雨の日の不思議な男の子
黒森冬炎さま主催の劇伴企画参加作です。
「雨ふり」北原白秋 作詞 中山晋平 作曲
を口ずさんで。または、お好きな歌を口ずさみながら読んでみてください。
待ちに待った雨の中、二年生になったとこちゃんは新しいピンク色のカサをさしてにこにこしながら歩いていました。ピンク色のカサにはとこちゃんの好きな水色のお花と黄色のお花がえがいてあります。お母さんに言って、やっと買ってもらったお気に入りのカサなのです。
学校のお友だちにもたくさん「かわいい」とほめてもらいました。とこちゃんは満足気に「お母さんに買ってもらったの」と友だちに伝えました。
だから、ちょっとくらいランドセルが重くても、ちょっとくらいくつ下がぬれちゃったとしても、今日はなんでもうれしくて気になりません。
灰色の雲の下でもピンクのカサをさして歩くだけでピカピカの気持ちになって、お空にお礼を言いたくなります。
「お空の雲さん、今日は雨にしてくれてありがとう」
おうちへ向かう道の途中に流れる小さな川からはカエルさんの歌が聞こえてきます。とこちゃんはその川をのぞき込んで、いっしょに「けろけろけろ」と歌ってあげます。歌い終わるととこちゃんはにこにこして言いました。
「ねぇ、このカサかわいいでしょ?」
本当はメダカさんにも教えてあげたいところだったのですが、ざんねんながら、今日は雨ににごってメダカさんは見えません。
あじさいの咲いているのおうちのそばではカタツムリを見つけて、ゆっくり歩くカタツムリに合わせて歩いてあげます。そして、「このカサかわいいでしょ?」とふり向いてくれたカタツムリにお話をしました。カタツムリはゆっくりとうなづいてくれて、とこちゃんもうれしくなりました。
空から降ってくる雨粒もピンクのカサにあたって落ちるたびにきらきらと光って、地面に落ちていきます。傘をたたくその音も、いつもよりも素敵に聞こえてきます。水たまりをひょいと飛びこえると、もうすぐとこちゃんの住んでいる団地につきます。だんちの前には桜の木が一本とあじさいの花が植わっています。
そして、とこちゃんは不思議な男の子に気が付きました。
雨なのに、カサもささずにずぶぬれの男の子があじさいの横に突っ立っていたのです。
「どうしたの?」
赤いTシャツに黄色いズボン。そして、青いキャップを被った男の子です。男の子は答えません。
「カゼひいちゃうよ?」
雨にぬれると風邪をひくと、いつもお母さんが言っています。
「何してるの?」
答えない男の子にとこちゃんはさらにたずねました。
「なんもしてない」
とこちゃんは「ふーん」と答えましたが、なっとくできません。こんなに楽しい雨なのに、どうしてこの子は楽しくないのだろう。そんな風にさえ思ってしまいます。
「あのね、わたしこと子。あなたは?」
最近やっと自分のことを「とこちゃん」じゃなく「こと子」と言えるようになったとこちゃんは少し自慢して、伝えます。でもとこちゃんはとこちゃんです。友だちもお母さんも、お父さんもみんなとこちゃんのことを『とこちゃん』と呼ぶのです。だから、慌ててその男の子に伝え直します。
「あ、でもね、とこちゃんって呼ばれてるの」
男の子はふっと顔を上げて、またすぐにうつむいてしまいました。
「……ナリ」
雨の音もあってあまり聞き取れませんでしたが、男の子の名前は「ナリ」というそうです。
「ナリくんはどうして、そんなにつまらなそうにしているの?」
ナリくんを自分のカサの中に入れたとこちゃんはそれだけもナリくんが楽しくなったのではないか、と思いながらもう一度ねたずねました。
「……みんな雨がキライだから」
雨がキライだから。なんて不思議な理由でしょう。新しいカサを差してウキウキしている今日のとこちゃんには全くわかりませんでした。
「どうして? だって、わたし、雨が好きよ。カエルさんもカタツムリさんも雨は大好きだよ?」
そうです。別にみんながみんな雨がきらいだと言うことはありません。なんと言ってもとこちゃんは雨が待ち遠しくて仕方がなかったくらいです。
それに水たまりをけっ飛ばすのも、しずかに波を立てずに入るのもおもしろい遊びのひとつです。傘を打つ雨の音も一つずつ音が違います。雨粒の形を見つけようと観察するのも面白いものです。
「雨、好きなの?」
不思議そうにとこちゃんを見つめていたナリくんがほんの少し視線を上げました。
「うん。今日は雨になってとくべつうれしい」
ナリくんの目はみんなと違って金色をしていました。その金色の瞳がピカピカかがやいてとこちゃんを見つめます。
「それにね水たまりをけっ飛ばして歩くのもカエルさんといっしょに歌を歌って、カタツムリさんの足あとを探して歩くのも、……えっと、葉っぱの水玉が落ちていくのも、雨の音も好き」
そうやって雨の日の遊びを指を折って数えていると、ナリくんのくすっと笑う声が聞こえました。
「どうしたの?」
「ううん、おもしろそうだなって思って」
とこちゃんは空いている方の手で指を折りながら、ナリくんが濡れないようにカサの中に入れてあげました。ピンクのカサは二人にはちょっぴり小さいものでしたが、ちゃんと二人を雨からまもってくれています。
「それでね」
雨が上がったら水たまりを数えながら長靴で歩くと面白いの。葉っぱの水玉をのぞき込むときらきらと世界が映るの。そう伝えようとした時にばたばたばたと走る音が聞こえてきました。
「おねーちゃん」
振り返ると妹のひとちゃんがとこちゃんの手を握っています。続いて「とこちゃん」と呼ぶお母さんの声。
「あ、おかあさん」
お母さんの肩には白いトートバッグがかけられています。
「おかいもの?」
「そうよ。とこちゃんおかえり」
そして、お母さんは不思議そうにとこちゃんを眺めます。いつの間にかカサを叩く雨音も消えています。
「あのね、今ねナリくんとね……」
あれ?
とこちゃんは首を右に傾げました。
「ナリくん?」
お母さんも首を傾げ「お友だち?」と尋ねます。
ナリくんがいません。
「ここにね、男の子がいたの。ナリくんって言う名前の。だけど、いなくなっちゃった」
カサをたたみながら寂しそうに呟いたとこちゃんにひとちゃんが手を引っ張りました。
「おねーちゃん、みて、きれい。にじだよ」
ひとちゃんがにこにこしています。
「ほんとだ。にじだ。ひとちゃん、すごーい。にじいっぱい出てるっ、ね、おかあさん」
ひとちゃんととこちゃんが見つめた先には二重にかかった半円を描いた虹がくっきり弧を描いていました。
そんな二人を見つめて、お母さんはにっこり笑って言いました。
「今日はコロッケを作るから手伝ってね」
「うん」
とこちゃんはひとちゃんといっしょに返事をして、さっきまでナリくんが立っていたあじさいの傍をちらりと眺めてお家に向かって歩き出しました。