アダムと聖羅、過去の因縁
押し寄せる『魔』の波は、一人の防波堤に阻まれる。
ククと喉を鳴らす稲神家最大の――魔術師最高位の猛威――稲神聖羅の手によって。
「ほら、どうした? その程度で終わってしまうようなら、押し返しに行くぞ?」
心許ないナイフ一本で一歩踏み出すと、数百から数千の魔が細切れになる。情け容赦のない殺意と恍惚とした嗜虐的笑み。これを狂人と称さずになんと喩えるか。
「沙羅ちゃんの、ご家族の方ですか?」
人類の捕食者相手にあの余裕と脅威ぶりを見れば誰でも躊躇う――同じ生業をする沙羅もそうだ。あれが魔術だなんて出鱈目すぎるのだ。
複雑な理論なんて必要のない――単純に相手を切り刻む行為。
「複雑に捉える必要はないんだよ。ただ単純に、薄皮一枚一枚を剥いでやればいい。そうすれば、いつかはたどり着くだろう。世界真理になァ」
ナイフを振り上げ、ゆっくりと振り下ろした――天上の雲に切れ込みが入り、大地も同じように割れた。不可視なる刃は世界を確かに切り裂いたのだ。
「こんな雑魚が相手だと、消化不良を起こしそうだ。おい! お前は何をボサッとしている? 手伝いに来ただけで、全てを片付けてやるつもりはないぞ」
「え――は?」
「は? じゃないだろう。腑抜けるなよ、此処は戦場だぞ。よくそれで『探求者の家』の統括者を名乗れたものだな。クク、アイツが見たらどんな顔をするだろうか」
アイツとは誰の事だろうか。沙羅の知らぬ誰かに評価される筋合いも無ければ、聖羅に馬鹿にされる筋合いも無い。
「う、うるさいわね! 分かってるわよ。私の魔術は無差別だから、解体されたくなかったら領域内の入らない事ね」
「お前程度に解体される私じゃない。ただ鈴を鳴らすだけのお前とは、潜り抜けた修羅場と、生きた時代が違うんでね」
稲神聖羅の煽り性能が高いのか、自分の煽り耐性が低いのか。
苛立ちと同時に沸き立つ高揚感――戦場は負け色から勝機一色に傾きつつあった。押されていた『人類』は『魔』に対して、ようやく攻勢に出る事が出来たのだ――稲神聖羅という『最強』に執着した魔術師の参戦によって。
「悔しいけど、確かにあれは常軌を逸脱しているわね」
嬉々として先陣を切り、絶命の一閃を叩きつけていく様は、無双の強者だった。
切り開かれた『魔』群に人類の突貫が、隊列を押し広げていく。一斉射撃と一斉展開が内側より黒の波に打撃を与える。
「やればできるじゃないか。クク、見直したぞ。沙羅」
「あんたに見直されても嬉しくもなんともないわよ」
「面白みのない奴だな。だが、それで構わない。お前はお前らしい生き方ならばな。そろそろ根源に辿り着くぞ」
「根源?」
「こいつ等の発生源――つまりは『世界の歪み』だ」
その単語には聞き覚えがあった。
旧時代に魔術師が世界各国に派遣され、世界規模で発生していた『歪み』の調査と消滅。世界真理の探究とは別に課せられた使命。
ビルを抜けた先の大通り――真っ黒い巨大な球体が浮いていた。
「なによ、あれ!?」
「言っただろう。『世界の歪み』、だ。まだだいぶ小さいが質量が濃いな。クク、これは楽しめそうじゃないか。おい、お前らは下がっていろよ。死にたくなければなぁ」
次々と歪みが異形を吐き出していくが、その都度、聖羅の不可視の斬撃によろ細肉にされていく。
「こんな歪みを産んだ魔法使いは、さぞ、優秀なんだろうな」
「先輩として、旧時代の魔術師の実力を見せてやる」
言うや、聖羅は魔力を放出した――今までの神秘とはなんだったのか。
「歪んでいる。全てが歪んでいる。私以外のモノ全てが歪んで見えて仕方がない。全ての繋がりを断つ銀の残影を持ち、私は全てを切り裂き搔き乱そう――超越歪曲の執刀理論」
無限執刀の魔術師――稲神聖羅。
ナイフの腹に発光する紫文字。
ただ表面を切り裂く為の神秘ではない。
「根幹を――内的に切り裂く神秘だ。厚い外皮に、いちいち時間を掛けてやるのも面倒だからな」
切っ先を『世界の歪み』に向け、ゆっくりとナイフを泳がせた。
黒い球体の内部から同色の水が溢れ出し、アスファルトを汚していく。とめどなく溢れる黒水は、ゴポゴポと泡立ち始めた。
「クク、上手く隠れたつもりだろうが、残念だったな。アダム」
黒水は密集して形を成す――絡み合うように裸で抱き合う二人の男女――アダム・ノスト・イヴリゲン。
「百数十年ぶりくらいか? 懐かしいなァ、あの時となんら一切変わっていないじゃないか」
「そういう貴女も」
「だが、内面は変わったか」
「これも津ケ原透理の成した偉業?」
「いいや、津ケ原透理の必然的価値だ」
「蘇らせて、調べる?」
「それも面白いな」
裸でいることに恥じる気持ちも無く、意味の分からない会話をし始めたアダム達。そんな彼等の議論に水を差したのは当然として聖羅だった。
「おいおい、私の親友の子供を玩具にしようとしてくれるなよ」
「世界の議題に、津ケ原透理という神秘は、魔法以上の価値がある」
「彼女の一秒の寿命さえ、お前達有象無象の一生とは釣り合わない」
「透理、透理、透理、世界に対して唯一、何かを成せる可愛い子」
「蘇らせて喰えば、遺伝子から読み取れるかもしれない」
この会話をずっと聞いていた沙羅は薄ら寒さを感じた。
アダム・ノスト・イヴリゲンは人間じゃない。魔法使いという枠組み以前に、人の条理を――人の意思を――人の価値を蔑ろにしている。
でなければ一人の人間に対して、そのような狂気に満ちた議論を交わせるはずがない。
「おい――」
聖羅の声――先ほどまでの愉快とした声質ではない。
「私の話を聞いていなかったのか? あの娘の意思を侮辱し、歪ませるというのならば」
「どうする?」
「世界を殺すか?」
「ああ、望むなら殺してやってもいいぞ。私も昔の借りを返したいところだからなァ」
アダムと対峙する聖羅は、憤懣の念を胸中で猛らせ、ナイフの切っ先を向けた。
こんばんは、上月です(*'▽')
次回の投稿は2月9日か10日の0時を予定しています。




