氷下市街
目を覚ますとそこは真っ暗な空間だった。
あ、私死んだんだな。そう思ったが冷たいものの感覚はある。空洞音的なのも聞こえるし、第一目が視えている。
じゃあ生きているのか。あの高さを落ちてなんで無事なのか。起き上がると、私は雪の中にいた。おそらくこれがクッションになってくれたのだろう。外傷は見た感じないし、私の体はほぼ完璧に守られたらしい。改めて雪ってすごいと思った。これならあのアニメ映画みたく60メートルくらいの高さから落ちても大丈夫なんじゃないか。
そんなことよりここの出口を探さないといけない。ずっとここにいるわけにはいかない。とりあえず辺りを確認するためには明かりが必要だ。
「……そうだ、ランタン」
仕事は遅くなることも多いので私はいつもランタンを持ち歩いている。よもやこんなところでお世話になるとは。私は手探りでランタンに明かりを灯す。
その明かりを頼りに辺りを見回すと、思わず「わぁ」と声が漏れてしまった。
床から壁、天井まで、全部が氷。不純物のなくどこまでも透き通っているような青みがかった氷。それらがランタンの明かりに照らされてより一層、吸い込まれるような美しさを出していた。
その景色に少し見入ってしまったが、本来の目的を思い出す。出口だ。出口を探さないといけない。じゃないと私はここから出られない。
滑らないよう慎重に足を床に乗せる。作業用のブーツだったのが不幸中の幸いだった。私はもう一回周りを見渡してとりあえず、先に続いている方に向かって歩き出した。
***
どれくらい歩いたのだろう。中は以外と曲がりくねっていて、坂も多い。体感では4時間くらいたったと思うが、現在時間が分かる物を何も持っていない私は、今の時間を知る術がない。……こうなるんだったら今朝のうちにちゃんと充電しておくんだった。そんな遅すぎる後悔をしながら歩みを進める。
ランタンのバッテリーが怪しくなってきたところで、私は前方に何か黒光りするものを見つけた。
「……道路?」
近づいてみると、その正体は水に濡れた新しめな道路だった。こんな氷の下の空間にそんな人工的なものがあるとするとここは…
「氷下市街…」
床の真ん中を貫く道路、そのサイドに並ぶ家々。しかし人の気配は感じられない。まごうことなき抜け殻の街。本物の氷下市街だった。
本物を見るのは初めてだった。人がみんな死んでしまった街なんて小さい頃母に教わっただけで、内心では疑っていた。でも実在するではないか。
ここ10年近く抱いていた疑問がここで晴れて少しスッキリした気がする。
そんな感慨を感じていると、いよいよランタンが光を失ってきた。急がないと光も入ってこないこの空洞は指先が見えないくらい暗くなるんじゃないか?それは非常にまずい。
そういえばここは抜け殻とはいえ元々は人が住んでいた場所。ということはどこかの家には電池があるかもしれない。
私は急いで近くの家の前に立った。
………鍵ないじゃん。普通家には鍵がないとドアから入れない。しかしまったく知らない人の家の鍵なんか持っている訳ない。他に入る方法はないか。
……………窓から入るか?もうその程度のことしか思い浮かばない。幸いハンマーは持っている。窓を割って入ることも可能だ。
考えていることは強盗のそれとほぼ同じだが、状況が切羽詰まっているのでやむを得ない。どうせ誰もいないし。私は背負っていたカバンから、柄が折りたためるタイプのハンマーを取り出し、それを構える。切り傷などを負わないようにフードをかぶり直し、大きく反動をつけて、それを窓に向かって力強く打ち付けた。
ドガッシャーン!と大きな音が空間に響き渡った。それと同時に沸き起こるとてつもない罪悪感。周りには誰もいないと分かっていながら辺りを見回す。本当に誰もいないと確認した後、私は大きく深呼吸する。とりあえず落ち着こう。…大丈夫。周りに人はいないし、この家には誰も住んでいない。
もう一度落ち着こうと深呼吸しようとしたとき、ランタンが頼りない光をさらに頼りなくチカチカさせだした。
それを見ていよいよ落ち着いていられなくなった。とにかく唯一の明かりであるランタンを守るのが、今の最優先事項だ。割れた窓から家の中に侵入。すぐにいろんな引き出しや棚の中を手当たり次第に探す。
…お母さん。こんな強盗みたいなことしてごめんなさい。でも許してください、緊急事態なんです。
頭の半分で空の上にいる母に平謝りしながら電池を探す。そして遂に、
「! 見つけたっ‼︎」
ここ最近感じてなかった感動をおぼえた。
すると同時にランタンが私のそんな感動を見送るように最後の光を失った。
……ランタンよ、最期までありがとう。
多分人生で最初で最後の「物に対する感謝」をした。
そんなこんなでランタンの電池を入れ替える。無事ランタンの明かりは復活した。
…よろしく、二世。
すっかり愛着が湧いて変な名前も付けてしまったところで、お腹がクーと鳴った。
明かりが元に戻り、安心したからだろう。歩き詰めだったし、お腹が空くのも無理ない。でもお弁当はないしな。どうしたものか。
……ここになんか無いかな。
ダメだ。これ以上何か盗ろうものなら自分の抑制心が許さない。明かりは再確保したし、これ以上は欲が深いってものだ。そんな感じで自分を抑えて、家をあとにする。
さてランタンに必死で忘れるところだったが私はここから出ないといけない。そろそろ出口を見つけないと体より先に気が参ってしまいそうだ。
「……もう少し、頑張るか…」
覚悟を声に出して固めて、最初よりいくらか重く感じる一歩を踏み出した。
***
覚悟して踏み出したあの一歩から30分も経ってない今。
「おっアゲちゃんこんなとこにいたの」
いつもと変わらな……いや、少し息が切れた様子の山さんがいた。
……………
「あっ、えっ?あの、なんでいるんです?」
なんか焦って変な言葉が出てしまった。
「なんでって、そりゃあアゲちゃんが帰ってくるのがあまりにも遅いから心配して探してたからに決まってるだろう!」
普段は優しい山さんが少し怒気を孕んだ声でそう言った。
「まったく。いつもは20分くらいで帰ってくるアゲちゃんが暗くなってきても帰って来ないんだもん。そりゃあ心配するのは当然だろう。」
暗くなってきても?
「すみません、暗くなってきてもって、今いったい何時なんですか?」
「何時って、もう6時過ぎだけど。おいおいまさか、アゲちゃん時計持ってないの?」
「……持ってないです。」
…じゃなくて!6時ってことは私かれこれ5時間くらい彷徨ってたってこと?そりゃお腹も減るし足も重く感じますよ!
思い切って叫び散らしてやりたかったが、
なんとかして胸に押し留める。
「なんだ?すごい顔してるが頭でも痛いか?」
「な、ん、で、も、ないっ、ですっ!!」
そんな私の気迫に押されたか、山さんが
「おお、そうか…」と、縮まってしまった。
まったく、山さんのノウテンキは時々感に触る。そんな気持ちと反対に、
「ふふっ、ふふふふ」
私の口から笑みがこぼれた。
「!??」
山さんが、何が起こっているのか分からないといった顔をしている。
「いいえ本当は、氷捨てに行っていたら
氷につまずいてここに落ちちゃたんです。
山さんが来てくれて助かりました。」
「なんだそういうことだったのか。じゃあしょうがないな。出口だろ?こっちだよ」
「さすが山さんです。一生感謝します。」
「おお感謝しろ。そして崇めよ。」
そんな冗談みたいなやりとりをしながら山さんに着いて行く。
少し歩くと、微かに光が入ってくるところが見えた。
久しぶりに感じる自然の光に感動すら覚える。そして念願の出口を抜けると……
「えっ、ここは……!」
「ああ、アゲちゃんが行こうとしてた氷捨場だよ。」
まじかー、と口を開ける。
「どんだけぐるぐる回ってたかは知らんがアゲちゃんが探してた出口は、いつもの氷捨場ってことだ。」
私は唖然とする気持ちと安心した気持ちの半々で口を半開きにしたまま動けなかった。




