表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハルトルイ  作者: 箱庭とび子
3/5

三年生

 広瀬が居なくなった空っぽの部屋はこの春入学してくる新入生が来ることだろう。年齢国籍さまざまな新入生が寮に来て、自分の部屋はどこか探している。彼らを案内するのだが寮生の仕事だが、俺たちはそれに一切混ぜて貰えない。

「君たちがやる仕事じゃないってサ」

「やりたかったのかい?」

「先輩風は吹かせたかったかな」

「それは演奏会でやればいい。僕はそうするつもりだ」

 また何人か落ち込むぞ。一年の時から圧倒的な実力差を見せつけてきた彼だ。新入生相手にも容赦しないのは彼らしいと思った。

「先から進んでいないようだね」

「解ってるよ、初めてなんだ。もう少し時間をかけてもいいだろ?」

「今がピアノ室じゃなければ、僕は君を押し倒していたよ」

 五線譜に音符を書き足していく。三月から始めた俺とルイのちょっとした悪戯だった。次の新入生交えた演奏会は二人でアンサンブルを弾こう、それも、オリジナルの!

 というのが今回の目標なのだが、完成しているルイの音に合わせて適当に弾いた自分の録音を五線譜に起こしていくのは大変な作業だった。

「常にフォルティッシモ」

 ルイが勝手に記号を足していく。

「この作業を繰り返すのか」

「作曲も大変だろう?」

「だれか代筆してくれる人を雇いたいぐらいだ」

「そうしたら僕らの悪戯がばれてしまうよ。手伝うから、頑張っておくれ」

 クスクスと笑う声が耳元で聞こえる。俺とルイの密やかな作戦は長くにわたって続いていたのだが、演奏会が近付いて、何を弾くのか演奏曲名を提出する際に俺とルイ二人でやると知った寮内は騒がしくなった。どんな演奏をするのか、正反対な二人が何をしてくれるのか、なぜこのタイミングなのか、露骨に探ろうとする奴もいるが、演奏会まで秘密だと無視をした。

 演奏会が近付くと、アンサンブルようのピアノのセッティングの打ち合わせなんかがある。殆どの生徒が一人で演奏してその時の自分の実力を示す場合が多いから、春初め一発のアンサンブルは例にないと言える。

 演奏会の当日になって、新入生ががちがちに緊張しながら演奏するのを聞かず、俺たちは本番前までどうしてくれようか相談し続けた。出番が近付き、アンサンブル用のグランドピアノを二つ、準備している真っ暗な中時間がある。名を呼ばれてから舞台にでるのだが、俺たちは準備をしている生徒に紛れて着席し、会場がどよめいたところでルイの旋律が鳴った。

 途中から俺が合流する形で音を出す。ルイのピアノを俺が追いかけていると言ってよい。指を激しく動く連弾ばかり続く。難度はかなり高くなってしまったと思うが、引いていて楽しい曲をテーマにしたのだから仕様の無いことだ。今これを弾けるのは世界で俺と彼だけなのだ。追いかけていた旋律が合流して激しくなり、ピタリと止まる。またルイだけが演奏する旋律が始まって、俺が後から追いかけ、混ざり、次第におれの音が静かに消え、彼の音だけが余韻のように残る。彼の音が逃げ切ったような演出にした。

 拍手の中、下手にはける。ステージの光が消えると一時的に視界が奪われる。演奏後の高揚からなのだろうか、ルイは暗闇の中で俺にキスをした。周りには動きまわるスタッフがいるのだが、誰にも見られていないことを祈る他ない。

 後日、ルイのCDを制作している音楽会社からオファーが来た。この曲をルイのCDに入れてくれないかと、楽譜は提供するから、他の人に弾いてもらってくれと頼んだのだが、ルイがそれを拒むらしい。俺じゃなければ弾かないと。

 仕方ないから一度だけ、レコーディングなるものに参加した。俺はただ気持ちよく曲を弾いていればよかった。出来上がったCDを一枚と、幾分かのバイト料を受け取った。

「初めての収入で何を買う?」

 興味深そうに彼は聞いてきたが、使わないと俺が答えると意外そうに眼を開く。

「弟子生活は苦労するだろうから、その時までに貯めとく」

「――コメディアンの?」

「うん」

「未だその夢を?」

「ずっと追ってるよ」

 これは俺の意地悪いところなのだけれど、ルイはおそらく、ピアノで稼ぐと答えて欲しかったのだろうと思う。レコーディングも楽しかったとか、一緒にアンサンブルしたのも楽しかったと答えて、この場所に留めて置きたかったのかもしれない。

 俺の答えを聞くと彼は部屋を出て行った。泣き顔を晒したくなかったのか、それとも、ずっとそう言っていたことを思い出したから、辛くなったのか。

 三年になると皆その後の生活を考え始める。オーケストラに入るとか、バンドを組むとか、曲を作って売り込みに行くとか。俺はただ卒業することしか考えていなかった。その中でルイという恋人ができただけの話で、何れ別れる日が来てしまうことは覚悟している。

 ルイはどうかな。体に見合わず繊細だから、俺が帰ると言ったら全力で止めにかかるだろう。あの大きな体で羽交い締めにされたら振りほどいて逃げられるのだろうか。

 それからもルイは俺の言葉を忘れたかのように接してくる。彼は映画に数本の曲を提供して国内での地位を上げている。俺にも幾つかレコーディングスタジオからお声をかけて貰えたのだが、はじめて出す自主CDは落語がいいと決めている。ルイと出したアレはルイのCDなのでセーフ。たぶん。

 そのルイが楽曲提供した映画が大きな賞をとった。部屋で一緒に映画を見ながら彼の曲が流れてくるのを耳にした。映画そのものも素晴らしいのだけれど、それを隣にいる彼がやったのがまた誇らしい。映画の中の主人公がヒロインにキスをするのに合わせて俺達もした。

 気になってこの映画が日本で公開されているのか調べてみた。映画の宣伝にルイの曲が使われていると知って誇らしさと同時に憂鬱になった。日本に帰っても、おそらく彼の曲は 聴き続けることになるのだろう。

「日本でも放映されるのか?」

「されてるみたいだよ」

「じゃあ、……君が日本に行っても、僕の曲は聴ける?」

「さあ?」

「惚けているんだね。イジワル」

 彼は少しほっとしたようでもある。音だけでも俺を縛る方法を見つけたように。それからまた彼は作曲に精を出すようになり、映画への楽曲提供を増やした。日本に帰ったら、俺は彼の曲を聴けるだろうか。少し考えた。


 卒業後の進路について問われる機会が増えた。俺は「とにかく卒業して、日本に帰る」と言うと、「日本で頑張るんだね」と応援してくれる人もいれば、「日本市場は狭すぎる」と真剣に忠告してくれる人もいる。ルイを抱えるとある音楽会社から熱烈なアプローチがあったが、断り続けている。

「本当に、真剣に考えてほしいんだ」

 この名刺を喉から手が出るほど欲しい生徒は多いだろう。俺は宝物をたくさん渡されている。

「ルイ」

 物思いに耽ることが増えた恋人に声をかけた。俺の言葉にワンテンポ遅れて反応するルイは、俺の口から発せられた「外泊届を出そう」という言葉の意味を考えたようだった。

「……外泊届?」

「うん、寮を出て、一週間。二人でどこか泊まりに行こう。あんまりお金は使えないけど」

「……いや」

 ルイは俺を引き寄せた。映画であるのならばくるり髭の生えた金持ちが若い恋人の気を引くために財布を出すシーンである。

「金なら出すよ。豪勢にいこう」

「でも」

「大丈夫。僕が君にそうしたいんだ」

 君にはそれだけの金をかける価値があるんだよ。

 二人で一週間分の外泊届を出す。ホテル名も記した。外泊届を受け取った事務員がこのホテルに宿泊したことがあるらしく「素敵なホテルだね。楽しんでくるといい」と餞別の言葉も受けた。

 俺達は二年の時に作ったオーダーメイドのスーツに身を包んで寮を出た。タクシーに乗って中央広場の方へ出る。このあたりは高級店ばかりが並ぶドイツの中でもハイソな場所だ。

 しっかりしたスーツに身をつつんで髪をそれなりに整えていると俺であっても紳士風に見えるらしく、しゃんとしていない学生の時とは明らかに対応が違った。ホテルにチェックインを済ませるとエレベーターで上の階まで登り、カードキーに記された部屋を開ける。

 扉を開けた途端、ドアが閉まるまでの時間が惜しいと言わんばかりにルイは俺を壁に追い詰めキスをする。未だ早いよ。だめだよ、疲れちゃうよ。心知らず、ヒョイと体を持ち上げられ、大きいサイズのベッドに放り投げられた。スーツが皺になろうとも気にせず、いつもの部屋と違う環境に楽しくなっちゃって、とにかく二人で遊びまわった。奇麗に着たスーツを脱いで、ドイツの夜景を見降ろしながら事もしたし、久しぶりの風呂につかりながら片手にワインを持って似非金持ちのマネもした。誰にも見せないと誓って二人で自撮もしたし、スーツをまた着込んで外に出て、オペラを聴きに行き、バーで酒を飲んだりした。

 スーツとちょっとした財布と携帯しか持たずに出たもんだから、着替えを買うためにショッピングもした。ルイが俺の服を選び、俺がルイの服を選ぶ。買い物袋を抱えながら美術館に行き、コンクリートの街並みを歩きながら日本との違いを話し、部屋に戻ってはまた乱れ。

 高級なレストランに行き、寿司ロール食べて文句を言い、夜になればふざけてライブハウスに飛び入りし、ピアノで即興セッションしたりして、バンドの誘いも来たが「世間知らずすぎる」と一笑に伏し、ケラケラ笑いながら夜の街に消える。

「ルイをスカウトするなんてね」

「ああ、僕が誰かしらないんだろうね」

「あの映画の作曲をした奴だって知ったら、引きとめなかったことを後悔するかな?」

「いや、むしろ自分の無知をより恥じて死にたくなるよ」

「俺たちは遊んでこなかったんだな」

「たしかにね」

「楽しくて仕方がない」

 ショコラを摘みながらぽかんとしたバンドマンたちの顔を思い出しまたケラケラと笑う。そっちのチョコレートはどんな味かと食べさせあいながら映画を見て好きな時間まで起き続け、好きな時間に寝て、本能に従ってばかりの時間を長く長く過ごした。

「このままで居たいね」

「うん」

 ルイの問いかけに思わずそう返してしまったのは、二人でバスタブに浸かっていた時だった。明日は寮に帰らなければならない。現実に戻る時間。また自分の将来を考えて、卒業までの時間が始まってしまう。できることなら、確かにルイと一緒にいたいと思うけれど、昔からの夢をあきらめるつもりはない。

 俺の思いを知らないルイは「うん」と言った瞬間に嬉しそうに笑って口を塞ぐ。バスタブのお湯を豪快に溢れさせ、色情に耽る。

「君に触れていると音が溢れてくる」

「そう?」

「ああ。君は僕に必要なんだ」

 逆だ。俺はこの宿泊で別れる覚悟を決めたつもりだった。あんな楽しいこともしたいい日々だったと。ルイは素敵な奴だったと。のぼせるまで二人で過ごしたね、と。


 久し振りに、日本から電話が来た。迷惑そうな寮母が真夜中に俺とルイの部屋をノックしてきた。電話するために部屋を出る。寮母は「電気を消すことを忘れないで」と釘を刺し、またベッドルームに戻った。

――もしもし。

 電話の相手は妹だった。兄さん? と答える声が震えている。懐かしさはあったが、久しぶりと素気なく言ってしまった。日本は今何時? こっちは真夜中だよ?

――兄さん、ごめん。

 泣き声に冗談を言う口を止めた。

――兄さん、ごめん。アタシ進学しない。……子供、できちゃったから――。

 日本でどのような修羅場があったのか俺には想像できないが、妹に言われる言葉だけ聞いて電話を切った。帰ってきていいよと言われたが、三年の冬という中途半端な時期に帰宅準備をするべきなのだろうか。自分のことは自分で決めろということなのかもしれない。言い訳が通じるのであれば、卒業だけはするべきなのかもしれないと意識が変わったというべきか。

 部屋扉を開けて、寝ぼけ眼のルイが「何があったんだい」と質問する。俺は何も答えずベッドの中にもぐりこんでしばらく悶々とした。学費はどうなるのか確認するべきなのかもしれない。

 明日から閉寮期間になる。

 ルイの家族は相変わらず暖かかった。日本に帰ることを考えていると伝えるとルイは能面になり、未だそんなことを考えているのかと責めたかったのかもしれないがぐっとこらえているようだった。

 ルイの父は日本のクラッシック市場の狭さを俺に解き、ドイツにとどまるべきだと説く。その通りだと思う。日本での活躍はこの国でもできるだろうと。

「君の決意が固いのはわかる」

 ベッドの中で彼は言う。

「それでも僕はここに居ると言ってほしかった」

「無理かな」

 ルイの顔に悲しみが広がる。彼はその夜、俺をしっかりと抱きしめて離さなかった。


 俺が何かに悩んでいることをルイは逸早く知る特殊な力がある。ルイにとってそれはわずかな希望なのかもしれない。俺が悩んでいるのは「いつ日本に帰ろうか」ってことなのだけれど、彼はこの国にとどまるか否か悩んでいると解釈しているだろう。プラス思考なのではなく、そう考えないとやっていられないのだと思う。

 ルイにとって俺がどの程度の存在なのか心根を察することはできないけれど、相当量占めていることはわかる。昔彼が言っていたように、俺で総て満たされていると言っても過言ではない。彼の作品は俺の決断を待つ不安と焦燥に揺れた複雑な旋律で満たされた新譜ばかり。

 広瀬が居るなら、俺は彼に日本から電話が来て、妹が妊娠して進学をあきらめたと話すだろう。妹からの電話の他、家族からはメールも何もない。学費が滞納されているなら俺にも何らかの連絡が来るだろうから今のところは大丈夫。

 もやもやとしたものを発散するようにしてピアノを叩く。

「君の演奏が荒れている理由を聞いていいかい?」

 焦れたルイが俺に聞く。

「……」

「ねぇ」

「日本には帰る」

 う。と言葉に詰まってから、ルイは言葉を変えた。「それはわかったから」

「何か他に、理由があるんじゃないかなと思ったんだ」

 話してくれないか? 長い指が俺の手を取る。ご機嫌をうかがうように手の甲に口付けた。

「――妹が」

 話すべきじゃないかもしれない。彼の演奏はますます不安定なものになるだろう。頭で思えても感情がついてこなかった。妹が進学をあきらめたことをルイに話してしまった。俺が今、この学校にいる理由はなくなってしまったから、退学して日本に帰ることを考えるべきかもしれない。

 想像していた通り彼は動揺した。でも、卒業はするんだろう? それまではここにいるんだろう? 子供のように確認する。

「ねぇ、僕は今、わからないよ。君がいなくなることをずっと覚悟していたし、君が隣から消えても大丈夫だと思っていたのに。今の僕は君が居なくなったらどうなるかわからないんだ」

 お願い、卒業はするだろう?

 懇願されて抱きしめられ、俺の中に、まぁ、卒業までは。と納得している俺がいて、同時にこのままではルイと離れることが怖くなると心配している俺もいる。

 話の流れか、ルイを落ち着かせるためか「卒業はする」と言い切ってしまった。ほっとする表情もすぐに歪み、不安定になりわんわんと泣く。暫く、彼の曲は悲しみに満ちた旋律がつづくだろう。

2016/02/14 マロングラッセと日向夏(http://matchhop.sakura.ne.jp/)に投稿したもの。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ