終わりなき強制労働倉庫
沙羅は鼻歌交じりに、隅田川沿いを歩いていた。
崩れて通行止めになっている首都高を眺めながら、目先にある巨大な建物――『繁栄には美酒と口付けを』が管理する倉庫。東京都心の外れに幾つかの巨大倉庫を持っていて、国内だけでなく、海外から輸出入する品物を保存しておく場所。
ルーガンの表向きでの商い。重要な拠点である倉庫は、警備が厳重で、本社に控えさせている黒服以上に目付きがギラついた輩で溢れ返っている。
「数年前に一度来たっきりだっけ。従業員の人達も、張り詰めた空気の中で働かなきゃならないんだから、心労が計り知れないわね」
まるで軍事施設や刑務所を連想させる重厚な壁に囲われた、大企業が管理する巨大倉庫が沙羅に前に構えている。
「誰かと思いきや、社長のお気に入りじゃねぇか」
ふてぶてしい顔つきだが、馴染みやすい陽気な声で沙羅を呼びかける守衛に、片手を上げた。
「久しぶりね。どう、脱走者とかそろそろ何人かは、出してるんじゃない?」
「ははは、脱走者なんてまだ一人も出しちゃいねぇよ。今のところ、全員この塀の中で射殺してるからな。昨日なんか、三人だぜ?」
「脱走したくなる気持ちもわかるわ。こんな張り詰めた場所に二十四時間体制じゃね。それで、今日から働いてるんでしょ?」
「ああ、中国人の兄ちゃんだろ。よく働いてるな。一週間弱音を吐かずに働く奴なんて、見たことがねぇ。それどころか、守衛と仲良く夜は酒盛りしてるときたもんだ」
「ちゃんとルーガンには報告してるんでしょうね?」
「おうよ。好きにやらせておけとの事だが、あの兄ちゃんは何者なんだ?」
張に興味を持つ守衛に、沙羅は意地悪な笑みを浮かべて――。
「知らない方が良いこともあるわよ」
通行証を守衛に発行してもらう。この中で働いている者達は、ヤクザ崩れや死刑囚がほとんどで、凶悪で短気な輩が多い。守衛の脇に居た若い男が、護衛を勧めたが、沙羅はそれを丁寧に断った。
「新人さん?」
「ええ、半年前に入ってきた若造ですわ。腕の立つスナイパーですよ。昨日の脱獄を計った三人の眉間に、あっという間に風穴を開けちまうんですよ」
「いえ、俺はそんな」
「ふぅん、凄いじゃない。謙遜しなくてもいいのよ、そういう実力はね」
「はぁ、そうですか?」
人を殺しておいて誇れるものでもないだろうが、この場所では脱獄犯を出さないことが、最大にして最高の名誉なのだ。だからこそ、この場でくらいは誇ってもいいはずだ。
「あのう、社長のお気に入りとの事ですが、えっと、娼婦か何かでしょうか?」
「ねぇ、松崎。こいつぶん殴ってもいい?」
「はっはっは、それは止めておいてください。こいつはうちの期待の腕利きなんで、俺に免じて」
厳めしい顔をやわらげて沙羅に首を垂れる上官を見て、自分の失言に恐怖を抱き、松崎に倣って急いで頭を下げた。娼婦とはなんて失礼だったか。それ以前に初めて会う女性に娼婦発言は不味かったと、誠意を見せた深い謝罪。
沙羅も本気で怒っているわけではなく、軽い冗談のつもりで言っただけなので、そこまで頭を下げられても、此方が困ると頭を上げさせた。
「娼婦は失礼でした! 愛人か何かでしょうか?」
「ねぇ、この新人」
「え、えぇ。悪い奴ではないんですがねぇ、なにぶん無教養で、此処に来る前は大陸の紛争地帯でガキのころから銃を抱いて寝ていた生活を送っていたらしく」
それでは致し方ないのかもしれない。
彼が身に着けた常識は、この無法地帯と言っても過言ではない、下世話な会話や喧嘩が蔓延る場所なのだから。沙羅は呆れつつも、手をヒラヒラと振って敷地内を一人でぶらつくことにした。
ルーガンから聞いていたお菓子専門の倉庫には四番と大きく書かれていた。
各倉庫に配備されている守衛に通行証を見せ、倉庫内を監視する防弾ガラス張りの室内に通された。
「一年ぶりくらいですな、稲神さん。今日はどのような要件で?」
「先週からここで働いている張を笑ってやろうと思ってね。今は何処にいるの?」
「あそこです。あのライン脇でお菓子を箱に詰めてる奴がそうです」
倉庫内は四つのラインがあり、その上を出荷するお菓子が流れてくる。一つのラインに従業員が二十名付き、ひたすらに箱にお菓子を詰め込んでいくが、張のラインだけが異常だった――端のラインには張一人しかいない。それも流れてくるお菓子は、他ラインの倍以上。
二十人でもやっとの作業を、その倍の数を一人でこなしている。
「あれは、イジメ? 新人に職場の厳しさを教え込もうとかいう」
「いいえ、彼が望んだことです。彼のラインにも十五人程の人員がいたのですが、疲労で倒れたのを、彼が一人でやるから、他の者達を少し休ませてくれと言ってきたので、それで、あの状況になっています」
他の従業員を休ませるために、その分を自分が負担して働く。
少し意外だった――あの享楽的で殺戮に飢えている張が、誰かを庇って働いているこの光景が。
「どうしますか、彼を笑いたいのでしたら、此処に尻を叩いてでも呼びつけますが」
人の為に働いて汗を流す彼を笑う事は出来ない。むろん、その邪魔をすることも。だから沙羅は首を横に振り、もうちょっとだけその貴重な光景を眺めていようと思った。
「休憩時間はいつ?」
「そうですね、四時間前に一度休息を挟んでいますので、残り三時間後になります」
「ブラック企業も真っ白になるくらいの黒さね」
「問題は、社長に仰ってください。自分たちは言われたことをしているだけです。監視と、脱走を企てる者の殺害。この二点が、我々に下された役目です。そして、彼等もまた働くこと以外に道を選べぬ者達なのです」
この企業に就職したが最期、生きてこの強制就労施設からは逃れる事は出来ない。二十四時間三百六十五日、休日返上で働かされるブラック企業。
流石に張はその限りではない。
「この部署はまだいい方です。他部署になると、作業効率が落ちるたびに厳しい体罰が下されているみたいですし。そんな彼等も脱獄を試みる気概も無く、自決する者が多いと聞きます」
「よく、それで従業員不足にならないわね」
「なっているようですが、その都度、求人広告に甘い宣伝を掲載して補充を書けるみたいです。この国は貧乏になってしまいましたからね。まともに生活する奴より、身を売って路上生活する奴の方が多いと聞きます」
そう、この国は貧乏になってしまったのだ。『繁栄には美酒と口付けを』に飼われてから良い暮らしをしていて忘れていたが、この国は身を売って生活の足しにする日本国民で溢れているのだ。流石に身体は売りはしなかったが、物乞いとして生きていた時代があった事を久しぶりに思い出した。
利己主義ではこの先を生きていく事はできない――互いに足を引っ張り合っていては、いつまでたっても、自分のしっかりとした足で立ち上がれない。
このライン作業もそうだ。
自分が楽をすれば、他人にその負担が圧し掛かる。そんなしわ寄せを受けていれば一人一人と倒れて、最後は自分一人になる。そうした時に初めて気づくのだ、もっと協力し合えばよかったと。
だから――。
「今日一日だけ、私も働くわ。張の隣で」
協力し合えなければ滅ぶのだ――五大組織同盟もという利己主義者で集った者達が、そうであるように。今は一人一人との『絆』を築かなくてはならないと。
こんばんは、上月です(*'▽')
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