11話 敗北への奔走
空中で器用に戎具を持ち替えたジルクが、勢いのままに頭上から攻めかかる。
金属音を奏でるのは舶刀と横から伸びた鉤爪。
幾度かの斬り合いの後、防御姿勢をとった信楽飛鳥の腕を蹴り、大きく後退すると、壁を強く蹴り上げた千鹿がその横を、二度の愚行をさらに超える速度で跳んでいく。
——ババババンッ!バンッ!バンッ!
粟降夜霞の手には、いつの間に拾いあげた回転式拳銃が握られ、さながら、弟の尚の時と同じか。いや、それ以上である。
後方と左斜め前方からの銃弾に挟まれ、下方からは黒い羽根の群が迫る格好となったが、何事もないかのようにするりと躱しながら進み、今度は剣と鉤爪が——。
両者鍔迫り合いとなり火花を散らすが、その間はわずか一秒となく、飛鳥の首根っこを掴んで後ろに引くと、当然、千鹿の身体は前に蹌踉けざるを得ない。それは、敵の体勢を崩す意図と同時に、半身になった身体の正面から、ひいては彼女の側方から、一発の銃弾がすでに目と鼻の先まで迫っていた。
ここまで突き進んできた千鹿の能力をもってしても、“詰み”と謂れる状況だった。
魔法を発動するには時間が足りず、単に避けるには姿勢が悪すぎる。残るは、その手に握るもので防御する他はない。逆転手がないタイミングで一石二鳥の妙手だった。
敵に背中を向けてそんなことをすれば、その大きすぎる隙に致命的な一撃が見舞われる。
上半身と下半身が同じ回転をしている状態から足に力を乗せる為、軸足を浮かせて反動に利用する。
眼前には二発の銃弾があるが、視野の真ん中で微に入り細に入り観察すれば、躱すことは造作もない。着地と同時に姿勢を低くし、上部に平面状の単純な結界を張る。
夜霞の思惑通り、弾丸は結界魔法の上をへこへこと通過していった。
「お主も大概いやらしい性格をしておるの。戦いをよく知っておる」
どんな奇跡をも起こせる魔法が蔓延る世界で、時代錯誤な銃という戎具は確かな地位を獲得している。その一因には、もちろん魔法の存在がある。
魔力の殻で覆った二層構造の弾を生成し放てば、それは結界魔法では防ぐことが出来ず、かといって、精密な陰陽濃淡制御によって魔力のオーバーフローを対策したところで、これみよがしに実弾を放つまでである。両方を考慮して異なる二種類の結界を張ることでやっと対応できるのだが、あまりに修行効率が悪く、脳の負荷も大きい為、浸透していない。
つまり、前時代的な対処が叶わぬ時、銃は頭を攻める戎具として高く評価されているのだ。
夜霞はそれを嫌い、身体を向き直す意味も込めて蹴りを選択した。
——ガハッ
肋骨の何本かに罅が入っただろうか。千鹿は胃酸混じりの唾液を激しく吐き出し吹き飛ばされた。それでも、ワイヤー型の魔工具を梁に伸ばす。
「伊奈利!」
偶然にももう一人——。ひらひらと靡く影が千鹿の背後から迫る。
辛うじて衝突は免れたが、それは、白尾伊奈利が間一髪のところで身体を半回転させたおかげであり、千鹿は避けるそぶりすら見せなかった。別にぶつかりたかったわけではなく、ましてや、気がついていなかったなんてこともない。ただ、多少の認識の差異から足を後ろに折り曲げただけである。一般的、とはとても縁のない彼女のことだ。驚くことではない。
垂直跳びをして飛んできた仲間を受けとめると、そこに荒唐無稽な衝撃が走った。森の中へ一直線である。
——ガサガサ、バキッ、ボキッ、痛々しい音がいつまでも耳に届く。
迷彩が解けて姿を現した第二小隊の隊員が、振り返ることなくその後を追うと、天井上に残ったのは、夜霞と飛鳥。そして、大穴を挟んでジルク。その三人になった。
千鹿が振り子の要領で梁の上に着地し、数的な不利はいつの間にか無くなりそうである。
鉄骨がラウンド開始の号砲を鳴らした。
穴を越え格闘戦を仕掛ける夜霞の胴体にワイヤーが巻きつき、進行方向が反転する。
既に限界を迎えていた足場が跳躍にまで耐えきることは出来ず、千鹿は力無く宙を舞うも、剥き出しとなった外壁の柱を引き寄せるようにすれば、新たに推進力を得る。
即席だからとはいえ、血は争えないというべきか、やはりこの形に落ち着くのだろう。
変に小細工を打てば部が悪くなる一方で、彼女のやりたいように動いてもらった方が、自身の責務を全うしやすいという浅慮が働いているからこそでもあるのだろう。
「氷雨−釣鐘咲」
上方から氷針、後方からは一発の実弾。三度の強襲に気持ちは揺れ動かない。また、発射角の異なる魔力弾との合流点にいち早く到着した刃を引き抜き、些か速度を加える。
硬い腹巻きに身動きを封じられ、そして、その魔法が自身を対象とすることが出来ると知る。
「すず鳴かぬ 忍ばず一つ また一つ そばにあるかな 何をするかな」
夜霞の全身に黒衣が被り、するりと簡単に拘束が解けた。
真下に抜けて、斜め上方からの銃弾と正面からの斬撃は受けずとも、雨粒に当たった。そして、それが屈折して千鹿の影に隠れるところは見えており、頭部をただの結界魔法で小さく防御すれば、子供の投げる小石と何ら変わらないのだった。
物体が飛行する方向を操作する。これはベクトル合成によって成せるものである。銃弾のそれに比べれば微々たるものだが、本懐は軌道を変更することにあり、威力は問題にはならない。
干渉系魔法によればベクトルを自由に操ることは出来るが、やはり、そこに本物と同等かそれ以上の威力を求めると、埒外な魔力が必要であり、手軽な移動系魔法しか使われていない。
間を置かず大きく後退しワイヤーを上へ伸ばすと、力強く引き上げられ、少し驚く。
飛鳥と闘いながら、千鹿の援護も抜かりなく、さすがは第一支部屈指の実力者である。
とうとう決壊した外壁の破片が、北側玄関口に降り注いだ。避難が遅れていたら、またもや大惨事の未来もあり得たが、今回、その時間は十分にあり、干渉系魔法の使い手、及び複製系結界魔法の使い手に数の不足はない。
「いかにも猪口才な魔法だの。こんなもの覚える間に汎用魔法を幾らか鍛錬した方が、まだこの場で浮かないだけの技術を身につけられたかも知れないというのに」
汚れを拭うみたいにして玉散る結晶は、一枚岩の液体を剥いで露わになった肌に、傷一つ付けることが出来ていなかった。
重力によるものではなく、徐に下降する夜霞。
そして、千鹿の手元から一直線にそれを追う。追っていたはずなのだが、味方撃ちの格好を取らされた。それは単純に、躱された為である。躱されただけでそうなってしまうくらいには視野が狭くなっているということでもある。
——カキン。そのどちらもが金属ではなく、そのどちらもが鬼に握られる。
背負い投げの如く姿勢で、力の流動は正しく投擲というアンバランスが許されているのは、空中という本来人間が立ち入ることのできない領域だからだろう。
撫子の空いた腹に直接蹴りを入れるのではなく、再度味方撃ちの格好を取らせてその背後から、アドレナリンの上からでも負傷している部位に響く強烈な一撃を見舞う。
単細胞な相手だからこそ、無に等しいリスクでそれに見合わぬリターンを、虎視眈々と、そして貪欲に狙っている。さながら自然界と同じである。
しかして、戦場を縦横無尽に駆け回る厄介な魔工具を奪い取る算段だったが、やはり汎用魔力を流してみても扱うことは叶わず、であればと強引に剥がそうにも、脚に巻きつき、手と剣を一つに括り、そう易々とはいかなかった。
干渉系魔法の使い手であれば、汎用魔法の構造式を解読することは必修レベル。一般的にはかなり敷居が高く、それ故に希少な存在のわけだが。とにかく、長時間停滞する汎用魔法を破棄することは彼らにとってそう難しいものではない。千鹿がその気になれば、右腕と左脚はいつだって元に戻すことが出来たはずである。けれども、今の今までそれをしていない。
夜霞がその隙を窺っている、と見るのが妥当だが、彼女の場合はありえない。彼女の中で、一時的に前線から退くという目的意識に対する存在否定は甚だしいのだ。
せめて一重、あるいは二重に巻いて握るくらいだったら容易に剥がされていただろうが、なぜだかその愚直な性格が好転して、またそれが闊歩する。
戦場経験のきらいなく一様にして、そんなところに立ち会ったのは初めてだった。
お誂え向きに曲がってしまったが為に、再三酷使された梁がまた唸る。
腕の中の姫を見れば、さすがの千鹿も僅かばかりゆとりを取り戻し、ワイヤーが引力に対して垂直に張ったところで留まる。安全に——というのもおかしいが——戦場復帰できる場所を俯瞰して探す為に。しかし、一人いるだけでその場所が無い。
千鹿は、初めて撫子以外の味方の存在を認識した。
「おじさん!」
それ以上は口にしない。今の状況を見れば求めるところが伝わるという自信があるから。
下には、玲桜の他にもプロとはいえまだまだ発展途上な弱者が多くいる。彼らには荷が重たすぎることは、直接対峙してよく身に沁みている。
一時的に主戦場が移った。
一方では撫子と飛鳥が大穴を挟んで向かい合う。千鹿は相対する敵には興味を示さず、戎具は撫子を抱える際に戎具収納硬貨にしまったままである。
第二小隊——この場限りのではなく実働している——で夜霞の相手をするか、ジルク一人で相手をし、残りの隊員はそれまで通り凸凹コンビと闘うか、それは意思疎通するまでもなく、後者一択である。
やむを得ない場合などの例外を除いて、基本的に相手は変えない。これは、変えたところで殆どメリットがない為であり、多少あれども、それは相手にも適用される為である。
こんな隊訓がある。
——先を読むとは、過去をみる事である。
例外が蔓延っている戦場は経験をもろに反映する。判断の速さはその最たる例である。
因みに、千鹿がこれに従っている、なんてことは万に一つもない。むしろ、今がその例外的な場面であり、従う必要はないはずなのだが、彼女は夜霞と戦うことしか頭にない。
彼女は思考を介さず本能のみで、撫子を元の相手のところへ戻そうとしている。
先程までの戦闘で疲弊している様子の彼らは睨み合いを続け、その横で歳が何倍も離れた老兵が、激しい銃撃格闘戦を繰り広げる。
ジルクが考慮する流れ弾を気にしなくていい分だけ、夜霞が少し押している。
「弍拾玖ノ舞〈迷目惨花〉」
さすがに、周りに気を遣ってやり合えるほど甘い相手ではない、ということは分かり切っていたのだが、天井上に連れていく程度、という考えすらも甘かったようだった。
手傷さえ負わなければ——どの範囲のものを指すかは人によるところだが——、戦場に出ている以上多少の無茶は経費として生産してもらうつもりで魔法を発動した。
足腰のダメージに加え三半規管への攻撃には、たまらずその場に蹲ることしか出来ない。二回目とあって耐性が付いたのか吐瀉物は広がっていないが、空えずきはある。
空間に作用するこの魔法は当然本人にも影響があるのだが、慣れから平然と立っている。
「やはり厄介極まりないの。まともに照準を合わせることも叶わん」
夜霞が下に居続ける理由には、この魔法の存在が大きい。
膝を突くほどではないが、初顔合わせの際に動くことが出来なかった魔法を、さらに足場の悪い戦場に降りてまで避けようとした。
夜霞のプロファイリングでは——立場が逆転しているが——、多くの仲間と形勢との天秤が水平にすらならない想定だった。安全牌以外を捨てられるだけの度胸はないと思っていた。
しかし、結果は違えど、苦水を飲まされたところは間違っているとも言い難い。
「あんまり好かんが、そうも言ってはいられんな」
撃鉄が雷管を素早く叩く。少し間を置いた後に同じだけ再び。
連射性に乏しいジルクの銃では、せいぜい四発しか弾道を変えることが出来なかった。十四発の内の四発。術者のみに許された経験から危険度が高い順に無効化した。
それらは四方八方に——。とはならず、その殆どが彼らのすぐ近くの瓦礫に着弾した。
それに最も寄与したのは、平衡感覚ではなくやはり対応力である。微々たる優劣を競うこの場で後者は如実にその差が現れる。
卓越した感覚に破られてしまうようでは、その魔法は不完全な未完成品である。ジルクが開発した——実戦にて、試験的ではなく使用される——魔法にそのようなものはない。
命中したのは三、四発といったところだろうか。それは夜霞が思う以上の結果だった。
続けて撃っていれば、あるいは致命傷を与えられたかもしれないが、夜霞のポリシーがジルクの覚悟を少なく見積り、転じて、戦局を大きく傾ける。
無理やり攻勢に出るつもりだった手前、一寸の迷いもなくゲルニカの中を一直線に駆け抜ける。本来、そこにあるはずの無差別な銃弾がない分、足取りが軽い。
蝶の羽ばたき一つがカオスを呼ぶ空間で、人間が大きく前進し、さらには舶刀が放り投げられる。元の世界を忘れさせるくらいに視界は歪み、それを身に受けるのは必至だった。
唯一、防ぐ方法があるとすれば、結界魔法だけである。
夜霞に躊躇いはない。一瞬の迷いもなく、全身を覆うようにシンプルな結界魔法を張り、対魔法用結界魔法は頭部や急所から順に広げるようにして。
脇腹を走ったのは刀傷ではなく銃創だった。
それは、空中を停滞するように回転した後ジルクの手に収まった。何も、弾道を変化させられるのは魔法によるものだけではない、と言わんばかりである。
このまま決着をつけることは出来るが、その際にどれだけ犠牲を伴うかは想像に難くない。それだけのリスクを背負える程、ジルクの覚悟は強固なものではなかった。
どこまでいっても、目的は主戦場のリセットである。
ギリギリのところで苦節を守ったジルクは、解き放たれる喜びを全身で表現するように大きなモーションで蹴り上げる。
楕円体が千鹿の目の前まで飛来した。
撫子が静かに着地するその瞬間も、千鹿の目線は老兵から動かなかった。当然、他に目をくれなければ酔うなんてことはなく、ただ獲物に襲いかかる。
一緒に降りてくれ、なんて思いは、もはやジルクの心のどこにもない。かなりのじゃじゃ馬ではあるが、見境ない暴れ馬ではない。手綱さえもいらず、興味を唆られない様に意識すればいい。サバンナに生息する獰猛な野生動物と同じである。
ジルクが、お誂え向きに垂れた蜘蛛の糸に似ても似つかぬそれに掴まり上る最中、結界魔法を足場にして、跳躍の構えをとる夜霞の姿が見えた。
余計な錘が付いているせいで身動きを取ろうにも取れない千鹿を狙ったものだった。
すぐに解こうとするジルクの意思に反し、それは、軽く巻きつき、固く締める。
剣で受けるが、その衝撃は凄まじかった。身体強化魔法さえも使わないただの蹴りで施設東側の森まで飛ばすとは、千鹿との実力差は一目瞭然だった。
それは陽動だった。わざと避けず、多少も力を逃さず、真正面から力比べをしたかったという欲望をうまく包み隠した陽動だった。
気づいた時にはもう数歩出てしまっている。それだけで効果としては十分である。
そこに飛んでくるは七・六二ミリ弾。
狙撃手の存在を失念していた、なんてことはない。二対一が行われている森林戦闘と主戦場の両方に睨みを利かせている可能性は、夜霞の思考の浅いところにあった。
ただそれ以上に、自身が蔑んだ魔法の独壇場が出来つつあることへの焦りから、性急な盤面打開を図ったのだった。つまりは、急いては事をなんとやらである。
銃の対処法は、拳銃も狙撃銃銃も基本的には変わらない。躱すか戎具でいなすかの二択である。結界魔法はあくまで最終手段として懐に構えておく。相手の狙いは結界魔法を使わせる事なのだから、それに素直に応じることはない。
拳銃と狙撃銃の対処法で唯一違うところは、やはり狙撃地点とその瞬間を認識できるかどうかだろう。音速を超える銃弾に耳は頼りにならず、身を隠すのが本職の彼らは鷹の目でもない限り見つからない。
では、狙撃手が各小隊に一人は居るかというとそうでもない。むしろ彼らは少数派である。
単純な話、数が命の駆け引きを得意とする射手は、それを小型化して前線に出た方が活躍できたのだった。そして、狙撃銃をも駆け引きの道具たらしめている魔法が、探知結果である。
結界という名ながら複製系ではなく放出系魔法の一種で、弧を描いて広がる魔力網が揺らぎを感知し術者に伝える。言うなれば危機感知に近い。
魔孔感覚とは違い魔法として確立してはいるが、第七の感覚といえるかもしれない。
薬莢が、夜霞の横を通過する。
風景に擬態したワイヤーが強く締まり、最大射程が数千メートルの狙撃銃に発射された勢いそのまま千鹿を連れてくる。
それよりも近い距離からの剣戟は結界魔法によって防がれた、のではない。
〈雲流飄零〉。空気抵抗や慣性など全ての力を都合の良し悪しの篩にかけ、まるで風の如く立体的に駆けまわる風早家固有魔力“逆撫”による完全防御魔法。
その盾を避けるように回転する力は、千鹿の目の前に大きな背中を持ってくる。
フィギュアスケーターよろしく伸ばしたその先が、飛沫を散らした。
「少々見縊っておったか、それとも——。さて、予定変更の詫びだ。しかと受け取ってくれ」
千鹿を追いかける鉤爪は、相変わらず長く鋭い。その口元では、歯が牙となっている。特に、犬歯の伸び具合は食べるためではなく攻撃するためのものだった。
前腕に比べて発達した三角筋から広背筋。そして何といっても、額と顳顬の間から外側に生えた一対の角が天を差して湾曲している。それに突かれたらひとたまりも無いだろう。
彼らの人並外れた再生力を盾に、夜霞は排莢動作もなく小指球で撃鉄を弾き続ける。
やがて、獣毛を伝った雨垂れが鮮やか色に染まり、人肌を伝うそれもまた同じく染まる。そして、淡い桜が一つ、二つ、三つ、と大きく咲き誇った。
「力は纏、法は凝、毛立つ散大す析出、梲あがる芥子粒〈氷火−岩矢花弁〉」
ポツポツと降り始めた雨は陰鬱な心模様を表すものではなく、吉報だった。