久方ぶりの帰宅
多忙を忘れるように沙羅は布団に包まって眠っていた。
数日ぶりに快眠を貪る沙羅の表情は満足そうで――母に抱かれて眠る赤子のようだ。休暇は二日と言ったが、魔王が一週間は休むようにと、半ば強引に休暇届を事務係に提出した。沙羅は休暇届を書き直そうとしたが、事務係が全力で拒否したので、結局それに甘えて一週間の休暇を取る事にした。
帰宅早々にシャワーで身体の汗や疲労をほぐし、温かくてフワフワとした布団に抱かれて小さな寝息を立てている。
枕元には魔力を熱量とした、通信器具――タイプライターが置いてある。これは電子回路を一切使わない魔術師同士での通信を可能とする代物。これがあれば『紅龍七』の電子妨害を受けることが無い。だが、深く眠りについている沙羅は情報を受信しても気づくことはないだろう。それほどにここ数日の激務や襲撃事件が心労として溜まっていたのだ。
沙羅が夢から現実に帰還したのは昼過ぎだった。
「ふわぁ、良く寝たわね。八時間も睡眠が取れれば十分。一週間の休暇とは言っても、名にして過ごせばいいのよ」
部屋にはこれといった娯楽に時間を潰せるものが無い。殺風景な女の子らしくはない部屋の在り方。他人の命を奪うために鈴を鳴らしてきた生き方。ルーガンに飼われていた頃は、特にやることが無いということは無かった。何かしらの仕事があって、そのたびに鈴を鳴らして人を――命を解体して過ごしてきた。
今は違う――飼われる人生の在り方ではなく、自分らしく生きる為の在り方を選択した。命令されて奪うだけの人生は終わったのだ。少しくらいは女の子として――人としての楽しみを見つけてもいいのではないか。
『紅龍七』の件も大事ではあるが、自分が『探求者の家』という勢力を立ち上げた根底にある意味――自分が自分らしく生きる為に、魔術師として探求すべく道を歩む為。
何かあれば魔王からタイプライターに、緊急の連絡が入る手筈になっている。外出時でも子機端末に魔力を介して情報が送られてくるので、家に引きこもっている必要もない。
「特に連絡は無い、と。久しぶりの休日を満喫させてもらいますかね!」
昼過ぎにシャワーを浴びて寝癖を直し、洗面台の鏡に映る自分と向き合う――化粧等の細々とした時間は必要ない。元が整っている顔立ちなので、化粧水と乳液を塗り込んでおしまい。
外出用の服をてきとうに着込めば、シャワーからここまでの時間まで十分程度。男性の身支度と大差ない時間だ。沙羅は小さなポーチに数十万の大金を忍ばせて自宅を出た。
「やぁ、稲神君じゃないか。久しぶりだね。最近見ないから心配していたんだよ」
階段を降りたアパート入口――小太りの中年男性が頬肉を『プルプル』と揺らしながら、くたびれたタバコをふかしていた。ヨレたスーツには不釣り合いな金色に自己主張する弁護士バッジが、奥田の吐き出した主流煙の向こう側で光っていた。
「おはようございます、奥田さん。ここ数日、友人の家に転がり込んでて、帰ってなかったのは事実ですね。未成年者が自宅を何日も開けるのは法律に引っ掛かりますか?」
冗談めかしく問う沙羅に、奥田は重たそうな頬肉を持ち上げて笑った。
「それは失踪扱いだから、担当は弁護士の僕じゃなくて、警察官である篠巻君の管轄だね。彼も休日や夜中に散歩という言い訳を使って、キミを探していたみたいだよ」
耳を疑うような言葉。だが、沙羅が彼の発言を一語一句正確に脳裏で繰り返し――奥田の言葉にはある引っ掛かりを覚えた。
「彼もって事は、奥田さんも私の事を探してくれていたってことですか?」
「あはは、参ったな。僕や彼だけじゃない。おばあちゃんも、近隣のごみ拾いに出掛けながら探していたし、レンナさんも、これは新しい小説のネタになるかもって楽しそうにね。みんな、キミの事を心配していたんだ。その、ちょっと僕も言うのが恥ずかしいけど、『家族』だからね。でも、良かった。帰って来てくれて」
衝撃だった――脳を激しく揺らされたように呆然と、時間さえ止まってしまったのではないかと思えてしまう感覚。
目を丸くしている沙羅に奥田は続ける。
「僕はお説教には向かない性格だから、後の事は彼に任せるとしようかな」
奥田は顔を少し上に向けていた――とても嬉しそうに笑いながら。
「稲神君。まったく、何日も連絡なしで帰宅しないのは感心しないな。確かに我々は隣人だ。だが、歓迎会を楽しんだ家族だろう? 少なくても、俺達はそう思っている。キミはどうなんだ?」
「私は――」
沙羅は即答する事が出来なかった――ここで家族だと言い切ってしまえば、そうあることを意識してしまう。少し前まではそれで良かった。家族という新しい居場所が出来たと喜んでもいた。だが、今は状況が違う――一人の魔術師としてではなく、組織を束ねる魔術師として在らねばならない。
即答したかった。温かな歓迎会を開いてくれた彼等に、大切な『家族』であると伝えたかった。ここで彼らを家族として認めてしまえば、多忙に埋もれさせた彼らの存在は無視できない程に肥大する――それは百人規模の部下を従える自分に対する弱点となる。
「どうなんだ? 答えられないのか。我々は所詮は隣人で、私が何処で何をしようが自由だから構うなというなら、それは仕方のない事だ。だが、答えてほしい。キミの言葉で」
荒巻が声を低く、それでもしっかりと沙羅の耳に届く声量――まるで警察の取り調べだ。だがそれは悪事を曝け出させる冷徹な善ではない。一人の家族――愛娘の過ちを叱り、何が間違いなのかを自覚させる『父親』のような温かさ。
必死に抑え込んで隠そうとする感情が、荒巻によって暴き出される。
「私は――」
もう駄目だった。
この時代の荒廃した日常――今もその時代に流されながら、必死に自分の在り方に縋りつくべく鈴を鳴らし続ける自分。生と死の濁流の中、自分が此処にいる事に気付いてほしいように――『シャリンシャリン』と鳴っている。
そんな助けを乞う鈴の音に気付いて、救いの手を指し伸ばしてくれているのが彼等だ。非日常に生きる自分を日常に繋ぎ止めておいてくれる安息。
「家族だと思ってます! 奥田さんも、荒巻さんも、レンナさんも、おばあちゃんも。みんな、私にとっては温かく迎えてくれた家族です! だって、そうでしょ。私のような素性のしれない未成年の少女を――」
「魔術師、だろ」
「――え」
荒巻はやれやれと肩を竦めて階段を降りてきた。懐に忍ばせてあるタバコを咥えると、奥田がサッとライターでタバコに火をつけた。
「『繁栄には美酒と口付けを』に飼われている魔術師――稲神沙羅。いや、飼われていた、が正しいか。今は魔術組織『探求者の家』統括者――稲神沙羅だろ」
「どうして、それを、ううん。どうしてそんなことを知ってて私を家族として迎え入れたの!? 私はただの人殺しじゃない!」
「確かに人殺しだ。排除してきた奴が悪人だろうが、殺人は殺人だ。だが時代は変わっている。弱い奴から死んでいく時代で、殺されるかもしれないのに、人を殺すななんて言うつもりはない。俺も、自分の身を守る為に多くの人間を傷つけ、殺した。本当に、嫌な時代だよな。だからこそ家族は守りたいし、受け入れたいんだ」
殺人を許すつもりはないが、その罪も含めて受け入れるのが家族。
沙羅は思った――とんだ家族を持ってしまった、と。
「実はね、おばあちゃんも数十年前は、凄腕の殺し屋だったって噂だよ。出どころはレンナさんだけどね」
「嘘だぁ!」
「嘘だろ!」
奥田の耳伝いの情報に、沙羅と荒巻は声を合わせて否定した。
こんばんは、上月です(*'▽')
次回の投稿日は11月2日の0時を予定しております!




