見定めるべき自分の到達点
薄暗い一室で横になっていた。
布団も敷かずにフローリングの冷たさを直に感じ、窓から差す月明かりにぼんやりと顔を向けていた。物音ひとつしない深夜の刻限に目が覚めてしまい、それから寝付けずに時間だけが過ぎていく。
「そうだ。私は戦わなきゃ。そして――」
探求をしなければならない――魔術師として――自分の『在り方』を識る為に。探求の邪魔をする者は容赦なく『解体』してやればいい。それが稲神沙羅の歩み方なのだ。強制されて魔術師になったつもりが、気付けば自分の『在り方』という難題を識る為に、魔術師として在る自分に苦笑する――これが稲神の血なのかと。
祖母の一言の手紙が沙羅の在り方を変えた。自分らしく生きて行けばいい、と。そんな無責任な内容であっても、沙羅にとっては肩の荷が下りた気がした。
いまだにまともな家具のない部屋――広々とした空間に、半開きの窓から流れ込む冷え切った空気。手探りでそこら辺に転がっているはずの時計を手繰り寄せ――月明かりの下に晒す――時刻は二時半を過ぎていた。
「私に初めて死の恐怖を抱かせた、張紅露。あいつの存在は私の『在り方の悪性腫瘍でしかない。必ず排除してやるわ」
脳裏で何度も鮮明に繰り返される記憶――鈴が地面に落ちた涼やかな旋律。己の身体を走り抜けた恐怖の戦慄。気を抜けば今にも震えが込み上げる。張があの場で部下に命令を下していれば、今この部屋に――この世界に自分は存在していない。帰りたければ帰ればいいと言った張の言葉に甘んじて帰路についた。王座の間から渋谷区を出るまで敵の気配も無く、無事に地元まで帰って来ることが出来た。
魔王とは上野で別れ――そこから自分は何を考え、どのように歩いたのかの記憶さえ曖昧だ。それほどまでに彼――張の存在が大きく自分に影響を与えたということだ。
『紅龍七』の戦力を大まかに分けて考えてみた。
頭領の『張紅露』――実力は未知数だが、今の自分より遥かに強い。飄々とした態度に見合わぬ蛇を彷彿とさせる狩人としての在り方。刹那の瞬間さえ長く感じてしまう僅かな時間――沙羅の手首に巻かれた赤糸だけを断つ技量。
三次世界大戦の悪夢『鋼鉄の殺戮師団』――膨大な情報量を共有し、群で行動する機械人間。物理的攻撃が利きにくい『電子盤装甲』、『嗜虐的武装』によって数多くの敵を屠る精神退行者。
殺戮師団を凌駕する『名称不明の兵士』――彼らは王座の間に控え、ピクリとも動かぬ人形のような在り方を徹底していた。張が語るには『鋼鉄の殺戮師団』の情報阻害パニックを始めとした欠陥を徹底的に排除し、戦闘能力や情報整理から送受信に至るスペックを大幅に改良したという。
「『鋼鉄の殺戮師団』だけでも厄介だってのに」
考えるほどに溜息が口から溢れていく。
いくら四組織として名を馳せる『繁栄には美酒と口付けを』『初夜に耽る子猫の吐息』『無明先見党』が手を組んだところで、自分が知る中で実力者は『無明先見党』の瑠依だけだ。彼女の姉である芽衣を渚は護衛にしていた事から、瑠依より実力は上なのだろうが、『紅龍七』の保有する戦力の前に成す術なく殲滅される――考えるまでもない、目に見えた結論。
「魔術だけじゃこの時代を生きていくのは難しい、か。魔術式を習得しようにも、私には才能が無いし。困ったわね、ほんと」
解体魔術だけがあれば十分だと思っていた、狭い箱庭に生きていた幼い自分。稲神家を追い出されて初めて見える世界の広さ。飼われた人生では見聞も広がらない。きっと妹は、教え込まれた常識が『世界の全て』であると信じているのだろう。従順で真面目な妹の事だから祖母の言葉に疑いを持っていないはずだ。それ故に、自分を揺さぶる甘言に惑わされることも無い。相手の思想思考に左右されない頑なさは、自分理論を探求する魔術師にとって最高の適正だ。
世界の広さを知った――いいや、まだ自分が知っている知識さえも世界にとって、ごくわずかな砂粒程度かもしれない。得た知識こそが武器だと魔王に昔言われたことを思い出す。狭い知識を信じる堅物と、広大な知識を得るも不安定に揺さぶられる者――はたして魔術師として花咲かすのはどちらか。
沙羅は小さく口角を持ち上げ、その対比自体を否定した。
「狭かろうと広かろうと、結局は自分の中にある『唯一』を上手く貫いた奴が勝つのよ」
『唯一』に肉付けする知識が無ければ、そこから探求の枠を広げ、多面的に物事を分析することはできない。余計な知識が多すぎても同じだ。情報に翻弄され『唯一』が『唯一』でなくなり、信じるものがあやふやな状態になってしまえば、探求のしようがない。
「私の唯一の探求は、難しい理論は解体して識ればいいだけ」
子供の短絡的な発想ではあるが、余計な肉付けも必要なく、これ以上分かりやすい探求法もないので、唯一が失われる事も無い。魔術師としてブレのない安定性に富んだ『魔術理論』。
「子供っぽい短絡的な発想でもいい。私は、私の信じている魔術を成長させる」
今は無垢な子供のように全てを徹底解体にする事しかできない。だが、上手く扱えば部分的な破壊や、それ以上の神秘にたどり着けると確信していた。最小限の魔力で、意味のある場所だけを効率よく解体する方法――簡単に言えば無駄を省く作業だ。最小の消費で最大の効果を発揮させる――沙羅が現状で至るべき領域。
「目指すべき場所を定めた所で、まずは」
沙羅は勢いよく起き上がる。ハンガーに掛けてあるダッフルコートに袖を通し、赤紐の感触と小さな鈴の音を確かめて家を飛び出した。
こんばんは、上月です(*'▽')
台風が近づいていますね。
関東は30日の夜辺りからがピークだと聞きましたが、仕事帰りの電車が心配です(;´∀`)
次回の投稿は30日の0時を予定しております!




