者がやって来た。


「アネット、お前は正式に王太子妃候補に選ばれたぞ。フロベール公爵家のオレリア様、バレーヌ公爵家のルイーズ様と共に、来週から王宮で妃教育に励みなさい」

「えええ……」

「何がえええだ。名誉なことではないか」

「だってお父様、私に務まると思う? そんな重大な立場が」

「うっ……いやもちろん、大丈夫さ。お前が風変わりな子だったことは間違いないが、今はこんなに立派に成長した。殿下に見初められるくらいに」

「……妃教育で成績が悪ければ落第させてもらえるかしら」

「こら、わざとそんなことしたら不敬にあたるぞ。しっかり学び、ライバルと堂々と渡り合った上で負けるなら逆に箔がついてその後の婚活に苦労しないだろう。だけど、落第したダメ令嬢という評判が立てば、お前は行き遅れ間違いなしだぞ」


(くうぅ……なぜこんなことに)


『ごめんなさい、アネット』

『いいわよ、ベルナール。もうこうなってしまったものは仕方ないもの。妃教育を頑張って正々堂々と負けてくるわ。だから、コリンヌにも言っておいてね。シリル様に圧を掛けちゃダメって』

『わかりました。会えた時には必ず伝えます』




 そして、翌週から妃教育が始まった。午前中からびっしりと講義が入り、午後からは所作や作法など。貴族令嬢として基本は叩き込まれているけれど、外交の場で恥をかかないよう、主要各国のマナーなども学んでいくのだ。

 そして週に一度、シリル様とのお茶会も予定に入っている。一時間だけではあるけれど、この時だけはシリル様と二人きりになれるのだ。


「どうですか、妃教育は」


 シリル様が優しく尋ねてくださる。


「はい、なんとか頑張っております。講義の内容はとても興味深くて、楽しんでおりますわ」

「そう。良かった」


 お茶を飲みながら微笑むシリル様。やはり、お顔が美しい……! こちらが恥ずかしくなるくらい。


「不思議なんだが、ベジャール嬢といると心が落ち着くんだ。昨年立太子されて以来、公務も忙しくなるしやるべきことも増えた。疲れを感じることも多くなっていたんだけど……ベジャール嬢とダンスを踊った時、とても心が軽くなったのを覚えている。今も、そうだ。他の令嬢よりもあなたといる方が嬉しいし落ち着く。妃に選ぶならこんな相手だと思っているんだ」


 シリル様は私の手を取ってそんなことを仰った。私はドキドキして顔が熱くなるのを感じ、俯いた。


(ダメよアネット! これはコリンヌの力で言わされてるんだから。本気にしちゃダメ)


 シリル様の頭の上でコリンヌが微笑んでいるのを感じながら、私は自分を戒めた。




 その夜、私はベルナールを問い詰めた。


『ねえベルナール。コリンヌの力ってすごすぎない? シリル様の心まで操るなんて』

『アネット、落ち着いて。コリンヌはそんなことやっていませんよ』

『だっておかしいじゃない。他の令嬢より私といる方がいいだなんて、あり得ない。コリンヌが言わせてるに違いないわ』

『確かに、あのパーティーの時は身体を操ってあなたとダンスをさせたのは間違いありません。でもそれは最初の二回だけ。後の二回はシリル様が自分で行かれたのですよ』

『嘘よ! そんなはずないわ。私なんかをシリル様が気に入るなんてこと……』

『もちろん、コリンヌが私に会いたいと思うその気持ちが、シリル様に影響しているのは否定出来ません。だからといって恋までさせることは……私たちにはそこまでは出来ませんよ』


(嘘よ……じゃあ私のこの気持ちも、ベルナールの力ではなくて自分自身の恋心だというの? 私は、シリル様を本気で好きになってしまったの?)


 こんなに好きになってしまったのに、選ばれなければ結ばれることはない。そんなの辛すぎる。


(恋なんてするんじゃなかった……)


 今さらながら身分の差が苦しい。こちらから告白することも出来ないのだから。


(でも……両想いなのに引き裂かれたベルナールたちは、きっともっと辛かったわね)


 やっと、ベルナールたちの辛さがわかった。今まで私は何もわかっていなかったのだ。




 そんなある日の講義終了後。私はオレリア様とルイーズ様に呼び止められた。


「お時間よろしいかしら、アネットさん」

「はい、オレリア様」


 二人は侯爵家である私のことが気に入らないらしく、今までずっと無視されてきた。腹は立つけれど、二人の頭の上に浮いているのが蛾と毛虫なので、それを見て溜飲を下げることにしている。(蛾と毛虫に罪はないのだけれど、ね)


「シリル様があなたを婚約者に決めたらしいと噂が出ているの。本当かしら」

「いえ、そのようなことは」

「ええもちろん、正式な話はまだ出ていないわ。出ていたら私の父が知っているでしょうから。ただ、火のないところに煙は立たないと言いますし」


 彼女らの言葉を聞いたベルナールが私に話し掛ける。


『アネット。どうやらシリル様がこの方たちに直接お茶会で宣言したようですよ。婚約者はアネットに決めたから、もう妃教育は終了してよい、と』


 ベルナールは二人の前世である蛾と毛虫と会話して、情報を得たらしい。


(ええっ、ホントに? どうしよう、嬉しすぎる)


 思わずニヤけてしまった私にカチンときたのか、オレリア様が私の顔を扇子で叩いた。


「公爵家の人間に向かってその笑いは何! 失礼にも程があるわ。こんなマナーのなっていない女にシリル様の妃が務まるわけがありません。私は、断じて認めません。お父様にも言って、反対してもらいますわ」


 ルイーズ様も一緒になって責め立てる。


「そうですとも。侯爵家のくせにでしゃばらないことね」


 扇子をぶつけられた頬がヒリヒリと痛む。私は拳をギュッと握りしめて立ち尽くしていた。


(悔しい。悔しいけど、身分が上の人たちに反論することはできない)


 その時、ベルナールが叫んだ。


『大変です! アネット、コリンヌが呼んでいます! シリル様が危ない! 助けに行かなければ!』

『えっ! どういうこと、ベルナール!』


 ベルナールは目を閉じて耳を澄ましている。


『コリンヌが全ての前世たちに呼びかけています。シリル様が、王宮に潜り込んだスパイに捕らえられ、箱に詰められていると。このままでは王宮外に出されてしまいます! 早く助け出さなくては!』


 オレリア様たちの上に浮かぶ蛾と毛虫も騒がしくしているが、いかんせん彼らの言葉は彼女たちに届かない。私が行かないと。


『ベルナール! 今シリル様はどこに?』

『厨房裏口から出ようとしています! 急ぎましょう!』


 私はヒールをその場に脱ぎ捨て、呆気に取られている二人を置いて走り出した。


 厨房へ向かうと遠くの方の出口に大きな箱を台車に載せて運び出そうとしている男がいる。そして、その男の方へ身体を向けているコックもいた。


(彼の前世は騎士なんだわ! 前世の力で追いかけようとしているけれど、現世のコックが邪魔をしている)


「そこの貴方! 前のあの男を止めてちょうだい!」


 私に言われたコックはハッとした顔で前の男を見ると、走り出した。他にも、必死で頑張っている前世たちにベルナールが呼びかけ、私も現世の人々に呼びかける。


「あの男を捕らえるのよ!」


 急に後ろから大勢のコックに羽交締めにされたスパイは、抵抗したが多勢に無勢。あえなく捕らえられた。


「シリル様!」


 私は男が運んでいた箱に近寄り、蓋を開けた。するとそこには目隠しと猿ぐつわをされ、身体を拘束されたシリル様がギュウギュウに押し込まれていた。


『コリンヌが、彼は意識を失わされてはいるけれど生命は無事だと言っています』


「ああ、良かった……シリル様……」


 私はその場に泣き崩れた。そこへ兵士が大勢やって来て犯人を縛り上げ、シリル様を助け上げた。運ばれて行くシリル様と共に離れて行くコリンヌ。その時、初めて彼女の声が聞こえた。『ありがとう』と。

 

 犯人は、風貌や持ち物からこの国と敵対する帝国の男だったらしい。らしい、というのは、捕まった後自害してしまったからだ。国王陛下は兵士から使用人まで、もう一度身分を洗い直し、今後の警備も強化することを決めた。


 そして私とコックたちも一応取り調べを受けた。もちろん、いくら調べられても帝国との関係などはなく、すぐに解放された。なぜシリル様の危機がわかったのかは、とにかく【虫の知らせ】で押し通した。コックたちも何か胸がざわついたからだと証言してくれていたのも追い風となった。


 目覚めたシリル様は事の顛末を聞き、すぐに私に会いたいと仰ったそうだ。私はシリル様のお部屋に伺い、まだ横たわっているシリル様のベッドの横に腰掛けた。


「全て聞いたよ、ベジャール嬢。私を助けてくれたそうだね」

「いえ、私は何も……。コックたちが取り押さえてくれたのですから」

「だけど、君が彼らに命じてくれなければ、あの男に手出し出来なかっただろう。本当にありがとう。君は私の命の恩人だ」

「もったいないお言葉でございます。殿下がご無事で本当に良かったです……」


 あの時の恐怖がよみがえり、私はまた涙をこぼした。


「泣かないで、ベジャール嬢……いや、アネット」


 シリル様にアネットと呼ばれ、私は顔を上げた。


「私はアネットが好きだ。ずっと私の側にいてくれないか」

「シリル様……」

「父も母も、君をたいそう気に入っている。既に許可も得た。君さえ良ければ、すぐにでも婚約者として発表したい」


 信じられない。まさか、シリル様が私を好きだと仰るなんて! でもコリンヌはニコニコして私を見つめているし、ベルナールはコリンヌの肩を抱いて笑っている。そしてこう言った。


『遠慮しないで、彼の気持ちを受け取りなさい。人生は一度きり。チャンスは逃してはなりません』


 私は頷くと、シリル様に返事をした。


「はい、殿下。私も殿下をお慕いしております。どうか、私をお側において下さい」

「アネット……」


 シリル様は私の手を取り、固く握りしめて下さった。私よりも大きくて温かな手。私はこの瞬間、世界で一番幸せな女の子になった。



 

 そして一年後。私とシリル様の結婚式が盛大におこなわれた。国民の祝福を浴び、花びらが舞う中、馬車に乗ってパレードをする。私たちの頭の上には同じように幸せなカップル、ベルナールとコリンヌが浮かんでいる。


『あなたたちが長生きできるように、私たちはこれからも見守りますからね』


 コリンヌが微笑み、ベルナールが満足気に言う。


『ありがとう、ベルナール。これからもよろしくね』


 上を向いて笑う私に、シリル様が不思議そうに尋ねる。


「どうしたの、アネット。天使でもいるのかい」

「ええ、そうよ。とっても素敵な天使たちがね」


 私は微笑んでシリル様の頬にキスをした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この作品を読んだ後で「もう一度あなたの手を取れたなら」の内容を思い出しました。 あちらは前世からの想いを引き継ぎ、と言うよりも前世側が完全にのっとって、魂の恋人をついに見つけて想いを遂げ…
[一言] アネットが「前世からの恋なのね!ステキ!」とならずに「前世に引き継られるままでいいのか?」「これは前世の関係ない『自分』と『シリル様』の恋なのか?」と足を地に付けて考えるところが素晴らしかっ…
[良い点] おもしろかったです。 前世の設定とかが思わず納得してしまう感じで、引き込まれてました。 ベルナールとコリンナの性格、過去の恋のお話も幸せを願ってしまい、主人公が迷った時にはドキドキしちゃい…
感想一覧
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