殺戮を振り撒く人機融合体
沙羅がルーガンに雇われて、三年の月日が経って十五を迎えた頃。
「チッ、誰だか知らないけど命知らずの馬鹿がいるみたいね」
この日はルーガンの使いで、渋谷の闇マーケットに顔を出した帰り道――『売春婦』や『薬物売人』の値踏みするような視線に晒されながら、雑居ビルの合間を縫って歩いていた。
真冬の風に紛れて、異質な音を沙羅の耳が拾った――這う虫のような音。固いものをコンクリートに打ち付けるような音。換気口で勢いよく回転する羽のような音。沙羅が足を止めると、気のせいであること訴えかける様にその音も周囲の喧騒に身をひそめた。
「何かいる、確実に」
表通りからは、大声で捲し立てるように会話をする中国人同士のやりとり。自動車のけたたましい排気音。我が身を刺すネットリとした視線。全てが不快であるが、その中に機会を窺うような異質なる者の気配――これまでの修羅場で培われた『危機感』が脳内で警鐘を鳴らしている。早く逃げろと『生存本能』に強く訴えかけていた。
手首に巻いた赤糸に通した鈴を指先で挟み、魔力が両手足まで行き渡ったことを感知すれば準備は万全。あとは『魔術理論』に『魔力』を付加させ、創造を強く反映させるための詠唱を済ませれば、得意の『解体魔術』の完成だ。
「何処に隠れてるのかしらね。まだ、表通りに近い場所じゃ姿を現さないつもり? なら、乗ってやろうじゃない」
沙羅は表通りに背を向けて貧民が身を寄せ合う雑居ビル街を駆け抜けていく。背後からまた例の音が微かに風に乗ってくる。やはり自分を狙っていた。ここに巣食う人種が大陸から押し寄せた侵略者であっても、意味のない犠牲を好まない沙羅は彼等から、少しでも距離を取るべく足を前へ運んでいく。
チラリと一瞥した先――建設途中のひと際大きな外観が完成した施設が目に入る。あそこであれば余計な犠牲を生むことなく、奇襲者と挑む事が出来る。足首を軸に回れ左――入口に無造作に置かれた機材を飛び移りながら柵を乗り越える。
工事現場ではお馴染みの旧世代型の重機が無造作に乗り捨てられていた。沙羅の出方を見極めようとしているのか、背後からの音も動きもない。闇夜の暗い工場現場には転々と橙色の蛍光灯が灯っている。全速力で走った事で消費した体力を、数回の呼吸で安定させてもう一度走り出す。
ブーツの『カッカッ』という音が甲高く反響する。これでは自分の居場所を教えるだろうが、逆に相手の異質な音も良く拾えるはずだ。折り返し続く階段を昇る間も例の音は聞こえてこない。深追いを懸念しているのか、諦めたのか、すでに身を潜ませているのか。自分の息が上がる声と靴音だけが不気味に響き渡る施設。
「はぁ、流石に疲れた。魔術師は体育会系じゃないんだから、もっと考慮しなさいよ」
誰に訴えるでもなく、一人愚痴りながら足を止めて通路両脇に並ぶ無数の扉――その中の手前から三番目の部屋に一度身を隠すことにした。これ以上の激しい運動は沙羅の体力にとって許容量越え。カギは掛かっていないので、周囲に警戒をしながら部屋に身を隠す。
何もない木材や鉄パイプが部屋の隅に積み重なっているだけの、三十人ほどの学生が生活する一クラス分の広さ。壁際の大きな柱に背を預けて座り込む。スカートから覗く華奢で白い足は、蛍光灯で橙色に染まっていて妙な色気を纏っている。
「下らない事を考えられる程度には余裕があるわけね。まっ、そもそも追い詰められてもいないんだけど。ルーガンに一応の報告をしておこうかしら」
コートから取り出した通信機器の画面に『圏外』という文字。都心部のこのような場所で圏外など考えられなかった。別に地下深くに居るわけでもない。見晴らしの良い地上数十メートルの場所だ。
「どうしてこんな時に、使えない」
通信機器をそのままポケットにねじ込む。刻々と不気味な静寂が過ぎていく。疲労でうつらうつらと船を漕ぎそうになった時――眠気を吹き飛ばす異質な音が響く。
「――来た」
音は沙羅が昇ってきた階段の方から――機械のような駆動音。『カンカン』と固いもので地面を突く音。その数は一人分のようにも聞こえる。
「そろそろ、ね――悠然と気紛れに鳴る鈴の色。災厄知らせる警鐘の役担い、我が領域侵せし者ことごとく瓦解せよ――鈴の鳴動解体領域」
沙羅の解体魔術が展開――複雑な模様を覆った円が広がり消える。これで沙羅の聖域は完成した。後は起動装置の役割を担う鈴を鳴らせばいい。
「マンマァァァァァァ! どぉぉぉぉぉぉこおぉぉぉぉぉぉ!!」
「――はぁ!? な、なにっ?」
廊下から響く子供と老人の声が合わさったような奇怪な叫び声――母を探しているようだが、この場所に子供がいるはずもない。もしかすると母とは自分の事なのだろうか、とも一瞬考えがよぎるが即否定する。自分は子供を産んだ記憶も無ければそういった行為に及んだ覚えもない。だが本当に背筋をぞっとさせられたのは直後の事。
「マンマッ、殺すの! いっぱい、いっぱい殺すぅぅぅぅぅぅ!」
「僕もマンマ串刺すぅぅぅぅぅぅ、赤くて動かないマンマを、食べる! 食べる! 食べる! マンマ食べる!」
「にゃぁぁぁぁぁぁ! 僕ね、猫しゃんなる。マンマのお肉ガブってする!」
「ちょっ、ふざけんな!!」
思わず反射で叫んでしまった――マンマとは『ご飯』を指すのか『お母さん』の意なのか。はたまた、母とはご飯なのか。沙羅の声に外の動きや声が止む。再び不気味な静寂が戻ってくるが、それは先程の比ではない。確実に相手に居場所を伝えてしまった失態に己を内心で叱咤する。腰を若干落として臨戦態勢――壁をぶち破ってきたら、後退して鈴を鳴らせるように。
部屋の入口付近を凝視するが僅かな動きさえも見受けられない。沙羅も気が長い方ではないので、この焦らされている時間に苛立ち――深い溜息を吐ききった瞬間、コンクリの床が盛大に爆ぜた。
「――はぁ!?」
大きな穴が開いた床下から成人男性程の人型が跳躍して姿を見せる。
その姿は異形そのもの――半身は電子盤と電子コードの肉体を持ち、両膝から下が巨大なコンパス針。右肘から先が大きな草刈り鎌。唯一まともな左手には指が十本生えていた。これを見て誰が人間だと容認できるか。彼らの容姿を見て沙羅は思い出す。
「人道を辞退した『鋼鉄の殺戮師団』」
初めて見る大量殺戮機械化兵。
沙羅は迷うことなく鈴を鳴らした。
こんばんは、上月です(*'▽')
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