津ケ原永理の動き出した時間
グラスに浮き上がった結露がテーブルに広がっていた。
壁に掛けられた時計は二時半を過ぎている。多忙で無ければもうベッドで夢に抱かれている時間。沙羅はソファーを座り直した。
「それが、あんたが不老不死を求めた理由」
「そうだ。母との死別が俺に死への『恐怖』を植え付けた。臆病だった。他の人間より死を忌避して必死に遠ざけた結果が、今の俺だ」
過去を懐かしむように語った魔王――津ケ原永理は、話し続けて乾いた口内を麦茶で潤す。この話を長々と黙して聞いてくれた沙羅の反応を窺うように、ゆっくりと視線を合わせた。
何を言うべきか。彼の抱いた理論は家族の死別にある。幼心に芽吹いた死という恐怖による反発は、子供の駄々っ子と一言に片付けてしまえるものではない。
自分の母親はどうしているのか。
家を出て行ったきりその姿を一度たりとも見せることは無かった。末っ子の希羅は母を案じてはいたが、長女の詞羅と次女である沙羅は、もう帰っては来ないな程度にしか思ってはいなかった。会えるのならば会いたいが、会えないのなら会えないで仕方がない。割り切った考えだ。
『家族』に対する考え方が沙羅と永理では違うのかもしれない。
「母親が居ないのは私も同じよ。永理で良いわよね? 二人の時はそう呼ぶから。私は永理のように家族への愛なんてなかった。あっ、家族っていうのは、当然だけど稲神家の方ね。あんたのとこより温かくはなかったしね。でも、今の私には分かるわよ。大切な家族を失う辛さと恐怖が、ね」
愛着も無い『稲神家』という家族より、今は『探求者の家』や『アパートの住人』という家族が在る。誰一人でも欠けたら、とても寂しい気持ちになるし、やり場のない怒りをどこかにぶつけるかもしれない。
「でも、今の永理がいたからこそ、人類は今を生きているんでしょ。その臆病な心があったから私は生きているの。誰にも永理の探求を馬鹿になどできないし、させないわ。だから、誇りなさいよ。津ケ原永理という一人の魔術師をね!」
「鈴木だか佐藤だなんて偽名より、津ケ原のあんたの方が、カッコいいわよ。心優しい『英雄』に相応しい名前。『魔王』なんて肩書は津ケ原永理には相応しくはないわ。だって、そうでしょ。太陽のように温かなお母さんと、誰よりも知識を有するお父さんが自慢する息子なんだもん。せっかく考えてくれた名前を誇ってやりなさいよ」
考える必要もなく言葉が自然と口を伝っていく。
永理は眼を一瞬だけ丸くした。それから考えるそぶりを見せ、石像のように固まってしまった。彼なりに今までの在り方と、沙羅の言葉を整理しているのだろう。そんな彼にこれ以上の言葉を掛けることはせずに黙して待つ。
「沙羅、時間が在るときで構わない。この組織に在籍する魔術師を、全員集めてくれないか」
「集めてどうするの?」
「話す。俺が、本当は何者なのかを」
「いいの?」
「言ったのは沙羅だ。誰にも俺の探求を馬鹿にはできないし、させないと。ならば俺は沙羅を信じて全員に打ち明ける。三次世界大戦をどういう経緯で起こしたのかを」
いつも以上に落ち着いた魔王――永理は、その決意を沙羅に訴えた。
彼の意志を尊重して明日にでも集めることにしたが、どうしてか反発もあった。その原因を探ろうにも探し出せない。局所的な痒みの位置を特定できないみたいに、その原因が分からなかった。モヤモヤとした気持ちが次第に膨れ上がり、イライラに置き換わっていく。
「沙羅、どうした? 顔が赤いぞ」
「どうもしてないわよ! 今週よ。今週の土曜日の昼に召集を掛ける。だから、臆せずに話しなさい。自分は人類を救った英雄なんだって。天国のご両親を安心させてあげるべきよ」
「感謝します。統括者」
「はぁ? いや、気持ち悪いからそういうの止めて。あんた――永理は私の相棒なんだから、いつも通りに接してよ。調子が狂うでしょ!」
「冗談だ。沙羅」
「まったく」
「ふふ」
「――ッ!?」
これまで鉄面皮を徹底していた男が表情を崩した。とても自然な笑い方。顔面の筋肉が弛緩している。微笑を浮かべる事はあっても、このように表情全体を使った笑い方はしなかった。そんな彼に呆気に取られていた沙羅は、時間の経過さえ忘れ、その衝撃的な彼の一面を脳が記録した。
「本当に、大丈夫か?」
「へっ!? え、ええ。大丈夫よ、問題はないわ。もう眠いんだから部屋を出て行って! 早く、今すぐに!」
自分の感情を押し隠すように席を立ち、永理の身体を引っ張って部屋から追い出した。扉を背にして一人、大きく深呼吸を繰り返す。
消えない彼の表情。
「ああ、まったく。冗談じゃないわよ! これは気の迷い。あいつの話に同情してるだけ。うん、きっとそう」
テーブルに置かれたグラスを一気に煽り、それは自分が飲んでいたグラスではない事に気づいて、口に含んだ麦茶を盛大に拭きだした。
部屋の後片付けをしていて、ベッドに潜り込んだのは空が青白味がかった頃だった。
こんばんは、上月です(*'▽')
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